十大弟子(じゅうだいでし)とは

十大弟子」とは、「」人の「大弟子」ということで、お釈迦さまのたくさんのお弟子の中でも、代表的な10人のお弟子です。
十大弟子は、よく彫刻や絵画の題材にもなっています。

十大弟子の彫刻や絵画

例えば、法相宗の興福寺には、奈良時代に作られた国宝の「乾漆十大弟子立像」があります。
これは、10人中6人が現存していますが、その中の5人はこの記事内に写真を掲載してあります。

京都の清涼寺には、平安時代の「木造十大弟子立像」があり、重要文化財になっています。
同じく京都の大報恩寺には、鎌倉時代の快慶や弟子の行快が作った十大弟子像があり、やはり重要文化財になっています。

また、世界的な版画家、棟方志功(むなかたしこう)の代表作も「二菩薩釈迦十大弟子」といわれます。
文殊菩薩と普賢菩薩という2人の菩薩と、十大弟子を描いた版画です。

彫刻や絵画の題材になるだけでなく、現代の私たちにとっても非常に重要な功績があるのが十大弟子です。
十大弟子というのは一体どんなお弟子たちだったのでしょうか?

十大弟子のメンバー

十大弟子はどんなお弟子たちかというと、以下の10人です。

  1. 舎利弗(しゃりほつ)……智慧(ちえ)第一
  2. 目連(もくれん)……神通(じんずう)第一
  3. 大迦葉(だいかしょう)……頭陀(ずだ)第一
  4. 須菩提(しゅぼだい)……解空(げくう)第一
  5. 富楼那(ふるな)……説法第一
  6. 迦旃延(かせんねん)……論義第一
  7. 阿那律(あなりつ)……天眼(てんげん)第一
  8. 優波離(うぱり)……持律(じりつ)第一
  9. 羅睺羅(らごら)……密行(みつぎょう)第一
  10. 阿難(あなん)……多聞(たもん)第一

これは、『維摩経(ゆいまぎょう)』弟子品に説かれていますが、『灌頂経』にも、
仏また賢者阿難に告ぐ。我が十大弟子に各々威徳あり。
(中略)
仏阿難に告ぐ、舎利弗、摩訶目犍連、大迦葉、須菩提、富楼那、阿那律、迦旃延、優波離、羅睺羅、阿難
と説かれています。

十六羅漢とは違うの?

よく「十六羅漢」という言葉もありますが、十六羅漢というのは、16人の阿羅漢(あらかん)という高い悟りを開いた人たちのことです。
この十六羅漢には2通りあります。
阿弥陀経』に説かれる十六羅漢と、『法住記』に見える十六羅漢です。

阿弥陀経』の十六羅漢は、祇園精舎でお釈迦さまが『阿弥陀経』の説法をされた時、そこに参詣していた代表的なお弟子です。
具体的には、順番に、以下の16名です。

  1. 舎利弗
  2. 目連
  3. 大迦葉
  4. 迦旃延
  5. 倶絺羅
  6. 離婆多
  7. シュリハンドク
  8. 難陀
  9. 阿難陀
  10. ラーフラ
  11. 憍梵波提
  12. 賓頭盧頗羅堕
  13. 迦留陀夷
  14. 摩訶劫賓那
  15. 薄拘羅
  16. 阿那律

このうち7名が十大弟子と重なっています。

法住記』の十六羅漢は、やがて人々を救うと予言されている十六人の羅漢で、以下の16名です。

  1. 賓度羅跋羅惰闍(びんどらばらだじゃ)
  2. 迦諾迦伐蹉(かなかばっさ)
  3. 迦諾迦跋釐堕闍(かなかばりだじゃ)
  4. 蘇頻陀(そびんた)
  5. 諾距羅(なくら)
  6. 跋陀羅(ばっだら)
  7. 迦理迦(かりか)
  8. 伐闍羅弗多羅(ばざらほったら)
  9. 戍博迦(じゅばか)
  10. 半託迦(はんだか)
  11. 羅怙羅(らこら)
  12. 那伽犀那(ながさいな)
  13. 因掲陀(いんがだ)
  14. 伐那婆斯(ばなばし)
  15. 阿氏多(あした)
  16. 注荼半託迦(ちゅうだはんたか)

法住記』の十六羅漢の場合は、11番目の羅怙羅は、羅睺羅のことかもしれませんが、十大弟子との関連はあまり見られません。

では、十大弟子は、どんなお弟子だったのでしょうか?
それぞれの特徴を簡単に挙げてみましょう。

1.舎利弗(しゃりほつ)智慧(ちえ)第一

数ある仏弟子の中でもトップにあげられる、お釈迦さまの一番弟子といえば、舎利弗です。
般若心経』や『阿弥陀経』は、舎利弗に対して説かれたお経です。

長阿含経』には、たくさんのお弟子の中でも、舎利弗と目連が最第一といわれていますが、目連でも舎利弗にはかなわなかったといわれます。

そして『増一阿含経』には、
智慧無窮にして諸の疑いを決了するは、いわゆる舎利弗比丘これなり
といわれて、智慧第一といわれます。

その類いまれな智慧によって多くの人に仏教を伝え、大活躍したお弟子です。

2.目連(もくれん)神通(じんずう)第一

目連(興福寺)
目連(興福寺)

目連は、お盆のもとになった『仏説盂蘭盆経(ぶっせつうらぼんきょう)』のエピソードで親しまれているお弟子です。
舎利弗の親友で、お釈迦さまの二大弟子といえば、舎利弗と目連です。

目連は、目犍連(もくけんれん)ともいわれ、神通第一といわれます。
お釈迦さまは、『増一阿含経』に
神足軽挙し、十方に飛び到るはいわゆる目犍連比丘これなり
と説かれ、『雑阿含経』にも『中阿含経』にも神足第一と説かれています。

また、あまりにも熱烈に仏教を伝えたために、外道の恨みを買い、最後は壮烈な殉教を遂げるほど、積極果敢に仏教を伝えた仏弟子です。

3.大迦葉(だいかしょう)頭陀(ずだ)第一

大迦葉は、摩訶迦葉(まかかしょう)とも単に迦葉ともいわれます。
小欲知足で常に質素な生活を送り、「頭陀第一」といわれます。「頭陀」とは、衣食住に対する欲望をなくすための托鉢を中心とした質素な修行の方法です。
増一阿含経』には、
十二頭陀難得の行はいわゆる大迦葉比丘これなり
といわれています。

また『涅槃経』には、お釈迦さまはあらゆる無上の正法を伝えるように大迦葉に託したと説かれています。

お釈迦さまが亡くなられた後は、すでに舎利弗、目連も亡くなっており、大迦葉が仏教の教団を率います。
そしてお釈迦さまが生前に説かれた教えを、高い悟りを開いた500人の仏弟子で確かめ合う、結集(けつじゅう)という会議を発案して議長を務めます。
現在のようなお経が残されているのは、大迦葉のアイディアですから、偉大な業績があります。

4.須菩提(しゅぼだい)解空(げくう)第一

須菩提(興福寺)
須菩提(興福寺)

西遊記』では、孫悟空の師匠になっているのが須菩提です。
解空第一」といわれ、『増一阿含経』には、
空の義を分別するはいわゆる須菩提比丘これなり
と説かれています。
それで孫「悟空」というのも、空を悟るという名前になっています。

空というのは、『般若心経』でいえば「色即是空」の空ですが、空を詳しく説かれている『般若経』全般によく登場するのが須菩提です。

出家前は怒りっぽい人でしたが、悟りを開いてからはまったく腹を立てなくなったといわれます。

5.富楼那(ふるな)説法第一

富楼那(興福寺)
富楼那(興福寺)

富楼那は、富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし)とも満慈子(まんじし)ともいわれます。
増一阿含経』には、
よく法を度説し、義理を分別するはいわゆる満慈子比丘これなり
と説かれ、お釈迦さまのお弟子の中でも、一生の間に9万9千人という最も多くの人に仏教を伝えたために「説法第一」といわれます。

最後は、攻撃的で悪口を好む人々のいる国へ仏教を伝えに行き、殉教したといわれます。
死んでも伝えずにおれないという決死の信念で布教に挺身したのが説法第一の富楼那です。

6.迦旃延(かせんねん)論義第一

迦旃延(興福寺)
迦旃延(興福寺)

迦旃延は、大迦旃延とも摩訶迦旃延ともいわれます。
論議第一」というのは、お釈迦さまの教えを一番分かりやすく解説できたということです。
増一阿含経』には、
よく義を分別し、道教を敷演するはいわゆる大迦旃延比丘これなり
といわれています。

その巧みな弁舌を存分に発揮して、王様やバラモンを始め、多くの人に仏教を伝えました。

7.阿那律(あなりつ)天眼(てんげん)第一

阿那律はお釈迦さまのいとこで、十大弟子の中で唯一の盲目の僧侶です。
出家してしばらく経ったある時、お釈迦さまのご説法中に居眠りしてしまった阿那律は、二度と寝ないという誓いを立てました。
それは、ご説法の時だけでなく夜も眠らなかったため、やがて失明してしまいました。
ところが、肉体の目を失ったことによって心の眼が開き、「天眼第一」といわるようになりました。

8.優波離(うぱり)持律(じりつ)第一

優波離はウパーリともいわれ、もと美容師でした。
率先して戒律を守ったため、「持律第一」といわれます。
増一阿含経』には、
戒律を奉持して触犯する所なきは、優波離比丘これなり
と説かれています。

お釈迦さまに戒律について質問して直接ご教導を受けていたこともあり、お釈迦さまが亡くなられた後、結集(けつじゅう)では、阿難がお経を暗唱したのに対して優波離は戒律を暗唱しました。

9.羅睺羅(らごら)密行(みつぎょう)第一

羅睺羅(興福寺)
羅睺羅(興福寺)

羅睺羅は、ラーフラともいわれ、お釈迦さまが出家される前、耶輸陀羅姫との間に生まれた子供です。
まだ小さいうちに、お釈迦さまは出家されましたが、やがて仏のさとりを開いて帰ってこられた時に、史上初の沙弥(しゃみ)となりました。
沙弥とは少年僧のことです。

他人が見ていないところでも真面目に戒律を護り、修行を続けたため、「密行第一」といわれ、やがて十大弟子の一人になっています。

10.阿難(あなん)多聞(たもん)第一

阿難はアナンダともいわれ、お釈迦さまのいとこで非常に美男子でした。

お釈迦さまが仏のさとりを開かれて、はじめて故郷のカピラ城に戻ってこられた時に出家しました。
それからしばらくして、お釈迦さまが亡くなられるまでの20年間は、いつも近くでお仕えしたので、「多聞第一」といわれます。
お釈迦さまから最も多くの教えを聞いたということです。

記憶力は抜群で、過去に聞いた教えをICレコーダーのように暗唱することができたのでお釈迦さまが亡くなった後、仏教の教えを残す結集(けつじゅう)では、叩き台として「私はこのように聞きました」と仏の教えを暗唱する係になりました。
それを聞いていた500人の仏弟子が全員承認した教えが、お経として残されました。
この阿難の正確無比な記憶力によって、お経が今日に残されているのです。

十大弟子の活躍

十大弟子をはじめとする、お釈迦さまのたくさんのお弟子たちの活躍によって、すべての人が本当の幸せになれる道を教えられた仏教は、広く伝えられ、現代にまで伝えられるようになったのです。

では、お釈迦さまが説かれたどんな人でも本当の幸せになれる道とはどんなものなのか、ということについては、以下のメール講座にまとめておきました。
今すぐ見ておいてください。

関連記事

目次(記事一覧)へ