心の闇の診断法と消す方法

心の闇には、世間でいわれる心の闇と、仏教でいわれる心の闇の2つあります。
世間でいわれる心の闇は犯罪を引き起こすものですが、仏教でいわれる心の闇は、誰もが持っていて、それ以上に深刻なものです。
ところが、仏教でいわれる心の闇は一瞬で消すことができます。
一体どんなものなのでしょうか?

心の闇の登場

心の闇」という言葉は、1997年の神戸連続児童殺傷事件があってから、少年犯罪が起きたときによく使われるようになりました。

それまでも少年の殺人はありましたが、それは、家庭の問題や、学校でのいじめによるものと言われていました。
それが、1997年からは、新聞の事件報道で、以下のように、心の闇が語られるようになります。
見通せない少年の心の闇
まず必要なのは、非行事実の確認と、少年の『心の闇』の解明た
近年、動機の不可解な事件が目立ち、事件を起こす子どもたちの心の闇は確実に深くなっている
親や学校の期待に適応しているものの、心の皮をむくと、本人でも分からない暗さや闇を持っている子がかなりいる

このような心の闇が語られるのは、特に、少年が犯罪を犯した場合です。
この少年犯罪に潜む心の闇とは、一体どんなものなのでしょうか?

少年犯罪に潜む心の闇の特徴

この「心の闇」は、犯罪を引き起こす原因とされるものです。
この心の闇が、少年を凶悪犯罪に駆り立てるのです。

しかも、その大きな特徴は、常識では理解できない所にあります。
凶悪な犯罪を犯した子供は、「優等生だった」とか、「普段はおとなしかった」とか、「事件後もいつもと変わらない様子だった」といわれます。
そのため、犯罪に及ぶ兆候を見抜くことができません。
普通の子供が、突発的に人を殺すのです。

しかも、その動機が「お金が欲しかった」とか「いじめられた復讐をしてやりたかった」とか「彼女をとられた」というものであれば、理解できます。
ところが、これらの殺人の動機はそこまで強い感情を伴わず、「人を殺してみたかった」とか「殺したいから殺した」というものです。
常識では考えられない、異常で、軽い理由で人を殺すのです。
このような、普段はおとなしい子供が、理解できない動機で、突然人を殺す原因として、心の闇が取り沙汰されるのです。

このような犯罪を引き起こす「心の闇」には、大きく2つのタイプがあります。
1つは、通り魔や銃の乱射など、一度に大量殺人を引き起こすものと、もう1つは、1人ずつ殺して連続殺人になる場合です。
どんな心の闇なのでしょうか?

世間の心の闇の正体

1.一度に大量の殺人を引き起こす心の闇

1つ目の心の闇は、通り魔や銃乱射事件のように、計画的な大量殺人を引き起こすものです。
犯人は自分の死を覚悟しており、たいていの場合、その場で自殺するか逮捕されます。
逃げた場合でもたくさんの証拠と目撃者がいますので、やがて逮捕されます。

このような大量殺人者の多くは、自分の人生を終わりにしようと思っています。
それは、学校での成績は良くても、人間関係が上手くいかず、社会に適応できないとか、何をやっても上手くいかず、自分を見放し、馬鹿にしてきた社会に不満があるという場合です。
このような人は、対人関係に不安を持って、特定の信用できる人としかかかわることができないことがあります。
仕事もうまく行かず、友達もできず、社会に見放されていると感じて、やがて人生に行き詰まってくると、最初は人生に絶望して、自殺を考えたりもします。
それが、何かのきっかけで、自分はどうなってもいいから社会を見返してやろうと犯行を思い立ちます。
この心の闇は、自分への絶望であり、社会への怨みといえるでしょう。

2.連続殺人を引き起こす心の闇

もう1つの心の闇は、一人一人殺して、連続殺人を引き起こすものです。
これは、一人を殺すことで快楽を感じます。
その快楽が薄れてくると、次の殺人を考えます。
快楽殺人は、治療が難しいといわれる、深い心の闇です。

このような快楽殺人を起こすのは、女性はわずかで、男性のほうがずっと多くあります。
このような犯人を調べていくと、幾つかの共通点が浮かび上がります。
以下の5つの特徴から、ある程度、リスクを診断できる可能性があります。

1つ目は、経済的な貧困はなく、ごく普通の家庭に育っています。

2つ目は、生まれつき内向的です。
そのため、周囲におとなしい印象を与えます。
友達は少なく、単独行動を好みます。

3つ目は、家族に何らかの問題があり、母親から溺愛を受けているなど、人間関係に問題があります。

4つ目は、自己中心的で、感情的です。
それにもかかわらず内向的で思い通りにならないため、欲求不満を抱えています。

5つ目に、殺人までに、犬や猫などの動物を虐待したり、殺生を繰り返します。
それがエスカレートして、殺人に至ります。

世間でいわれる心の闇の正体

このように、世間でいわれる心の闇は、生まれつきの性格と、その後の家庭環境や、社会的な要因が複雑にからみあって生じてくるものです。
それは人それぞれケースバイケースで違いますが、人生に対する絶望であり、社会に対する怒りや怨み、異常な快楽への欲望といったものが、心の闇の正体です。

ところが、仏教で教えられる心の闇は、これとは全く異なるもので、すべての人が持っており、もっと深くて影響力の大きなものです。

仏教で教えられる心の闇

仏教で教えられる心の闇は「無明の闇」といわれます。
無明」とは、明かりがないということで、暗いということです。
」も暗いということですから、暗い心です。

暗いというのは、この場合、電気が消えた暗さではありません。
わからない、ハッキリしないということです。
地理に暗いといったら、このあたりの道は分からないという意味です。
機械に暗いといったら、機械のことはよく分からない、ということです。

では何に暗いのかというと、後生に暗い心だけを無明の闇といいます。
これを「後世を知らざる心」ともいいます。
仏教で教えられる心の闇は、死んだらどうなるか分からない心です。

死んだらどうなるか分からないと?

人生最悪の事態とは?

色々な悩みが次から次へとやってる人生で、悩みが少しでも少なくなるように生きるには、最悪の事態を想定して、そこから対策を考えると、結局いい結果につながると言われます。
例えば、大学受験なら、一つも合格しなかったらどうすればいいのか。
就職活動なら、一つも内定が取れなかったらどうすればいいのか。
災害対策なら、史上最大の地震が起きたらという最悪のシナリオを想定して対策を考えます。
これは、有名なデール・カーネギーの自己啓発書『道は開ける』にも出ているので、知っている人も多いと思います。

では、私たちの人生で、最悪の事態というのは、どんなことでしょうか?
私たちの人生で最悪というのは、そんなに幾つもありません。
人生で最悪の事態は、死ぬことでしょう。
誰にとっても、人生最大の大問題のはずです。

しかも、大学受験のように、ひょっとして一つも合格しなかったらと言うのでも亡ければ、災害対策のように、万が一、史上最悪の地震が起きたらというのではありません。
人生最悪の事態が起きるのは、100%確実なことです。

それにもかかわらず、死んだらどうなるか分からないとなると、こんな不安なことはありません。

たまに死んだら無になると思っている人がありますが、それは科学では実証できません。
何の根拠もない思い込みです。
死んだらどうなるか、分からないはずです。
この、死んだらどうなるか分からない不安から、何をやっても、何を手に入れても、心からの安心も満足もないのです。

心から明るい生き方ができない理由

ちょうど、目的地の飛行場の分からない飛行機で、太平洋のような大海原の上を飛んでいるようなものです。
機長から、当機には降りる所はありませんが、あと1時間は飛べますとアナウンスがあります。
刻々と燃料は減って行きます。
そんな飛行機で、どんな機内食を出してもらっても、美味しく食べられるでしょうか。
どんな面白い映画を見せてもらっても、そんなものを見て笑っている場合ではありません。
普段は美味しいものや楽しいことでも、一時間後に死ななければならないとなると、全く楽しめなくなります。

それと同じように、すべての人は、共通して、生まれたからには死ななければならないという問題をもっているのに、死んだらどうなるか分からないので、心からの安心も満足もないのです。
政治家は政治家で不安がありますし、科学者は科学者で不安があります。
どんな生き方をしても、この心の闇がある限り、不安はなくならないのです。

この仏教で教えられる心の闇は、世間でいわれる心の闇とまったく違います。
その違いは3つあります。

世間の心の闇と仏教の心の闇の違い

1.共通性

世間でいわれる心の闇は、人それぞれ違います。
心の闇のない人はないかもしれませんが、それは、生まれつきの性格や、その後の家庭環境など、複雑な要因がからみあって生じたものですので、種類や程度が人それぞれ違います。

それに対して仏教で教えられる心の闇は、すべての人が共通して抱えています。
どんな人も、死ななければならないのは共通しています。自覚するとしないとにかかわらず、死んだらどうなるか分からない心の闇を抱えているのです。

2.影響の長さ

世間で言う心の闇は、生きている間だけのことです。
長くても百年の間のことです。

ところが、無明の闇は、この世だけのことではありません。
生まれる前、何千年も前から持ってきたものです。
仏教では、私たちは、生まれてから八十年か百年生きて、死んでいくだけの存在ではありません。
それは肉体のことであって、本当の私は、生まれる前、果てしなく遠い過去から、死んだ後、永遠の未来へ続いて行きます。
生まれる前を「過去世」、生まれてから死ぬまでを「現在世」、死ねば「未来世」といいます。
この過去世、現在世、未来世を「三世(さんぜ)」といいます。
仏教で教えられる心の闇は、三世を貫いて苦しめるものです。
三世の業障(さんぜのごうしょう)」ともいわれます。
長い長い過去世から現在世、永遠の未来世へと三世を貫いてずっと苦しめ続ける心の闇ですから、人間に生まれている一瞬の間だけの心の闇よりケタ違いに重大です。
その影響の長さといい、深刻さといい、比較になりません。

3.消えるのにかかる時間

世間でいわれる心の闇は、そう簡単になくなりません。
長い時間をかけて治療して、少しずつ緩和されていくというものです。

ところが、何千年も前から持ってきたものですが、一念で破れることがあります。
一念」とは、瞬間のことです。
このことを中国の曇鸞大師は、千年の間真っ暗だった部屋にたとえて、このように教えられています。
たとえば千歳の闇室に光もし暫く至ればすなわち明朗なるが如し。
闇あに室に在ること千歳にして去らずと言うことを得んや
」(浄土論註)
千年も前から真っ暗だった部屋に、光が差したらどうなるでしょうか。
光が差した瞬間に明るくなります。
どうして千年も前から真っ暗だったから、光が差しても明るくなるまでに1年はかかる、ということがあるでしょうか。そんなことはありません。
光が差した一瞬で闇が去る、ということは、心の闇がなくなるのです。

曇鸞大師は、
この光明、十方世界をてらすに障疑あることなし。
よく十方衆生の無明の黒闇を除く
」(浄土論註)
と教えられている所もあります。
無明の黒闇を「除く」ということは、心の闇がなくなり、明るい心になるのです。

仏教で教えられる心の闇は、一瞬で断ち切られて、二度と出てこなくなります。
そして、人間に生まれてよかったという生命の歓喜が起きて、決して変わることのない本当の幸福になることができます。
これを絶対変わらない、「絶対の幸福」といいます。
仏教の目的は、この心の闇をなくして、絶対の幸福にすることなのです。

心の闇をなくすたったひとつの方法

では、どうすれば心の闇を知り、なくすことができるのでしょうか。
まず、仏教で教えられる心の闇は、すべての人が持っているのに、自覚がない人が多くあります。
自覚がないのに、心の闇がなくなったということはありませんから、まず診断してもらわなければなりません。
それには、仏教を聞くということです。
仏教を聞くということは、心の闇を診断してもらうということです。
そして仏教を聞いて行くと、だんだん心の闇が知らされて来ます。

では、どうすれば、心の闇を断ち切って、絶対の幸福になれるのでしょうか。
それについては、仏教の真髄ですので、小冊子とメール講座にまとめておきました。
今すぐ目を通しておいてください。

関連記事

目次(記事一覧)へ