死後の世界は?

人類始まって以来、死ななかった人は一人もありません。
人間の死亡率は100%です。
死は、すべての人の人生に、必ず訪れる確実な未来なのです。

では、人は死んだらどうなるのでしょうか?

死んだら無になる?

日本人では死後は無になると考えている人は、約30%です。
少数派とはいえ、それなりにいます。

その人たちに、どうして死んだら無になると考えるのか聞いてみると、 たいていは、
科学が進歩した今日、
人間は物質でできていると考えて、
死んだら焼いて灰になるのだから、
死んだら無になる、というものです。

ですが、科学の場合は、仮説を立てて、
それを実験によって確かめる必要があります。
死後の世界となると、現在の科学では、認識することも
実験することもできませんので、まったく扱える対象に入りません。
死んだら無になるという科学的な根拠はまったくないのです。

(でも、無になるのもかなり怖いと思いますよ、
ちょっと考えてみてください)

家族が死んだらどうなると思う?

ある所に
死んだら無になる
死後なんかない
と言って、葬式法事をしてお寺僧侶に高額のお布施をする意味が分からず、
自分が死んでも葬式は必要ない。
 火葬場からへ直行してもいいし、
 火葬場でもう遺骨を受け取らずに捨ててもらっていい

と言っていた人がいました。

ところが不幸なことに、この世は無常の世界。
一人息子が先に死んでしまいます。
するとその人は、深く悲しみ、納棺師に依頼して遺体をきれいにして丁寧に納棺します。
大嫌いだったお寺へ行って、神妙そうに
住職さん、最愛の息子の供養のために、どうか盛大に葬式をして有り難いお経を読んでください
とお願いします。
葬式にもすすり泣きながら参列し、火葬場でも泣きながら遺体を焼きます。
四十九日もまじめにつとめて、遺骨はお寺の墓地に埋葬しました。
ちょうど雪がちらほら降ってきたので、墓石から雪を払いのけ、
子供が生前好きだったお菓子をたくさん供えて
寒いだろう。さあおあがり
と話しかけています。

元気な時には、死んだら無になると考えていた人でも、実際に大切な人が死ぬと、まったくそうは思えないのです。

死んだらお迎えが来る?

一方、日本で死んだら無になると考えている人はわずか3割ですので、大多数の人は死後は無だとは考えていません。
ではどう考えているかというと、言い伝えや雰囲気では、
死ぬ時には仏さまがお迎えに来て、死ねば極楽浄土へ往けるとか、
そこまでは無理でも先に死んだ家族が迎えに来て、
楽園で過ごせると思っている人もあります。
また「安らかにお眠りください
といって、お墓の下や草葉の陰で見ていると思う人もあります。
いやいや千の風になって大空を吹き渡っている
という人もあります。

テレビドラマでは、死ぬ時は意識が薄れていって、
光の中にホワイトアウトして行く表現も、よくあります。

でも、死後の世界がもしそんな楽しそうな所なら、誰も死を恐れないはずです。
それどころか、生きていくのはかなり苦しいので、誰しも喜んで死んで行きそうなものです。
それにもかかわらず、余程のことがない限り、人は死を避けようとします。

人は、何となく死後はあると思っていて、しかも楽しいところというよりも、苦しいところであろうと感じているのです。
では、学問的にはどうなのでしょうか?

学問的には認めざるをえない?

科学では死後の世界は取り扱えないのですが、科学以外の学問では、死後の世界に肯定的です。
カナダのトロント大学のフロイト派の精神科医、ジョエル・ホイットン博士は、退行催眠で多くの人を治療した結果、こう言います。

生まれ変わりが真実だという証拠については、そのほとんどが状況証拠ではありますが、きわめて有力なものがそろっている現在、理論的にこれを認めることに、特に問題はないと思われます。
どうか皆さんも、私と同じ結論に到達されるようにと願っています。
すなわち、私たちはかつて前世を生きたことがあり、おそらく、来世をもまた生きるだろう。
そして今回の人生は、永遠に続く鎖の、ほんの一部でしかない、と。
(ジョエル・ホイットン博士)

カナダの人たちは大体キリスト教ですので、文化的には前世も来世もないはずですが、かなり鋭いことを言っています。
しかも過去に悪いことをした記憶のある人は、現在悪い結果を受けるという仏教の因果応報に通じる証言も得られるといいます。

また、ジョージア州立大学の名誉教授、ロバート・アルメダー博士は、科学哲学や心の哲学、倫理学などで業績を残していますが、死後の生命についての色々な主張を分析しました。
その結果、このように言っています。

私たちは現在、人類史上はじめて、人間の死後生存信仰の事実性を裏づける、きわめて有力な経験的証拠を手にしています。
このことが、哲学や倫理学における今後の考察に対して持つ意味は、きわめて大きいといえます。
人間が死後にも生存を続けるという考え方は、だれにでも認められる証拠によって事実であることが証明できるばかりか、だれにでも再現できる証拠によって、事実であることが、すでに証明されているのです。
(ロバート・アルメダー博士)

このような死後の世界について否定的な人に対して、『死ぬ瞬間』というベストセラーで有名なアメリカの精神科医、エリザベス・キューブラー=ロス博士はこう言います。

私が何を申し上げたいのか、おわかりですか。
ある事実に納得がいかないと、人はそれを否定する何千もの反論を持ち出してくるのです。
これはその人自身の問題であり、そのような人を、無理やりに説得しようとしてはなりません。
いずれにしても、死ねばわかることなのですから。
(エリザベス・キューブラー=ロス博士)

しかしながら、死んだら生き返ることはできませんので、死んでしまっては手遅れです。
生きている時に知っておかなければなりません。

このように、物質的なことを対象とし実験で確かめなければならない科学では、死後の世界は取り扱えませんが、それ以外の医学や哲学などの分野では、おおむね死後の世界には肯定的なのです。

一体、私たちが死ぬとどうなるのでしょうか。

人間に死後の世界が分かるの?

死後の世界を見てきて語ることは誰にもできません。

よく臨死体験をしたといって、
死にかけて持ち直した人が何か言うことはありますが、
それは死んだわけではありません。
死にかけただけで、それは、生きている時のことです。
死んでしまった場合は、生き返った人はありません。

臨死体験でも、科学技術を駆使しても、
人間の知恵では、死後の世界は分からないのです。

ちょうどセミなら「セミは春秋を知らず」と言われるようなものです。
セミは夏になると地上に出てきて、1週間ほどの命で死んでいきます。
そんなセミに対して、
お前が出てくる前に春という季節があって、
 死んだ後は秋という季節になるのだよ

といくら教えてやっても、
ジージー言って飛んで行ってしまうだけです。

多くの人は「我々の科学では死後の世界は証明できない」と思っているかもしれませんが、
それはセミの知恵では春や秋の存在が分からないようなものです。

私たちも、人間の知恵では過去世、未来世を知ることができません。
死んで見てくることもできません。

それなのにどうして生きている時に死後の世界が分かるかというと、
それはお釈迦さまが、仏のさとり智慧で明らかにされた因果の道理によるものです。

死後の世界の存在証明

死後の世界が存在することは、因果の道理によって分かります。
因果の道理とは
すべての結果には必ず原因がある
という法則です。
これには、万に一つ、億に一つの例外もありません。
いつの時代、どこの国でも成り立つ、時空を超えた真理です。

この「すべての結果には必ず原因がある」ということを認めると、死後の世界が存在します。
なぜかというと、人間が生まれた時、心がありますが、それも結果です。
すべての結果には必ず原因があるとすれば、生まれた時点での心の原因は、生まれるより前にあります。
心は人それぞれで、同じ両親から生まれても性格も能力も違います。
心は脳によって生み出されているのではないかという人がありますが、現在の科学では、神経細胞やそこを伝わる電気信号など物質から心を生み出すことはできません。
ちょうど、パソコンをどんなに複雑にしても、心は生まれないようなものです。
これを「意識のハードプロブレム」といいます。

科学では取り扱えなくても、心が存在するのは確かです。
近代哲学の父、ルネ・デカルトも
我思う、故に我あり
と大前提にしている位です。

最近の脳科学では、むしろ脳が心を生み出すのではなく、心が脳に影響を与えているといいます。
例えば強迫性障害治療の世界的権威、ジェフリー・M・シュウォーツ博士はこう言っています。

「脳(の化学的作用)が心に影響を与えている」のではなく、
むしろ、
「心が脳(の化学的作用)に影響を与えている」
(ジェフリー・M・シュウォーツ博士)

このように、物質から心が生み出せず、むしろ心が物質に影響を与えているとすれば、心が生まれた原因は、過去世の心になります。
もし過去世があるとすれば、過去世から見れば、現在は未来世になりますので、未来世もあることになります。

このことは、お釈迦さまが、仏の智慧によって因果の道理を体得され、
過去世や未来世の存在を知られて、
迷いの深い私たちに教えられていることです。

このように、因果の道理によって、
すべての結果には必ず原因がある
ということを認めれば、死後の世界が存在する、
ということは分かりますが、
では、死後の世界はどんな世界なのでしょうか?

死後の世界はどんな世界?

よく、仏教では
死んだら極楽」とか、
死んだら仏になれる
と思っている人がありますが、
仏教ではそんなふうに教えられているのではありません。

因果の道理で、原因と結果の関係については、このように教えられています。

善因善果ぜんいんぜんか
悪因悪果あくいんあっか
自因自果じいんじか

これは、善い行いは善い結果、
悪い行いは悪い結果を引き起こす。
すべての自分の運命は、自分の行為が生み出したものだ、という自業自得の道理です。

仏教は、この因果の道理に立脚して教えが説かれていますから、
この自業自得の因果の道理にもとづいて、
死ぬまでの自分の行いによって死後の世界が決まる
と教えられています。

ですから、死ぬまで善いことばかりしていた人は、
死んだら善い世界に生まれますが、
悪いことばかりしていた人は、
苦しみの世界に生まれます。

ものすごく善いことばかりしていた人なら、
仏さまがお迎えに来られることもありますが、
悪いことをしていれば、「火車来現」で、火の車が迎えに来ます。
善いのも悪いのも、自業自得です。

死後が苦しみの世界になるたねまきとは?

では、死んで苦しみの世界に生まれるたねまきとは
どんな行いなのでしょうか。

仏教では、殺生罪を造ると地獄に堕ちると教えられています。
殺生罪とは、生き物を殺す罪です。
殺人罪ではありませんので、
人間以外の生き物も殺せば殺生罪になります。

なぜかというと、
すべての生きとし生けるものをあわれみたもう
仏様のまなこからご覧になると、
すべての生命は同根であり、
上下はないからです。

このように、生き物を殺す「殺生罪」は大変恐ろしい罪なので、
その報いを受けて、地獄へ堕ちると経典に説かれています。

それは子供向けの「ゲゲゲの鬼太郎」というマンガの著者
水木しげる氏の書いた『鬼太郎なんでも入門』にさえも
仏教に説かれる八大地獄を紹介して

これらの地獄には、いろいろ悪いことをした者が、
それぞれの罪によって落ちるのだが、
虫けら一匹を殺しても地獄に落ちるから、
たいていの人は、地獄行きになる可能性があるのだ。

と書かれているほど、よく知られていることです。

ですから、もしあなたがこれまでに一匹でも虫を殺したことがあれば、
死んだら苦しみの世界に生まれます。
そして、大変な長い期間、苦しみを受け続けなければなりません。

罪を造った人でも死んで地獄に堕ちない方法

すでに殺生をしてしまった人が、どうやっても助からないのであれば、
仏教を聞く前に殺生罪を造ってしまった人に対しては、
仏教を説かれた意味がありません。

すでに罪やを造ってしまった場合、どうすればいいのでしょうか?

因果の道理は宇宙の真理ですから、曲げることができません。
しかしながら、輪廻転生の原因自体を根本から断ち切って、
地獄へ生まれないようにすることはできる
のです。

苦しみ迷いの根本原因をなくすことができれば、
迷いの世界とは縁が切れ、
死ぬと同時に、浄土へ生まれます。

仏教で教えられる迷いの根本原因については、
分かりやすいように、メール講座と電子書籍にまとめてあります。
ぜひ一度見ておいてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

仏教が好きで、東大教養学部で量子統計力学を学んだものの卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とかみなさんに知って頂こうと失敗ばかり10年。やがてインターネットの技術を導入して日本仏教アソシエーション(株)を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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