難陀(なんだ)とは

難陀(なんだ)」というのは、「孫陀羅難陀(そんだらなんだ)」ともいわれ、『法華経』や『阿弥陀経』にも登場するお釈迦さまの有名なお弟子です。
お釈迦さまと見た目がそっくりだったので、他のお弟子たちからよくお釈迦さまと間違えられたほどでした。
一体どんなお弟子だったのでしょうか?

難陀とお釈迦さまの関係

難陀は、お釈迦さまとそっくりで非常に美しく、『摩訶僧祇律』によれば、仏の32の特徴のうち、眉間の白豪相と、耳垂埵相という福耳のような長い耳たぶだけがなく、30の特徴があったといわれます。
それというのも、難陀はお釈迦さまの弟だったのです。

難陀のお父さんは、お釈迦さまのお父さんと同じ釈迦族の王、浄飯王で、お母さんは、マカハジャバダイ夫人です。
お釈迦さまのお母さんは、マーヤー夫人ですが、産後の経過が悪くすぐに亡くなられたので、浄飯王が後妻に迎えられたのがマーヤー夫人の妹のマカハジャバダイ夫人です。
ですから、難陀はお釈迦さまの異母弟です。
それで、難陀は、お釈迦さまにそっくりだったのです。

難陀の出家

お釈迦さまは、浄飯王の長男でしたので、本来は後を継いで王になるはずでしたが、出家されたので、次男の難陀が後継者になりました。

やがてお釈迦さまが仏のさとりを開かれて、故郷のカピラ城に戻ってこられた時のことです。
カピラ城の宮殿では、難陀の結婚式が盛大に執り行われていました。

お釈迦さまは、難陀を出家させて、本当の幸せになってもらいたいと思っていたので、結婚式の会場に赴かれると、祝福の歌を唱えて帰られたのですが、その時、鉢を置いていかれました。
難陀は、その鉢を返そうと思って、お釈迦さまの後をついて行きます。
やがて宮殿の門を出て行くので、それを見た花嫁が、もう難陀と会えなくなってしまうような嫌な予感がしたので、窓から身を乗り出して
王子さま、すぐに帰ってきてくださいね
と叫びます。

この声は、難陀の心に深く刻まれます。
ようやく難陀がお釈迦さまに追いついて、
どうぞこの鉢をお受け取り下さい
と言いますが、お釈迦さまはそのままどんどん歩いて行かれます。
難陀がついていくと、とうとうお釈迦さまは、お寺に到着されました。

そのお寺で、お釈迦さまは、この世は無常の世界であることと、欲望を満たす楽しみの儚いことを説かれます。
それを聞いた難陀は、確かにその通りだから、その解決を求めたいと思ったものの、その日は結婚式の当日で、花嫁も置いてきてしまったので、そちらも気になっていました。
ところがお釈迦さまは、説法を終えられると、難陀に戒律を授けて出家させてしまいました。
こうして難陀は、出家して悟りを求めることになったのです。

難陀の迷い

出家した難陀は、妻から
すぐに帰ってきてくださいね
と言われたことも忘れられませんし、結婚する前、美しい彼女と手をつないでお花畑を散歩したり、愛を語り合ったりした、カピラ城での楽しかった毎日が思い出されて、まったく修行に身が入りません。
ある日、難陀は、心から離れない新妻の姿を木の板に描いてずっと見ていました。
すると妻が大好きだったので、出家したことを後悔して、やっぱりここを逃げ出して城へ戻ろうかなという気持ちが起きてきました。

するとお釈迦さまはそれを見抜かれて、難陀に言われました。
難陀よ。城へ帰りたいなら帰るがよい
「本当ですか?」
もちろんだ。しかしそれには一つ条件がある
「ありがとうございます。どんなことでしょうか」
長老の部屋の扉をすべて閉め切るのだ。
もし一つでも扉が開いていれば、その部屋の長老がそなたを止めるだろう

「そんな簡単なことですか。さっそく全部閉めて帰ります」

難陀はすぐに長老の部屋の扉を閉めに行きますが、なぜか一つの長老の部屋の扉を閉めると、別の扉が開きます。
その扉を閉めると、また別の扉が開きます。
まるでモグラ叩きのように、どんなに扉を閉めても、他の扉が開いてしまうのです。
疲れ果てた難陀は、諦めてそのままお寺から逃げ出そうとしました。

すると
仏道の林を離れても、次に入るのは迷いの林である。
束縛を逃れようとして自ら縛られる

というお釈迦さまの声が聞こえて、難陀は我に返り、また修行に励もうという気持ちを起こしたのでした。

修行をすると天女が手に入る?

それでも難陀は愛する妻が忘れられず、あまり修行に身が入りません。
顔はやつれ果ててしまいます。
ある日、難陀は目の縁を染めて、軟らかい衣を来てお釈迦さまの前に出たところ、
難陀よ、僧侶たる者、目の縁を染めてはならない。軟らかい衣も着てはならない。
他の僧侶と同じ粗末な衣をつけるがよい

と戒められます。

そのように、難陀が暗く沈んでいたある日、お釈迦さまがこう声をかけられます。
難陀よ、そなたはヒマラヤへ行ったことがあるか
「いいえ、ありません」
では一緒に行ってみないか
「いえいえ、私は神通力がありませんので、とてもヒマラヤなんて行けません」
心配するな、私が連れて行ってやろう
こうしてお釈迦さまと一緒にヒマラヤにむかう途中、一匹の猿が切り株に座っていました。
しっぽはちぎれ、毛皮が焼けただれて醜い猿でした。

難陀にヒマラヤを見せたお釈迦さまは、次に
難陀よ。そなたは三十三天を見たことがあるか
と尋ねられます。三十三天というのは、天上界の一つです。
「いいえ、ありません」
それならば今から見せてやろう
お釈迦さまが難陀を連れて三十三天に行かれると、帝釈天(たいしゃくてん)が多くの神々や500人の天女を連れて挨拶にやってきました。
難陀よ。あの美しい天女たちが見えるか
「はい、非常に美しい天女たちです」
お前の妻とこの天女たちとどちらが美しいか
「お釈迦さま、あの醜い猿の百倍も千倍も私の妻が美しいように、この天女は、私の妻の百倍も千倍もの美しさです」
ではそなたは、この天女たちが欲しくないか
「えっ?天女を手に入れる方法があるのですか?」
もちろんある。しっかりと修行をすれば、あの天女を手に入れることができるだろう
「それなら修行します」
では真剣に修行に励むがよい

目的違い

天上界から帰ってきた難陀は、俄然修行に打ち込むようになりました。
もともとお釈迦さまの弟で、能力も高いので、あまりのすごさに、周りのお弟子たちも驚きます。
あるお弟子が、
頑張っておられますね。どうして突然そんなに尊くなられたのですか?
と尋ねると、正直な難陀は、
修行すると、天女が手に入るとお釈迦さまからお聞きしたのです
と答えます。
それを聞いたそのお弟子は驚きます。
天女のために修行をしているのですか?
そうです
愕然としたそのお弟子は、長老に相談すると、長老が難陀のところへやってきました。
難陀よ。あなたは天女を得るために修行に励んでいると聞きましたが、それは本当ですか?
はい、本当です
あきれた長老は、
それはねぇ難陀。
修行というのは、煩悩をなくすためにするわけですから、煩悩のために修行をするというのは間違いなんですよ。
そんなことでは絶対に悟りは開けません

それを聞いた難陀は
なるほど、これはおかしなことだ
と思ったのですが、それでもそう簡単に改めることはできません。

地獄の釜は誰のため?

そこでお釈迦さまは、ある時、修行に励んでいる難陀を今度は地獄へ連れて行かれます。
そこに並んでいたたくさんの釜はどれも煮えたぎっていて、その中で多くの罪人達が苦しんでいました。
あまりに凄惨な様子に難陀は驚き立ちますが、その煮えたぎったたくさんの釜の中に、一つだけ罪人の煮られていない釜があるので、難陀はお釈迦さまに尋ねます。
どうしてあの釜は空なんですか?
それは自分で尋ねてみるがよい
難陀が獄卒のに尋ねると、
それはなぁ。お釈迦さまの弟の難陀という方が、出家して修行した功徳で一度は三十三天に生まれるそうだが、天上界の寿命が尽きた後は、この地獄に落ちて、この釜で煮られることになっているので、その準備をしている所だ
と言います。
それを聞いた難陀は、あまりの恐怖に髪の毛が逆立ち、震え上がりました。お釈迦さまが
難陀よ。そなたは修行をして、天女を得るために天上界に生まれたいか
と尋ねると
「いえいえ、天上界なんてどうでもいいですから、そんなことより、どうしたらこの地獄を逃れることができるのでしょうか」
それには、迷いの世界である六道生まれ変わり死に変わりする輪廻転生から抜け出さなければならない
天上界は、六道の一つですから、比較的楽しみは多いのですが、やはり年老いて、死ななければなりません。
死ねばまたそれまでの行いに従って、地獄を含めた別の世界に生まれますから、天上界もやはり苦しみ迷いの世界です。
仏教の目的は、この迷いの輪廻を断ち切って、永遠の幸せになることなのです。

こうして難陀は、天女のためではなく、正しい仏教の目的へ向かって修行を励むようになり、やがて迷いの解決をして、永遠に変わらない幸せになり、やがては長老といわれるようになったのでした。

永遠に変わらない幸せになるには、迷いの輪廻の根本原因を知り、それを断ち切らなければならないのですが、輪廻の根本原因とは何か、私たちはどうすれば断ち切れるのかについては、仏教の真髄ですので、以下のメール講座にまとめておきました。
今すぐ見ておいてください。

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