ラーフラ(羅睺羅)とは

ラーフラ」は、お釈迦さまの子供です。羅睺羅(らごら)とも言われます。
ラーフラにはさわりとか、束縛者という意味があります。
なぜそんな名前をつけられたのでしょうか。
そして、まだ小さいうちにお父さんが出家されます。
やがてラーフラ自身も、まだ子供のうちに出家して、史上初の沙弥(しゃみ)になりましたが、仏教の教団内で、トイレに寝ていたことがあります。
お釈迦さまの子供であるにもかかわらず、一体何があったのでしょうか?

ラーフラの名前の意味

ラーフラのお父さんは、カピラ城の浄飯王(じょうぼんのう)の子、シッダルタ太子でした。
お母さんは、善覚王(ぜんかくおう)の娘で耶輸陀羅(ヤショーダラー)というシッダルタ太子の妃です。
シッダルタ太子とヤショダラ姫が結婚してしばらく経ったある日、太子のもとへ浄飯王の使いがやってきて、
奥様がお子様をお産みになられました
と報告します。普通なら待ちかねた朗報に
何、本当か?それはよかった!
と大喜びするはずのところ、シッダルタ太子は、うつろな目で遠くの方を見ながら
ラーフラが生まれた
とつぶやきました。
最初に少し触れましたように、ラーフラというのは、さわりとか、さまたげ、束縛する者、という意味です。
シッダルタ太子は、これから出家して、すべての人に必ずやってくる老いと病と死を超える道を求めたいと思っていたのに、その道を妨げる者が生まれた、と言われたのでした。

報告を終えた使いの者が、浄飯王のもとへ帰ると
太子は何と言っていた?」と聞かれたので、
はい。ラーフラが生まれた、と言われました
とそのまま正確に報告します。
浄飯王は、
そうか、ラーフラか。よし、王子はラーフラと名づけよう
といいます。

ここで、お祖父さんが、孫に束縛者という名前をつけるのは不自然ではないかと思って、色々な説があります。
一説には、「ラーフ」が古代インドで龍の頭という意味なので、「ラーフラ」にも龍の頭という意味があって、それを名づけたと推測する人もあります。
それも一理ありますが、「ラーフ」と「ラーフラ」は違いますし、浄飯王が語源を知っていて、そればかりをそこまで重視するのでしょうか。
同時に「ラーフラ」に束縛者という意味がある以上、不自然さは変わりません。

私はむしろ、浄飯王は、
「束縛者?それはいい。上等だ」
と思って、積極的につけたのだと思います。
それというのも、シッダルタ太子とは反対に、浄飯王はラーフラの誕生を非常に喜んだからです。
本当によかった。これで太子も子供に愛着を起こし、ラーフラが束縛となって出家を諦めるだろう。
そうなれば幼い頃、世界を支配する転輪王になると予言されたシッダルタだ。
私の後を継いで、やがて偉大な王になるに違いない。いやめでたいめでたい

こうして、何はともあれ浄飯王は、王子の名前をラーフラに決めたのでした。

お父さんの出家

お父さんのシッダルタ太子も、最初は妨げと言っていたものの、かわいい我が子を見ていると、だんだんラーフラに愛着が湧いてきます。
ところがやはり偉大な人物は先のことを考えます。
動物は目の前のことしか考えられず、食べ物があればすぐ食べてしまいますが、人間は将来のことを考えて保存しておきます。
人間の中でも、頭のいい人ほど、先のことを考えるものです。
ましてややがて仏のさとりを開くシッダルタ太子です。
シッダルタ太子はラーフラの将来を考えると、この世は無常の世界ですから、やはり自分と同じように、この子にもやがて老いと病がやってきて、最後は必ず死んでしまいます。
子供に執着して、この老いと病と死の問題を解決しなければ、親子共倒れになってしまうのは確実です。
シッダルタ太子は、子供に愛情を感じれば感じるほど、出家の念を強めて行きます。
ラーフラが生まれたからこそ、出家されたのかもしれません。

ある晩、シッダルタ太子は、ヤショダラ姫と一緒に寝ているラーフラを見て、
やがて必ず悟りを開き、仏陀となってこの子を見るであろう
とつぶやかれると、みんなが寝静まっている間に、城を抜け出して、出家してしまったのでした。

ラーフラはこうして、お母さんの耶輸陀羅と、お祖父さんの浄飯王に育てられることになったのでした。

ラーフラの出家

やがてラーフラが9才になった時、仏のさとりを開かれたお釈迦さまがたくさんのお弟子を率いて帰ってこられました。

それを王宮の窓から見つけたお母さんは、
あのたくさんの僧侶の中で、際立って立派なのがあなたのお父さんですよ。
今からお父さんの所へ行って、遺産をもらってきなさい

と言うと、ラーフラは
私はお父さんを知りません。どの方でしょうか
といいます。
窓から「あの方がお父さんよ」と教えていると、お釈迦さまは、王宮に入ってこられました。
ラーフラは初対面にもかかわらずまったく人見知りせずに
お父さん、お会いできて嬉しいです
と近寄っていきます。
お父さんは食事のお布施を受けて、帰ろうとすると、ラーフラはお母さんに言われた通り、
お父さん、遺産をください
と言って、ついていきます。

お釈迦さまは、林に入ると、舎利弗(しゃりほつ)にこう言われます。
我が子ラーフラは、遺産を求めている。
私は真実の幸せをもたらさない宝は与えない。
私が与えるのは限りない幸せにする宝である。
舎利弗よ、今よりラーフラを出家させよ

こうして目連がラーフラの髪を剃り、舎利弗が子供用の戒律を授けて、ラーフラは出家したのでした。
歴史上初めての沙弥(しゃみ)でした。
沙弥というのは出家した20才未満の仏弟子のことです。

ところが、それを聞いた浄飯王は、非常に悲しみ、お釈迦さまのところへ行って
今後は出家する青年は、必ず両親の許しを得なければならないことにしてもらいたい
と頼みます。
お釈迦さまは、「それは最もなことだ」と言われ、この時から若者が出家する時には両親の承諾が必要になったのでした。

トイレに宿泊

ラーフラは、こうして舎利弗の弟子となって、教団の集団生活の規則に従い、仏教を学び、修行するようになりました。
当時の規則では、寄宿舎は一人一部屋で、他の人と同宿してはいけないことになっていました。
ある日、寄宿舎のラーフラの使っていた部屋を、寄宿舎の管理をする係が、お客さんの僧侶に割り振ってしまいました。
そのお客さんは、もともとあったラーフラの荷物をどかして、自分の荷物を入れます。

やがて一日の修行が終わり、ラーフラが帰ってくると、他の人がいます。
そこは私の部屋なんですけど……
というと、
いや、私はここを割り振られた
といって、まったく動こうとしません。
ラーフラは、仕方なく、寄宿舎の外に出ました。
ちょうどその時は、雨季だったため、大雨が降ってきました。
インドは熱帯なので、バケツをひっくり返したような土砂降りの雨が降ってきます。
しばらく雨に濡れて立っていたラーフラは、やがてトイレに屋根があったことを思い出して、トイレに避難します。
ラーフラは、今夜はここで明かそうと思ってトイレに座ります。
雨はますます降りしきり、あたりの穴に水がたまり、穴にいた黒蛇もトイレの屋根に避難してきます。
噛まれたら命を失う毒蛇が、周り中にウヨウヨとうごめいています。

このラーフラのピンチを察知されたお釈迦さまは、トイレの前に来られました。
その物音にラーフラが
誰?」というと、
ラーフラよ、そなたはここで何をしている?
とお釈迦さまの声がします。
事情を話すと、お釈迦さまは、直ちにラーフラを自分の部屋に連れて帰り、その時から沙弥と大人の僧侶は2晩まで一時的に同宿することを許されました。

ラーフラの嘘

ラーフラは、幼いうちから沙弥となっていたので、悪戯をしてお釈迦さまから厳しく叱られたことがありました。

中阿含経』や『毘奈耶(びなや)』によれば、ラーフラが王舎城の近くの温泉林という所に住んでいた時のことです。
在家一般の人々が、ラーフラの所へやってきて、お釈迦さまは今どちらかと聞かれることがよくありました。

その時、ラーフラは面白半分に、
お釈迦さまが竹林精舎におられる時には
今は霊鷲山(りょうじゅせん)におられます」と答え、
霊鷲山におられる時には、
今は竹林精舎におられます」と答えました。

竹林精舎と霊鷲山は、約5キロ離れており、歩いて行くと1時間くらいかかります。
お釈迦さまに会えなかった人たちが帰ってくると、
ラーフラは、
お会いできましたか?
と言います。

このことがになり、お釈迦さまの耳に入ると、お釈迦さまは自ら温泉林のラーフラの元へ赴かれます。
ラーフラは喜んでお釈迦さまを迎えて、礼拝して敷物を敷きます。
お釈迦さまは、桶に水を汲ませて足を洗われた後、
ラーフラよ、この水は飲めるか」と問われます。
「いいえ、この水はもともときれいだったのですが、足を洗われましたので、汚れて飲むことはできなくなりました」
そなたもこの水と同じである。せっかく王の地位を捨てて清らかな道を求めているのに、三毒の煩悩で心にを思い、口にを言えば、この水のように汚れている。その水を捨てるがよい
ラーフラが言われた通り、水を捨てると
そなたはこの桶に食べ物を盛って食べられるか
「いいえ、今汚れた水を入れてありましたので、食べ物を盛ることはできません」
そなたもこの桶と同じである。口に誠がなく、精進しようと思わなければ、この桶のように用いることはできない
言い終わられるが早いか、お釈迦さまは桶を蹴飛ばされます。
桶はコロコロと転がって行きました。
そなたは桶が壊れるかと、気にしたか
「いいえ、そんなに高くないんで、そこまで気にしません」
口や身体に善いことをせず、人をだまして喜んでばかりいるそなたは、この桶のように周りから気にされず、智者に惜しまれず、悟りも開けずに、死ねば心はひとりぼっちで三悪道を迷って限りない苦しみを受ける
ラーフラは震え上がりました。
ラーフラよ、言葉を慎め。罪は妄語(もうご)からあらゆる悪に及ぶ。
死後を恐れるなら、悪を造ってはならない

このお釈迦さまの子を思う慈愛あふれる戒めにラーフラは感激して、より一層精進したといわれます。

ラーフラの修行

ある時ラーフラは、先生の舎利弗と祇園精舎を出て、王舎城の町で托鉢して回っていました。
すると、暴漢が近寄ってきて、その場で舎利弗の鉢に砂を入れ、ラーフラの頭を殴りました。
ラーフラの頭から血が流れます。
その時舎利弗は、言います。
ラーフラよ、いやしくも仏弟子たるものは、どんなことがあっても、怒りの心を起こしてはならない。
常に慈悲をもって人々を哀れまなければならない。
お釈迦さまは忍辱
(にんにく)を快いものだと教えられているので、私は常に忍辱を心がけている。
心のままに悪をなせば、その報いは自分に及ぶ。
仏弟子に悪さをする者は、風に向かって火を投げるように、すぐに自分の身を焼く。
ラーフラよ、忍辱を守るように

ラーフラは、水辺にいって、顔を映してみると、血だらけになっています。
それを水で洗いながら、
私は仏教の教えを守るけれども、あのような人は、仏教の教えを聞かないだろう。
どうすれば教えを伝えられるのだろう

としみじみ考えるのでした。

やがてお釈迦さまのもとに帰り、今日あったことを報告すると、忍辱と慈悲について詳しく教えられたといわれます。

ラーフラの修行を妨げたもの

こうして修行に励み、祇園精舎にいたある日、ラーフラがお釈迦さまに言いました。
私はもう悟りを開いて、輪廻を離れていると思います

ところがお釈迦さまは、ラーフラがまだ未熟であると見抜かれ、
それなら今より他の人々に因果の道理無我の法を説くがよい
と言われました。
ラーフラが言われた通りに説法してお釈迦さまに報告すると、
諸行無常について人に伝えるがよい
といわれます。
ラーフラは言われた通りに説法しました。
戒律も厳密に守り、必死に教えの通りに実践したのですが、どうしても悟りが開けません。
その激しさを見かねた周りの人が、お釈迦さまに
お釈迦さま、ラーフラ様は、戒律を守って少しも破りません。なぜ悟りが開けないのでしょうか
とお尋ねする位でした。
お釈迦さまは、
戒律を守って善い行いをしても時間がかかるものだ
とお答えになりました。

実際にラーフラが苦しんでいたのは自惚れ心でした。
もともと王族の生まれでちやほや育てられた上に、出家してからもお釈迦さまの子供であるために、僧侶の人も、在家の人も敬います。
また、実際にラーフラ自身、たまに嘘をついて悪ふざけをして注意を受けたことはありましたが、基本的には幼い頃から戒律を守って尊く頑張っています。
この自惚れ心によって、悟りが妨げられていたのです。

ラーフラの悟り

増一阿含経』によれば、出家してから10年以上経ったある日、お釈迦さまと舎衛城の町に托鉢の修行に行きました。
その途中、お釈迦さまが振り返られて言われました。
ラーフラよ、無常を見つめよ。
この世のすべては移り変わって行くことを観ずるがよい

と言われます。
こんなことは初めてだったので、何か深い訳があるのかもしれないと思い、一人で祇園精舎に帰って無常を観じ始めました。

やがてお釈迦さまも托鉢を終えて帰ってこられると、
禅定によって心をしずめて憂いをなくし、ありのままの姿を見つめて欲望をなくし、慈悲の心によって怒りをなくし、心をおさめて自惚れをなくすがよい
と個人指導されます。

お釈迦さまがその場を去られた後、教えの通りに修行を続け、ラーフラはついに悟りを開くことができたのでした。
お釈迦さまにそのことを報告すると大変喜ばれ、
そなたは私の弟子の中で、よく禁戒すること第一である
と言われたのでした。

こうしてお釈迦さまが出家される時の、
やがて必ず悟りを開き、仏陀となってこの子を見るであろう
という言葉が達成され、限りない宝を与えることができたのでした。

その後もラーフラは、厳しく戒律を護り続け、修行に励んだために、やがて十大弟子の一人に数えられ、「密行第一」と言われるようになりました。
密行」というのは、人が見ていないところでも戒律を護り続けるということです。
私たちは、人が見ているところでは、名誉欲で行いを正しますが、一人になると欲のままに人前ではやらないことをしてしまいます。
ところが因果の道理は、人が見ていようが見ていまいが、まいた種に応じた結果を現します。
それがよく分かっていたラーフラは、他人の前ではもちろん、他人が見ていないところでもしっかりと行いを正していた、ということです。

お釈迦さまが亡くなる時

大悲経』によれば、ラーフラが50代の時、お釈迦さまが80才となられ、いよいよ沙羅双樹のもとで危篤になられました。
ラーフラは動揺し、もうお別れかと思うと悲しくなって、お父さんが亡くなる所は見るに忍びないと、その場を離れました。
ところが、どこへ行っても、みんなからお釈迦さまの元へ帰るように言われます。
心を決めて沙羅双樹のもとへ戻り、枕元へ戻るとお釈迦さまは、
ラーフラよ、悲しみで心を乱してはならない。
そなたは今まで父のためによくやった。
私も子のためにすべきことを終えた。
諸行は無常である。
そんな無常の世の中で変わらない幸せを求めることが私の教えである

こうしてラーフラは、幼い頃から仏縁がありましたが、やがてお釈迦さまの教えの通り、みごと無常の世にあって変わらない幸せになり、本懐を果たしたのでした。

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