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生きる意味を、知ろう。

将来が不安でたまらないのはなぜ?備えても消えない不安の正体

「将来が不安でたまらない」
「このまま生きていって、大丈夫なのだろうか」

夜に布団に入って目を閉じると、
お金のこと、老後のこと、仕事や健康のことが
次から次へと浮かんできて眠れない。
考えすぎだと分かっていても止められない。

友達と笑っている時も、旅行先でくつろいでいる時も、
心のどこかに先のことが引っかかっていて、
今を心から楽しめない。

「しっかり備えておけば大丈夫」
「先のことより、今を大切に」
そう言われてその通りにしてみても、
しばらくすると不安はまた戻ってきます。
将来への不安は、なぜこれほど消えないのでしょうか。

仏教には、この不安の正体と、
根本から不安がなくなる道が教えられています。

では、その仏教に教えられる不安の正体は一体何なのでしょうか。
そして不安を根本からなくすには、どうすればいいのでしょうか?

将来が不安なのはなぜ?悩みの上位を占める将来への不安

将来が不安になるのは、
不透明でどうなるか分からないのに、刻々と近づいているものだからです。

「将来」とは「将(まさ)に来(きた)らんとする時」という意味で、
これから先のことをいいます。
(出典:『日本国語大辞典』第二版)

まだ来てはいないけれど、今まさにやって来ようとしている。
それがどんなものなのか見えないので、
私たちは不安になります。

このような将来不安は、多くの人が抱えています。
内閣府の「国民生活に関する世論調査(令和7年8月調査)」では、
日頃の生活の中で悩みや不安を感じている人は
78.1%にのぼります。
その人たちに中身を聞くと、上位はこのようになっています。

悩みや不安の内容(上位5つ・複数回答)
  1. 老後の生活設計について(63.9%)
  2. 自分の健康について(62.7%)
  3. 今後の収入や資産の見通しについて(60.5%)
  4. 家族の健康について(51.2%)
  5. 現在の収入や資産について(47.9%)

(出典:内閣府「国民生活に関する世論調査」令和7年8月調査)

上位の3つは、どれも将来につながっています。
老後の暮らしはどうするか。
病気をせずにいられるのか。
収入はこの先も得られるのか。

不安の中身は、年代によっても変わります。
学生や20代のうちは、仕事が見つかるのか、
この道で食べていけるのかが気になります。
30代や40代になると、
結婚や子育て、住宅ローンが気にかかります。

同じ調査では、
収入や資産の見通しは18歳から50代で、
老後の生活設計は50代と60代で、特に多く挙げられています。

周りから見れば何の心配もなさそうな人でも、
将来のことを考えると落ち着かない、
と打ち明けることがあります。
仕事が順調で家族に恵まれていても、
ふとした時に先のことが頭をよぎります。

では、将来の不安ばかり考えてしまうのは、なぜなのでしょうか?

将来の不安ばかり考えてしまうのはなぜ?

将来の不安ばかり考えてしまうのは、
危険に備える心の働きが、強く働きすぎているからです。

人はまだ起きていない悪いことを先に思い描くので、
いざという時に備えることができます。
ですが、この働きが強くなりすぎると、
起きるかどうかも分からないことを、
起きたかのように何度も思い描いてしまいます。

こうなると布団に入っても頭が休まらず、
将来が不安で眠れなくなります。

昔の中国の書物『列子(れっし)』には、
杞(き)の国で天地が崩れ落ちてきたら
身の置き所がなくなると心配して、
寝ることも食べることもやめた人のことが書かれています。
取り越し苦労を「杞憂(きゆう)」というのは、ここから来ています。

将来への不安にも、この杞憂に似たところがあります。
まだ来ていない将来を想定して、
頭の中で先に何度も生きてしまいます。

不安そのものがなぜ起きるのかについては、
以下の記事で解説しています。
➾漠然とした不安の根本原因と仏教の解消法

では、将来が不安で今を楽しめないのは、なぜなのでしょうか?

将来が不安で今を楽しめない心理

将来が不安で今を楽しめないのは、
心がいつも少し先へ出かけてしまっているからです。

旅行に出かけても、帰ってからの仕事が気になる。
ボーナスが出ても、老後を思うと使う気になれない。
好きな人と一緒にいても、
この先どうなるのだろうと考えてしまう。

体は今ここにあっても、
心は将来の心配の中にいます。
今を楽しめないのは、楽しみ方を知らないからではなく、
今を曇らせているものが将来にあるからです。

では、将来の不安を消すには、
どうすればいいといわれているのでしょうか?

将来の不安を消す方法として世間でいわれる3つのこと

将来の不安を消す方法として、
世間では主に次の3つがいわれています。

将来の不安を消す3つの方法
  1. 将来に備える
  2. 今に目を向ける
  3. 不安の多くは起こらないと知る

1つ目は将来に備えることです。
不安の中身を紙に書き出してみると、
ぼんやりした不安が、お金や仕事、健康といった
具体的な心配に変わります。
そうなれば、貯金や投資、資格の勉強や保険など、
1つずつ手を打つことができます。

先ほどの世論調査でも、
「貯蓄や投資など将来に備える」ことに
力を入れたいという人は43.9%います。

2つ目は今に目を向けることです。
先のことを考えすぎず、今日一日を丁寧に過ごす。
呼吸に意識を向けるマインドフルネスも、
心を今に戻すための方法です。
同じ調査で「毎日の生活を充実させて楽しむ」ことに
力を入れたいという人は55.2%と、半数を超えています。

3つ目は不安の多くは起こらないと知ることです。
アメリカのペンシルベニア州立大学の研究では、
全般性不安障害の基準に当てはまる大学生29人が
10日間に書き留めた心配事のうち、
91.4%は実際には起こらなかったと報告されています。

古代ローマの哲学者セネカ(前4?−65)も、このように書いています。

私たちを怖がらせるものは、
実際に私たちを押しつぶすものよりも多い。
私たちは現実よりも、思い込みによって
苦しむことの方が多いのだ。

心配していることの多くは、
実際には起きない取り越し苦労だ、というわけです。
そう分かるだけでも、心は随分軽くなります。

この3つは、どれも確かに役に立ちます。
書き出して手を打ったり、今日一日に心を向けたりして、
気持ちが楽になる人も少なくありません。

それなのに、しばらくすると将来の不安がまた戻ってきてしまうのは、
なぜなのでしょうか?

それでも将来の不安がどうしても消えない理由

将来の不安がどうしても消えないのは、
3つの方法のどれにも、限界があるからです。

まず備えには、ここまでやれば安心という終わりがありません。
老後には2,000万円必要と聞けば、
それを貯めるまでは落ち着きません。
貯まったら貯まったで、物価が上がったら、大きな病気をしたらと、
次の心配が出てきます。

今に目を向けることも、その時は心が静まりますが、
夜一人になると、また先のことが浮かんできます。
心配がなくなったのではなく、
目をそらしている間だけ見えなくなっているからです。

そして、多くの人が心配している不安の9割は起こらないとしても、
将来にはほとんどの人が心配していないにもかかわらず
必ず起きる不安が1つだけあります。
それは、やがて必ず死ななければならないことです。
これは100%起こります。

老後のお金は足りるかもしれません。
病気にはならずに済むかもしれません。
ですが死だけは、早いか遅いかの違いはあっても、
誰一人避けて通ることはできません。
どれだけ貯金をしても、どれだけ今に心を向けても、
この将来だけは動かせないのです。

世間の3つの方法は、どれも
「起きるかもしれない将来」への対応です。
起きるかどうか分からないことには、
備えることも、気にしないでおくこともできます。
ですが、必ずやってくる将来から目をそらしたままでは、
不安の根本は少しも変わっていません。

将来の不安が消えないのは、
起きるかもしれない将来の奥に、
必ずやってくる将来があり、
その先がどうなるのか分からないからです。

では、将来が不安でたまらない時、
心の底には何があるのでしょうか?

将来が不安でたまらない時に心の底にあるもの

将来が不安でたまらない時、心の底にあるのは、
自分はこの先どうなってしまうのかという
行き先の見えない心細さです。

お金の心配が片づくと、健康が気になる。
健康の心配が片づくと、仕事が気になる。
1つの心配を片づけても、すぐに次の心配が出てきます。
不安の中身は入れ替わっても、
不安でいる心そのものは少しも変わりません。

急に将来が不安になるのは、
親が入院した時や、同年代の人が亡くなった時、
誕生日を迎えた時のように、
人生の終わりがふと頭をよぎった時ではないでしょうか。

これは1つ1つの心配の奥に、
最後の行き先が分からないという
大きな不安が横たわっているからです。
目の前の心配は、その大きな不安が
その時々に形を変えて現れたものです。

では、私たち人間の怖れについて、
仏教ではどのように教えられているのでしょうか?

仏典に説かれる5つの怖れと将来の不安の正体

仏教では人間の持つ怖れを、5つに分けて教えられています。
これを「五怖畏(ごふい)」といいます。

『大乗理趣六波羅蜜多経』には、その1つ目がこう説かれています。

一には不活畏(ふかつい)、常に資財(しざい)を積みて活(い)きざらんことを恐るるが故に。
(漢文:一不活畏,常積資財恐不活故)

「一には不活畏(ふかつい)」とは、1つ目の怖れは
生活していけなくなる怖れだ、ということです。

「常に資財を積みて活(い)きざらんことを恐るるが故に」とは、
いつもお金や財産を積み上げながら、
それでも生きていけなくなることを恐れている、ということです。

貯めても貯めても、まだ足りない気がして、
また積み上げようとする。
老後の暮らしや収入の見通しを心配する私たちの不安な姿が、
そのまま説かれています。

同じお経には、5つの怖れがこのように説かれています。

仏典に説かれる5つの怖れ(五怖畏)
  1. 不活畏:生活していけなくなる怖れ
  2. 悪趣畏(あくしゅい):悪い行いの報いで、死後に苦しみの世界へ堕ちる怖れ
  3. 死畏(しい):命を失う怖れ
  4. 悪名畏(あくみょうい):隠している悪事を人に知られる怖れ
  5. 大衆威徳畏(だいしゅいとくい):大勢の人の前で発言する時の怖れ

はるか昔に説かれたお経に、
今の私たちの不安がそのまま並んでいます。
世論調査の上位にあった老後や収入の心配は不活畏、
健康の心配も、突き詰めれば死畏につながっています。
他人の批判や悪口が不安になるのは、
隠し事が人に知られないかと気にする悪名畏、
人前に立つと足がすくむのは、大衆威徳畏です。

そして5つの中には、
死ぬことへの怖れと、
死んだ後への怖れが入っています。
将来の不安をたどっていくと、
最後はこの2つに行き着きます。

老後の先には、必ず死があります。
そして死んだ後には、
自分はどうなるのかという問題が待っています。
死んだ後のことを、仏教では「後生(ごしょう)」といいます。
私たちの将来の一番先にあるのは、
老後ではなく後生です。

ところが私たちは、
死んだらどうなるのかをハッキリとは知りません。
死んだら無になると思う人もありますが、
それを確かめた人はありません。
気づいているかどうかは別として、
どんな人にも死んだ後が分からない心の闇があります。

仏教では、将来の不安の一番奥にあるのは、
この死んだ後の行き先が分からない不安な心
だと教えられています。

どれだけ備えをしても、この心がなくならない限り、
将来への不安が根本から消えることはありません。

では、将来の不安が根本から消えることはあるのでしょうか?

将来の不安が根本から消える時

将来の不安が根本から消えるのは、
生きている今、死んだ後が分からない心が断ち切られ、
死んだ後の行き先がハッキリした時です。
暗い心が明るい心にガラリと変わります。
そしてこれは二度と変わらないので「不退転(ふたいてん)」といいます。

『華厳経(けごんぎょう)』には、不退転になった菩薩(ぼさつ)は、
先ほどの5つの怖れがすべてなくなると説かれています。
その理由も、このように説かれています。

自(おのずか)ら死し已(おわ)りて決定(けつじょう)して諸仏(しょぶつ)菩薩を離れざることを知る。
是の故に悪道(あくどう)の畏(おそ)れ有ること無し。

(漢文:自知死已決定不離諸仏菩薩。是故無有悪道畏)

「自(おのずか)ら死し已(おわ)りて決定(けつじょう)して諸仏菩薩を離れざることを知る」とは、
死んだ後も必ず多くの仏や菩薩のもとを離れることはないと、
知らされる、ということです。

「是の故に悪道の畏(おそ)れ有ること無し」とは、
だから死後に苦しみの世界へ堕ちることへの怖れがない、ということです。
「悪道の畏れ」は、先ほどの悪趣畏と同じ怖れです。

死んだ後がハッキリ知らされるので、
一番奥の怖れがなくなるのです。

未来が明るくなると、今も明るくなります。
例えば、就職活動をしている学生は、
内定が1つも出ないうちは、
友達と遊んでいても心から楽しめません。
ところが、内定の知らせが届くと、
残りの学生生活を思いきり楽しめるようになります。

変わったのは遊び方ではなく、行き先です。
行き先が決まると、今の毎日も明るくなります。

内定の安心は、入社すればまた次の心配に変わります。
ですが、死んだ後の行き先は、すべての将来の一番先にある確実な未来です。
ここが明るくなれば、もう次の心配に変わることはありません。

世間では、将来の不安を消すには今に目を向ければいい、といわれます。
ですが本当は反対で、
未来が明るくなった時に、今が明るくなります。

今を楽しめないのは、今の過ごし方が悪いからではなく、
行き先が明るくハッキリしていないからです。

お釈迦さまは『大無量寿経』に、
後の時代の私たちに向けて、このように勧められています。

当(まさ)に度世(どせ)を求め、生死(しょうじ)衆悪(しゅあく)の本(もと)を抜断(ばつだん)すべし。
当(まさ)に三塗(さんず)無量の憂畏(うい)苦痛の道を離るべし。

(漢文:当求度世,抜断生死衆悪之本。当離三塗無量憂畏苦痛之道)

「当(まさ)に度世(どせ)を求め」とは、
迷いの世界から抜け出す道を求め、ということです。

「生死(しょうじ)衆悪(しゅあく)の本(もと)を抜断(ばつだん)すべし」とは、
苦しみ迷いやあらゆる悪を生み出す根本を断ち切るべきである、
ということです。

「当(まさ)に三塗(さんず)無量の憂畏(うい)苦痛の道を離るべし」とは、
六道のうち、地獄・餓鬼・畜生の三悪道の
はかり知れない憂いや怖れ、苦痛から離れなさい、ということです。

お釈迦さまは、将来の不安の一番奥にある怖れまで
完全になくなる道があると教えられ、
その道を求めなさいと勧められています。
生きている今、死後の行き先がハッキリした変わらない幸せになることこそ、
私たちの人生の目的です。

では、人生の目的を果たすと、毎日はどう変わるのでしょうか?

行き先が明るくなると今が輝き出す

人生の目的を果たすと、
行き先が明るくハッキリするので、
今が心から明るくたくましい生き方ができます。

しかも死の大問題が解決されているので、
何があっても崩れない、
死んでも壊れない幸せになります。

老後やお金、健康のことは、
これまで通り大切に備えていきます。
ですが、心の一番深いところは、
どんな将来がやってきても、大安心です。

旅行に出かければ旅行を楽しみ、
好きな人と一緒にいれば、その時を喜べる。
一日一日が、「人間に生まれてよかった」と心から喜べる、
大安心の明るく幸せな毎日になります。

長い修行も、特別な才能も年月も必要なく、
生きている今、誰もがこの身になれます。

では、人間に生まれてよかったと心から喜べる幸せとは、どんなものなのか。
どうすれば、その身になれるのか。
それについては仏教の真髄なので、
メール講座と、電子書籍にまとめてあります。
どちらも無料ですので、今すぐ見ておいてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生(日本仏教学院創設者・学院長)

東京大学教養学部で量子統計力学を学び、1999年に卒業後、学士入学して東大文学部インド哲学仏教学研究室に学ぶ。
25年間にわたる仏教教育実践を通じて現代人に分かりやすい仏教伝道方法を確立。2011年に日本仏教学院を創設し、仏教史上初のインターネット通信講座システムを開発。4,000人以上の受講者を指導。2015年、日本仏教アソシエーション株式会社を設立し、代表取締役に就任。2025年には南伝大蔵経無料公開プロジェクト主導。従来不可能だった技術革新を仏教界に導入したデジタル仏教教育のパイオニア。プロフィールの詳細・お問い合わせ

X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。

著作

京都大学名誉教授・高知大学名誉教授の著作に引用、曹洞宗僧侶の著作でも言及。