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腹が立った時の怒りの解消法(原因と対策)

イライラとか怒りというのは、腹立つ心です。
よく、スーパーでたくさん並んでいるのにレジを打つ人が遅かったり、
信号や渋滞で長く待たされると、それだけでイライラします。
さらに、みんなの前でバカにされたり、茶化されたりすると、カッとなり、腹が立ちますが、
一旦は我慢して、心を落ち着かせようとします。
しかしながら、あと一押しか二押しされて、堪忍袋の緒が切れると、
ついに口げんかやストリートファイトが始まります。
一度腹が立ってしまうと、いつまでも怒りが収まらず、家に帰っても腹が立って仕方がない、腹が立って眠れないという経験をした人も多いでしょう。
この怒りについて、仏教ではどのように教えられているのでしょうか?

この記事では、
・怒りの波及効果
・3通りの怒りの持続度
・怒りとは
・怒りの引き起こす苦しみ
・怒りの自覚
・怒りの原因
・怒りの解消法
・怒りはなくなるのか
・怒りをコントロールできない人が幸せになる方法
について分かりやすく解説します。

怒りの波及効果

腹が立ってくると、冷静な時なら言わないことを言わずにはいられなくなってきます。
態度や表情にも出ますが、さらに口に出すと、怒りの連鎖が始まります。
お経には、このように教えられています。

昔、ある所に生まれつき慎み深い一人のお手伝いさんがいました。
いつも主人のために麦や豆を管理するのが仕事です。
ある時、その家で飼っていた羊が、隙を窺ってその麦や豆を食べてしまいました。
倉庫の麦や豆を計ると量が減っていたので、主人は腹を立て、お手伝いさんは叱られました。
お手伝いさんは、自分の責任ではなく、全部羊のせいだと思い、羊を見かけると杖で叩くようになりました。
羊はそれに怒り、お手伝いさんを見かけると、体当たりします。
それが1回や2回ではなく、小競り合いを繰り返すようになりました。

ある日、お手伝いさんが杖を持たずに火を取りにいくと、杖を持っていない今がチャンスと羊が突進しました。
急な攻撃だったので、お手伝いさんは、持っていた火を羊に投げてしまいます。
すると、羊の毛に火がつきました。
羊はあまりの熱さに、背中の火から逃れようと走りまくり、村中の家々に突進して大火事になりました。
さらに山に逃げ込んで山火事が起き、逃げ場を失った山中の500匹のサルも死んでしまいました。
このように、お手伝いさんと羊の怒りによる争いから、たくさんの村人とサルが焼け死んだのです。
(出典:『雑宝蔵経』)

このように、最初は麦や豆を食べられて腹を立てたことでした。
ところがそこからケンカになり、ついには大火事になって、
たくさんの犠牲者を出すことになりました。
一人の怒りが、どこまでも波及する、ということです。
怒る人は度量が狭く、真の勇気に欠けているのですから、
度量を広げて、腹を立てないようにしなければなりません。

ですが、一度腹が立つと、いつまで経っても思い出されてきて、
思い出し怒りをすることになります。

3通りの怒りの持続度

あなたは腹が立った時、いつまでも覚えていて、腹が立って眠れない日があったり、思い出してはムカついていないでしょうか?

ブッダは、パーリ仏典の増支部の第3集に、こう説かれています。
世の中には、3種類の人がある。
岩に刻んだなような人と、地面に書いたような人と、水に書いたような人である。

3通りの人
  1. 岩に刻んだなような人
  2. 地面に書いたような人
  3. 水に書いたような人

それぞれどんな人かというと、このように教えられています。

1番目の岩に刻んだような人とは、しばしば怒り、その怒りが長く続く。
岩に刻んだ文字は、風が吹いたり水で洗われても消えないように、
怒りが刻み込んだように消えることのない人をいう。

2番目の地面に書いたような人とは、しばしば怒るが、
その怒りが、地面に書いたように、長続きしない人をいう。
地面に書いた文字は、風が吹いたり水で洗われれば、すぐに消えるようなものだ。

3番目の水に書いたような人とは、水に文字を書いても流れて形にならないように、
他人の悪口や激しい非難、不快な言葉を聞いても、
少しも心にとどめず、温和な気持ちで仲良く親しめる人をいう。
(出典:『増支部』三集・拘尸那掲羅品)

このようにブッダは、他人から悪口を言われたとき、怒り続ける人を岩に刻むにたとえ、
一時的に怒る人を地面に書くにたとえ、気に留めない人を水に書くにたとえられています。
そして、なるべく3番目の水に書いたような人を目指しなさい、と教えられているのです。

仏教で怒りとは?

この、イライラしたり、カッとなったり、むかついたりする怒りの心を、
仏教では「瞋恚しんい」といわれます。
全部で108ある煩悩の中でも最も恐ろしい、欲、怒り、愚痴の三毒さんどくの一つです。
煩悩については、こちらの記事で詳しく解説してありますので、お読みください。
煩悩(ぼんのう)の意味・数や種類、消す方法は?

八宗の祖師といわれる龍樹菩薩りゅうじゅぼさつ などは、怒りについて『 大智度論だいちどろん』にこう言われています。

まさに瞋恚を観ずべし、その咎最も深し。
三毒の中にこれより重きものなし。

これは、怒りの罪は最も深く、三毒の中で、怒り以上に重いものはない、ということです。
三毒の中でも最も恐ろしいということは、煩悩で一番恐ろしいとまでいわれているのです。

この怒りの対処を誤ると、人生が劇的に悪化して、地獄を呼ぶのです。

カッと怒ると頭が悪くなる

腹が立つと、頭が悪くなります。

他人が腹を立てたときなら、
「そんなことを言ったりやったりしたらどうなるか」は分かるのに、
自分が腹を立てたときは、我を忘れて、先のことがまったく見えなくなります。

腹を立てれば立てるほど知能指数は下がっていき、怒りの絶頂になると、
IQ50以下の、さらには精神障害レベルの言動をしてしまいます。

ブッダは『仏遺教経ぶつゆいきょうぎょう』に、こう説かれています。

瞋恚の害は則ち諸の善法を破り、好名聞を壊す。
今世後世の人見ることをよろこばず。
まさに知るべし、瞋心は猛火よりも甚だし

怒りによって、善いことをせず、悪いことをしてみんなから嫌われます。
怒りは猛火よりも激しく全てを焼き払ってしまう、ということです。

何か意に添わないことがあればすぐにイライラし、
怒りの炎は一度燃え上がれば家族や友人でも平気で殺します。
つまらない怒りのために身を破滅に追いやる人がたくさんあります。

例えば高速道路上で、無礼な運転手に腹を立てたらどうなるでしょう。
アクセルを踏み込んで120キロも出せば、スピード違反で捕まったり、事故に遭う確率が高まります。
最悪の場合、死ぬかもしません。
冷静に考えれば、もう二度と会わない人なので、放っておいたほうが明らかに得策です。

仕事でも、上司の一言に腹を立て、くってかかって左遷されたり、
会社を首になったり、収入を失い、家族も路頭に迷います。

歴史上の有名な事件でも、忠臣蔵の赤穂浪士なら、
浅野内匠頭は、吉良上野介のワイロの要求と、
それを拒んだことによる執拗ないじめに腹を立て、ついに殿中松の廊下で刀を抜きます。
その結果、本人は切腹して命を失い、お家断絶になってしまいました。

浅野内匠頭も、殿中松の廊下で刀を抜くと、切腹というルールは知っていたので、
一瞬忍耐すればよかったのに、カッと腹を立てると、
前後の見境がなくなり、不幸な結末となったのです。

現代のプロスポーツでも、対戦相手や審判の判定に腹を立て、
殴りかかる人もあります。
その結果、本人は退場、チームは敗退します。

頭では分かっているのですが、怒りの炎が燃え上がると、頭が悪くなり、
先のことが考えられなくなります。
そして、すべてを燃やし尽くしてしまい、後で知能が戻ったときに、
バカだった」と後悔するのです。

これを、
怒りは無謀に始まり、後悔に終わるものだ
といわれます。

本人に怒っている自覚はない

しかも恐ろしいことには、怒りの心は、周りの人から見れば、
腹を立てているのは一目瞭然ですが、なんと、
本人には自覚がありません。

お釈迦さまは、『百喩経ひゃくゆきょう』にこのようなことを説かれています。

ある家で、何人かの人たちが
「あの人はすばらしい人なんだけど、2つだけ欠点があってさ。
1つは怒りっぽいことと、もう1つは、手が早いことだよ」
と、噂話をしていました。
ところがちょうどその噂の人が外を通りかかって、自分の悪口を言われているのを聞いて腹を立てます。
即座に家の中に怒鳴り込んで、みんなに殴りかかりました。
噂話をしていた人たちが
「おいおいお前、何事だ?どうして急に入って来て殴りかかるんだ?」
と聞くと、
今まで一体いつオレが怒りっぽくて手が早かったって言うんだ?
それなのにオレが怒りっぽくて手が早いとか言うから殴られるんだ

と息巻きます。
「お前、今現に怒って何も考えずに動いているじゃないか」
(出典:百喩経ひゃくゆきょう

このように、人は、腹を立てても、自覚がないのです。

仲良く話をしていた人が、いつの間にか議論を始めます。
議論をすると、結局どちらも議論に勝つこともなければ、
得することはほとんどないのですが、
無自覚のうちに感情的になり、口げんかになっているのです。

気がついたときには、
これはまずい」と思うのですが、もはや引っ込みがつかなくなり、
ますますヒートアップしていきます。

普段は温厚な人も、ある特定の話題やトリガー単語が出ると、
急に腹を立てて始め、怒り散らすのですが、本人は自覚がありません。

我を忘れて盛り上がっていきますので、自分で気がつくのは、
かなり時間が経ってからなのですが、もはや手遅れです。
人は、無自覚のうちに、スムーズに怒りモードに移行し、
しばらくして辺りを見渡せば、焼け野原に一人立っているのです。

常に自分の心をよく見つめなければなりません。
では、イライラや怒りの原因は何なのでしょうか?

イライラや怒りの原因

イライラしたり、腹が立つのはどんなときかというと、一言でいえば、
自分の思い通りにならないときです。
仏教でいえば、欲の心が妨げられたときです。

他の人と意見が合わないとき、自分の思い通りにならないから、
腹が立つのです。

例えば、アメリカで夫婦が離婚する原因の一つに、
夫が何度言っても、ゴミを出してくれないから
というものがあります。

第三者から見ると「そんなことで離婚までする?」と思いますが、
夫が自分の思い通りにしてくれず、バカにされている感じがして腹が立ち、
どうしても許せずに、ついには離婚にまで至るのです。

腹が立ったときには、ちょっと離れて客観的に見てみると、
案外それほど大問題ではないことに気づくかもしれません。

怒りの出所は?

ある時、江戸時代の禅宗僧侶盤渓ばんけいの所へ短気の治療を頼みに来た人がありました。
私は生まれつきの短気でございまして誠に困っております。
自分ではつとめてイライラすまい、怒りを出すまいと思っているのですが、
どうも短気の方で引っ込んではくれません。
すぐに腹を立てて他人から嫌われることにもなり、このために損をすることが多くあります。
長年教えを受けている先生も心配して祈祷してくれたのですが、何の効果もありません。
今度は禅師に教えを受けるように言われたので、こうして参りました」

すると盤渓はニコニコ笑いながら、
「そなたは面白いものを持って生れたのう。
今も短気をお持ちか。
お持ちならば一つ見せて貰いたいものじゃ。

そうしたらお望み通り、治して進ぜよう」
「えっ?今はありません。短気はちょっとした機会にひょっと出るのでごさいまして……」
「しかし先ほどは、生まれつき持っていると言っていたではないか。
生まれつきなら今も持っているはずであろう。出して見なさい」
「そう言われてみますと、今はありません」
今はないなら短気は生れつきではないではないか。
短気はどこから出るのか出所を考えてみるがよい。

何か思い通りにならないことがあったとき、自分が正しいと信ずるあまり、そなたが怒りの心を出すのであろう。
自分が出しておいて生まれつきなどと、まるで親のせいのように言うでない。
自分の心を反省することが大切じゃ」
と諭されたのでした。

ならぬ堪忍するが堪忍、大切なのは心であり、心の持ちようなのです。
では怒りの心に対処するには、どんな心がけが大切なのでしょうか?

怒り・腹立ちの解消法

怒りの感情は解消しようとしなくても、
一時的で、しばらくすれば自然に解消し、おさまります。

長くても一晩寝れば、翌朝起きた瞬間からイライラし、
怒りに燃えているということはありません。

ですから、もし幸いにも、自分が腹を立てていることに、
自分で気づくことができた場合、どうすればいいのでしょうか?

それは、すぐにその場を離れて、怒りが消えるのを待つのが一番です。
しばらくおいて、お互い落ち着いてから、また仕切り直して話し合いましょう。

その場を離れられない時

では、その場を離れられないときはどうすればいいのでしょうか。
それは、数を数えるなどして忍耐し、口や身体に怒りを表さないようにするしかありません。

怒りの蛇を、口から出すのは下等の人間。
歯を食いしばって口に出さないのが中等。
胸に蛇は狂っていても、顔に表さないのは上等の人である

と言われます。

怒りの心はなくなる?

しかしながら、怒りがおさまったというのは、
怒りの煩悩がなくなったわけではありません。

お釈迦さまの説かれた3通りの人は、岩に刻んだような人も、地面に書いたような人も、水に書いたような人も、全員最初は腹を立てていることに変わりはありません。

仏教では私たち人間を、「煩悩具足ぼんのうぐそく」と教えられています。

具足」というのは、それでできているということですから、
人間は煩悩でできた、100%煩悩の塊だということです。

雪だるまから雪をとったら何もなくなってしまうように、
人間から煩悩をとったら何もなくなってしまいます。

ですから、怒りがおさまったというのは、煩悩がなくなったわけではないので、
また思い通りにならないことがあると、すぐにカーッと火がついて、怒りが再燃するのです。

このように、仏教を聞いて、自分の心を見つめて行くと、自分はこんなに腹を立てていたのかと、今まで気づかなかった自分の心が知らされて来ます。

怒りをコントロールできない人が幸せになる方法

仏教では、怒りの心などの煩悩は、苦しみの「原因」と教えられているのですが、苦しみの「根本原因」は、煩悩ではなく、別にあると説かれています。
維摩経ゆいまぎょう』というお経には、このように、
煩悩を断ち切らずに涅槃ねはんに入ると教えられています。

煩悩を断ぜずして涅槃に入る。

もし煩悩が苦悩の根元だとすれば、煩悩を断ち切らずに涅槃に入ることはできません。
苦悩の根元は、煩悩とは別にあるのです。 その、苦しみの根本原因をなくせば、煩悩あるがままで煩悩即菩提ぼんのうそくぼだい、煩悩がそのまま喜びの元となる、絶対の幸福の身になれるのです。

その苦悩の根元は何かということは、仏教の真髄ですので、メール講座と電子書籍にまとめてあります。以下から今すぐご覧ください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか1人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。たまたまインターネットの技術を導入して爆発的に伝えられるようになり、日本仏教学院を設立。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと今も奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者4千人、メルマガ読者5万人。X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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