大乗仏教と小乗仏教(部派仏教)の違い

仏教には、小乗仏教と、大乗仏教の二つがあります。
では、ブッダは小乗仏教と大乗仏教の2つの教えを説かれたのかといいますと
ブッダは1人ですから、2つの教えを説かれたのではありません。

ではなぜ仏教に2つの教えがあるのでしょうか?

大乗とか小乗は誰の言ったこと?

まず、大乗とか小乗というのは、誰が言ったことなのでしょうか?
小乗仏教というのは、大乗仏教の人が言い出したことだと言う人があります。
ところが実際はそうではありません。
小乗とか大乗といわれているのは、もちろんブッダです。

どこに言われているのかというと、『法華経』や『涅槃経』、『維摩経』などの大乗経典にはもちろん、小乗経典の『阿含経』にも説かれています。

例えば『増一阿含経』には、
小乗のよく知るところにあらず」とか
「世尊の所説おのおの異る。
菩薩は意を発して大乗に趣き、如来この種々の別を説く。
人尊く六度無極を説く、布施持戒忍辱精進智慧力」
(増一阿含経)
と説かれています。
このように、小乗とか大乗といわれているのは、ブッダなのです。

では、小乗仏教とか、大乗仏教とは、どういう意味なのでしょうか?

小乗仏教とは?

小乗」とは、小さな乗り物ということですから、
小乗仏教といわれるのは、
小さな乗り物のような仏教ということです。

なぜ小さな乗り物といわれるのかというと、
小乗仏教の場合は、出家した人は、
まず瞑想などの自分の修行をすることを優先して、
自分がさとりをひらくまでは他人を救おうとはしないからです。

出家していない人は、僧侶の集まりに布施をして、僧侶修行をサポートします。
しかし自分も修行しない限り、救われるわけではありません。
出家して修行した人しか救われず、出家した人は自分の幸せを優先する、小さい乗り物のような教えなのです。

このように教え、実践するのは、部派仏教とか、上座部(テーラワーダ)仏教といわれる仏教の宗派です。
現在は、スリランカを中心に、タイやミャンマーなど、東南アジアに広まっています。

現代の日本でも、自己啓発やビジネスで、
「自分が幸せではないのに、人を幸せにできるはずがないから、まず自分が幸せになっていいのですよ」
と教える人があります。
これは小乗仏教的な考え方ですが、説得力があるようで、聞いた人の心にも心地よいので、信じてしまう人があります。
小乗仏教は私たちの心にとてもよく響き、受け入れやすいのです。

しかしブッダの説かれた仏教は、
自分の幸せを優先しなさいという教えでもなければ、一部の人だけを救おうとする差別の教えでもありません。
どんな人でも救われる、大きな乗り物のような教えが仏教です。
これを「大乗仏教」といいます。
では、大乗仏教とはどんな教えなのでしょうか?

大乗仏教とは?

大乗」とは、大きな乗り物ということで、
すべての人が救われる教えを大乗仏教といいます。

日本に伝わって現在残っている宗派は、
華厳宗も、法相宗も、天台宗も、真言宗も、禅宗も、浄土宗も、浄土真宗も、
すべて大乗仏教です。

大乗仏教の教えに一貫する特徴は、「自利利他」です。

自利利他」の「」とは幸せになることですから、
自利利他」とは、自分が幸せになるままが他人も幸せになるということです。

分かりやすくいえば
儲かるとか得するということですから、
自分が儲かるままが、同時に他人が儲かることになる。
他人を儲けさせるままが自分の儲けになる、ということです。

自分が幸せになったら、こんな幸せになって
自分だけ独り占めしてしまったらもったいないと
人に伝えずにおれませんし、他人を幸せにするままが
自分が幸せになるということです。

自利のままが利他になる、
利他のままが自利になる、
これが自利利他です。

それで、大乗仏教の人が行う「六波羅蜜」には、
小乗仏教の人たちが行う「八正道」にはない、
布施」が一番最初にあるのです。
布施とは、他人に親切することで、他人を幸せにするままが自分が幸せになるということです。

それが本当の仏教です。

小乗仏教と大乗仏教の最大の違い

小乗仏教でも、もちろん利他は教えられています。
小乗仏教の最高のさとりである阿羅漢のさとりを開いた人は、
人を救おうとします。
では、大乗仏教の自利利他とどこが違うのかというと、
大乗仏教の自利と利他は一体のもので、自分が幸せになると同時に他人も幸せになりますが、
小乗仏教の場合は、まず自分が幸せになってから、他人を幸せにしようとする点にあります。

これは大乗仏教が自分と他人を同時に幸せにするのに対して、
小乗仏教では自分の幸せが先で、他人の幸せは後ですから、
自分が幸せにならなかったら人のことはかまっていられない
他人よりも自分が幸せになるのが優先
ということになります。

世間でも、自分が儲かることばっかり考えて
人のことを全然考えていない人は、儲かるはずがありません。
自分のふところに入れることばかっかり考えて
相手に喜んでもらおうという心がないのです。

自分のことばっかり考えている人は
必ず破滅の道をたどりますので、
幸せになれるはずがありません。

このような利己的で、自己中心的な考え方は、仏教ではありません。
これを「我利我利」といいます。
我利我利」とは、我が利益、我が利益と書きますように、
自分のことしか考えていないということです。

これが、ひっそりと小乗仏教の根底を流れている精神です。

このように、小乗仏教と大乗仏教の違いは色々ありますが、
その中で一番特徴的なのが、その精神です。
つまり、
小乗仏教は、我利我利の教えであり、
大乗仏教は、自利利他の教えである

ということなのです。

これを龍樹菩薩(ナーガールジュナ)は、『大智度論』に、
声聞乗は狭小にして、仏乗は広大なり。
 声聞乗は自利を自らの為にし、仏乗は一切を益す
」(大智度論)
と教えられています。
声聞乗」とは小乗、「仏乗」とは大乗のことです。
小乗の人は、自分の幸せばかり考え、大乗の人は、すべての人を幸せにする、ということです。

他にも、「声聞法の中には皆自らの為にし、大乗法の中に広く衆生の為にす」(大智度論)とも
一解脱門を求むるも自利、利人の異なりあり。この故に大小乗の差別あり」(大智度論)
とも言われています。
龍樹菩薩は、最初小乗仏教で出家され、後に大乗仏教に転向された方です。
どちらもよく分かられた上で、同じことを言葉を変えて繰り返し教えられています。
小乗仏教と大乗仏教の最大の違いは、自分の幸せばかり考えるか、他人を幸せにしようとするかにあるのです。

なぜこんな大きな違いが生まれたのでしょうか?

なぜ小乗仏教と大乗仏教の違いが生まれたのか

ブッダの教えは、本来、すべての人を幸せにする教えであり、
我利我利の教えでないのは当然のことです。

そのブッダのすべての人を幸せにするという真意が分かった人たちが
ブッダの本心を正しく伝えられた教えが「大乗仏教」です。

ところが「まず自分が幸せにならないと、他人を幸せにできない
というのは、怒り煩悩に満ちた私たちの心にとても心地よく響きます。
そして、人を幸せにするというのも大変です。
そのために聞き誤って、ブッダの本心が分からずに、
小さな乗り物のようにしてしまった仏教を「小乗仏教」といいます。
迷いの深い私たちは、とても聞き誤りやすいのです。

ですから「小乗仏教」は、ブッダの本心を聞き誤って、
ブッダの本当の心を伝えていない仏教です。

小乗仏教は、
自分さえ助かればよい」という我利我利の教えですから
仏教を聞いていても、自分さえ聞いていればいいと思って、
あまり伝えようとしません。

それではすべての人が救われませんので、
小さな乗り物にたとえて「小乗」仏教といわれます。

ところが本来の仏教は、自分が聞いたら、
必ず人に伝えずにはいられなくなるものです。

すべての人が救われる教えが真の仏教ですので、
大きな乗り物に例えて「大乗」仏教といわれるのです。
仏法を他人に伝えて幸せに導くままが、自分の幸せになる、
自利利他大乗仏教の精神であり、それが仏教精神です。

そして、自利利他の道を行くのが菩薩であり、
菩薩道というのは、自利利他の道なのです。

菩薩道とは?

菩薩道とは、自利利他の道です。
本当の幸福を教えられた仏教の話を他の人にするままが
自分の仏縁になります。

実際、聞き学んだことを自分の口で話してみると、
相手が理解されるか分かりませんが、自分の理解が深まるのです。
また理解していないことは話ができませんので
分かっていなかったことが知らされます。

ですからまた仏教を聞いて人にお話しします。

そうすると他の人に本当の幸せを伝えるままが
自分が幸せになることになります。

そして自分が幸せになったら、
他人にもその幸せを伝えずにおれない。
これが、自利利他の菩薩道なのです。

大乗仏教の精神は、自利利他です。

イギリスの有名な歴史学者、アーノルド・トインビーは、
人類の将来は?」と聞かれ、こう答えています。

歴史家は過去のことは語るが、未来は語らない。
もし21世紀に、どのような人間が要請されるかという質問なら、
答えられる。それは大乗仏教の精神です

日本の仏教は、聞き誤って伝えられた小乗仏教ではなく、
正しく伝えられた大乗仏教です。
他人を活かし、自分も生きる、
自利利他の菩薩道を進ませて頂きましょう。

関連記事

目次(記事一覧)へ