餓鬼(ガキ)とは?

餓鬼
餓鬼

よく子供のことを「ガキ」とか「ガキンチョ」といわれ、
ガキ大将」とか「ガキの使いやあらへんで!!」といいますが、
もともと仏教の餓鬼から来ています。

私たちが生まれ変わり死に変わりを果てしなく繰り返す世界を
六道ろくどう」といいますが、
その六道の一つを「餓鬼道がきどう」とか「餓鬼界がきかい」といい、
ある行いをすると、餓鬼道に堕ちて餓鬼に生まれます。

では餓鬼道とは一体どんな世界で、どのような原因によって堕ちるのでしょうか。
また堕ちない方法はあるのでしょうか?

お釈迦さまの『正法念処経』や龍樹菩薩りゅうじゅぼさつの『大智度論』、
源信僧都げんしんそうずの『往生要集などによってみてみましょう。

餓鬼とは

餓鬼というのは、飢えた鬼と書きます。
というのは「遠仁おに」とも書きます。
じんに遠いということです。
仁とは人間の心のことで、他の人を思いやる心です。
その人間の心に遠いのが鬼ですので、
自分さえよければ他人はどうなっても構わない
と自分のことばかり考えています。

しかも餓鬼は飢えた鬼なので、よけい
自分さえよければあとは構わない」と、
とにかく「欲しい欲しい、自分が欲しい
と自分のことばかり考えています。

子供のことをガキというのも、子供は自分のことしか考えず、特に食べ物を欲しがって、むさぼり食べるところから、ガキと言われるようになったのです。

餓鬼の姿と特徴

そんな餓鬼はどんな姿をしていると説かれているかというと、
骨と皮ばかりにガリガリにやせ細り、
お腹だけをぷっくりと膨らませ、肌は黒く、
鬼のような顔の醜いすがたの生き物です。
種類によって大きさはまちまちで、30cm位の餓鬼もいれば、
人間と同じくらいの餓鬼、山のように大きい餓鬼も存在します。

餓鬼は、いつもお腹をすかせているので、何か食べたくて仕方がありません。
ほとんど何も食べていないので、
ダイエット中くらいとは比較にならないほどお腹がすいています。

そのため、食べ物を見つけると、猛ダッシュで駆けよります。
シャッと手を出して食べ物をつかみ、無我夢中で口にほおばろうとしますが、
食べ物は、ボッと青白い炎になってしまい、食べられません。

火にならない場合も、口が針のように小さいために食べられなかったり、
口から火を噴いているために食べられなかったり、
のどにこぶがあって、それが食道をふさいで食べられなかったり、
飲み込んだものが火になって体を焼いて出てきたり、色々な餓鬼がいます。
とにかく共通しているのは、
いつも、食べたくて食べたくて仕方がないのに
ひもじい毎日を送っている
ところです。

もちろん喉もカラカラなので、水を見つけると、
駆け寄って一心に飲もうとするのですが、
水も口に近づけると火になってしまい、飲めません。
そのためいつも喉がカラカラで、飲みたくて飲みたくて仕方がありません。

こうして、過去の行いによって、色々な種類の餓鬼がいますが、
とにかく何でもいいから食べたい飲みたいという食欲にかられて、
蛾などの昆虫や、人や動物の排泄物などを食べたり飲んだりして命をつないでいる
あさましく醜い生き物
です。

その上、餓鬼に生まれた場合の寿命は、
人間界の1ヶ月を1日として、500年です。
計算すると約1万5000年です。

餓鬼道は、もともと地下深くにありますが、
餓鬼は人間界や天上界にも出てきているときがあります。
餓鬼に取り憑かれると、自分のことしか考えず、欲深くなるので、
よく昔は公家や貴族に取り憑いている絵が描かれていましたが、
私たちも餓鬼に取り憑かれないように気をつけましょう。

無財餓鬼と有財餓鬼

源信僧都の『三界義』によれば、餓鬼を3種類に分類されています。
1つには無財餓鬼
2つには少財餓鬼
3つには多財餓鬼です。

この少財餓鬼と多財餓鬼をまとめて「有財餓鬼」といわれます。
そこで、餓鬼を大きく2つに分けると、
1つには無財餓鬼
2つには有財餓鬼
の2つになります。

無財餓鬼」というのは、財が無くて苦しむ餓鬼です。
お金がない人が苦しむようなものです。
これは、お金も物もないので、常に飢餓状態にある一般的な餓鬼のイメージ通りです。
お金がないと心も貧しくなるので、自分のことしか考えられなくなり、常に欲しがります。
これが苦しいのは分かりやすいと思います。

では、お金や物があれば心が豊かになるのかというとそんなことはありません。
お金があるのにまだ欲しい、もっと欲しいと欲しがるのが「有財餓鬼」です。

よく「他人を幸せにするにはまず自分が幸せにならなければならない
といって自分のことばかり考えている人がありますが、その考え方では結局自分のことばかり考えるので危ないです。

ノミはノミの糞をする、象は象の糞をする
ということわざがあります。
」というのは欲しいという気持ちです。
年収200万円の時は、あと200万円欲しいと思います。
ところが年収1億円になると、もうそれ以上必要ないのではないかと思いますが、もう1億円欲しいと思うのです。

結局お金があってもなくても苦しみは変わりません。
お金やものは、有っても無くても不安や心配はなくならないので、
お釈迦さま有無同然と説かれています。

では、餓鬼になるのは、
どんな行いをした人なのでしょうか?

餓鬼道に堕ちる行い

どんな行いをすると、餓鬼に生まれるかについては、
具体的なことが色々と説かれています。

例えば、貪欲にお金を集めたり、動物を食べるために殺すと、
顔や目がなく、手足が短くて胴体が大きく、
大きな胴体の中が火で焼けている餓鬼になります。

家族で自分だけ美味しい物を食べて、
夫や妻や子供に与えない
と、山のように大きくて、
食べ物を見つけることができない餓鬼になります。

さらに、家族が見ている前で自分だけ美味しいものを食べると、
匂いだけで食いつなぐ餓鬼になります。

酒を水増しして売ると、
水辺に走り寄って水を飲もうとすると、
後頭部を金棒でに殴られて飲めず、
橋を渡る人の靴からしたたり落ちた水を
すばやく飲んで命をつなぐ餓鬼になります。

訪問してきた営業の人から商品をだましとると、
植物が生えず、砂しかない海の中州に生まれて、
暑い日差しに照らされながら、食べるものも飲むものもなく、
わずかの朝露で命をつなぐ餓鬼になります。

このように、生前、布施の精神が乏しく、ケチで、
他人のものを盗んだり、お金や食べ物を自分だけ楽しもうとする
欲の心によって、餓鬼に生まれる
のです。

餓鬼道に堕ちない方法

このように、餓鬼に生まれる原因は、
欲の心ですから、欲の反対の布施に心がけて、
欲の心がなくなれば、餓鬼道に堕ちなくても大丈夫です。

布施とは、他人に親切にすることで、
お金や物を人に与えたり、手伝ったり、心をかけたりします。
また、仏法を伝えるのは、法施といって、
相手に本当の幸せを届けることになる、極めて尊い布施です。

布施をやってみて、
もし欲の心がなくならないようであれば、
さらに、六道輪廻の根本原因の心をなくして、
欲の心あるがままで、六道輪廻を離れることもできます。
その場合は、当然餓鬼道にも生まれません。

その迷いの根本原因が仏教にどう教えられているかについては、
分かりやすいように、メール講座と、電子書籍にまとめておきました。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

仏教が好きで、東大教養学部で量子統計力学を学んだものの卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とかみなさんに知って頂こうと失敗ばかり10年。やがてインターネットの技術を導入して日本仏教アソシエーション(株)を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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