人生は一度きりの本当の意味とは?
「人生は一度きり」
「一度きりの人生、好きに生きよう」
やりたいことがあるのに、
周りの目や、失敗したらどうしようという不安から、
なかなか一歩が踏み出せない。
そんなとき、「人生は一度きりだよ」と言われて、
背中を押されたことがある人も多いと思います。
確かに、人生は一度きりです。
我慢ばかりしていたら損だ。
好きなことをして、楽しんだもの勝ちだ。
後悔しないように、思い切り生きよう。
多くの人が、そういう意味で「人生は一度きり」と言います。
ところが、そう思って好きなことを始めてみても、
ふとした時に、「本当にこれでいいのだろうか」
という思いが頭をよぎることがあります。
一度きりだからこそ、取り返しのつかない使い方はしたくない。
そう思うと、かえって何を選べばいいのか
分からなくなってしまいます。
実は仏教では、私たちが普通に思っている意味では、
人生は一度きりではない、と説かれています。
ですが同時に、それよりもはるかに重い意味で、
一度きりのものがあるとも教えられています。
では、本当に一度きりなのはどんなことで、
私たちは本当の意味での一度きりの人生を、
何に使えばいいのでしょうか?
「人生は一度きり」の意味と英語のYOLO
「人生は一度きり」とは、
人の一生は1回しかなく、やり直すことはできない、
という意味です。
そこから、悔いが残らないように、
やりたいことをやって、今を思い切り楽しもう、
という励ましとして使われています。
英語では「You only live once」といい、
頭文字を取って「YOLO(ヨーロー)」とも呼ばれます。
2011年に、カナダのラッパー、ドレイクの曲
「The Motto」で使われて広まり、
アメリカの若者の流行語になりました。
「一度きりなんだから、やっちゃえ」と、
思い切ったことをする時のかけ声です。
ですが、この考え方は、もっと古くからあります。
1855年には、ウィーンの作曲家ヨハン・シュトラウス2世(1825-1899)が、
「人生は一度だけ(Man lebt nur einmal!)」
というワルツを作っています。
その題は、ドイツの文豪ゲーテ(1749-1832)が1774年に書いた戯曲
『クラヴィーゴ』の台詞から取られたものです。
人は、この世に一度しか生きられない。
この力も、この見込みも、一度しかない。
それを最高に生かさず、
行けるところまで自分を駆り立てない者は、愚か者だ。(出典:ゲーテ『クラヴィーゴ』第1幕)
これは、主人公のクラヴィーゴに、
友人のカルロスが言った台詞です。
クラヴィーゴは、スペインの宮廷で
出世の階段を上り始めた青年で、
マリーという女性と婚約していました。
カルロスは、結婚よりも出世を選べと、
この台詞でクラヴィーゴをけしかけました。
ところが、その結末は悲劇でした。
クラヴィーゴは、一度はマリーとやり直そうとしますが、
カルロスに説き伏せられて、再び彼女を捨ててしまいます。
マリーは悲しみのあまり亡くなり、
クラヴィーゴは、その棺の前で、
マリーの兄に討たれて命を落とします。
この戯曲の「人生は一度きり」は、
一度きりのチャンスを逃すな、という意味で語られています。
そして、そのチャンスを何に賭けたかによって、
クラヴィーゴの人生は、
取り返しのつかないものになってしまいました。
一度きりだからと思い切るのは大事ですが、
何に思い切るかを間違えると、
一度きりだからこそ、取り返しがつかないのです。
では、私たちがよく言う
「一度きりだから楽しまなきゃ損」は、
本当に正しいのでしょうか?
「一度きりだから楽しまなきゃ損」は本当か
「一度きりだから楽しまなきゃ損」には、
確かにうなずけるところがあります。
「いつかやろう」と先延ばしにしているうちに、
気がつけば年を取り、体が思うように動かなくなっていた。
そういうことは、よくあります。
死ぬときになって、やりたいことをやっておけばよかったと
悔やむ人も、少なくありません。
死ぬ前にどんな後悔をするのかについては、
以下の記事で解説しています。
➾死ぬ前に後悔すること|死ぬ時に間に合う後悔と間に合わない後悔
その意味で、一度きりの人生だから、
今を大切にしよう、というのはもっともなことです。
ところが、好きなことをして楽しんでも、
その楽しさは、長くは続きません。
欲しかったものを手に入れても、
喜びは一時的で、すぐ色あせます。
しばらくすると当たり前になって、
また次のものが欲しくなります。
旅行の楽しさも、帰ってくれば思い出に変わり、
やがてその思い出も忘れていきます。
「人それぞれ、好きなことをすればいい」
という人もありますが、
ほんの一時は喜べても、そのうちに色あせてしまいます。
そういうものを次々と追いかけるだけで、
一度きりの人生を使い切ってしまっていいのでしょうか。
そもそも「楽しまなきゃ損」というのは、
楽しんだら得、我慢したら損、という損得の計算です。
もし死んだら何もかも終わりなら、
楽しんだ人も、我慢した人も、
最後は同じように、何一つ残りません。
楽しんだから得をした、ということも、
我慢したから損をした、ということもなくなってしまいます。
それでも私たちが、損をしたくないと思うのは、
この一度きりの人生を、取り返しのつかない使い方はしたくない、と
心のどこかで感じているからでしょう。
では、「人生は一度きり」の「一度きり」とは、
本当はどういうことなのでしょうか?
「一度きり」に込められた2つの意味
「人生は一度きり」には、
実は、2つの意味が混ざっています。
1つは、同じ人生は二度とやり直せない、ということです。
井上陽水さんが、今の名前で最初に出したシングルは、
「人生が二度あれば」という曲でした。
人生が二度あれば、と思うことは誰にでもありますが、
過ぎた時間は、二度と戻ってきません。
40歳、50歳になってから、
もう一度、学生時代からやり直したいと願っても、
それは叶いません。
やり直しがきかないから、
石橋を叩いて渡るように、慎重に選ばなければなりません。
泣いても笑っても、人生は一度しかないのですから、
本当に自分の進むべき道はどの方角なのか、
よくよく考えておく必要があります。
この意味の「一度きり」は、その通りです。
もう1つは、死んだらそれで終わりで、
二度と生まれることはない、という意味です。
「楽しまなきゃ損」というのは、
こちらの意味を前提にしています。
死んだら何もなくなるのだから、
生きているうちに楽しんでおこう、ということです。
しかし、死んだら終わりというのは、
誰かが確かめたことではありません。
死んだ人に、死んだらどうだったかを
尋ねることはできませんし、
科学で証明されたことでもありません。
ただ何となく、そう思っているだけです。
もし、死んで終わりではなかったとしたら、
「楽しまなきゃ損」という損得の計算は、
根底から変わってしまいます。
では、仏教では、死んだらどうなると
説かれているのでしょうか?
仏教では人生は一度きりではない
仏教では、死んだら終わりではない、と説かれています。
仏教では、私たちの行いを
「業」といいます。
行いは消えてしまうのではなく、
目に見えない力となって残ります。
これを「業力」といいます。
業力は、私たちの心の一番奥にある
「阿頼耶識」という心に収まり、
死んでもなくなることはありません。
そして私たちの今の肉体が死を迎えると、阿頼耶識は、
業力によって次の世界を生み出します。
こうして私たちは、始まりのない始まりから、
生まれ変わり死に変わりを繰り返しています。
これを輪廻転生といいます。
人生は一度きりどころか、
私たちは、数え切れないほど生まれ変わってきたのです。
輪廻転生については、以下の記事で詳しく解説しています。
➾仏教で言われる輪廻転生とは?意味と解脱する方法を解説
ところが、次に生まれるのが、
この人間界とは限りません。
仏教では、私たちが生まれ変わる世界は、
地獄界・餓鬼界・畜生界・修羅界・人間界・天上界の
6つあると説かれています。
これを「六道」といいます。
この六道のうち、どの世界に生まれるかは、
誰かが決めるわけではなく、死ぬまでの自分の行いによって決まります。
私たちは、次もまた人間に生まれるのが
当たり前のように思っていますが、そうとは限りません。
人生は、一度きりではありません。
ですが、人間として生きる人生は、
一度きりかもしれないのです。
では、人間に生まれる難しさは、どれくらいなのでしょうか?
人間に生まれるのは爪の上の土
お釈迦さまは、人間に生まれることは非常に有り難いことだと教えられ、
その難しさを、たとえで教えられています。
『涅槃経』には、このように説かれています。
爾の時、世尊、地の少しき土を取りて之を爪の上に置き、
迦葉に告げて言わく、
「是の土多しや、十方世界の地の土多しや」と。
迦葉菩薩、仏に白して言さく、
「世尊、爪の上の土は、十方の所有る土に比せず」と。
「善男子、人有りて身を捨てて還りて人身を得、
三悪の身を捨てて人身を受くることを得、
諸根完具して中国に生まれ、
正信を具足して能く道を修習し、
道を修習し已りて能く解脱を得、
解脱を得已りて能く涅槃に入るは、爪の上の土の如し。
人身を捨て已りて三悪の身を得、三悪の身を捨てて三悪の身を得、
諸根具せずして辺地に生まれ、
邪倒の見を信じて邪道を修習し、
解脱常楽の涅槃を得ざるは、十方界の所有る地土の如し」
(漢文:爾時,世尊,取地少土置之爪上,告迦葉言,是土多耶,十方世界地土多乎。迦葉菩薩白仏言,世尊,爪上土者,不比十方所有土也。善男子,有人捨身還得人身,捨三悪身得受人身,諸根完具生於中国,具足正信能修習道,修習道已能得解脱,得解脱已能入涅槃,如爪上土。捨人身已得三悪身,捨三悪身得三悪身,諸根不具生於辺地,信邪倒見修習邪道,不得解脱常楽涅槃,如十方界所有地土)(出典:『大般涅槃経』)
お釈迦さまは、大地の土を少しつまんで、
ご自身の爪の上にのせ、お弟子の迦葉に、
「この爪の上の土と、大宇宙のすべての大地の土と、
どちらが多いか」と尋ねられました。
迦葉が「爪の上の土など、大宇宙の土とは比べものになりません」と答えると、
お釈迦さまは、このように教えられました。
死んで、また人間に生まれ、
仏教の伝わっている所に生まれて、正しく仏教を信じ、
迷いを離れて、涅槃の境地に入る者は、
この爪の上の土ほどしかいない。
人間から、地獄・餓鬼・畜生の三悪道に生まれ、
三悪道から、また三悪道へと生まれて、
迷いから離れられない者は、
大宇宙の大地の土ほど多い、ということです。
「中国」とは、今の中国のことではなく、
仏教の伝わっている所、
「辺地」とは、仏教の伝わっていない所のことです。
私たちの手の爪に乗る土は、ほんのひとつまみです。
それに比べて、地球の土だけでも、
とても数えられるものではありません。
ましてや大宇宙の土となれば尚更です。
人間に生まれることは、大宇宙の土の中で爪の上に乗るほど難しいと
お釈迦さまは説かれています。
そういうことからすると、
「人生は一度きり」は、
世間で思われているのとは違う意味で、
本当だったのです。
死んだら無になるから、一度きりなのではありません。
果てしなく続く生まれ変わりの中で、
人間に生まれるチャンスは、
次はいつ巡ってくるか分からない。
何億年、何兆年に1度もないことです。
だから、人間に生まれたこの一生は、
一度きりのチャンスなのです。
一度きりのチャンスを何に使うか
では、その一度きりのチャンスを、
何に使えばいいのでしょうか。
先ほどの『涅槃経』のお言葉を、もう一度見てみると、
爪の上の土にたとえられていたのは、
ただ人間に生まれる人ではなく、
人間に生まれ、仏教を信じ、
迷いを離れて涅槃の境地に入る人でした。
仏教では、人間に生まれてきたのは、
果てしなく生まれ変わりを繰り返す迷いの世界を離れて、
次々とやって来る苦しみ悩みから救われるためだと教えられています。
それが、人間に生まれてきた目的であり、
私たちの本当の人生の目的です。
地獄・餓鬼・畜生などの世界では、
苦しみにせめられて仏教を聞くことができないので、
その目的を知ることも果たすこともできません。
人間に生まれた今しかできないことです。
人生は選択の連続です。
どれか1つを選ばなければならない時が多々あります。
進学、就職、結婚、引っ越し、転職など……。
人生が何度でもやり直せるなら、
失敗しても、またやり直せばいいでしょう。
ですが、一度きりの人生で選択を迫られた時、
大事なのは、どれが楽しそうかよりも、
自分が生まれてきた目的達成に近づくのはどれか、
という視点が重要になります。
クラヴィーゴは、一度きりのチャンスを出世に賭けて、
本当に大切なものを失いました。
私たちが、人間に生まれた一度きりのチャンスを、
死ねば手放さなければならないものだけに使い切ってしまったら、
それは、クラヴィーゴよりも、
はるかに大きな後悔になるのではないでしょうか。
反対に、人間に生まれてきた目的一つ果たせば、
人生これ一つだったとハッキリして、
「一度きりだから楽しまなきゃ損」と、
焦って楽しみを詰め込まなくてもよくなります。
数え切れないほど繰り返してきた生まれ変わりの中で、
人間に生まれたのは、このためだったと、
心から喜べる一生になるのです。
その幸せは、楽しかった思い出のように色あせることも、
死によって崩れることもありません。
しかも、死んだ後ではなく、生きている今、この人間の一生のうちに、
誰でもなれる幸せです。
では、どうすればその本当の幸せになれるのかというと、
私たちを果てしない遠い過去から苦しませている
苦しみ迷いの根本原因をなくさなければなりません。
その苦悩の根元とはどんな心なのか、
どうすれば断ち切れるのか。
それについては仏教の真髄なので、
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この記事を書いた人
長南瑞生(日本仏教学院創設者・学院長)
東京大学教養学部で量子統計力学を学び、1999年に卒業後、学士入学して東大文学部インド哲学仏教学研究室に学ぶ。
25年間にわたる仏教教育実践を通じて現代人に分かりやすい仏教伝道方法を確立。2011年に日本仏教学院を創設し、仏教史上初のインターネット通信講座システムを開発。4,000人以上の受講者を指導。2015年、日本仏教アソシエーション株式会社を設立し、代表取締役に就任。2025年には南伝大蔵経無料公開プロジェクト主導。従来不可能だった技術革新を仏教界に導入したデジタル仏教教育のパイオニア。プロフィールの詳細・お問い合わせ
X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。
著作
- 生きる意味109:5万部のベストセラー
- 不安が消えるたったひとつの方法(KADOKAWA出版)
京都大学名誉教授・高知大学名誉教授の著作に引用、曹洞宗僧侶の著作でも言及。

