「現代人の仏教教養講座」

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生きる意味を、知ろう。

宿命とは?意味と運命との違い

「宿命とは」
「宿命と運命の違いは何か」

生まれる国も、時代も、家も、親も、
自分で選んで生まれてきた人はいません。
体の丈夫さも、顔立ちも、才能も、
気づいた時には、もう決まっていました。

いくら努力しても、どうにもならないことにぶつかった時、
「これが自分の宿命なのだろうか」と
思ったことはないでしょうか。

そんな時、よくいわれるのが、
「宿命は変えられないが、運命は変えられる」ということです。
生まれ持った宿命は受け入れるしかない。
ですが、その中でどう生きるかによって、
運命は自分で切り開くことができる、と考えられています。

ところが実は、「宿命」は、もともと仏教の言葉で、
今とは違う意味で使われていました。
しかも仏教では、過去世から運命が決まっているという考え方は、
「宿作外道(しゅくさげどう)」といって、はっきり否定されています。

では、宿命とは本当はどういうことで、
私たちの人生は、どのように決まるのでしょうか?

宿命とは?意味と読み方

宿命は「しゅくめい」と読み、
生まれる前から決まっていて、
避けることも変えることもできない運命のことです。

「宿命のライバル」といえば、
生まれる前から争うことが決まっていたかのような好敵手、
「人は死ぬ宿命にある」といえば、
人は誰も死から逃れられない、ということです。
どちらも、自分の力ではどうにもならないことを表しています。

ところが、仏教では「宿命」は、
「しゅくみょう」と読まれ、意味は違います。
「宿」とは、過去世のこと、「命」とは、生命のことです。
仏教の「宿命」は、過去世の生命、
過去世でどのように生き、どんな報いを受けてきたか、
ということです。

さとりを開くと身につくといわれる6つの神通力の1つに、
「宿命通(しゅくみょうつう)」があります。
これは、自分や他人が過去世でどのように生きてきたかを、
自在に知ることのできる力のことです。

また、過去世のことを「宿世(すくせ)」ともいい、
過去世からのつながりを「宿世の縁」といいます。

このように、仏教の「宿命」は、
過去世の命のことで、
「生まれる前から決まっていて変えられない運命」
という意味ではありませんでした。

ですが儒教では、
「生まれる前から定まっている運命」
という意味で使うので、
今ではほとんどその意味で使われています。

では、今使われている「先天的に決まっている運命」という意味での宿命は、
運命とどこが違うのでしょうか?

宿命と運命の違い

宿命と運命の違いは、
一般には、このように説明されています。

宿命とは、「命が宿る」と書くように、
生まれた時に、すでに持ってきたものです。
生まれた国や時代、親や家、性別、体質、才能など、
自分の力では変えられないものをいいます。

運命とは、「命を運ぶ」と書くように、
その宿命の中で、どう生きるかによって、
変わっていくものです。
誰と出会い、何を選び、どんな努力をするかで、
これからの人生は変えていくことができます。

そこで、「宿命は変えられないが、運命は変えられる」
「宿命は受け入れ、運命は切り開く」
といわれます。

19世紀のドイツの哲学者ショーペンハウアーも、
このように言っています。

ショーペンハウアーショーペン
ハウアー

運命がカードを混ぜ、われわれが勝負する。
(ショーペンハウアー『幸福について』)

トランプで、どんなカードが配られるかは選べません。
ですが、配られたカードでどう勝負するかは、
自分次第だ、ということです。
配られるカードが宿命で、
その勝負の仕方が運命、ということでしょう。

一方で、宿命には逆らわず、
受け入れるしかない、という考え方もあります。
古代ローマの哲学者セネカは、
このように言っています。

運命は、従う者を導き、逆らう者を引きずっていく。

どれだけ逆らっても、運命からは逃れられない。
それなら、素直に受け入れたほうがいい、ということです。

確かに私たちは、生まれる国も親も選べません。
変えられないものを嘆き続けるよりも、
それを受け入れて、その中で精一杯生きよう、
というのは、前向きな生き方です。

ですが、本当に私たちには、
生まれる前から決まっている宿命があるのでしょうか?

仏教が否定する宿作外道とは

仏教では、過去世から運命が決まっているという考え方を、
「宿作外道(しゅくさげどう)」といって否定しています。

「宿作」とは、過去世に造ったもの、
「外道」とは、仏教以外の教えのことです。
どのような人生になるかは、過去世に造ったものによって、
生まれた時点ですでに決まっている、という考え方を、
仏教以外の間違った教えとして退けられています。

外道とはどんな教えなのかについては、
以下の記事で解説しています。
➾外道の意味とは?仏教でいう外道な人(六師外道)と人生への影響

お釈迦さまの時代のインドにも、
「人のすることは、すべて宿命によって造られている」
と説く修行者たちがいました。
お釈迦さまは、その人たちのところへ行って、
「本当にそう考えているのか」と尋ねられ、
「その通りだ」と答えた相手に、
このように言われています。

我、復(ま)た彼に語る。
若し是の如くならば、諸賢(しょけん)等は皆是れ殺生せん。
所以(ゆえん)は何(いか)ん。
其の一切皆宿命の造るに因(よ)るを以ての故なり。
是の如く諸賢、皆是れ不与取(ふよしゅ)・邪婬(じゃいん)・妄言(もうごん)、乃至邪見せん。
所以は何ん。
其の一切皆宿命の造るに因るを以ての故なり。
諸賢、若し一切皆宿命の造るに因らば、
真の如く見る者は、内因の内に於て、
作(な)すと作(な)さざるは都(すべ)て欲無く方便(ほうべん)無し。

(漢文:我復語彼。若如是者,諸賢等皆是殺生。所以者何。以其一切皆因宿命造故。如是諸賢,皆是不与取、邪婬、妄言,乃至邪見。所以者何。以其一切皆因宿命造故。諸賢,若一切皆因宿命造,見如真者,於内因内,作以不作都無欲無方便)

「我、復(ま)た彼に語る」とは、
お釈迦さまが、その人たちに、さらにこう言われた、ということです。

「諸賢(しょけん)」とは、相手に対する呼びかけで、皆さん、ということです。
「若し是の如くならば、諸賢等は皆是れ殺生せん」とは、
もしあなた方の言う通りなら、
あなた方が生き物を殺すのも、宿命だということになる、
ということになります。

「所以(ゆえん)は何(いか)ん。其の一切皆宿命の造るに因(よ)るを以ての故なり」とは、
なぜなら、すべては宿命によって造られている、
とあなた方は言うからだ、ということです。

「不与取(ふよしゅ)」とは、与えられていないものを取ること、
盗みのことです。
「邪婬(じゃいん)」とは、よこしまな男女の関係、
「妄言(もうごん)」とは、嘘をつくこと、
「邪見(じゃけん)」とは、間違った考えのことです。
盗みも、不倫も、嘘も、間違った考えも、
すべて宿命のせいだということになってしまいます。

「若し一切皆宿命の造るに因らば、真の如く見る者は」とは、
もしすべてが宿命によって造られていると、
本気で信じている人ならば、ということです。
「内因の内に於て」とは、
自分の心の中で、ということです。
「作以不作」の「以」は「と」と読みます。
ですので「作すと作さざるは、都て欲無く方便無し」とは、
すべきこととすべきでないことは、
意欲もなく、努力もなくなってしまう、ということです。

運命がすべて生まれる前から決まっているなら、
悪いことをしても、自分のせいではなくなります。
善いことをしようと努力しても、意味がありません。

お釈迦さまは、この後、
そうなれば正しい心も智慧(ちえ)も失って、
もはや教えることができなくなる、と説かれています。
確かに過去世から決まっている運命が変わらないのであれば、
何かを教える意味がありません。

ところで、「宿命は変えられない」には、
実は2つの意味が混ざっていることが分かります。

1つは、すでに起きたことは変えられない、ということです。
生まれた国や家、これまでの人生で起きたことは、
今から取り消すことはできません。
これは、その通りです。

もう1つは、これから先のことも、
すべて生まれる前から決まっている、ということです。
これが、お釈迦さまが否定された宿作外道です。

では、仏教では、私たちの人生は、
何によって決まると教えられているのでしょうか?

人生は宿命ではなく因と縁で決まる

世間では、宿命について、
極端な2つの考え方があります。

1つは、何もかも宿命で決まっている、という宿命論です。
どう頑張っても変えられないのですから、
努力しても無駄だと、何もかも諦めてしまいます。
そのため、宿命論は「アキラメ主義」ともいわれます。
これでは、少しでもよくなろうという向上心が
起きてきません。

もう1つは、反対に、
すべては自分の意志一つで、どうにでもなる、
という考え方で、自由論といわれます。
ですが、どれだけ強く願っても、
現実には自分の意志だけで病気を治すことも、
年を取らないようにすることもできません。
私たちには、できることと、できないことがあります。

仏教は、そのどちらでもありません。
私たちの人生は因と縁によって決まると
仏教では教えられています。

どんな結果にも必ず原因がある、という
因果の道理が、仏教の根幹です。
私たちの運命を生み出す原因は、
神でも、偶然でもなく、自分の行いです。
これを「自業自得」といいます。

そして、正確には、結果が起きるには、
因と縁の両方が必要だと教えられています。
「因」とは、結果を生み出す直接の原因である自分の行い、
「縁」とは、その因が結果になるのを助けるもののことです。
ですから因果の道理は、「因縁果の道理」ともいわれます。

例えば、同じ体質を持って生まれても、
どんな物を食べ、どんな生活をするかによって、
身体の状態は大きく変わってきます。
同じ才能を持って生まれても、
誰と出会い、何を学ぶかによって、
その才能が花開くかどうかが変わってきます。
生まれ持ったものだけで、すべてが決まるのではないということです。

宿作外道は、過去世の因だけで、
すべての結果が決まってしまうと考えます。
ですが仏教では、どんな縁に近づき、
今どんな行いをするかによって、
これからの運命は変わっていくと教えられています。

運命を生み出す法則については、
以下の記事で解説しています。
➾運命は決まってる?3つの運命論と運命を支配する法則

では、生まれた国や家、体のように、
自分では選べなかったものは、どうなのでしょうか。

仏教では、それも、神が与えたものでも、偶然でもなく、
過去世の自分の行いが生み出したものだと教えられます。
誰かに押しつけられたものではなく、
自分が造ってきたものなのです。

ここで、仏教のもともとの「宿命」の意味を思い出してください。
宿命とは、過去世の命、
過去世で自分がどう生きてきたか、ということでした。

宿命とは、誰かに決められた変えられない運命ではなく、
自分が造ってきた過去のことです。

すべては自業自得です。
ということは、過去は変えられませんが、
これから先は、今からの行いによって変えていけるのです。

では、生まれも境遇も一人一人違う私たちに、
共通する運命はないのでしょうか?

すべての人に共通する宿命

生まれも境遇も違う私たちにも、
共通している運命があります。
それは、どんな人も、必ず死ななければならない、ということです。
「人は死ぬ宿命にある」といわれる通りです。

どれほど恵まれた家に生まれた人も、
どれほど努力して運命を切り開いた人も、
最後は死を迎えます。
配られたカードがどんなによくても、
勝負の仕方がどんなに上手くても、
最後には、すべて手放さなければなりません。

ですが仏教では、死んだら無になるのではないと教えられています。
私たちの行いは、決して消えることなく、
業力(ごうりき)という目に見えない力となって蔵のような心に蓄えられ、
死んだ後には、その業力によって次の世界が生み出されます。

私たちは、そのようにして、
数え切れないほどの生まれ変わりを重ねてきました。
宿命通で見える過去世は、
とても数え切れるものではないのです。

仏教では、この果てしなく生まれ変わりを続ける迷いの世界を離れて、
未来永遠の幸せになるために、
私たちは人間に生まれてきたのだと教えられています。
それが、すべての人に共通する、
人間に生まれてきた目的です。

では、その目的を果たすと、
どうなるのでしょうか?

どんな宿命の人も本当の幸せになれる

人間に生まれてきた目的を果たせば、
どんな宿命を持って生まれた人も、
変わらない幸せになることができます。

生まれた国も、家も、才能も関係ありません。
どんなカードが配られた人も、
人間に生まれた喜びを、心の底から味わえる身になれるのです。

その幸せは、何があっても変わらない、
未来永遠の幸せです。
しかも、死んでからではありません。
生きている今、どんな人でもなることができます。

私たちの未来は、生まれる前から決まっているのではありません。
今日からの一歩によって、どこまでも開かれています。
そして仏教には、
果てしない過去世から求め続けてきた
本当の幸せのありかが説かれています。

では、その本当の幸せとはどういうもので、
どうすればその幸せになれるのか。
それについては仏教の真髄なので、
メール講座と、電子書籍にまとめてあります。
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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生(日本仏教学院創設者・学院長)

東京大学教養学部で量子統計力学を学び、1999年に卒業後、学士入学して東大文学部インド哲学仏教学研究室に学ぶ。
25年間にわたる仏教教育実践を通じて現代人に分かりやすい仏教伝道方法を確立。2011年に日本仏教学院を創設し、仏教史上初のインターネット通信講座システムを開発。4,000人以上の受講者を指導。2015年、日本仏教アソシエーション株式会社を設立し、代表取締役に就任。2025年には南伝大蔵経無料公開プロジェクト主導。従来不可能だった技術革新を仏教界に導入したデジタル仏教教育のパイオニア。プロフィールの詳細・お問い合わせ

X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。

著作

京都大学名誉教授・高知大学名誉教授の著作に引用、曹洞宗僧侶の著作でも言及。