豊かさとは?心の豊かさとは何か・お経に説かれる本当の豊かさ
「豊かさって、結局何なんだろう?」
「物には困っていないのに、なぜか満たされない」
テレビのCMで、鬼が
「おい、ヒト。心の豊かさって何だ?」
と問いかけるのを見て、
すぐには答えられないと思った人もあるかもしれません。
世間では、「これからは物の豊かさより心の豊かさ」といわれ、
感謝の気持ちや、人を思いやるゆとりこそ、
心の豊かさだと教えられます。
ところが仏教では、豊かな人を
3つに分けて教えられています。
その中で、一番よいと言われるのは、
物の豊かさとも、世間でいう心の豊かさとも違う、
どんなことがあっても壊れない宝を、心に持つ人です。
では、その仏教で一番よいといわれる豊かさとは、
どういうものなのでしょうか?
豊かさとは?意味と2つの豊かさ
豊かさとは、必要なものが十分に満ち足りていて、
心にゆとりがある状態のことです。
豊かさは、大きく2つに分けられます。
お金や物に恵まれている「物の豊かさ(物質的な豊かさ)」と、
心が満たされている「心の豊かさ(精神的な豊かさ)」です。
最近では、時間にゆとりがある「時間の豊かさ」や、
人とのつながりに恵まれた「人間関係の豊かさ」も語られますが、
その2つは大きく分ければ、心の豊かさに含まれます。
物の豊かさ(物質的な豊かさ)とは
物の豊かさとは、お金や財産、家や土地、車、便利な道具など、
目に見える物に恵まれていることです。
物質的な豊かさや、経済的な豊かさともいいます。
国の豊かさを比べる時には、
国内総生産(GDP)などの数値が使われます。
日本は戦後の焼け野原から立ち上がり、
世界有数の経済大国になりました。
蛇口をひねれば、きれいな水が出て、
お店には1年中、食べ物が並び、
スマートフォン1つで世界中の人とつながれます。
物の豊かさという点では、
昔の人から見れば、夢のような世の中です。
心の豊かさ(精神的な豊かさ)とは
心の豊かさとは、物が多いか少ないかではなく、
心が満たされ、落ち着いたゆとりを持っていることです。
精神的な豊かさといわれることもあります。
お金にそれほど恵まれていなくても、
毎日を明るく、生き生きと過ごしている人を見て、
心が豊かな人だなと感じることがあります。
そして、物が豊かになった今、
この心の豊かさこそ大切だという声を、よく耳にします。
「物の豊かさより心の豊かさ」といわれる理由
冒頭のCMは、JT(日本たばこ産業)の企業CMです。
JTは「心の豊かさを、もっと。」を企業全体の目的に掲げ、
先の心の豊かさを探す鬼のCMを、シリーズで流してきました。
企業までもが、心の豊かさを掲げる時代です。
国も、人々がどちらの豊かさを求めているかを調べています。
内閣府の「国民生活に関する世論調査」では、
「これからは心の豊かさか、まだ物の豊かさか」
という問いが設けられています。
令和8年9月の調査では、
心の豊かさやゆとりのある生活に
重きをおきたいと答えた人が51.1%、
物の面で生活を豊かにしたいと答えた人が47.6%でした。
「物より心」といわれて久しいのに、
まだ物の豊かさを求める人も、半数近くいます。
それだけ、物の豊かさへの願いは根強いともいえます。
では、なぜ「物より心」といわれるのでしょうか。
それは、物がどれだけ増えても、
心が満たされることはないからです。

ガルブレイス
(1908-2006)
アメリカの経済学者ガルブレイス(1908-2006)は、
1958年の著書『ゆたかな社会』で、
豊かな社会では、物が作られ、宣伝されることで、
人々の欲望そのものが作り出されていくと指摘し、
これを「依存効果」と呼びました。
新しいスマートフォンを手に入れても、
しばらくすると、次の新しい機種が欲しくなる。
物が増えれば増えるほど、欲しい物も増えていき、
いつまで経っても満たされません。
ローマ帝国の時代に生きたセネカ(前4頃-65)は、
友人に宛てた手紙の中で、こう書いています。
わずかしか持たない人が、貧しいのではない。
より多くを欲しがる人が、貧しいのである。(出典:セネカ『倫理書簡集』)
欲しがる心がある限り、どれだけ物を持っても、
心は貧しいままだということです。
20世紀は、物の豊かさが飛躍的に増えた一方で、
心の満足は少しも増えなかった世紀だったともいわれます。
だからこそ、物ではなく心の豊かさを、
と考える人が多いのでしょう。
では、心の豊かさは、
どうすれば手に入るのでしょうか?
心が豊かな人の特徴と心を豊かにする方法
世間では、心が豊かな人には、
次のような特徴があるといわれます。
- 今あるものに感謝できる
- 人と比べず、人の幸せを喜べる
- 相手の立場に立って思いやることができる
- 自分と違う考えも受け入れられる
- 時間と気持ちにゆとりがある
反対に、いつも不満ばかり口にしている、
人と比べては妬む、自分のことしか考えない。
こうした人が、心が貧しい人といわれます。
心が豊かな人と貧しい人の違いは、
持っている物の多さではありません。
同じ物を持っていても、
「これで十分ありがたい」と喜べる人もあれば、
「まだ足りない」と不満を抱く人もあります。
違うのは、本人の受け止め方だといわれます。
そして、心を豊かにする方法として、
毎日、感謝できることを書き出す、
自然や芸術に触れる、
人の役に立つことをする、
足るを知る、などが勧められています。
どれも大切なことです。
実践すれば、心がフッと軽くなる時もあるでしょう。
ですが、心がけで得た豊かさは、
自分の置かれた状況が変われば、たちまち崩れてしまいます。
病気で寝込めば、感謝どころではなくなります。
大切な人を亡くせば、人の喜びに心を寄せるゆとりもなくなるでしょう。
そして死ぬ時には、お金も物も、
心がけで育てたゆとりも、何一つ持っていけません。
仏教では、物があればあったで苦しみ、
なければないで苦しむ私たちの姿を、
「有無同然」と説かれています。
物の豊かさも、世間でいう心の豊かさも、
いつかは手放さなければならない豊かさなのです。
心の豊かさが大切だといわれながら、
「では、心が豊かとはどういうことか」と聞かれると、
はっきり答えられる人は、ほとんどいません。
冒頭のCMでの鬼の問いかけは、
私たち一人一人に向けられた問いでもあります。
では仏教では、本当に豊かな人とは、
どんな人だと教えられているのでしょうか?
仏教に説かれる3つの長者
「長者」とは、恵まれた人、豊かな人のことです。
世間では、「億万長者」や「長者番付」というように、
長者といえば、お金持ちのことをいいます。
ですがお釈迦さまは、
長者といっても3通りあると教えられています。
これを、「三長者」といいます。
- 家の長者……お金や財産に恵まれている人
- 身の長者……健康に恵まれている人
- 心の長者……心に宝を持っている人
この3つの中で、一番よいのが「心の長者」です。
では、それぞれどんな豊かさなのでしょうか。
家の長者とは
1つ目の家の長者とは、お金や財産を多く持っている人です。
大きな家に住み、欲しい物は何でも手に入る。
多くの人がうらやむ、世間でいうお金持ちです。
反対に、お金や財産に恵まれず、暮らしに困っている人は、
家の貧窮です。
家の貧窮よりも、家の長者のほうがいいに決まっています。
ですが、お金はたくさんあるのに、
お金がないといって苦しんでいる人もたくさんいます。
身の長者とは
2つ目の身の長者とは、健康に恵まれている人です。
病気一つせず、体力にあふれている。
どれだけお金があっても、病気で寝たきりになれば、
何も楽しめませんから、健康は大きな宝です。
反対に、体が弱く病気がちな人は、
身の貧窮です。
少し風邪を引いただけで、美味しい料理も食べられなくなり、
楽しみにしていたイベントにも、仕事にも行けなくなります。
病に伏せって1日中苦しみ続けることになれば、
家の長者のお金や財産の豊かさは簡単に崩れ去ります。
家の長者よりも、身の長者がいいのです。
ところが、家の長者も身の長者も兼ね備え、
健康で、生活も豊かなのに、
心からの安心も満足もなく、
何となく虚しいという人がいます。
まだ足りない豊かさがあります。
心の長者とは
3つ目の心の長者とは、目には見えませんが、
心に宝を持っている人です。
家の長者も身の長者も、形のある宝に恵まれた人ですが、
心の長者は、形のない宝に恵まれた人です。
心の長者が一番よいのは、
家の長者や身の長者の喜びが、続かないからです。
形あるものは必ず壊れます。
お金や財産も、健康な体も、無常のものです。
どれだけ恵まれていても、いつなくなるか分かりませんので
不安は絶えず、やがては必ず崩れる時がやって来ます。
ところが、形のないものは崩れません。
それで家の長者や身の長者よりも、心の長者はもっといいのです。
たとえ家の貧窮、身の貧窮であっても、
心の長者は、そんなものとは比較にならないほど幸せです。
では、心の長者が持っている形のない宝とは、
どんなものなのでしょうか?
心の長者が持つ形のない宝
世界中の人が、お金や土地、建物など、
形のある財産を求めています。
ですが、形のある財産よりも、
形のない宝のほうが、はるかにすばらしいものです。
形のない宝には、例えば信用や徳があります。
長年かけて積み重ねた信用は、
お金で買うことはできません。
人を思いやる徳のある人は、どこへ行っても慕われます。
仏教では、このような目に見えない宝として、
次の7つが教えられています。
これを「七聖財」といい、『法句経』や『瑜伽師地論』など、
様々な仏典に説かれています。
このうち「慚」と「愧」は、今でも
「慚愧に堪えない」という言い方に残っています。
自分の悪を恥じる心までが、宝に数えられています。
また、「施」とは、人のために布施する心です。
世間では、お金は持っているほど豊かだと考えますが、
仏教では、人に施す心が、その人を豊かにする宝です。
『維摩経』に登場する維摩居士は、
毘舎離の町に住む、大金持ちの長者です。
ある時、一人の菩薩から、
「あなたの家族や召し使い、象や馬や車は、どこにあるのですか?」
と尋ねられた維摩居士は、
自分の本当の家族と財産を、仏の教えにたとえて答えています。
その中で、財産について、こう言っています。
慚愧を上服とし、深心を華鬘と為す。
七財の宝を富有して、教授して以て滋息す。
(漢文:慚愧之上服,深心為華鬘。富有七財宝,教授以滋息)(出典:『維摩経』)
これは、「慚愧の心を最上の衣服とし、深い心を花の首飾りとする。
7つの財の宝を豊かに持ち、
それを人に教えて、利息がつくように増やしていく」
ということです。
大金持ちの維摩居士が、自分の財産として挙げたのは、
お金や物ではなく、7つの心の宝でした。
しかもそれは、人に教えれば教えるほど増えていく財産です。
形のない宝は、人に与えても減らないどころか、
かえって増えていきます。
形のある宝は、税金、泥棒、ライバル、火事や洪水で奪われます。
ですが形のない宝は、なくしたり、盗まれたり、焼けたりすることもありません。
心に形のない宝を持つ心の長者は、
形のある財産を持つ人を、何もうらやむ必要はありません。
はるかに幸せです。
しかし、信用や徳はもちろん、7つの心の宝も、
私たちが自分の努力で磨き、身につけていくものです。
努力に応じた結果は得られますが、完成がありません。
死ぬまで求め続ける必要があります。
しかも約束を守れなかったり、迷惑をかけたりして
崩れることもあります。
では、決して壊れることのない本当の心の宝は、
どのようなものなのでしょうか?
本当の心の長者とは
仏教では、仏は私たちにこの上ない宝を
与えようとされていると説かれています。
その宝を受け取った人こそ、本当の心の長者です。
自分は貧しいと思い込んでいた長者の息子
そのことを説かれているのが、
『法華経』信解品の長者窮子のたとえです。
須菩提・摩訶迦旃延・摩訶迦葉・摩訶目犍連の4人のお弟子に、
お釈迦さまが説かれています。
ある大金持ちの長者の息子が、幼い時にいなくなりました。
長者は八方手を尽くして探しますが、見つかりません。
子供は実は何十年もよその国を貧しくさまよっていました。
長者は子供が見に来るように、国一番のデパートを建てます。
やがて貧しい息子である窮子は、その建物の前に来ますが、
立派な父の姿に恐れおののき、
逃げ出してしまいます。
わが子と気づいた父は、驚かせないように、
まず汚物を運ぶ仕事で窮子を雇い入れました。
そして少しずつ心を通わせ、20年かけて家の仕事を任せ、
ついには蔵の財宝の出し入れまで任せるようになります。
それでも、長者と窮子の間には隔たりがありました。
其れに金銀・真珠・頗梨、諸物の出入を示して、皆知らしむ。
猶門外に処し、草庵に止宿して、自ら貧事を念う、我に此の物無しと。
(漢文:示其金銀、眞珠、頗梨,諸物出入,皆使令知。猶処門外,止宿草庵,自念貧事,我無此物)(出典:『法華経』)
「父は息子に、金や銀、真珠や水晶など、
蔵の財宝の出し入れまで、すべて知らせた。
それでも窮子は門の外の粗末な小屋に寝泊まりし、
『私は貧しい者で、こんな財宝は自分には何もない』
と思い続けていた」ということです。
目の前に、計り知れない財宝がありながら、
窮子は、受け取ることができなかったのです。
やがて父親も病にかかり、臨終が近づくと、親族や国王、大臣を集め、
「この男は私の実の息子です」と打ち明けて、
すべての財産を息子に譲りました。
窮子は、思いもよらない宝を得て、大変喜んだといいます。
このお経の中では、長者は仏を、
息子はすべての人を表しています。
みんな全く知りませんが、
仏様が大きな宝を与えようと、力を尽くされているのです。
私たちも、この息子と同じように、
お金や物を少しでも増やすことにあくせくして、
仏様が与えようとされている最高の宝には、
目を向けようともしていません。
では、仏様が私たちに与えようとされている
この上ない宝とは、何なのでしょうか?
無上の功徳が心に備わる心の長者
その宝とは、仏様が作られた大功徳です。
そこには、大宇宙の宝という宝が、すべておさまっています。
お釈迦さまは、『大無量寿経』の最後に、
その大功徳について
弥勒菩薩に、こう説かれています。
当に知るべし。
この人は大利を得と為す、則ち是れ無上の功徳を具足するなり。
(漢文:当知。此人為得大利,則是具足無上功徳)(出典:『大無量寿経』)
「無上の功徳」というのは、この上のない最高の功徳です。
「具足」というのは、1つになるということです。
この人は、大利益を頂いて、無上の功徳と一体になったのである、
ということです。
大宇宙の功徳という功徳、宝という宝が、
心いっぱいに満ちあふれ、
心の中が、真実の宝で埋め尽くされる。
これこそが、本当の心の豊かさです。
この無上の功徳と心が一つになった人を、
本当の心の長者といいます。
この宝は、仏様が完成された大功徳ですから、
何があっても壊れません。
死によって崩れることもありません。
ダイヤモンドのような変わらない心になります。
病気になっても、年をとっても、
死が来ても、決して壊れない宝です。
最後に笑うのは、家の長者でも身の長者でもなく、
大宇宙の宝を心に頂いた、心の長者です。
では、無上の功徳を頂いた心の長者の世界とは、どんな世界なのか、
どうすれば、その身になれるのか。
それについては仏教の真髄なので、
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この記事を書いた人
長南瑞生(日本仏教学院創設者・学院長)
東京大学教養学部で量子統計力学を学び、1999年に卒業後、学士入学して東大文学部インド哲学仏教学研究室に学ぶ。
25年間にわたる仏教教育実践を通じて現代人に分かりやすい仏教伝道方法を確立。2011年に日本仏教学院を創設し、仏教史上初のインターネット通信講座システムを開発。4,000人以上の受講者を指導。2015年、日本仏教アソシエーション株式会社を設立し、代表取締役に就任。2025年には南伝大蔵経無料公開プロジェクト主導。従来不可能だった技術革新を仏教界に導入したデジタル仏教教育のパイオニア。プロフィールの詳細・お問い合わせ
X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。
著作
- 生きる意味109:5万部のベストセラー
- 不安が消えるたったひとつの方法(KADOKAWA出版)
京都大学名誉教授・高知大学名誉教授の著作に引用、曹洞宗僧侶の著作でも言及。

