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泥棒(偸盗)の報い

泥棒」というと、石川五右衛門やねずみ小僧次郎吉の、
他人の家に忍び込んで、金品を盗み出す、はでな泥棒を思い出しますが、
仏教では、「偸盗ちゅうとう」と言われる罪です。

石川五右衛門が辞世に
石川や 浜の真砂は絶ゆるとも 世に盗人の 種はつきまじ
と歌っているように、現代にも、さまざまな泥棒がいますが、
仏教では、一体どんな罪になるのでしょうか?

古代遺跡の呪い?

2020年、イタリアのナポリ近郊のポンペイ遺跡に、カナダの旅行者が、
これは呪われている
といって、かつてポンペイの遺跡から盗んだ工芸品やタイルを送り返してきました。

ポンペイというのは、人口約2万人のローマの町でしたが、1世紀にヴェスヴィオ火山が噴火し、火砕流で一夜にして壊滅し、火山灰で埋まってしまいました。
やがて18世紀に発掘され、現在ではローマの当時の様子を残す唯一の遺跡ということで世界遺産にもなっています。

そのカナダ人女性は、2005年に20代の時にポンペイを観光に訪れ、歴史の一部を自分のものにしたいと思って持ち帰ったといいます。
ところがそれから15年の間、病気になったり貧乏になったり、おびただしい不幸や災難が次々とやっときたため、
ポンペイの呪いだ、これは負のエネルギーを持っている
と思って、お詫びと共に持ち帰った出土品を返してきたのです。

ポンペイでは、こういう人は一人や二人ではなく、よくあることですが、出土品のもともとの位置は分からないので、盗まれた工芸品のコーナーを設けて、呪われるので盗まないようにという願いをこめて、手紙と共に展示しています。

では、盗んだ人たちは、本当にポンペイの呪いで不幸になったのでしょうか?

盗みの報い

仏教では、他人のものを盗むのは、大変重い罪で、
ブッダの教団では、他人のものを盗んではいけない
不偸盗戒ふちゅうとうかい」という戒律かいりつがあります。
ブッダの教団でこれを破ると、追放されます。

また、次に人間に生まれ変わるためには
必ず守り通さなければならない
5つの戒律五戒ごかいの1つですから、
次に人間に生まれることはできなくなります。
これは、自業自得じごうじとくの因果の道理ですから、
他人に見つかったかどうかは関係ありません。

そして、殺生せっしょうに加えて偸盗の罪を犯すと、
八大地獄のうち、少なくとも黒縄地獄こくじょうじごくよりも苦しい地獄に堕ちます。
色々な因縁いんねんによって、もしやがて人間に生まれることができたとしても、
お金に不自由します。

また、『華厳経けごんきょう』には、こう説かれています。

劫盗の罪はまた衆生をして三悪道に堕さしむ。
もし人中に生ぜば二種の果報を得。
一には貧窮、二には共財にして自在を得ず。

これは、もし偸盗罪を作ると、三悪道さんあくどうに堕すると説かれ、
もし人間に生まれることができたとしても、
貧乏であるか、財産を共有する社会で、お金が自由にならないと
教えられています。

能力に応じて働き、必要に応じてえるという共産主義の国で、
みんなが少しでも楽にたくさんもらおうとして、
みんなで貧しくなっていくようなものです。

日本のような共産主義ではない国でも、
少しでも楽をしてお金が欲しいと思っていたら、
一時的に一攫千金ができたとしても、長くは続かず、
すぐにお金に見放されますから、
やはり貧乏になってしまいます。

このような、お経に説かれている泥棒の報いを、龍樹菩薩(ナーガールジュナ)の『 大智度論だいちどろん 』にはこのようにまとめられています。

仏の説くが如く不与取(偸盗)に十罪あり。何等をか十となす。
一には物の主、常にいかる。
二には重く疑う。
三には行に非ざる時、量をはからず。
四には悪人に朋黨して賢善を遠離す。
五には善相を破る。
六には罪を官に得。
七には財物沒入す。
八には貧窮の業因縁を種。
九には死して地獄に入る。
十にはもし出でて人となりては財を求むるに勤苦し、五家の共にする所、若しは王、若しは賊、若しは火、若しは水、若しは不愛の子の用、乃至、藏埋してまた失す。

(漢文:如佛説。不與取有十罪。何等爲十。
一者物主常瞋。
二者重疑。
三者非行時不籌量。
四者朋黨惡人遠離賢善。
五者破善相。
六者得罪於官。
七者財物沒入。
八者種貧窮業因縁。
九者死入地獄。
十者若出爲人勤苦求財 五家所共 若王若賊若火若水若不愛子用 乃至藏埋亦失)

これは、盗んだ相手から常に恨まれ、重罪人の疑いが重くなります。
計画性がなくなり、アバウトになります。
悪い人ばかりが近寄ってきて影響を受け、立派な人は離れていきます。
立派な人には見えなくなり、何かの役割においては罪を造ります。
財産を失い、生まれ変わり死に変わり貧乏になる潜在エネルギーを蓄えます。
死ねば地獄に堕ちる。
もし地獄から出られて人間に生まれられても、お金で苦労します。
たとえ苦労してお金が手に入っても、政治家に税金で取られたり、泥棒に盗まれたり、火事で焼けたり、洪水で流されたり、親不孝な放蕩息子のために財産を失ってしまい、埋めて隠しても財産をなくしてしまう、ということです。

このように、色々の恐ろしい報いを受ける悪業ですが、
偸盗罪とは一体どんな罪なのでしょうか?

仏教の偸盗罪とは?

偸盗罪」とは、他人のものを盗むことです。

空き巣のように、他人の家に忍び込んで金目のものを
盗むだけが偸盗罪ではありません。
銀行強盗や、すり、車上狙いや置き引き、
賽銭泥棒、下着泥棒もそうですし、
駅の駐輪場での自転車泥棒や、
お店で万引きも、当然偸盗罪です。

他にも、駅の待合室などでパソコンの電源を使っている電気窃盗や、
会社のお金の使い込みはもちろん、
ペンやコピー機などの備品を私用に使ったりしても、
偸盗罪です。

他人のものは、糸くず一本、一円たりとも、
自分のものにしてはいけません。
米一粒、だまって食べてはいけません。

また、待ち合わせに遅れるのも、
相手の時間を奪っていますから、偸盗罪です。

偸盗は、別名「不与取ふよしゅ」とも言われます。
与えずして取る、ということで、
その分のたねまきをしないのに、結果を得ることです。

ですからお経には
己にふさわしからぬものを多く用い、又は食する」者は、
すでに盗みを働いたのだと教えられています。
仏教では、何も法律で罰せられる盗みに限りませんから、
法律上自分の所有物であっても自分にふさわしくないものを愛用すれば
偸盗罪なのです。

何とか楽をして、要領よく、
少しでもいい結果が欲しいと思い、
会社で働いている人なら、楽して給料が欲しいと思い、
上司なら、部下の働きを利用して結果を出したいと思います。
相続では、少しでもいいものが欲しいと争います。

仏教では、心を最も重くみますから、
手にかけて盗むのも恐ろしいですが、
心で欲しいと執着したものは、もっと恐ろしい偸盗罪です。

仏教を聞くとどうなる?

仏教は、法鏡ほうきょうといわれ、
真実の自分の姿を映し出す鏡のようなものだと
ブッダは教えられています。

鏡に近づけば近づくほど自分のすがたがハッキリ見えてくるように、
仏教を聞いて行くと、今まで知らなかった自分のすがたが見えてきます。

仏教を聞く前は、
自分は泥棒なんかしたことがない、そんなこと人間のすることか」とか、
泥棒は怖いね、どういう防犯対策をすればいいだろう」とか、
あいつ、泥棒猫め」と思っていますが、
仏教を聞けば聞くほど、自分の本当の姿が知らされて来ます。

真実の自分のすがたが知らされなければ、
本当の幸福にはなれませんから、
ブッダは偸盗罪について、
このように教えられているのです。

ではどうすれば、偸盗罪を造るまま、地獄を逃れて
本当の幸せになれるのかについては、
仏教の真髄ですので、
メール講座と電子書籍にまとめてあります。
一度見てみてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか一人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。インターネットの技術を導入して日本仏教学院を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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