葬式の意味
葬式
現在、仏教というと、まず始めに葬式を思い出すほど、仏教イコール葬式のイメージが定着し、「葬式仏教」と批判を受けています。
葬式とは一体何なのでしょうか?
以下の5つの観点から見ていきましょう。
1.危篤・臨終から葬儀までの流れ
2.ブッダの葬式観
3.日本の葬式の歴史
4.各宗派の祖師の葬式観
5.有意義な葬儀にする方法
葬式とは
葬式とは死んだ人を葬る儀式です。
「葬儀」ともいわれますが、「葬」送「儀」礼の略で、同じ意味です。一度仏教の辞典を見てみましょう。
葬儀
そうぎ
死者を葬る儀礼。
<葬式><弔い>などという。
インドでは火葬・土葬・水葬・遺棄葬などがあったが、仏陀の遺骸は荼毘に付された。
中国では、儒教は土葬を主としたが、禅宗では火葬と土葬を伝え、葬送の儀礼を発達させた。
日本では、遺体を一定期間地上に安置した後に埋葬する殯が行われたが、仏教の伝来とともに火葬が普及していった。
また、浄土教や密教、禅宗の影響でさまざまな儀礼手続きが生み出された。
古くは墓所などに葬場殿を設け、青竹や枝で四方をめぐらした。
四方には発心・修行・菩提・涅槃の四門をつくることがあり、棺が順次その門をめぐることで死者を涅槃におもむかせる儀礼が行われた。
葬儀の儀礼的手順は中世後期から近世へかけて、主として禅宗の形式が基になって整備された。
近世には寺檀制度の確立とともに、葬儀は仏教の重要な儀式として確立した。
それに対して、儒者による儒葬、神道家による神葬祭が説かれ、一部で実践されたが、十分に普及せず、近代になっても葬儀は仏教が主として担い、葬式仏教と蔑視されるようになった。
現在では、死者が出ると枕許での読経(枕経)、遺体の洗浄(湯灌)を行い、遺体に経帷子を着せて棺に納め、祭壇を設けて供養をおこなう。
喪主・近親・会葬者が死者を葬る前日に夜を徹して棺のそばで見守るのを通夜といい、葬儀の当日葬列を組んで葬場に赴くことを野辺送りという。
しかし野辺送りは霊柩車の普及とともに廃れた。
死者に与える戒名は、もともと枕経のときに授戒して仏弟子となったことを証するものである。
また、葬場での引導などを中心とした儀礼を<葬式>と呼び、告別式も普及し現代では一体化している。
近親者のみで行う内々の葬儀を<密葬>といって<本葬>と区別してきたが、近年は<家族葬>と称するようになった。(引用:『岩波仏教辞典』第三版)
非常に簡単に説明してありますので、辞書では分からないところも含めて、分かりやすく解説していきます。
親兄弟・子供など、家族が亡くなるほど悲しいことはありません。
一緒に過ごしてきたありし日々のことが色々と思い出されますが、死は、もう二度とあえない永遠の別れとなります。
どんな人も、死を免れることはできません。
葬式は、故人との別れを惜しみ、死後の世界への旅立ちを見送る儀式なのです。
では人生の最期、臨終を迎えてから葬式まで、どんな流れになるのでしょうか?
危篤・臨終から葬式までの流れ
危篤、臨終から、葬儀までに何をするのかという流れを、ここでは以下の10段階に分けて見てみましょう。
1.危篤
2.遺言
3.末期の水
4.死亡通知
5.安置
6.枕飾り
7.死に化粧
8.死に装束
9.葬儀社との打ち合わせ
10.通夜
それぞれどんなことをするのかは以下の通りです。
1.危篤
最近は病院で亡くなることが多いので、医師から危篤を告げられると、悲しみの中にも家族や直系の血族やごく親しくしていた親族には連絡して集まります。
2.遺言
危篤になっている人が何か言いたいときは、枕元にいる人は書き留める用意が必要です。
意識がハッキリしていて、遺言状を作りたいというときは、その準備をしてあげます。
3.末期の水
死期が迫ると、「末期の水」を取らせる習慣があります。
「死に水」とも言われ、死の直前か直後に亡くなった方の唇を割り箸に綿を巻き付けたものや、小筆を使って水で濡らします。
4.死亡通知
医師から臨終を告げられたら、危篤を知らせるような人が周りにいなければ葬式の日取りが決まらなくてもすぐに伝えます。
それらの人が集まったら、菩提寺に連絡を取り、葬式の日取りを決めて、葬儀社に連絡します。
その他、亡くなった方の学校や会社、関係する団体、隣近所にも知らせます。
5.安置
病院で息を引き取ると、一度、霊安室に運ばれます。
遠隔地での死去の場合は霊安室で通夜を行い、火葬場に運んで遺骨だけ自宅に持ち帰って葬式という場合もありますが、普通は自宅に運びます。
自宅へ帰ってくると、また自宅で亡くなったときは、仏間か座敷に運びます。
その場合は、北枕といって、頭が北になるように寝かせます。
ブッダがお亡くなりになられるとき、頭を北にされていたと伝えられるからです。
仰向けにして、「面布」といわれる白布を顔にかけておきます。
6.枕飾り
遺体を安置したら、枕元に小さな机を置き、白布をかけて
花瓶、香炉、燭台の三具足を用意します。
そして花を飾り、灯明をともし、香を焚きます。
そして、納棺までに僧侶に枕経をあげてもらいます。
7.死に化粧
納棺の前に、湯灌をして死に化粧をします。
湯灌は昔は文字通りお湯を使いましたが、現在ではほとんど使われず、ガーゼや脱脂綿に含ませたアルコールで拭き清められます。
また、耳や鼻や口、肛門などから汚物が出ないように脱脂綿がつめられます。
その後、女性なら薄く化粧をしたり、男性なら髭を剃ったりして死に化粧をします。
8.死に装束
その後、経帷子を着せ、三角巾を額にあてます。
三途の川の渡し賃といわれる六文銭の入った頭陀袋を首にかけます。
手には手甲をつけて、杖を用意します。
足には脚絆を巻いて、足袋、草鞋を履かせます。
浄土真宗の場合は、冥土の旅に出ると考えないので、故人の好きだった服や浴衣を着せます。
そして、手に数珠をかけて合掌させます。
9.葬儀社との打ち合わせ
都市部では葬儀社に依頼するのが一般的になっており、死亡通知、火葬場の手続き、車の手配、棺の用意、祭壇の写真など、あらゆる世話をしてくれますので、何を任せるのかを判断します。
日程は、午前中に亡くなった場合は、その日にお通夜、翌日に葬式となり、午後に亡くなった場合は、翌日の晩にお通夜、その翌日が葬式となります。
親類縁者や故人の生前縁のあった人たちができる限り参列できる日取りを選びますが、遺体の腐敗の問題があります。
そのため、「本葬」を後にして、身内だけの葬儀を行い、遺体を火葬にする場合があります。
これを「密葬」といいます。
10.通夜
臨終から葬儀までの間に通夜が行われます。
肉身や縁の深かった人が集まり、最後の一夜を静かに見守り、遺体の番をします。
このときは、特に故人の死を通して、自分の人生にもやがて死がやってくることを考えさせられますので、僧侶によっては、通夜の席で法話があります。
それによって、普段忘れがちですが、誰にとっても100%確実な死の問題を自分のこととしてとらえ、生きる意味を見つめ直す縁になります。
その後、葬式となります。
葬式の流れ(式次第)
「生ある者は必ず死に帰す」
といわれるように、どんな人も、最後は必ず死んでいかなければなりません。
葬式は、故人との最後の別れを惜しみ、死後にはよい世界に生まれて幸せになって欲しいという冥福を祈る意味があることでしょう。
それと同時に忘れてはならないのは、やがて自分も死後の世界に行かなければならない厳粛な無常を見つめて、人生を考える縁とすることです。
葬式の式次第自体は、宗派によって様々ですが、一般的には以下のようになります。
1.遺族・親族・参列者入場、着席
2.導師入場
3.開式の言葉
4.読経
5.読経中に焼香
6.弔辞・弔電
7.法話
8.導師退場
9.遺族の挨拶
10.出棺
ところで、このような葬式は、ブッダの説かれたお経に何か根拠があるのでしょうか?
ブッダは葬式をされなかった
仏教を説かれたブッダの当時は、出家した人は、一般人の葬式は自分の親のみかかわることになっていました。
そのためブッダは、お父さんの浄飯王が亡くなられたとき、棺を担ごうとされます。
ところが他の人が「私が代わります」と棺を担いだので、ブッダは香炉を持って歩かれたと『浄飯王般涅槃涅槃経』に説かれています。
如来、身をかがめ手に香炉をとり、喪前にありて行き、葬所に詣ず。
(引用:『浄飯王般涅槃涅槃経』)
「如来」とはブッダのことですので、
ブッダは香炉を持たれると、行列の先頭に立って、浄飯王の遺体を火葬する場所まで行かれた、ということです。
また『増一阿含経』では、育ての親であるマカハジャバダイ夫人(大愛道)が亡くなった時、自ら寝台の4カ所の脚の1カ所を担がれた、と説かれています。
世尊、かがみて自ら床の一脚を挙ぐ。
(引用:『増一阿含経』大愛道般涅槃品)
「世尊」とはブッダのことです。
マカハジャバダイ夫人が亡くなると、ブッダは、異母兄弟の難陀
、従兄弟の阿難(アナンダ)、子供のラーフラ(羅睺羅)の3人と、遺体の横たわっている寝床の一脚を担いで行かれた、ということです。
このようなことは、現代でいえば親族のみんなで車に乗せて、
親を病院から火葬場まで運んだようなものです。
最初に挙げた辞書でいえば、それは葬式の後の野辺送りというものでしょう。
これ以外にブッダは葬式に関わるようなことをされたことは全くありませんでした。
ご自身の死については、
「世は無常であり、生まれて死なない者はない。
今わたしの身が朽ちた車のように壊れるのも、
この無常の道理を身をもって示すのである。
いたずらに悲しんではならない。
……仏の本質は肉体ではない。
……わたしの亡き後は、わたしの説き残した法がおまえたちの師である」
と説かれています。
さらに、ブッダがお亡くなりになるとき、
お弟子の阿難に、遺体をどうしたらいいか尋ねられたときには、
お前たちはそんなことを心配しなくても、在家信者がやってくれるだろう。
「出家の者はそんなことにかかわらず、
正しい目的のために精進すべきである」
とお答えになっておられます。
ですから、現代の日本で、
僧侶が一般人の葬式を本職のようにしているのは、
だいぶ仏教の教えとは異なります。
仏教イコール葬式というのは、間違いなのです。
ではなぜ、日本の葬式は僧侶が行っているのでしょうか。
日本の葬式仏教の起源と歴史
日本語の「葬る」を「ほうむる」と読むのは、放置するとか、放棄するという意味です。
古代の日本では、豪族は古墳を作ったりしましたが、ほとんどの人は死体をそのまま捨てたり、土葬にするのが一般的でした。
大化の改新のときの、葬式やお墓を無駄に大きくしないための「薄葬令」を見ると、一般人の死体は放置したり散乱したりしてはいけないと定められています。
タバコを吸わない人に「タバコを吸うな」とは言われませんので、この法律が定められるまでは、一般人の死体がよく路傍にうち捨てられて散乱していたようです。
平安時代になると、仏教が広まっていき、死んだら極楽浄土に往生したいと思う貴族が増え、仏式の葬式が増えてきます。
ただし仏教には、臨終の儀式で極楽へ往けるという教えはありません。
やがて室町時代くらいになって農民が自立すると、一般人も葬式を行うようになります。
日本人は、死を穢れとして極端に忌み嫌う傾向にあるのですが、この頃、僧侶が葬式を行うようになります。
一般的には寺と檀家の関係の確立する江戸時代中期以降に習慣として定着しました。
このように、葬式というのは、仏教の教えには根拠がなく、日本の習慣です。
日本の高僧たちの葬式に対する思い
ブッダは、2600年前のインドの方で、このような日本の習慣はご存じなかったのですが、日本の高僧はどう言っているでしょうか。
奈良時代に伝えられた法相宗や華厳宗ではそもそも葬式はありませんので、平安時代以降の代表的な4人を見てみましょう。
1.天台宗の最澄
日本天台の開祖、伝教大師といわれる最澄は、56歳の3月頃病床に伏せるようになりました。
4月になると、弟子達を集めて遺言します。
「我が命、久しく存ぜじ。我が滅後には、服を著するなかれ」
これは、もう自分は長くはない。だが、私が死んでも喪に服してはならない、ということです。
喪に服さないということは、遺言を聞いておりながら葬式などすればさぞ悲しまれるでしょう。
そして「毎日諸大乗経を長講して、慇懃精進して法をして久しく住せしめよ」「努力努力」
と言っています。
毎日、大乗仏教の講義をしたり、受講したりして、仏教を伝えることに努力せよ、ということです。
さらには『伝述一心戒文』によれば、臨終が近づくと、こう言い残しています。
我が為に仏を作ることなかれ、我が為に経を写すことなかれ。
(漢文:爲我勿作佛 爲我勿寫經)(出典:『伝述一心戒文』)
これは、仏像を作ったり、写経をしてはならない、ということです。
供養もしてはいけないということです。
天台宗を開いた最澄も、やはり、ブッダと同じように、葬式などせずに、仏教を求め、伝えよ、と言い残しているのです。
2.真言宗の空海
真言宗の開祖、弘法大師といわれる空海は、62歳で自らの死期を自覚すると、
3月15日に弟子達を集めて遺言を残しました。
それを『遺告真然大徳等』にこう記されています。
まさに今諸弟子等、あきらかに聴け、あきらかに聴け。
われ生期今いくばくもあらず。汝らよく住して慎んで教法を守れ。
われ永く山に帰らん。われ入滅せんと擬するは、今年3月21日寅の剋なり。
諸の弟子等悲泣を為すことなかれ。
われもし滅すとも帰住して両部の三宝を信ぜよ。
(漢文:諸弟子等 諦聽諦聽 吾生期今不幾 仁等好住愼守教法 吾永歸山 吾擬入滅者今年三月二十一日寅剋 諸弟子等莫爲悲泣 吾即滅而歸信兩部三宝)(出典:空海『遺告真然大徳等』)
「三宝」とは仏教のことですから、「私が死んでも、帰って仏教を信じなさい」ということです。
空海もまた、ブッダと同じような態度で死を迎えているのです。
3.曹洞宗の道元
禅宗でも同じです。
曹洞宗の開祖、道元の言葉を弟子達がまとめた
『正法眼蔵随聞記』によれば、こうあります。
忌日の追善中陰の作善なんどは皆在家に用うる所なり。
衲子は父母の恩の深きことをば実の如くしるべし。
余の一切もまたかくの如しと知るべし。
別して一日をしめて殊に善を修し、
別して一人を分て廻向するは仏意にあらざるか。(引用:『正法眼蔵随聞記』)
「衲子」とは、衲衣を来ている人のことで、
禅宗の僧侶のことですから、道元が言っているのは、
死者の追善供養や中陰法要といった儀式は、在家の人々がやっていることである。
禅宗の僧侶の場合は、父母に恩はもちろん忘れてはならないが、
特定の日の父母のために回向の儀式を行うことは、
ブッダの真意にそわないのではなかろうか、
ということです。
これはブッダの心を汲んで、僧侶に対して葬式や法事を戒めているように聞こえます。
道元は『修証義』の最初に
「生をあきらめ、死をあきらむるは、仏家一大事の因縁なり」
と言っていますので、曹洞宗では、仏教の問題とするところは、葬式ではなく、
自分が生死を解決して変わらない幸せになることだったのです。
4.浄土宗の法然
法然上人の場合は、葬式ではありませんが、このように言われています。
法然聖人の仰に「我は菩提所をば造まじきなり。我跡は称名あるところがすなわちわが跡なり」と仰られけり。
また、「跡をとぶらう中といいて、位牌、卒都婆をたつるは輪廻するもののすることなり」とぞ仰られけると、先師また御物語なり。(引用:『拾遺古徳伝』)
「菩提所」とはお墓のことですから、法然上人が
「私は墓は造らなくよい。私の墓は、念仏のある所が墓だ」
とおっしゃったということです。
「卒都婆」というのは、インドの土を盛り上げたお墓のことです。
位牌を置いたり、墓を建てるのは、迷ったもののすることだ、とおっしゃったということです。
浄土宗を開かれた法然上人がどんな方だったのかについては、以下をご覧ください。
➾法然上人の生涯と浄土宗の教え・親鸞聖人との違い
5.浄土真宗の親鸞
日本で最大の仏教の宗派である浄土真宗を開いた親鸞聖人も、
『歎異抄』にこう言われています。
親鸞は父母の孝養のためとて念仏一返にても申したること未だ候わず。
(引用:『歎異抄』第5章)
これは「私は亡き両親の追善供養のためには、一巻のお経も、
一回の念仏もとなえたことがないのだよ」
ということです。
また、このようにも言われています。
親鸞閉眼せば賀茂河へ捨てて魚に与うべし。
(引用:『改邪鈔』)
これは「私が死んだら、賀茂河へ捨てて、魚に与えよ」ということです。
これは、ブッダが説かれた仏教の教えは、死んだ人を供養するためのものではなく、生きている人が、生きているときに本当の幸せになる生きている人のための教えなのだから、死んで葬式するよりも、生きているときに仏教を聞きなさい、ということです。
浄土真宗を開かれた親鸞聖人がどんな方だったのかについては以下をご覧ください。
➾親鸞聖人の生涯と教えを分かりやすく解説
このように、ブッダをはじめ、一宗一派を開くような高僧方は、葬式よりも、生きている人が生きているときに本当の幸せになることを重視していたのです。
葬式の本当の意味は?
このように、仏教を説かれたブッダをはじめ、各宗派の祖師の方々が問題にされていないということは、葬式は無意味で無駄なものなのでしょうか?
そうではありません。
現在の日本では、葬式が行われるとなると、会社さえも休んで親戚一同集まってきます。
多くの人が集まる機会ですので、仏教を聞くご縁にすれば、正しい目的に向かうブッダの教えにもかない、葬式が大変有意義なものになるのです。
仏教は、生きている人が幸せになるための教えですから、葬式を行う意味は、
「無常を観ずるは菩提心のはじめなり」
と言われるように、
亡くなられた方をご縁に無常を見つめ、
すでに本当の幸せになった人は仏教を伝えるご縁とし、
まだ本当の幸せになっていない人は、仏教を聞くご縁とすることです。
しかし、仏教を学ぶのに、葬式を待つ必要はありません。
仏教に教えられる本当の幸せになれる道は、
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今すぐ、仏教の教えを知り、本当の幸せに向かうようにしてください。
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この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか1人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。たまたまインターネットの技術を導入して爆発的に伝えられるようになり、日本仏教学院を設立。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと今も奮戦している。
仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者4千人、メルマガ読者5万人。X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。
著作
- 生きる意味109:5万部のベストセラー
- 不安が消えるたったひとつの方法(KADOKAWA出版)