阿那律(あなりつ)とは?
「阿那律」は、全盲のお弟子です。
目は見えませんが、お釈迦様の十大弟子の一人で、「天眼第一」といわれます。
もともとお釈迦様とは親戚の関係にありましたが、どうして出家したのでしょうか。
そして、なぜ失明したのでしょうか?
お経にそのエピソードが説かれています。
阿那律とは
阿那律とは、どんな人なのでしょうか?
まず仏教の辞典を確認してみましょう。
阿那律
あなりつ
サンスクリット語のAniruddha(パーリ語 Anuruddha)に相当する音写。
<阿泥律陀>などとも音写される。
アニルッダ(アヌルッダ)。
カピラヴァスツの釈迦族の出身で、釈尊のいとこにあたる。
十大弟子の一人で天眼第一といわれた。
釈尊説法の座で眠り、叱責されてから常坐不臥の行を修すること長年に及び、そのため失明したという。
釈尊の信頼があつく最後の旅にも同行していた。
釈尊の入滅の際、アーナンダ(阿難)に指示して、クシナガラのマッラ族に葬儀を行う用意をさせた。
ヴァッジ族のヴェールヴァ村の竹林で亡くなったと伝えられる。(引用:『岩波仏教辞典』第三版)
このように、阿那律についてとても簡単に説明されていますので、
ここでは辞典には書かれていないところまで、分かりやすく解説していきます。
阿那律の生い立ち
阿那律は、阿㝹楼駄(アヌルダ)ともいいます。
『華厳経』や『法華経』、『阿弥陀経』では阿㝹楼駄として登場しています。
お釈迦様の親戚ですので釈迦族の王族の生まれで、阿難(アナンダ)や提婆達多(ダイバダッタ)とも親戚です。
阿那律は、小さい頃から、鼻筋が通っていて、黄金の肌を持つすばらしい容貌でした。
王族として、学問や武術、音楽など、様々な教育を受け、阿那律は特に、頭の良さと素早さに秀でていました。
小さい頃から無邪気で、言葉を文字通り受け止めがちでした。
7歳のとき、友達2人とお菓子をかけて勝負をしました。
3回負けて、お母さんにお菓子をねだったのですが、4回目になると、お母さんも呆れて、使いの者に
「もうない」
と言わせました。
それをお菓子の名前だと思った阿那律は、
「じゃあそのもうないをちょうだい」
と言ったと言われます。
このように、阿那律は、小さい頃から素直な性格で、王族として、何不自由ない暮らしをしていました。
阿那律の出家
やがて15歳頃になると、お釈迦様が仏のさとりを開かれて、生まれ故郷のカピラ城に帰ってこられ、すべての人が本当の幸せになれる道を説き明かされます。
それを聞いた阿那律のお兄さんは、出家して仏道を求めたいと思います。
そこで弟の阿那律に相談を持ちかけ、
「最近お釈迦様が仏のさとりを開かれて、本当の幸せになれる道を教えられている。
だから、お前がもし家にいるならば、私は出家したいと思う。
しかし、もしお前が出家したいなら、私が家に残ろう」
と言います。
阿那律が
「出家って何ですか?どうしてお兄さんは出家したいんですか?」
と尋ねると、お兄さんは、人生の苦しみを語り始めました。
それまで阿那律は若くて王族の暮らしにひたっていたので、全く知らなかったのですが、生きるには、田んぼを耕して、水を引き、田植えをして大変な世話をして、収穫しなければならないということを聞き、出家したくなってきました。
ついに阿那律は、お兄さんに家にいることを頼んで、出家を決意したのでした。
ところがそれを聞いたお母さんが許しません。
「お前がもし出家したいなら、抜提王が一緒に出家するなら許しましょう」
と無理難題を言いつけます。
ところが阿那律は、素直に
「分かりました、じゃあ今から誘ってきます」
と喜んで抜提王のもとへ出家の誘いに行きます。
普通は、さすがに王様は、そう簡単に王位を退くわけがないと思いますが、
抜提王も、世の無常を思い、出家したいという気持ちもありました。
さりとてこの世の楽しみも捨てがたいと思い、
「それでは7年の間、この世の楽しみを味わって、それから出家しよう」
と大人の妥協案を出します。阿那律は、
「えー?7年ですか?ちょっと長すぎます」
というので、
「じゃあ、6年」
「6年って全然長すぎです」
「じゃあ5年でどうだ?」
「長いです」
このように、阿那律が長いというので、1年ずつ少なくして行って、
「じゃあ1年後に出家しよう」
と言います。
それでも阿那律は
「…1年は長いですよー」
と難色を示すので、今度は1カ月ずつ短くなり、ついに7日まで来ました。
そこでようやく阿那律は、しぶしぶ承知して家に帰ったのでした。
帰ってきた阿那律から、
「抜提王も出家するって」
と聞いたお母さんも驚きましたが、それから7日後、抜提王をはじめ、親戚の阿難や提婆達多(ダイバダッタ)と共に、数人で出家したのでした。
女性からの誘惑
ある時、阿那律はコーサラ(拘薩羅)国の舎衛城から、旅に出ました。
途中で日が暮れてきたので、ある家に宿を頼みます。
ちょうど別の旅人も来たので、一緒に泊めてもらうことになりました。
その家の女主人は、阿那律がイケメンで誠実そうな青年だったため、夜になると、阿那律の部屋に来て口説き始めます。
ところが阿那律は、まったく相手にしませんでした。
全然動じない阿那律に、女主人の誘惑がエスカレートしてくるので、いよいよ阿那律が立ち去ると、我に返った女主人は無礼を謝罪してきました。
そこで阿那律が熱心に仏教を説くと、その女主人は、仏教に帰依したといわれます。
ところが後で他の人たちから非難を受けたので、阿那律は二度と女性のいる家に宿泊することはなくなり、お釈迦様も男女同宿禁止の戒律を定められたといいます。
阿那律の失明
阿那律は目が見えないのですが、なぜ失明したのかが『増一阿含経』に説かれています。
ある時、お釈迦様が祇園精舎でたくさんの人を前に説法をしておられると、なんと、阿那律がウトウト居眠りを始めました。
それを見られたお釈迦様は、
「みなさんここに来られるまでに大変お疲れになる方もあるだろう。
しかし、仏の説法に連なることは並大抵のことではない。
祇園精舎に参詣することは、極めて難しい。
居眠りしていても大変な仏縁になるのである」
と言われました。
ところが説法の後、お釈迦様は阿那律を呼ばれて
「そなたは何が目的で、仏道を求めているのか」
と尋ねられます。
「はい。四苦八苦を知らされ、苦しみ悩みの解決をするためでございます」
「そなたは良家の出身ながら道心堅固、どうして居眠りなどしたのか」
ズバリと指摘されるお言葉に縮み上がった阿那律は、お釈迦様の前に両手を突いて、
「申し訳ございませんでした。今後、二度と眠りはいたしません。どうか、お許しください」
と深く懺悔します。
その日から阿那律は、ますます熱烈に修行に打ち込み、決して眠ることはありませんでした。
しかし、そんなに不眠が続けられるものではありません。
やがて阿那律の目は見えなくなってしまいました。
それを聞かれたお釈迦様は、
「琴の糸のように張るべき時は張り、緩むべき時は緩めねばならぬ。
精進も度がすぎると後悔する。怠けると煩悩がおきる。中道を選ぶが良い」
と優しくさとされます。
それでも阿那律は決して誓いを曲げようとしないため、お釈迦様は、名医の耆婆に診せると、
「眠れば治ります」
と答えます。
それでも阿那律はお釈迦様との誓いを貫き通し、ついに両目を失明してしまいました。
ところが同時に、心の眼が開けたといわれます。
こうして阿那律尊者は、「天眼第一」といわれる釈迦十大弟子の一人となったのでした。
私たちは、何回言われてもなかなか自分を変えることは難しいですが、
1回の注意でここまで深く反省して行いを変えられるというのはケタ違いです。
針に糸を通してもらう
阿那律が失明した後も修行に打ち込んでいると、だんだん衣が古くなってきました。
ある時、新しい衣を縫わなければならなくなったのですが、
縫うには、針に糸を通さなければなりません。
ところが阿那律は目が見えないので、なかなか通らなくて困っていました。そこで
「誰か、善を求めようと思う人は、この針に糸を通してくだされ」
と周りに呼びかけました。すると、
「私がさせてもらいたい」
と近づいて来られたのがお釈迦様でした。
阿那律はその声に驚いて、
「お釈迦様は、すべての善と徳を身につけられた方ですから、もう善をされる必要はないのではないでしょうか」
とお尋ねすると、
「仏のさとりを開いたからといって、小さな善をおろそかにしてよいはずがない。
世の中で、私以上に善を求めることを心がけている者はないであろう」
と答えられたといいます。
(出典:『増一阿含経』)
お釈迦様は、目の見えない弟子の糸を通してやるという善をしておられます。
仏のさとりを開いても、死ぬまで善に励まれたことが分かります。
ましてや私たちは、仏教の教えによって変わらない幸せになっても、善をやらなくていいということにはなりません。
救われても、因果応報の因果の道理は変わらないのです。
お釈迦様の涅槃を見届ける
こうして阿那律は、十大弟子の一人として、お釈迦様の教えをよく守り、多くの人に伝えて、お釈迦様がお亡くなりになる時には、阿難尊者と共に、涅槃に入られるのを見届けています。
その3カ月後に、仏の教えをお経として残す時の「結集」という会議にも参加し、天眼第一の能力を使って、教えの正確性の確認でも、大きな力を発揮したといわれます。
こうして、お釈迦様のお亡くなりになった後も、すべての人が本当の幸せになれる道が伝えられるようになり、今日まで多くの人が救われてきたのです。
では、お釈迦様が説かれた、すべての人が本当の幸せになれる道というのはどんなことかというと、私たちが幸せになれずにいる、苦悩の根元を知らせ、それを断ち切って、変わらない幸せにする教えです。
ではその苦悩の根元とは何か、どうすればそれを断ち切られて、変わらない幸せになれるのかということは、仏教の真髄ですので、以下のメール講座にまとめておきました。
今すぐ見ておいてください。
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この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか一人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。インターネットの技術を導入して日本仏教学院を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。
仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。
著作
- 生きる意味109:5万部のベストセラー
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