科学と仏教・キリスト教

科学というと、確実で便利な明るいイメージです。
宗教というと、非科学的で根拠がなく怖いイメージです。
では科学と宗教は相容れないのでしょうか?
科学者の皆さんに聞いてみましょう。

科学と宗教の対立

科学は、キリスト教国であるヨーロッパで生まれました。
科学が生まれる前に力を持っていたキリスト教の教会から、大きな迫害を受けたのは、有名です。

例えば17世紀のイタリアの科学者、ガリレオ・ガリレイは、地動説を唱えたため、キリスト教の教会から有罪判決を受けました。そして、「それでも地球は回っている」と言ったと伝えられています。
なぜキリスト教は、地動説を弾圧しなければならないのかというと、キリスト教では、世界の不動の中心は地球だと教えているのに、科学では世界の中心は太陽だと主張したからです。

また19世紀に進化論を唱えたダーウィンも、さすがに裁判で有罪にはなりませんでしたが、やはりキリスト教を強く信じる人達から迫害を受けました。
キリスト教では、がすべての生物を創造し、特に人間は、神である自分の姿に似せて創ったと教えているのに、進化論では、サルから人間が生まれたことになるからです。
20世紀初頭のアメリカの各州で、学校で進化論を教えてはいけないという法律ができました。
20世紀後半には撤廃され、1996年には、ローマ法王が、進化論を認める声明を出していましたが、21世紀になってもアメリカ人の半分以上の人が、進化論を認めません。
しかし現在の生物学は進化論を前提として進められています。

このように、キリスト教の人達が作った科学ですが、相容れないところが多く、キリスト教を信じれば科学は信じられず、科学を信じれば、キリスト教は信じられない、という関係にあります。

では、キリスト教と同じように宗教といわれる仏教も、科学と相容れないのでしょうか?

科学と仏教の関係

ところが仏教では、地動説も、進化論も何の問題もありません。
例えば宇宙観なら、『阿弥陀経』には、地球のようなものが東西南北上下にガンジス河の砂の数ほどあると説かれています。
その地球のようなものが千個集まっている世界を「小千世界(しょうせんせかい)」といいます。
小千世界が千個集まっている世界を「中千世界(ちゅうせんせかい)」といいます。
中千世界が千個集まっている世界を「大千世界(だいせんせかい)」といいます。
これらをまとめて「三千大千世界(さんぜんだいせんせかい)」といいます。
その三千大千世界が数え切れないほど存在するのが「十方微塵世界(じっぽうみじんせかい)」です。

現代の天文学では、太陽系のような、恒星とその周りを回る惑星の集まりである恒星系が、最低1千万から最大100兆程度集まって銀河系ができています。
その銀河系が、1000億以上集まって大宇宙ができているとされています。

古代のインドでは、象や亀が平面の世界を支えているという宇宙観でした。
そんな時代に、ブッダは天体望遠鏡なしに現代の天文学に近い宇宙観を説かれているのです。

また、仏教には、動物や人間を創造したような神は出てきません。
ただ「すべての結果には必ず原因がある」という因果の道理があるだけです。
ですから進化論もまったく問題ないのです。

仏教と量子論

それどころか、仏教は、現代物理学の量子論とも親和性を示しています。
素粒子の研究で、日本ではじめてノーベル賞をとった湯川秀樹はこう言います。

「近代科学においても最近までは『原子』の不変性が信ぜられていたのであるが、今日のいわゆる素粒子なるものはもはや決して恒常なるものではない。
それどころか、なかには中間子のように短時間で自然に他の種類の素粒子に転化してしまうものさえある。
インドにはしかし物質がその本質において無常なものであるという思想、仏教でいう「諸行無常」という思想もあったのであって、この点では今日の物理学の見解との間にある共通性を見いだすのである(湯川秀樹『目に見えないもの』)」
また湯川秀樹は、「素粒子の研究に、ギリシャ思想は全く役に立たないが、仏教には多くを教えられた」とも言っています。

また、量子論では観測する人が素粒子に大きな影響を与えることから、量子論の父といわれるニールス・ボーアはこう言っています。
原子物理学論との類似性を認識するためには、われわれはブッダや老子といった思索家がかつて直面した認識上の問題にたち帰り、大いなる存在のドラマのなかで、観客でもあり演技者でもある我々の位置を調和あるものとするように努めねばならない
仏教では、私たちの心が世界を生み出すからです。

原爆の父といわれるオッペンハイマーはこう言います。
原子物理学の発見によって示された人間の理解力は必ずしもこれまで知られていなかったわけではない。
また、べつだん新しいというわけでもない。
我々の文化にも先例があり、仏教やヒンドゥー教では中心的な位置を占めていた。
原子物理学は、いにしえの智慧の正しさを例証し、強調し、純化する

現代物理学が、ようやく仏教の正しさを実証し始めているのです。

知識人の見解

このようなことから、西洋の知識人たちも、科学と仏教は矛盾しないばかりか調和すると口々に言っています。

例えば、ドイツの哲学者ニーチェはこう言います。
仏教はキリスト教に比べれば、100倍くらい現実的です
仏教は、歴史的に見て、ただ一つのきちんと論理的にものを考える宗教と言っていいでしょう
(ニーチェ『キリスト教は邪教です!』)

イギリスの著名な作家、歴史家であるH・G・ウェルズはこう言います。
現在では原典の研究で明らかになったように、釈迦の根本的な教えは、明晰かつシンプル、そして現代の思想に最も密接な調和を示す。
仏教は世界史上知られる最も透徹した知性の偉業であるということに議論の余地はない

(H・G・ウェルズ『歴史の概要』)

20世紀最大の科学者といわれるアインシュタインは、こう言います。
仏教は、近代科学と両立可能な唯一の宗教である
(フレデリック・ルノワール『仏教と西洋の出会い』)

このように、「すべての結果には必ず原因がある」という因果の道理に貫かれている仏教は、科学と同じように、非常に合理的で分かりやすい教えなのです。
その上、科学にはできないのに、仏教にできることが3つあります。
それはどんなことでしょうか?

科学の対象は物質のみ

科学で何でも分かるのかというと、そうではなく、対象とする領域があります。
科学が対象とするのは、物質だけで、心は取り扱いません。

なぜ科学では心の問題は扱わないのかというと、科学が急速に進歩し始めた、17世紀の科学革命に原因があります。
古代では、精神的なものと物質的なものは混然一体となっていました。
日本でいえば、山にも川にも色々な神がいるようなものです。
ところが、17世紀のガリレオあたりから、数値化できる物体を取り扱おうとし始め、近代哲学の父といわれるデカルトは、精神と物質を分けてしまいました。
これを「物心二元論」といわれています。
自然や世界を心と切りはなして、科学では、物質や機械的な運動など、誰が見ても同じように数値化できるものだけを取り扱うようにしたのです。
そのほうがはるかに単純で、簡単ですから、特に天文学や物理学などにはその考え方がフィットして、急速に進歩しました。

このように、心を無視して、対象を物質に特化することによって、科学は強力な力を持ち始めたのです。
そのおかげで、現代のような便利な生活ができるようになりましたので、心と物質を分けた大きな功績です。
同時に、科学は心を取り扱うことはできず、無理に心のことを言うと、非科学的な感じがしてきます。
例えば、心理学を科学だというと、「それって科学なの?」と疑問を起こす人が多くあります。

脳科学では?

現代では、心理学は脳科学に統合されていますが、脳科学の場合も、苦しみや痛みなどの感覚は測定できません。
MRIによって、その時に脳を流れる血液量を計測するだけです。
科学は定義上、心が対象外なのです。

唯物論を信じている人は、脳の神経や電気信号などの物質が心を生み出していると信じていますが、科学的にはそのようなことは言えません。
実際には逆に、心が脳の物理反応を生みだしていると言う研究者もあります。
例えば強迫性障害治療の世界的権威でカリフォルニア大学医学部教授のジェフリー・M・シュウォーツ博士は『心が脳を変える』という著書に、様々な実験データは「脳は心が生み出す子どもである」ことを支持していると書いています。

さらにシュウォーツ博士は、量子論や仏教も学び、こう言います。
私たちは、量子物理学と仏教がどちらも意思と選択に宇宙の働きにおける中心的な役割を与えていることについて話し合った。
ブッダの時を超えた「縁起」の法則によれば、世界の無限のサイクルのなかに意識が生まれ続けるのは意思のためである。
そして仏教哲学では、人の選択は物理的世界の何ものによっても決定されない。
これが真理
」(心が脳を変える)

仏教では?

実際に科学の分野では、この問題に決着をつけることはできませんが、この科学で取り扱えない、心の領域を扱うのが仏教です。

ノーベル賞を受賞した哲学者で数学者のラッセルは、こう言います。
仏教は、思索と科学の組み合わさった哲学である。それは、科学的な方法を提唱し、合理的といえる最終的なものを追求する。(中略)
仏教は、計測機器の限界から科学が取り扱えない領域へ連れて行ってくれる。それは心の領域である
」(仏教と科学)

人工知能の父といわれるマサチューセッツ工科大学のマービン・ミンスキー教授は、人間の心の研究には、仏教を勉強するのが格段にいいと言っています。
人工知能をやろうとすれば、当然ながら人間の知能(インテリジェンス)それから心(マインド)の仕組み、働き方が標的(ターゲット)になり、とくに心の研究には仏典が比類なきテキストになる」(生命戦争―脳・老化・バイオ文明)

このように、仏教は、科学には取り扱うことのできない、心の領域を詳しく明らかにし、私たちが本当の幸せになる道を解明しているのです。

科学は目的を示せない

科学にできないことの2番目は、方向性や目的は示せないということです。
科学によって、自然法則がどうなっているかを知ることかできますが、それを私たちがどう使うべきかは分からないのです。
例えば、アインシュタインの相対性理論により、
「E(エネルギー)=m(質量)×c(光速)の2乗」
ということは分かりました。
Cは光速のことで、その2乗はものすごく大きな量なので、ほんの少しの質量から、ものすごいエネルギーを生み出せるということです。

しかし、そのものすごいエネルギーを使って何をすればいいのかは、科学は教えてくれません。
原子爆弾も作れますし、原子力発電所も作れます。しかし何を作ればいいのかは、科学的にはわからないのです。
言葉を変えれば、科学は強力な手段ではありますが、目的は分からないということです。
だからアインシュタインは、
手段は完全になったというのに、肝心の目的がよくわからなくなったというのが、この時代の特徴と言えるでしょう」と言っています。

また、ノーベル生理学医学賞を受賞したフランスの生物学者、アレクシス・カレルも、
科学者という人間は自分の行くさきを知らないのである。総じて発見というものは、少しもその結果を考えずになされたものである。近代文化は失敗したのである。それは我々に適合しない。それは人間を知らずに作られた」(アレクシス・カレル)
と言っています。

では、目的についてはどうすればいいのかというと、アインシュタインはこう言います。
宗教なき科学は不具であり、科学なき宗教は盲人である」(アインシュタイン)
強力な手段である科学に目的を与えるのが宗教の役割だ、ということです。

ドイツのノーベル賞物理学者で、量子論の創始者の一人であるマックス・プランクは、こう言います。
自然科学と宗教とは、『人間から独立した、大宇宙を支配する最高の力』が存在するということを認める点で完全に一致している。人間は自然を認識するために科学を必要とし、 行動するために宗教を必要とする。科学と宗教とは互いに補足し合うものであって、両者の間には全く矛盾は見当たらない」(マックス・プランク)

このように、科学には目的を示すことはできませんが、まさにそれを明らかにされたのが仏教です。

科学では生きる意味は分からない

さらに、科学にできないことは、私たちの生きる意味を教えることです。
生きる意味というのは、私たちは必ず死ななければならないのに、なぜ生きるのか、ということです。
普通は、せっかく頑張ったものが壊れてしまうと、「今までの努力は何だったのだろう」と悲しくなったり虚しくなったりします。
例えば大学で、3ヶ月間かけて書いていた卒業論文なのに、完成直前に消えてしまったら、これまでの努力は何だったんだ、と放心状態になります。
また、長年働いてやっと建てたマイホームが、1カ月後に火事で焼けてしまうと、今まで働いてきたのは何だったんだ、と茫然自失になります。

また、苦労して産み育てた子供が死んでしまうと、あまりの悲しさに言葉もありません。

ところが、人生の最後に死んで行くときは、卒業論文やマイホームや子供だけでなく、今までやってきたすべてが失われます。最後死んでいかなければならないことは、すでに分かっているのですが、それなのに何の意味があって、頑張って生きなければならないのでしょうか?

このどんな人にとっても大切な、生きる意味については、科学ではまったく分かりません。
それについて天才科学者といわれるアインシュタインは、『私の世界観』で
生きる意味は何か?それに答えるのが宗教です
と言っています。

では、宗教といっても色々ありますが、どんな宗教でしょうか。

アインシュタインの宗教の3段階

アインシュタインは『私の世界観』で、宗教を3段階に分類しています。

第一ステージが、「怖れの宗教」です。
原始人が、星や火、地震、病気など、不可解で、自分よりも力のある天地自然を神として現世利益をお願いするものです。
これは昔の日本人が八百万の神といっていたようなものです。

第二ステージが、「倫理的宗教」です。
擬人化された裁きの神の概念がでてきます。
信仰と政治を混同して、異端者や異民族の抹殺を求めます。
キリスト教のようなものです。

第三ステージが、「宇宙的宗教」です。
これは宇宙と星々の広大無辺さの理解を深めた宗教で、神は出てきません。宇宙の法則によってすべての国を統合するものです。

そしてアインシュタインは、
宇宙的宗教の要素がはるかに強くなっているのは仏教である」 (私の世界観)
と言っています。

そして、アインシュタインは、
現代科学に欠けているものを埋め合わせてくれる宗教があるとすれば、それは仏教です
と言っています。

当時、アインシュタインの暮らしていた欧米では、本当の仏教を知ることはできなかったと思いますが、アインシュタインの推測通り、科学のような合理的な教えによって、科学には教えることのできない、本当の生きる意味を明らかにしたのが仏教なのです。

では、本当の生きる意味とは何か、その答えは仏教の真髄なので、メール講座と小冊子にまとめてあります。
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