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写経とは?効果と書き方|お経に説かれた写経の本当の功徳

「写経をすると、どんな効果があるの?」
「初心者でも、家で写経はできる?」

静かな部屋で墨をすり、
お経を一字一字書き写していく。
お寺の写経会に参加するだけでなく、
写経セットを買って、家で楽しむ人も増えています。

写経をすると心が落ち着く、集中力が高まる、
願いが叶う、亡くなった人の供養になるともいわれます。
ですが、写経するお経そのものには、
写経について意外なことが説かれています。

では、そのお経に説かれた写経についての意外なこととは、どんなことなのでしょうか。

写経とは?意味と始まり

「写経(しゃきょう)」とは、お経を書き写すことです。
書き写したお経そのものも写経といいます。

お釈迦さまの教えは、初めは弟子たちが暗唱して、
口から口へと伝えられていきます。
やがて紀元前1世紀頃から文字で書き残されるようになり、
中国や日本へは、書き写されたお経によって伝わります。

印刷の技術が広まるまでは、
お経を増やすには、人の手で書き写すほかありません。
日本では『日本書紀』に、天武天皇2年(673年)、
川原寺で一切経が書き写されたことが記されています。
奈良時代になると、国が写経所を設け、
大勢の写経生がお経を書き写しています。

また、学ぼうとするお経を、まず自分の手で書き写して学ぶのは、
昔からの勉強の仕方です。
写経はもともと、お経の教えを残し、学び、伝えていくためのものです。

今日でも写経は盛んで、奈良の薬師寺では1968年に、
当時の管主の高田好胤(たかだこういん)(1924−1998)が写経を勧め始め、
そのお写経勧進によって金堂や西塔などが再建されています。

では写経では、どんなお経が書かれているのでしょうか?

写経で一番よく書かれるお経は般若心経

写経で一番よく書かれるのは『般若心経(はんにゃしんぎょう)』です。
本文が262字と短く、1時間ほどで書けるので、
初めての人でも取り組みやすいからです。

京都の大覚寺には、平安時代の818年に疫病が流行した時、
嵯峨天皇が書き写したと伝えられる『般若心経』が納められていて、
今も多くの人が写経に訪れています。

他にも『法華経(ほけきょう)』や『観音経(かんのんぎょう)』などが写経され、
浄土宗などでは『阿弥陀経(あみだきょう)』の写経も行われています。
『阿弥陀経』は、お釈迦さまが
どんな人も本当の幸せになれる道を説かれたお経で、
最初と最後の経題を除いて1,857字あり、
『般若心経』の7倍ほどの長さです。

では写経は、どのように書けばいいのでしょうか?

写経の書き方とやり方

写経は次のような道具をそろえて、
手本を見ながら一字ずつ書き写していきます。

写経に使う道具
  1. 写経用紙と手本(手本は用紙の下に敷く)
  2. 筆(筆ペンやボールペンでもよい)
  3. 墨と硯(すずり)
  4. 文鎮(ぶんちん)と下敷き

写経用紙は薄く、下に敷いた手本が透けて見えるので、
手本をなぞるだけでも写経ができます。
写経セットは文具店や書店で手に入り、
100円ショップでも、なぞり書きの写経用紙などが売られています。

京都や奈良、鎌倉などには写経体験ができるお寺も多く、
初めての人は、お寺の写経会で作法を教わるのもよいでしょう。

作法はお寺によって違いますが、
大体は次のような流れで書いていきます。

写経の手順
  1. 手を洗い、口をすすいで身なりを整える
  2. 姿勢を正して座り、静かに墨をする
  3. 手を合わせてから筆をとる
  4. 1行目に経題を書く
  5. 経題の次の行から本文を書き写す
  6. 最後に日付・願文・名前を書く
  7. 手を合わせて終える

『阿弥陀経』なら、1行目に経題の「佛説阿彌陀經」を書きます。
手本には佛・彌・經のような昔の字体が
使われていることが多く、その字のとおりに書きます。

手本によっては、経題の次に、お経を翻訳した三蔵法師、
鳩摩羅什(くまらじゅう)の名前が入っていることもあり、
その時も手本のとおりに書き写します。

写経は1行に17字ずつ書くのが基本です。
『阿弥陀経』の本文の1行目は、
「如是我聞一時佛在舍衛國祇樹給孤獨園」の17字です。

字を間違えた時は、その字の右横に点を打ち、
その行の上か下の余白に正しい字を書きます。
字を書き落とした時は、書き落とした所の右横に点を打って、
同じように余白に書き足します。
字の上手下手は気にしなくて構いません。

『阿弥陀経』は長いので、慣れた人でも数時間かかり、
何日かに分けて書く人もあります。
書き終えた写経は、お寺に納めたり、お仏壇にお供えしたりします。
お寺に納める時は、郵送で受け付けている所もあり、
写経用紙を畳んで封筒に入れて送ります。
納め方はそれぞれのお寺の案内に従います。

では、写経の最後には、何をどのように書けばいいのでしょうか?

写経の最後の書き方(日付・願文・名前)

写経の最後には、日付と願文と名前を書きます。

日付は本文から1行あけ、1字下げて書きます。
願文とは、写経に込める願いのことで、
頭に「為」と書いて、その後に願いを書きます。
「為 家内安全」「為 身体健全」「為 心願成就」
などがよく書かれます。

ですが、写経にこのような効果はなく、
お経に説かれている内容とも異なり、
恥ずかしいので書かない方がいいでしょう。

亡くなった人のために写経をする時は、
「為」の後に、その人の名前や戒名を書いて「菩提」と添え、
家の先祖のためなら「為 ○○家先祖代々菩提」と書いたり、
「右為」と書き出して、右の写経を
誰のために書いたかを示す人もいます。

ですが、これも後で述べる通り、
そのような効果はないとお釈迦さまが説かれています。
最後に名前を書き、「謹写」と添えて書き終えます。

このように写経には、
願いを書き添える人が多くあります。
では写経には、どんな効果があるといわれているのでしょうか?

世間でいわれる写経の効果

写経の効果として、世間では次のようなことがいわれています。

写経の効果といわれるもの
  1. 心が落ち着く
  2. 集中力が高まる
  3. 脳が活性化する
  4. 字が綺麗になる
  5. 願いが叶う
  6. 亡くなった人の供養になる

一字一字に気持ちを向けて書いていると、
頭の中を巡っていた考え事が静まってきます。
写経を終えて、すっきりした気持ちになる人も多くあります。

手で字を書くことは脳を働かせるので、
物忘れの予防になるともいわれます。
背筋を伸ばして筆を運ぶうちに、
姿勢がよくなり、字も綺麗になっていきます。
どれも写経をして実際に感じられる良い所です。

さらに、写経には功徳があるので、
願いを込めて書けば願いが叶う、
亡くなった家族のために書けば先祖供養になる、
と考えて写経をする人も少なくありません。

では、写経が危険といわれるのは、なぜなのでしょうか?

写経は危険?夜にしてはいけない?

写経が危険といわれるのは、夜に写経をすると霊が寄ってくる、とか
途中でやめると悪いことが起きる、
といった言い伝えがあるからです。

ですが、このような言い伝えは、お経には説かれていない迷信です。
夜に書いても、途中で筆を置いても、
罰が当たることはありません。

では写経をすれば、本当に亡くなった人の供養になるのでしょうか?

写経は先祖供養になるのか

亡くなった人を思って筆をとる心は尊いものですが、
仏教では写経で亡くなった人の行き先が
良くなるとは教えられていません。

お釈迦さまの時代にも、バラモンの中には、
自分たちが祈れば、死んだ人を天上界に
生まれさせることができると言う人がありました。

そこで阿私羅天の子である伽弥尼(がみに)が、
お釈迦さまにも同じことをしてほしいと願い出ると、
お釈迦さまは、深い池に大きな石を投げ入れた人のたとえで、
このように問いかけられています。

この大なる重き石、寧(むし)ろ衆人(しゅうじん)の各(おのおの)叉手(しゃしゅ)して向かい、称歎(しょうたん)し求索(ぐさく)するが為に、これに因(よ)り、これに縁(よ)りて当(まさ)に出づべけんや。
(漢文:此大重石,寧為衆人各叉手向,称歎求索,因此,縁此而当出耶)

「この大なる重き石」とは、この大きく重い石が、ということです。

「寧(むし)ろ衆人(しゅうじん)の各(おのおの)叉手(しゃしゅ)して向かい、称歎(しょうたん)し求索(ぐさく)するが為に」とは、
「衆人(しゅうじん)」とはたくさんの人々、
「叉手(しゃしゅ)」はインドの礼儀で、多少指を交差させますが、大体合掌と同じです。
大勢の人々が、それぞれ手を合わせて石に向かい、褒め讃えて、
浮かび上がれと願い求めたからといって、ということです。

「此に因(よ)り、此に縁(よ)りて当(まさ)に出づべけんや」とは、
それによって石が浮かび上がってくるだろうか、ということです。

伽弥尼(がみに)は「石が浮かんでくることはありません」と答えます。
お釈迦さまは、それと同じように、悪い行いをして死んだ人は、
周りの人がどれだけ手を合わせて祈っても、
それで天上界に生まれることはないと説かれています。
自分のやった行いの結果は、自分が受けるからです。
これを「自業自得」といいます。

ですから仏教では、残された人が、写経をしたところで、
亡くなった人が浮かばれることもありません。
本人が生きている時に仏教の教えをよく聞いて、
苦しみ迷いの解決をしておくことが大切です。

天台宗を開いた最澄(767−822)も、
浄土宗を開いた法然(1133−1212)も、
自分が亡くなった後に、
自分のために写経をしないよう言い残しています。

最澄
最澄(767−822)

最澄の遺言は、弟子の光定(こうじょう)(779−858)が
『伝述一心戒文』に書き残していて、
「我が為に仏を作ること勿(なか)れ。
我が為に経を写すこと勿れ。我が志を述べよ
」
と記されています。
自分のために仏の像を作ったり、写経をしたりするよりも、
自分の志を受け継いで、教えを広めてほしい、ということです。

法然
法然(1133−1212)

法然が自ら書いた『没後遺誡文』にも、
「図仏・写経・檀施(だんせ)等の善を修すること莫(な)かれ」とあり、
自分の供養のために、仏の絵を描くことも、
写経もしないよう誡めています。

このように、写経をすれば願いが叶うわけでもないですし、
先祖供養になるわけでもありません。

では写経には、功徳がないのでしょうか?

お経に説かれる写経の本当の功徳

お経には写経の功徳も説かれています。
ですが単独では説かれていません。
多くは、教えを聞き、信じ、読み、
人に伝えることと並べて説かれたものです。

『金剛般若経』には、朝も昼も夕方も、ガンジス川の砂の数ほど
自分の身を投げ出して布施をし、
それを数えきれないほど長い間続けた人と比べて、
このように説かれています。

若復(も)し人有りて、この経典を聞きて信心逆らわざれば、其の福彼に勝れたり。
何ぞ況(いわ)んや書写・受持・読誦し、人の為に解説(げせつ)せんをや。

(漢文:若復有人,聞此経典信心不逆,其福勝彼。何況書写、受持、読誦,為人解説)

「若復(も)し人有りて、この経典を聞きて信心逆らわざれば」とは、
もし、この経典の教えを聞いて、疑わずに信じる人があれば、ということです。

「其の福彼に勝れたり」とは、その人の福徳は、
身を投げ出し続けた人の布施よりも勝れている、ということです。

「何ぞ況(いわ)んや書写・受持・読誦し、人の為に解説(げせつ)せんをや」とは、
ましてやこの経典を書き写し、心に保ち、
声に出して読み、人のために説き聞かせる人は、
なおさらだ、もっとすごい功徳がある、ということです。

『法華経』でも、教えを心に保ち、読み、
声に出して唱え、人に説き、書き写す人は、
人々を哀れんで、願ってこの世に生まれ、
広く教えを説き伝える人だと説かれています。

『方広大荘厳経』には、お経を書き写して
四方に広める人に、8つの功徳があると説かれています。
教えを忘れない、お経の意味が分かる、聞いた教えを保てる、
聞く人に喜びの心を起こさせる、仏法を守る、といったものです。

このように、中心は書写ではなく、教えを聞いて、伝えることです。
ましてや写経によって心が落ち着くことや、
願いが叶うとは説かれていません。
お釈迦さまは、仏教の教えを聞き、よく学んで、伝えなさいと勧められています。

ところが逆に、写経に意味がないという人もいます。
写経は意味がないといわれるのは、なぜなのでしょうか?

写経は意味がないといわれる理由

写経は意味がないといわれるのは、
書き写すだけで、書いた教えの中身を
聞くことも学ぶこともないまま終わってしまうからです。

『阿弥陀経』は「如是我聞」(このように私は聞いた)で始まり、
このお経を聞いて保つ人も、仏の名を聞く人も、
皆すべての仏に護られると説かれた後、
お釈迦さまが舎利弗(しゃりほつ)に、このように勧められています。

是の故に舎利弗、汝等皆当(まさ)に我が語及び諸仏の説きたまう所を信受(しんじゅ)すべし。
(漢文:是故舎利弗,汝等皆当信受我語及諸仏所説)

「是の故に舎利弗」とは、だから舎利弗よ、ということです。

「汝等皆当(まさ)に我が語及び諸仏の説きたまう所を信受(しんじゅ)すべし」とは、
そなたたちは皆、私の説くことと、多くの仏の説かれることを、
信じて受け取りなさい、ということです。

そしてお経の最後は、その場にいた人々が、
仏の説かれたことを聞いて歓喜し、
信じて受け取り、去っていく所で終わります。
『阿弥陀経』は初めから終わりまで、
聞いて受け取ることが説かれたお経です。

本当の写経とは、お経の文字を紙に写すだけでなく、
その教えを心に刻み、内容をよく理解して、人に伝えていくことです。

それでこそ、有意義な写経になります。

では、お経の教えを学び、伝えることが、
なぜそれほど尊いのでしょうか?

写経をして仏教を学び伝える意味

お経の教えを学び、伝えることが尊いのは、
仏教にはどんな人も本当の幸せになれる道が
教えられているからです。

お金や財産、地位や名誉を手に入れても、
心からの安心や満足は得られません。
どれもいつかは手放さなければならないからです。
仏教に教えられているのは、
どんなことがあっても変わらない幸せです。

お釈迦さまが一生をかけて教えを説かれたのも、
その幸せへと導くためです。
写経をして、その教えを学び、身近な人に伝えていくことは、
お釈迦さまのこの願いを受け継いでいくことです。

書き終えたら、そのお経に何が説かれているのかを調べてみるだけでも、
写経はぐっと深いものになります。
書き写した教えを家族や友人と分かち合えば、
自分も相手も仏縁を結ぶ、自利利他(じりりた)の行いとなります。

本当の幸せは、写経を重ねてなれるものではありませんが、
写経して学ぶお経に、本当の幸せへの道が説かれています。

では、本当の幸せの身になると、写経はどう変わるのでしょうか?

一字一字が喜びになる写経

本当の幸せの身になると、
「人間に生まれてよかった」という心からの喜びが起き、
写経の一字一字が喜びに変わります。

書き写している教えが、
自分一人のために説かれたものだったと知らされ、
お経の文字が黄金に輝いて見えます。
筆を運ぶ時間は、その教えをかみしめる時間になり、
その喜びは、身近な人にも伝えずにいられなくなります。

その本当の幸せになるには、
出家も必要なければ、
厳しい修行も必要ありません。
生まれ持った才能も関係ありません。
今、どんな人でも、生きている今、本当の幸せになれます。

では、その本当の幸せとは、どんなものなのか、
どうすれば、その幸せの身になれるのか、
それについては仏教の真髄なので、
メール講座と、電子書籍にまとめてあります。
どちらも無料ですので、今すぐ見ておいてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生(日本仏教学院創設者・学院長)

東京大学教養学部で量子統計力学を学び、1999年に卒業後、学士入学して東大文学部インド哲学仏教学研究室に学ぶ。
25年間にわたる仏教教育実践を通じて現代人に分かりやすい仏教伝道方法を確立。2011年に日本仏教学院を創設し、仏教史上初のインターネット通信講座システムを開発。4,000人以上の受講者を指導。2015年、日本仏教アソシエーション株式会社を設立し、代表取締役に就任。2025年には南伝大蔵経無料公開プロジェクト主導。従来不可能だった技術革新を仏教界に導入したデジタル仏教教育のパイオニア。プロフィールの詳細・お問い合わせ

X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。

著作

京都大学名誉教授・高知大学名誉教授の著作に引用、曹洞宗僧侶の著作でも言及。