さとりを開く方法

さとりを開くには、どうすればいいのでしょうか。
それはつまり、煩悩をなくすにはどうすればいいか、
ということです。

よく禅宗がより所としている『首楞厳経しゅりょうごんきょう』などを通して
お釈迦さまに聞いてみましょう。

さとりを開くのに必要な修行

さとりを開くには「三学」の修行を積まなければなりません。
三学」とは「 戒学 かいがく 」、「 定学 じょうがく 」、「 慧学 えがく 」の3つです。
戒学 かいがく 」のことを「増戒学」とも「増上戒学」ともいいます。
定学 じょうがく 」のことを「増定学」とも「増上定学」ともいいます。
慧学 えがく 」のことを「増慧学」とも「増上慧学」ともいいます。
これを戒・定・慧の三学といいます。
雑阿含経ぞうあごんきょう』にはこう説かれています。

三学あり。何らをか三となす。
いわく増上戒学、増上意学、増上慧学なり。

また、『四分律しぶんりつ』にはこう説かれています。

三学あり。
増戒学、増心学、増慧学なり。
この三学を学して須陀洹、斯陀含、阿那含、阿羅漢果を得。

「須陀洹、斯陀含、阿那含、阿羅漢果」というのはさとりの名前です。
三学を修してさとりを開くと説かれています。

この三学の関係について、『 首楞厳経しゅりょうごんきょう』にはこう説かれています。

心を摂するを戒と為す。
戒によって定を生じ、定によって慧を発す。

心を摂する」というのは、心をおさめることです。
煩悩をおさえ、心を統率することを「」といいます。
その戒によって「」を生じます。
」は煩悩をさえぎる修行です。
その定によって慧をおこすことができます。
」は煩悩を断つ修行をいいます。

具体的には、例えば八正道でいえば、
戒は、正語、正業、正命
定は、正念、正定、
慧は、正見、正思惟がおさまり、
正精進は三学に通じるものとなります。

また、六波羅蜜なら、
戒は、持戒忍辱
定は、禅定
慧は、布施智慧
精進は三学に通じます。

この三学の修行によって、
声聞しょうもん縁覚えんがく阿羅漢あらかんのさとりを開き、
菩薩ぼさつ仏のさとりを開くことができます。

仏のさとりを目指す場合

特に、菩薩が「慧学」によって大宇宙の真理をさとり、
仏のさとりに至るには、常に心を禅定にとどめ、
何か別のものに心を散らしてはなりません。
これが「定学」です。

この禅定のためには、肉体を養うための職業を持ってはいけませんし、
田畑を耕して多くの生き物を殺してもいけません。
仕事につかず、生計は、お布施によって立てなければなりません。
もしお布施がなければ、死んでも、
悪業を造って生きながらえようという欲の心を起こしてはいけません。

もちろん、肉を食べたり、お酒を飲んだり、結婚したりすることは厳禁です。

首楞厳経しゅりょうごんきょう』には、こう説かれています。

いんを断たずして禅定を修するは、 沙石しゃせきを蒸して飯となさんと欲するがごとし。
百千劫ひゃくせんごう をふるもただ熱沙と名くのみ。
(中略)
肉を食す人は、たとえ心、三摩地さんまじに似たるものを開くことを得るといえども、皆、大羅刹だいらせつとなす。
報いてついに必ず生死海に沈む。仏弟子には非ざるなり。

いん」とは色欲のことです。
色欲を断たずに瞑想修行をするのは、砂を炊いてご飯にしようとしているようなものだといわれています。
何億年炊いても熱い砂にしかなりません。

また、後半の「三摩地さんまじ」とは、「三昧ざんまい」とか「じょう」ともいわれる仏教の瞑想状態です。
羅刹らせつ」とは、人を騙したりして食べてしまう鬼のことです。
肉を食べる人は、心が三昧のような集中した瞑想状態に入れたとしても、人を食う大きな鬼になってしまう。
その報いとして必ず苦しみの世界に輪廻転生りんねてんしょうしなければならない。
とても仏弟子とはいえない、ということです。

そのため、まず授戒して戒律を守らなければなりません。
このような修行を「戒学」と言います。

どれ位の期間がかかるの?

では、このような難行をどれ位の期間行わなければならないのかというと、
仏教では凡夫が成仏するまでに
菩薩は三大阿僧祇劫さんだいあそうぎこうの修行が必要と説かれています。

こう」とは、4億3200万年、
阿僧祇あそうぎ」は、10の56乗ですから、
その3倍という気の遠くなるような長期間です。

これについては、アンケートをとったところ、
約70%の方に知られていました。

このことについて、お釈迦さまは『優婆塞戒経うばそくかいきょう』に、こう説かれています。

菩薩摩訶薩 ぼさつまかさつ、かくの業を修しおわるを名づけて三阿僧祇劫を満ずと為す。
次第に阿耨多羅三藐三菩提あのくたらさんみゃくさんぼだいを獲得す。
善男子、我往昔、宝頂仏の所に於いて第一阿僧祇劫を満足し、然燈仏の所に第二阿僧祇劫を満足し、迦葉仏の所に第三阿僧祇劫を満足す。

菩菩薩摩訶薩ぼさつまかさつ」とは菩薩のことです。
阿耨多羅三藐三菩提あのくたらさんみゃくさんぼだい」とは仏のさとりのことですので、三阿僧祇劫の修行を成就でき次第、仏のさとりを開くことができる、といわれています。
次の「我」というのはお釈迦さまのことですので、お釈迦さまもまだ仏のさとりを開かれる前、菩薩だった頃には、宝頂仏のもとで一阿僧祇劫、然燈仏のもとで一阿僧祇劫、迦葉仏のもとで一阿僧祇劫、合計三阿僧祇劫の修行の末、仏のさとりを開いたと説かれています。

このことは、部派仏教(小乗仏教)の『大毘婆沙論だいびばしゃろん』や『倶舎論くしゃろん』にも出ていますし、大乗仏教では、龍樹菩薩りゅうじゅぼさつ(ナーガールジュナ)の『大智度論だいちどろん』にも教えられています。

仏のさとりに至るには、三阿僧祇劫かかるのです。

しかも、さとればさとるほど、次のさとりを開くことが難しくなっていきます。
天親菩薩のお兄さんの無著菩薩むじゃくぼさつ の書『 摂大乗論しょうだいじょうろん』によれば、さとりの52位のうち、
41段目までに、第一大阿僧祇劫、
41段から47段までに第二大阿僧祇劫、
そして、52段の仏のさとりに至るまで第三大阿僧祇劫
かかるというスケジュール感です。

お釈迦さまは?

では、お釈迦さまが、29歳から6年間修行されて、
35歳で仏のさとりを開かれたというのは、どういうことなのでしょうか。
他にも、お釈迦さまの弟子たちが短期間にさとりを開いたとか、
お釈迦さまにあってすぐに阿羅漢となったとわれますが、
それは、一生にしてできたものではありません。

仏教では、果てしない遠い過去世から私たちは生まれ変わり死に変わり、生死をくり返していると説かれています。

そんな果てしなく遠い過去世から、長期間仏道修行し続けてきたたねまきの結果であったり、 すでに過去に仏のさとりを開かれた、仏さまの化身であったりするのです。

これでは、とても普通の人は助かりません。
それでお釈迦さまは、どんな人でも仏教を聞く一つで苦しみの根元をなくして、変わらない幸福になれる道も説かれています。

それについては、メール講座と電子書籍にまとめてありますので、
見てみてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

仏教が好きで、東大教養学部で量子統計力学を学んだものの卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とかみなさんに知って頂こうと失敗ばかり10年。やがてインターネットの技術を導入して日本仏教アソシエーション(株)を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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