「現代人の仏教教養講座」

 

仏教ウェブ入門講座

仏教の教えと生きる意味を分かりやすく
体系的に学べる仏教の総合サイト

日本仏教学院ロゴ 日本仏教学院ロゴ

生きる意味を、知ろう。

お盆とは?

お盆につきもの キュウリとナス
お盆につきもの キュウリとナス

毎年夏の「お盆」には、帰省ラッシュが始まり、毎年、日本人は大移動しています。
迎え火で始まり、送り火で終わるお盆の期間、そして、お供えのきゅうりやなす、提灯など、お盆独特の習慣があります。
お盆の夜に浴衣で踊る盆踊りは、男女の出会いの場ともなる、人々の楽しみの一つになっています。
一体お盆とは何なのでしょうか?
お盆では何をするのがベストで、私たちを幸福にするのでしょうか?

お盆とは

お盆とは、「盂蘭盆会うらぼんえ」とも言い、中国や日本で、祖先の霊を迎える法事の一つです。
参考までに仏教の辞典を見るとこのように出ています。

盂蘭盆会は、<盆会><歓喜会かんぎえ><魂祭たままつり>ともいう。
7月15日に精霊しょうりょう棚を作り、先祖のを招いてに読経してもらう。
その際、僧にご馳走の接待をして功徳くどくを積み、先祖に廻向えこうする。
あわせて広く無縁仏にも施食供養をする施餓鬼せがきも行われる。
年1度の盆会に先祖が少しでも長逗留してほしいとの気持から、期日は拡大され、多くは7月13日より16日までとするが、7月全体を盆月とみなすこともある。
農村部では農作業の関係から月遅れの8月、または旧暦で行うことが多い。
旧暦の7月は秋であるから、盂蘭盆会は元来秋の仏事であった。
日本で7月15日に行う論義を<盂蘭盆講>、盆会月に行う地蔵講を<地蔵盆>ということなど、盂蘭盆の影響力の一端をうかがわせるものである。
なお、日本での盂蘭盆会盛行は、この前後を正月に対応する祖霊来訪の時期とした民俗信仰との習合によるものともされている。

このように、仏教辞典には簡単に説明してありますが、
ここに出ていないことも含めて、できるだけ簡単に、分かりやすく解説していきます。

お盆は、多くの所では、実家へ帰省してお墓参りをした後、親子兄弟同士、ご馳走を食べてお酒を飲んだりするのが恒例です。
お盆は、正式には「盂蘭盆会うらぼんえ」といい、略して「盆会」「」といわれます。
さらには「歓喜会かんぎえ」「魂祭たままつ」「精霊しょうりょう祭り」「精霊会しょうりょうえ」「盆祭」といわれることもあります。

また、お盆とは別に「施餓鬼せがき 」という法事がありますが、お盆の時期に行われることが多いため、お盆のことを「お施餓鬼」という人もあります。

施餓鬼は、本来はお盆とは別ですので、以下の記事で詳しく解説してあります。
施餓鬼とは何?施餓鬼のお布施や服装・施餓鬼会の意味(盂蘭盆会との違い)

お盆の期間

期間は、地域によってまちまちですが、全国的には、8月15日を中心とした数日で、ほとんどが8月13日から8月16日の4日間です。
お盆の初日を「迎え盆」とか「お盆の入り」と言い、
お盆の最終日を「送り盆」とか「お盆の明け」と言います。

一方でお盆が7月に行われる地域もありますが、その理由は、明治時代に改暦があったからです。

もとは旧暦の7月を「盆月」と呼んで、7月1日に地獄の釜があく日といって、1ヶ月間続きましたが、明治6(1873)年に新暦となった今は、ほとんど行われません。
ただ場所によっては、東京、神奈川、金沢市、静岡市など7月13日から16日までの期間だったり、沖縄や奄美地方など旧暦の7月13日から16日として、9月1日から4日の地域もありますので、確認が必要です。
なぜお盆時期を8月にずらしたのかには諸説ありますが、7月は農繁期で忙しかったため8月盆の方が都合が良かったなどと言われています。

お盆までの準備

お盆は普通13日〜16日の間ですが、それより前に様々な準備をする地域もあります。

1日

8月1日または7月1日を「釜蓋朔日かまぶたついたち 」とか「お釜の口明け」と呼び、地獄の蓋が開く日とされ、この日からお盆入りと言われることもあります。
1日から精霊様が、家々に向かって出発するという考えがあるようです。
1日からお墓の掃除、お墓参り、仏壇掃除、盆提灯の用意などを始めます。

7日

8月7日または7月7日は棚幡たなばたといい、精霊を迎えるための精霊棚を準備して、お供え物を供えます。
棚幡が転じて、七夕となったとも言われます。

ちなみにお盆の時期に僧侶が、一軒一軒回ってお経をあげることを、棚経といいますが、この精霊棚の前でお経を上げるので棚経と言われるのです。

次にお盆の時期に何をするのか、見ていきます。

迎え火と送り火

お盆には、色々な習慣があります。
まず、迎え火と送り火です。

迎え火・送り火
迎え火・送り火

この迎え火と送り火は、「 門火かどび」ともいわれます。
家の門口や庭先で焚くからです。
これは昔から葬儀の時に小度口で焚く火を門火と言っていたことから、葬送儀礼が由来であるといわれています。
それぞれどんなものなのでしょうか。

迎え火とは

迎え火は、亡くなった人が家を間違えなく戻ってこれるように目印となるように炊かれるものです。
多くの地域では、13日の迎え盆の夕方、玄関先や庭先で、麻の皮をむいた茎の部分である「オガラ」で「迎え火」を焚きます。
穀倉地帯ではワラの所もあります。
火を持って「招来、招来」と言いながら墓の周りを回り、墓石を火で叩く所もあります。
お墓には、招来花を立てる所もあります。そして盆灯籠に火を灯します。

中にはお墓で焚いた火で提灯を灯して家に持ち帰り、玄関先に提灯を灯したりするところもあります。

送り火とは

16日の送り盆の夕方には、同じ場所でオガラを炊きます。
これが「送り火」です。

迎え火に対応して、「精霊をあの世へ送り出すため」に炊かれるものです。
地域によって大規模に行なったり、山や海、川で行なったりします。
送り火で有名なのは、京都の大文字五山の送り火などがあります。

これをやっている人は、先祖の霊があの世から家に戻ってきたり、またあの世へ帰って行くときに迷わないようにという願いを込めたものです。

同じ考え方から、盆提灯というものもあります。

盆提灯

盆提灯
盆提灯

盆提灯も、先祖の霊が戻ってくるときの目印にと思って提灯に火を灯しておくものです。

盆提灯には、上からつるす「御所提灯ごしょちょうちん
下に置く「大内行灯おおうちあんどん」などがあります。

御所提灯には、絵柄の入った提灯や、無地の新盆用の白提灯があります。

大内行灯には、火袋の中に和紙などが貼ってあり、走馬燈のように回転するものもあり、無常を観じさせられるものもあります。

盆提灯は、故人の供養にと贈られるもので、たくさん頂いた盆提灯を毎年飾るのが大変な場合は、新盆から毎年、少しずつ減らしていきます。

最近では、提灯の代わりに1〜2万円の現金を贈り、家族に提灯を買って貰うことも多くあります。

白提灯は、新盆だけに使うので、お盆の最終日の送り火で燃やすのですが、マンションでは燃やせないので可燃ゴミにして出す人もありますし、お寺に納めたりもします。

そして、お盆には、独特のお供えがあります。

お盆のお供え

精霊馬・精霊牛
精霊馬・精霊牛

お盆の入りに、お仏壇の前に「精霊棚しょうりょうだな」をしつらえる地域もあります。
これは、施餓鬼と一体化しているためで「施餓鬼壇」ともいいます。

精霊棚で、もっともメジャーなお供えは、キュウリとナスに、つまようじや割り箸で四つ足をつけ、馬や牛に見立てたキュウリの馬やナスの牛を供えます。
これは、先祖の霊があの世から戻ってくる時は馬に乗って早く来て、あの世へ帰る時は、牛に乗ってゆっくり帰って欲しいという願いを込めたものです。

他にも、初物の果物や野菜、亡くなった方の好物などをお供えする場合もありますし、「お迎え団子」といって団子をお供えする場合もあります。
また、14日にそうめん、15日にもちやだんごを供える所もあります。

さらに精励棚には、お仏壇からお灯明や香炉、お仏花などをおろす場合もありますし、逆に場所が狭い場合は、精励棚を作らずに全部お仏壇にお供えする場合もあります。

この期間は、「霊供膳りょうぐぜん」といって、朝昼晩と3食、家族と同じ食事を供えたり、家族もみんな魚や肉を使わない「精進料理」にする場合もあります。
その他の殺生も避けます。

お盆が終わると、昔はお供え物を小さな船に乗せて川や海へ流し、「精霊流しょうりょうなが」や「灯籠流し」が行われていました。
これは、施餓鬼の一つの川施餓鬼と一体化したものかもしれません。
明かりのついた灯籠を流すのが美しいことから、観光行事になったものもあります。
ですが、最近は環境問題が問題化しているので、送り火で燃やしたり、お寺に納めることが多くなりました。

新盆(初盆)の迎え方

新盆にいぼん」とは、「初盆はつぼん 」とも言われ、故人の四十九日の後の最初のお盆のことです。もし四十九日の間にお盆がくれば、翌年のお盆が新盆になります。
その場合、迎え火と送り火の時に、庭先に杉や竹をたてて灯籠を高くかかげる風習のある所があります。

新盆の時は、僧侶を招いて、法事を行います。
遺族の服装は喪服です。

先述していますが、このとき読まれるお経は、精霊棚の前で読まれるので、「棚経たなぎょう」といわれる場合があります。

親戚や知人を招いた場合は、精進料理でもてなします。
僧侶お布施の目安は法事にならって1〜2万円
食事を辞退されたら「御膳料」5千円から1万円とお車代を包みます。

また、僧侶を自宅には招かず、家族でお墓参りに行ったときに「お布施」を届け、墓前で供養をお願いする人もあります。

盆踊り

お盆の時に行われるのが盆踊りです。
町内の広場にやぐらをたてて太鼓を叩いて音頭を取り、その周りでみんなが輪を作って踊りながら回ります。
有名な徳島県の阿波踊りも盆踊りで、100万人以上が見物に訪れますが、普通は地元の人同士で行われます。

東京音頭」のように、何々音頭というその地域特有の盆踊りの歌があるところもありますし、その時流行している歌謡曲でも何でも踊ります。
服装は浴衣で躍るのが一般的です。
昔は一晩中踊っていたということで、男女の出会いの場になっていましたが、もともとは先祖の霊を迎えて慰めるのが目的でした。
そのため盆踊りのことを、供養踊りとか、 精霊しょうりょう 踊りともいわれます。
新盆の家を巡って庭で踊ったりする場合もあります。

盆踊りは、空也の踊躍念仏ゆやくねんぶつ から一遍の踊り念仏によって人々に広まったとされています。

では、そもそもお盆はどのように行われるようになったのでしょうか?

お盆の歴史

中国

仏祖統紀』によれば、日本に仏教が伝えられた538年、中国の梁の武帝が盂蘭盆の斎を設けたとあります。
」とは法事のことです。
他にも、僧侶は諸寺院でことごとく盆を営んでいたと『荊楚歳時記』に記されているので、この頃には中国では、お盆の行事が行われてたことがわかります。

唐の時代や宋の時代にもお盆が行われていた記録が残されています。

日本

日本で最初に最初にお盆の行事が営まれた形跡があるのは、聖徳太子の活躍されていた616年に、「この年よりはじめてごとに4月8日、7月15日に斎を設く」とあります。

4月8日がブッダのお誕生日で花祭り、7月15日がお盆です。

657年には、「盂蘭盆会を設く」と「盂蘭盆会」という言葉がつかわれ、
659年には、京都の色々なで『盂蘭盆経』の講釈があったと記されています。

こうしてお盆は宮中の恒例行事になり、平安時代になると、公家にも広まります。

鎌倉時代になると、滅亡した平家をお盆に弔うようになり、室町時代では、軒先に盆灯籠を立てることが庶民に普及しました。

迎え火」と「送り火」は、江戸時代に行われるようになります。
また、「新盆」を迎える家では、7月1日からお盆を迎えたいと思い、「7日盆」が始まりました。

七日盆」とは、7月1日にお盆を始めると、7月7日は七夕と重なるため、7日に念入りにお墓参り掃除をするというものです。

そのため、もともと七夕の供物だったそうめんがお盆の供物となり、お盆の供物だったキュウリの馬やナスの牛が七夕のほうへ加わりました。

このように、最初は仏教の『盂蘭盆経』を講説する法事だったのが、だんだん先祖供養が入り込み、今では仏教の教えからはかなり逸脱した行事になってしまったのがお盆です。

では、お盆の始まりである『盂蘭盆経』とは一体どんなお経なのでしょうか?

仏説盂蘭盆経は中国でできた偽経?

盂蘭盆経』は、正しくは『仏説盂蘭盆経ぶっせつうらぼんきょう』といい、ブッダの説かれたお経です。

『盂蘭盆経』の原文や書き下し文、現代語訳はこちらをご覧ください。
盂蘭盆経の全文と書き下し文と現代語訳

ちなみに『盂蘭盆経』を中国でできた偽経だと思っている人がありますが、それは間違いです。

その誤解のもとは、1926年に池田澄達が、「盂蘭盆経に就いて」の中で、『盂蘭盆経』は、同じお経を別の三蔵法師が翻訳した異訳のお経の『報恩奉盆経』と比較して、一部中国で加えられた部分があるのではないかと言い出したことによります。
それはなぜかというと、『盂蘭盆経』はインドの習慣に基づく内容なのですが、後半に『報恩奉盆経』にはない部分があり、そこで「盂蘭盆」というインドの言葉を、お盆の意味で使っているところがあるので、 その部分を中国の人が「盂蘭盆」の意味を取り違えてつけ加えたのではないか、というものです。

この説でも、『盂蘭盆経』は、『報恩奉盆経』にない部分を一部付け加えられたのではないかと推測するのみで、中国で作られたというわけではありません。

それがやがて2013年の辛嶋静志の論文で、言語学の見地から「盂蘭盆」にはお盆の意味があることが分かり、池田澄達の説が否定されました。
盂蘭盆経』に中国で付け加えられた部分があると推測する理由は何もなくなり、疑いなくブッダが説かれたお経であることが、明らかになっています。
また、インドの言葉から中国の言葉に翻訳した人は、鳩摩羅什よりも前の時代の竺法護という三蔵法師です。
それは『盂蘭盆経』にも記されていますし、色々なお経の目録にも全部そう書かれています。
ところが1つだけ翻訳者不明と書いた目録があるため、翻訳者も竺法護ではないのではないか、と疑う人があります。
そんなことを言っていたら何でも疑うことができます。
盂蘭盆経』は異訳もあることですし、誰が翻訳したものだったとしても内容が変わるわけではありません。
有名なお経なので、色々と話題になっているだけです。

ではどんなことが説かれているのかというと、この『盂蘭盆経』には、ブッダ十大弟子の一人、目連尊者のエピソードが出ています。

仏説盂蘭盆経の内容

ブッダ祇園精舎におられた頃のことです。
後に神通力第一といわれる目連尊者が、初めて神通力を得た時、
親孝行な目連は、さっそく親を救いに導いて恩に報いようと思い立ちました。

ところがその神通力によって、目連尊者の亡きお母さんが、餓鬼道に堕ちて、食べることも飲むこともできず、骨と皮ばかりになって苦しんでいることが分かりました。

深く悲しんだ目連は、すぐに鉢にご飯を盛ってお母さんにあげようとします。
お母さんが喜んでそれを食べようとすると、たちまちそのご飯はぼっと燃え上り、どうしても食べることができません。

鉢を投げて泣きくずれるお母さんを尊者は悲しみ、ブッダのところに走っていくと、
どうしたらお母さんを救えるでしょうか
と尋ねました。

その時、ブッダはこう言われています。

仏の言く、汝の母は罪根深く結せり。
汝一人の力を以て、奈何いかんともすべき所にあらず。
汝孝順にして、声天地を動かすと雖も、天神地神も、邪魔外道も、道士も四天王神も、また奈何ともすること能わず。
まさに十方衆僧の威神の力をもちい て、すなわち解脱げだつすることを得さしむべし。
吾今汝が為に救済の法を説き、一切の難をして、皆憂苦を離れしむべし。

仏、目連に告げ給わく、十方の衆僧、七月十五日、僧自恣じし する時に於て、まさに七世の父母、及び現在の父母、厄難の中なる者の為に、飯と百味、五果、汲灌きゅうかん盆器、香油、錠燭ていしょく、床敷、臥具がぐ、世の甘味を尽して、以て盆中につけて、十方の大徳衆僧に供養すべし。

これは、「そなたの母親の罪は深い。そなた一人の力ではどうにもならない。
天地の神々でもどうにもならない。
だが、十方の僧侶たちのすばらしい力を借りれば救えるであろう。
この7月15日に僧たちは合宿の最終日を迎える。
その時、飯、 百味ひゃくみ五果ごか 等の珍味と、香油やろうそく、敷物やふとんなどを十方の大徳衆僧に供養しなさい
」ということです。

7月15日が合宿の最終日というのは、インドでは雨季になると、草木が芽を出し、生き物が新たに生まれます。
そのため僧侶たちは、生き物を傷つけたり殺したりしてしまうのをなるべく避けるために、4月15日から3ヶ月間、洞窟やお寺の中で合宿をして修行に専念していたのでした。
これを雨安居うあんご とか夏安居げあんごいいます。

その最終日の7月15日には、雨季の間のことを懺悔します。
これを自恣じしと言われています。
この時には地元の人々から王族までやってきて、僧侶たちに布施をしたと伝えられています。

その時に、僧侶にご飯や百味、五果などを布施するとよいと、ブッダは教えられたのです。
百味」とは、色々な美味しい食べ物や飲み物、
五果」とは、以下の5つです。

五果
  • 核果かっか:なつめやあんずやもも
  • 膚果ふか:すももやなし
  • 穀果こっか:くるみやざくろ
  • 檜果かいか:松やかしわ
  • 角果かっか:菱や豆

ブッダは「布施の功徳は大きいから、亡き母は餓鬼道の苦難からまぬがれるであろう」
と教えてくださったのでした。
目蓮がブッダの仰せにしたがったところ、お母さんは、たちどころに餓鬼道から天上界に浮ぶことができたといいます。

この喜びの余り踊ったのが盆踊りの始まりだと言う人もあります。

盂蘭盆は、この目連尊者のエピソードから、だんだんと先祖供養の日となって、今日に続いているのです。

では、私たちは、目連と同じように、餓鬼道に落ちた者を天上界に浮かばせることができるのでしょうか?

先祖供養はできる?

先祖供養について考える時には、まず私たちの運命の法則を知る必要があります。

仏教では、運命の法則である因果の道理を根幹として説かれています。
因果の道理というのは、
すべての結果には必ず原因がある
ということです。
そのすべての結果の中でも特に、仏教では本当の幸せになることを目的としているので、運命の因果を詳しく教えられています。
それは、自分の運命のすべては自分のたねまきが生みだしたものだという自業自得の道理です。

一言でいいますと、ブッダはこのように教えられています。

善因善果ぜんいんぜんか
悪因悪果あくいんあっか
自因自果じいんじか

善い行いは、善い結果を生みだし、悪い行いは悪い結果を引き起こす。
善いのも悪いのも、自分の運命のすべては自分の行いが生みだしたものだ、ということです。

そして、たねまきが結果となるには、縁が必要です。
仏教では、こう教えられています。

一切法は因縁生なり。

一切法」というのは、すべてのものです。
すべてのものは、因縁生というのは、因と縁がそろって生じるということです。
因だけでも結果は起きませんし、縁だけでも結果は起きません。

では因と縁とはどんなことかというと、因は直接的な原因で、縁というのは因が結果になるのを助ける条件や環境のようなものです。
例えば、米という結果の因は、もみだねです。
ですが、もみだねをその辺に置いておいても米にはなりません。
水や温度、空気、養分など、もみだねが米になる縁が必要です。
もみだねだけでも米はとれませんし、水や温度だけでも米はとれません。
必ず因と縁が必要なのです。

私たちの運命でいえば、因というのは自分の行いで、縁というのは、他人の行いや環境などです。
自分の行いに、縁が結びついて自分の運命となるのです。

目連尊者の善行

まず目連の立場で因果の道理を考えてみますと、お母さんが布施の功徳が足りずに餓鬼界に落ちて苦しんでいるのを見ていられないので、自分が代わりに布施を行って、そのの功徳によってお母さんの苦しみを減らそうとするものです。
善をお金にたとえるなら、お母さんが借金で苦しんでいるので、それを肩代わりして返してあげるということです。

お母さんの立場で因果の道理を考えると、目連は他人ですので縁です。
ただし因としては、親孝行な立派な子供を育てたというたねまきによって、天上界に生まれるという結果がえられたことになります。

では、私たちもこのような先祖供養ができるのかというと、それにはそれだけのたねまきが必要です。
仏教では、生き物を殺すという悪い行いをすると、地獄という苦しみの世界に生まれると教えられています。
人間に生まれるには、殺生をしない、をつかない、お酒を飲まないなど、五戒といわれる5つのルールを守り続けなければなりません。
それだけでもほとんどの人には困難なことだと思いますが、仏教で天というのは、大黒天や弁財天のようなのことです。
天上界に生まれるというのは神の国に生まれるという大変なたねまきです。
神に生まれるくらいの善い行いが必要ということです。

その点、目連尊者の場合は、出家して五戒どころか二百五十戒という戒律をすべて守り、
厳しい修行悟りを開かれ、釈迦十大弟子の一人にまでなられた方が、
たくさんの僧侶に布施をされたというものです。

これをもう一度お金にたとえれば、大変な借金を抱えてしまった人を大金持ちにするために、
世界でもトップクラスの富豪のビル・ゲイツやウォーレン・バフェットのような大富豪が、
借金を肩代わりした上に、莫大なお金を渡したようなものです。
お母さんも、自分は破産してしまったとはいえ、世界有数の大富豪を育てたわけですから、ちょっとやそっとではできないたねまきをしているわけです。

自業自得の因果の道理からして、先祖供養というのは大変なことなので、
目連尊者ができたからといって、同じように私たちが、そんなものすごい善ができるわけではありません。

先祖供養については、下記もご覧ください。
先祖供養3つのタブーと正しいやり方・効果

ではこの『盂蘭盆経』のエピソードは、本当は私達に何を教えているのでしょうか。

お盆のエピソードの意味

盂蘭盆」は、昔からウランバナという梵語(サンスクリット)で、「 倒懸とうけん 」という意味だという説と、何らかのお盆という意味だという2つの説がありました。
倒懸とは、 さかさにかかれる者ですから、逆立ちしている者ということで、長い間、定説になっていましたが、最近、言語学的にお盆の意味ともとれることが分かってきています。
それによって、『盂蘭盆経』がインドで説かれたお経であることが明白になったわけですから、有意義なことですが、『盂蘭盆経』が、
倒さに懸れる者を救う方法を教えたお経
ということに間違いはありません。

では、「倒さに懸って苦しむ者」とは誰のことでしょうか。

死後だけに餓鬼道があるのではありません。
迷いを迷いと思わず、真実を真実と信じられず、迷いを真実と誤解して苦しみ悩んでいる人は、仏様からご覧になると、みんな
倒さに懸って苦しんでいる者
であり、餓鬼なのです。

日本で最も読まれている仏教書である『歎異抄たんにしょう』には、こう記されています。

火宅無常の世界は、万のこと皆もって、空言たわごと真実あることなし。

今は忙しいから、いつかそのうち仏教を聞いて本当の生きる意味を知ろう
と考えている人が、多いのではないでしょうか。

それは、限りある命を持ちながら、限りないを満たしてからということです。そんなことはできるのでしょうか。
普通に考えると、は限りがないので、を満たす前に命が終わります。
そんな考え方の人が、逆立ちしている人です。

だから、お金や財産、地位、名誉、才能や美貌、家族がある人は、それらによってますます苦しみ、それらの無い人は、これらを求めてますます悩んでいるのです。
有るも苦なら、無いのも苦、有無同然です。

無ければ欲しい、有っても欲しい、欲しい欲しいと飢え続け、渇き続け、恨み続け、満足ということを知らず苦しんでいるのが餓鬼のすがたです。
一体、どこに人間に生まれてよかったと本当の幸福を喜んでいる人があるでしょうか。

本当の生きる意味を知らず、限りないを満たして幸せになれると思い込んで、
考えが逆立ちしていますからどこを見渡しても、ただ苦しみ悩みの声ばかり聞こえます。

亡くなった先祖のことばかりを案じて私たちは、自分が餓鬼であることを忘れていますが、この深刻な自分の心の現実を見つめる時、そんな餓鬼こそ本当の自分の姿だと驚くのです。

お盆は、亡くなられた方をご縁に仏法を聞いて、今、現に倒さに懸って飢え、渇き、苦しみ続けている自分自身を救う日なのです。

お盆の本当の意味

今回は、お盆の意味と、お盆で本当になすべきことについて、解説しました。
お盆の期間は7月または8月の13日〜16日です。
1日から仏壇の掃除やお供え物など準備を行うところもあります。

お盆で迎え火や送り火をしたり、盆踊りをして先祖供養する文化が根付いていますが、お盆について本当に何をすべきか知るには、お盆の由来を知る必要があります。
お盆は、『仏説盂蘭盆経』という仏教のお経が元になっており、この話の中で目連尊者が餓鬼界に堕ちた母親を救う話があります。
しかし私たちには目連尊者のようなことはできず、先祖供養なんてできません。
むしろ欲や怒りで苦しみ続けている自分自身を仏教を聞いて救う日がお盆なのです。

では、先祖供養が到底難しいとなれば、墓参りは無意味なのでしょうか?

仏教の根幹である因果の道理から言えば、お盆だからといって、先祖が墓に集まって来れるわけではありませんが、何も墓参りを無意味だと否定しているわけでもありません。

仏教では、
無常を観ずるは菩提心のはじめなり
といわれて、死を観つめることが、本当の幸福への第一歩だ
と教えられています。

お盆の本当の意味が分かっていれば、自分の人生を見つめ、生きる意味を知る大変よいご縁です。

亡くなられた方をご縁に自分の人生を振り返り、仏法を聞いて生きる意味を知る機会となれば、お盆もとても有意義になります。

では、仏教には、本当の生きる意味をどのように教えられているのか
電子書籍とメール講座にまとめて起きましたので、一度読んでみてください。

目次(記事一覧)へ

この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか一人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。インターネットの技術を導入して日本仏教学院を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

著作