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サンガとは?仏教の意味と教団との違い

「サンガとは何?」
「仏教でサンガとはどういう意味?」

サンガとは、仏教で、
出家した人たちの集まりのことです。
漢字では「僧伽(そうぎゃ)」と書き、
お坊さんを表す「僧」は、
このサンガからきています。

世間では、サンガは「仏教の教団」と説明されることがほとんどです。
ですが、お釈迦さまの時代のサンガは、
今の宗教団体のような教団とは、全く違うものです。

しかも仏教では、サンガには2つの意味があり、
仏・法・僧の三宝にいわれる「僧」は、
組織のことでさえありません。

では、仏教で説かれるサンガとは、
本当はどんなものなのでしょうか?

サンガとは?意味と読み方

サンガは、古代インドの語で、
「集まり」「仲間」という意味です。
サンスクリット語ではサンガ(saṃgha)、
パーリ語ではサンガ(saṅgha)といいます。

中国で仏教の経典が翻訳された時、
サンガは音を写して「僧伽」と書かれ、
それが略されて「僧」となりました。
意味をとって「衆(しゅ)」とも訳され、
和やかにまとまった集まりという意味です。
「和合衆(わごうしゅ)」とも呼ばれます。
もとは1人のお坊さんではなく、
出家した人たちの集まりを指していました。

ちなみに、サッカーの京都サンガF.C.の名前も、
サンスクリット語で「仲間・群れ」を表すサンガと、
京都をイメージさせる「山河」の響きを
かけ合わせたものといわれています。

辞書では、サンガは
「出家者の集団」とか「仏教の教団」と説明されています。
確かにサンガは出家者の集まりではあります。

ですがそれでは不十分で、仏教でいわれるサンガには、
大きく分けて2つの意味があります。
1つは、出家者の決まりを記した律蔵に説かれる、
出家者の集まりとしてのサンガです。
もう1つは、仏・法・僧の三宝にいわれる、
さとりを開いた人の集まりとしてのサンガです。

では、律蔵に説かれるサンガとは、
どんな集まりなのでしょうか。

律蔵に説かれるサンガとは

律蔵とは、お釈迦さまが出家者のために定められた
戒律と、その由来をまとめたものです。
その中の「犍度部(けんどぶ)」という部分に、
サンガの運営の決まりが説かれています。

サンガに属するのは出家した人だけ

サンガに属するのは、
出家した人だけです。
男性の出家者を比丘(びく)、
女性の出家者を比丘尼(びくに)といいます。

サンガに属する人
  1. 比丘サンガ……比丘と、20歳未満の見習いの沙弥(しゃみ)
  2. 比丘尼サンガ……比丘尼と、見習いの沙弥尼(しゃみに)、比丘尼になる前に2年間学ぶ式叉摩那(しきしゃまな)

比丘と比丘尼に、在家の男性の信者である
優婆塞(うばそく)と、
在家の女性の信者である優婆夷(うばい)を加えて、
四衆(ししゅ)といいます。

ですが、優婆塞と優婆夷は、サンガには含まれません。
在家の信者は五戒などを守りますが、
律蔵に定められたサンガの決まりとは関係がありません。

身分も私有財産もない集まり

お釈迦さまの時代のインドには、
生まれによって一生が決まる、厳しい身分制度がありました。
ところが、サンガに入ると、
その身分は関係なくなります。
『増一阿含経』には、このように説かれています。

四大河、海に入り已(お)わりて、
復(また)本の名字(みょうじ)無く、但(た)だ名づけて海と為す。
此も亦是の如し。四姓有り。
云何(いかん)が四と為す。
刹利(せつり)・婆羅門・長者・居士の種なり。
如来の所(みもと)に於て、鬚髪(しゅほつ)を剃除(ていじょ)し、
三法衣を著(き)て、出家学道すれば、
復本の姓無く、但だ沙門(しゃもん)釈迦子と言う。

(漢文:四大河,入海已,無復本名字,但名為海。此亦如是。有四姓。云何為四。刹利婆羅門長者居士種。於如来所,剃除鬚髪,著三法衣,出家学道,無復本姓,但言沙門釈迦子)

「四大河」とは、インドを流れる4つの大きな川です。
「海に入り已わりて、復本の名字無く、但だ名づけて海と為す」とは、
どの川も海に流れ込めば、もとの川の名前はなくなり、
ただ海と呼ばれる、ということです。

「四姓」とは、インドの4つの身分です。
ここでは、王族の「刹利(せつり)」、司祭の「婆羅門」、
資産家や庶民の「長者・居士」の家柄が挙げられています。

「如来の所(みもと)に於て、鬚髪(しゅほつ)を剃除(ていじょ)し、三法衣を著て、出家学道すれば」とは、
お釈迦さまのもとで、髪とひげを剃り、
3枚の袈裟を身につけて、出家して仏道を学べば、
ということです。

「復本の姓無く、但だ沙門釈迦子と言う」とは、
もとの家柄はなくなり、
ただ「釈迦の弟子である出家者」と呼ばれる、ということです。

そのため、サンガの中の順番は、
生まれではなく、出家して正式な戒を受けてからの
年数で決まります。
これを法臘(ほうろう)といいます。
釈迦族の王子たちが、先に出家した理髪師の
優波離(うぱり)に礼をしたのは、そのためです。

また、サンガには、
個人のものとしての財産もありません。
寄進された建物や設備、園林などはサンガのものとされ、
一人ひとりの出家者が、勝手に処分することはできません。
有名な祇園精舎も、
お釈迦さまとサンガに寄進された修行の場です。

長のいない合議の集まり

今の教団には、多くの場合、教団を率いる長がいます。
ところが、サンガには長がいません。
お釈迦さまご自身も、
ご自分がサンガを率いているとは言われませんでした。

お釈迦さまが80歳の時、重い病にかかられると、
お弟子の阿難は、
弟子たちに何か言い残してくださいと願いました。
その時、お釈迦さまはこう説かれています。

仏、阿難に告げたまわく、
「衆僧(しゅそう)、我に於て須(もち)いる所有りや。
若し自ら、『我、衆僧を持(じ)し、我、衆僧を摂(しょう)す』と言う有らば、
斯(こ)の人は衆に於て応(まさ)に教命有るべし。
如来は、『我、衆を持し、我、衆を摂す』と言わず。
豈(あに)に当(まさ)に衆に於て教令有るべけんや」

(漢文:仏告阿難,衆僧,於我有所須耶。若有自,言我持衆僧,我摂衆僧,斯人於衆応有教命。如来,不言我持於衆我摂於衆。豈当於衆有教令乎)

「衆僧(しゅそう)」とはサンガのことです。
「衆僧、我に於て須(もち)いる所有りや」とは、
サンガは、私に何を求めているのか、ということです。

「我、衆僧を持(じ)し、我、衆僧を摂(しょう)す」とは、
私がサンガを率い、私がサンガを治めている、ということです。
「斯の人は衆に於て応に教命有るべし」とは、
そう思っている人ならば、
サンガに指示を言い残すべきだろう、ということです。
「如来は、『我、衆を持し、我、衆を摂す』と言わず。
豈に当に衆に於て教令有るべけんや
」とは、
私はそのようには思っていないのだから、
どうしてサンガに指示を残すことがあろうか、ということです。

では、長のいないサンガは、どのように物事を決めるのでしょうか。

それは、羯磨(こんま)という、全員による会議です。
羯磨では、全員が出席し、
全員が一致して、初めて決まります。

羯磨には、決める内容によって、必要な人数があります。
普段の決まり事は4人以上、
正式に戒を授ける時は10人以上です。
罪を犯した比丘を、もとの立場に戻す時には20人が必要で、
20人の比丘がいれば、すべての羯磨を行うことができます。

議決に全員参加と全員一致が求められるため、
サンガが何より大切にしているのは、
全員が和やかにまとまる「和合」です。
サンガの和合を破る「和合僧を破る」は、
五逆罪の1つに数えられる重い罪です。
お釈迦さまのいとこの提婆達多は、
この罪を犯したといわれています。

現前サンガと四方サンガ

羯磨(こんま)を行うためには、
誰が出席しなければならないかを決める必要があります。
そこで、サンガの範囲を区切る界(かい)を定めます。
これを結界(けっかい)といいます。
界の内側にいる比丘・比丘尼の集まりが、
1つのサンガとなります。

この、その場に集まっている具体的なサンガを、
現前(げんぜん)サンガといいます。
界は必要に応じて定められたり、解かれたりします。
比丘や比丘尼が、別の土地へ移ることも、新しく加わることも自由です。
現前サンガは、その土地ごとの集まりで、
その上に立つ本部のような組織はありません。

もう1つ、四方(しほう)サンガがあります。
四方サンガとは、場所にも時間にも限りのない、
過去・現在・未来のすべての比丘・比丘尼が属するサンガです。
寄進された建物や園林は、本来この四方サンガのものとされ、
今いる出家者が、預かって使わせていただきます。

その土地ごとの現前サンガも、
過去から未来までを包括する四方サンガも、
今の宗教団体のような「教団」のイメージとは
全く違うのではないでしょうか?
サンガは、上に立つ人や組織に従う集まりではなく、
お釈迦さまの説かれた法と律に従う人たちの集まりなのです。

比丘サンガと比丘尼サンガ

比丘尼サンガは、比丘サンガとは別にありますが、
比丘サンガがなければ成り立ちません。
比丘尼が守る八敬法(はっきょうほう)という決まりで、
比丘サンガとともに行うことが定められているからです。

例えば、比丘尼サンガは、半月ごとの
布薩(ふさつ)(戒律を確かめて反省する集まり)のたびに、
比丘サンガのもとへ行って教えを受けます。
雨季の修行の最後に、互いの過ちを指摘してもらう
自恣(じし)は、比丘尼サンガで行った後、
比丘サンガでも繰り返します。
重い罪を犯した比丘尼の謹慎も、
比丘尼に戒を授ける儀式も、
両方のサンガで行われます。

ただし、さとりの道においては、
比丘も比丘尼もまったく変わりはありません。
お釈迦さまは、男性も女性も同じようにさとりが開けると
男女差別なく説かれ、
女性の阿羅漢もいたといわれます。

では、このサンガに入るには、
どうすればいいのでしょうか。

サンガに入るには?出家と受戒の方法

サンガに入るには、出家して、
正式な戒を受けなければなりません。
その手順は、このように律蔵に説かれています。

サンガに入る方法
  1. 師となる比丘(和尚(わじょう))を決める
  2. 3枚の袈裟と、食べ物を受ける鉢をそろえる
  3. 出家を妨げる事情がないかを確かめられる
  4. 10人以上の比丘の羯磨で認められる

出家を妨げる事情とは、
満20歳になっていない、
親の許しを得ていない、
借金がある、重い病気があるといったことです。
20歳にならない人は、まず沙弥として出家し、
20歳になってから正式な戒を受けます。

正式な戒を具足戒(ぐそくかい)といい、
具足戒を授ける羯磨は、白四羯磨(びゃくしこんま)という形で行われます。
まず、この人に戒を授けたいと1回告げ、
続いて、反対の人はいないかを3回問います。
その間、誰もが黙っていれば、全員が認めたことになり、
その人は比丘として、サンガに迎えられます。

鑑真和上像
鑑真和上(688−763)

日本では、奈良時代に鑑真(688−763)が来日し、
754年に東大寺で戒を授けたことで、
初めて正式な授戒が行われるようになりました。

ただし、今の日本の多くの宗派では、
律蔵に説かれるサンガのしくみは、
そのままの形では受け継がれていません。
それぞれの宗派の得度を受けて僧侶になるのが一般的です。


では、もう1つの、三宝の「僧」とはどんなものなのでしょうか。

三宝の「僧」はさとりを開いた人の集まり

三宝の「僧」は、さとりを開いた人たちの集まりです。
出家をしたかどうかや、
どこの組織に属しているかで決まるものではありません。

『増一阿含経』には、
三宝の僧について、このように説かれています。

如来の聖衆は、善業成就し、
質直(しちじき)にして義に順じ、邪業(じゃごう)有ること無し。
上下和穆(わぼく)にして、法法成就す。
如来の聖衆は、戒成就し、三昧成就し、智慧成就し、解脱成就し、度知見成就す。
聖衆とは、所謂(いわゆる)四双八輩(しそうはっぱい)なり。
(中略)
是れ世の福田(ふくでん)なるが故なり。

(漢文:如来聖衆,善業成就,質直順義,無有邪業。上下和穆,法法成就。如来聖衆,戒成就,三昧成就,智慧成就,解脱成就,度知見成就。聖衆者,所謂四双八輩。(中略)是世福田故)

「如来の聖衆」とは、
お釈迦さまのもとに集まった、さとりを開いた人たちです。
「善業成就し、質直(しちじき)にして義に順じ、邪業(じゃごう)有ること無し」とは、
善い行いを身につけ、心がまっすぐで、
道理に従い、悪い行いがない、ということです。

「上下和穆(わぼく)にして、法法成就す」とは、
先輩も後輩も仲良くまとまり、
教えを1つ1つ身につけている、ということです。

「戒成就し、三昧成就し、智慧成就し、
解脱成就し、度知見成就す
」とは、
戒律を守り、心が静まり、智慧をそなえ、
迷いを離れてさとりを開き、さとりを開いたことを自ら知っている、ということです。

「是れ世の福田なるが故なり」とは、
田んぼに種をまけば実りが得られるように、
敬い供養する人に、大きな幸せの実りをもたらす人たちだ、
ということです。

「四双八輩」とは、
預流向から阿羅漢果までの、
8つの段階のさとりを開いた人たちのことです。
大乗仏教では、仏のさとりを目指して、
自らも教えを求めながら、
人々に仏教を伝える菩薩の集まりを、三宝の僧といいます。

聖徳太子
聖徳太子(574−622)

日本でも、聖徳太子(574−622)が十七条憲法で、
「篤く三宝を敬え」と定められました。
三宝の僧が宝とされるのは、
仏の説かれた法を、私たちに伝えてくれるからです。
伝える人がいなければ、どんなにすばらしい教えも、
私たちのもとには届きません。
真の僧とは仏法を伝える人のことです。

では、こうしたサンガと在家の人たちは、
どのような関係にあるのでしょうか。

サンガと在家の人の本当の関係

サンガと在家の人は、
法を伝える人と、その法を聞いて支える人という関係です。
お釈迦さまは、『長阿含経』の善生経に、
このように説かれています。

檀越(だんおつ)は当に五事を以て、
沙門婆羅門(ばらもん)に供奉(くぶ)すべし。
(中略)
若し檀越、此の五事を以て沙門婆羅門に供奉せば、
沙門婆羅門は当に復(また)六事を以て之を教授すべし。

(漢文:檀越当以五事,供奉沙門婆羅門。(中略)若檀越,以此五事供奉沙門婆羅門,沙門婆羅門当復以六事而教授之)

「檀越(だんおつ)」とは、布施をする在家の人のことで、
日本の「檀家」という言葉も、ここからきています。
「沙門婆羅門」とは、出家して仏道を求める人たちのことです。

「当に五事を以て、沙門婆羅門に供奉(くぶ)すべし」とは、
在家の人は、5つのことで出家者に尽くしなさい、ということです。
「沙門婆羅門は当に復六事を以て之を教授すべし」とは、
出家者は、その在家の人に6つのことを教えなさい、
ということです。

在家の人が出家の人にすべき5つのことはこちらです。

在家の人が出家者に尽くす5つのこと
  1. 体で慈しみの行いをする
  2. 口で慈しみの行いをする
  3. 心で慈しみの行いをする
  4. 時に応じて施しをする
  5. 門を閉ざさず、いつでも迎え入れる

出家の人が在家の人にすべき6つのことはこちらです。

出家者が在家の人に教える6つのこと
  1. 悪を行わないように守る
  2. 善い行いを教える
  3. 善い心を持つように教える
  4. まだ聞いていない教えを聞かせる
  5. 聞いた教えを正しく分からせる
  6. 天上界へ生まれる道を示す

なぜ解脱ではなく、迷いの世界である天上界へ生まれる道なのかというと、
この『長阿含経』では、出家も在家もすべての人が救われる道は説かれず、
出家して修行しなければ解脱できないからです。

出家者が在家の人に教えを説くことを法施、
在家の人が出家者に衣食などを施すことを財施といいます。
法施と財施で支え合うのが、
お釈迦さまの時代からの、サンガと在家の関係です。

ところが、日本では、江戸時代の寺請制度によって檀家制度ができ、
お寺と檀家の関係は、
葬式や法事を中心としたものになっていきました。

そのため今では、お坊さんは葬式や法事をする人、
お布施はお経をあげてもらう料金だと思われるようになっています。
法を聞かせてもらった覚えがないのに渡すお布施は、
まるで税金のように感じられることもあるでしょう。

ですが本来、僧侶の役割は、仏の教えを説く法施です。
そして財施は、法を聞かせていただいた喜びから、
自ら進んで差し出すものです。
これを、喜んで捨てると書いて、「喜捨(きしゃ)」ともいいます。

しかも、同じ教えを聞いても、
受け取るものは、聞く人の心によって違います。
『維摩経(ゆいまぎょう)』には、このように説かれています。

仏は一音を以て法を演説したもうに、衆生は類に随(したが)いて各(おのおの)解を得。
(漢文:仏以一音演説法,衆生随類各得解)

「仏は一音を以て法を演説したもうに」とは、
お釈迦さまは、1つの声で教えを説かれる、ということです。
「衆生は類に随いて各(おのおの)解を得」とは、
聞く人は、それぞれの心に応じて、
それぞれに教えを受け取る、ということです。

同じ場所で、同じ時間、同じ教えを聞いていても、
真剣に聞いた人は多くを受け取り、
聞き流した人は、ほとんど受け取ることができません。

サンガが伝える法も、どんな心で聞くかによって、
受け取るものがまったく変わります。

では、サンガが命をかけて伝えてきた法は、
私たちに何をもたらすのでしょうか。

サンガの中心にある本当の幸せへの道

サンガが伝えてきた法は、
すべての人が本当の幸せになれる道です。
身分も財産もなく、長もいないサンガが、
2500年以上も受け継がれてきたのは、
その中心に、いつの時代も変わらない法があったからです。

サンガのしくみも、三宝の僧も、
在家の人との法施と財施の関係も、
すべてはこの法を、一人でも多くの人に伝えるためのものです。
大切なのは、どの組織に属しているかではなく、
その法に出会うことなのです。

その法に出会い、真剣に聞けば、
生まれや立場に関係なく、誰もが本当の幸せになれます。
「この教えに出会えて本当によかった」と、
喜ばずにはいられなくなります。
お釈迦さまは、そのための教えを、
すべての人に対して説かれたのです。

では、お釈迦さまが説かれた本当の幸せとはどんなもので、
どうすればその幸せになれるのか。
それについては仏教の真髄なので、
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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生(日本仏教学院創設者・学院長)

東京大学教養学部で量子統計力学を学び、1999年に卒業後、学士入学して東大文学部インド哲学仏教学研究室に学ぶ。
25年間にわたる仏教教育実践を通じて現代人に分かりやすい仏教伝道方法を確立。2011年に日本仏教学院を創設し、仏教史上初のインターネット通信講座システムを開発。4,000人以上の受講者を指導。2015年、日本仏教アソシエーション株式会社を設立し、代表取締役に就任。2025年には南伝大蔵経無料公開プロジェクト主導。従来不可能だった技術革新を仏教界に導入したデジタル仏教教育のパイオニア。プロフィールの詳細・お問い合わせ

X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。

著作

京都大学名誉教授・高知大学名誉教授の著作に引用、曹洞宗僧侶の著作でも言及。