富楼那(ふるな)とはとは?

富楼那(ふるな)」は、十大弟子の一人で、「説法第一」と讃えられます。
そのため、日本の法然上人の説法は富楼那のようであったと讃えられたり、雄弁なことをたとえて「富楼那の弁を振るう」といわれます。
一体どんな仏弟子だったのでしょうか?

富楼那の生い立ち

富楼那は、フルネームでは、「富楼那弥多羅尼子(ふるなみたらにし)」といわれます。
お母さんが、「弥多羅」族だったので、弥多羅族の女の子供ということで、「弥多羅尼子」といわれます。
富楼那弥多羅尼子」は、「弥多羅尼」の子の「富楼那」という意味で、通常は富楼那といわれます。

富楼那が生まれたのは、お釈迦さまの出身のカピラ城の近くの村でした。
お父さんは、巨万の富をもったバラモンの階級の人で、お釈迦さまのお父さんの浄飯王の先生でした。
お母さんは、お釈迦さまがまだシッダルタ太子と言われた時からの付き人で、仏のさとりを開かれた時に、一番最初にお弟子になったキョウチンニョの妹だったといわれます。

ちょうどお釈迦さまがお生まれになった同じ年に、富楼那が生まれました。
色白で美しい容貌を持ち、鼻筋が通ったイケメンでした。
気が利いて、頭も良く、バラモン教のヴェーダを学んで深く理解し、60カ国語を話すことができました。
やがて成長した富楼那は、シッダルタ太子のすごさを見て思います。
シッダルタ太子は、すぐれた方だから、将来は全インドを統一するに違いない。
私の父は浄飯王の先生として、政治を助けたが、私はシッダルタ王の先生にならねばならない。
これは一度出家して、偉大な力を身につけたほうがいいだろう

と思うようになります。

やがて29歳でシッダルタ太子が出家すると、富楼那も29歳で出家して、仏教以外の宗教の教えを求めたのでした。
ヒマラヤに入って数年間苦行していると、やがて深い瞑想と神通力も手に入れます。
その神通力によって、
シッダルタ太子は、今頃どこでどうしているだろう
と、心のまなこで見てみると、仏のさとりを開いて、鹿野苑(ろくやおん)で、はじめての説法をされているのを発見します。
喜んで29人の友達と鹿野苑におもむき、弟子になりました。
お釈迦さまの一番最初のお弟子は、キョウチンニョなどの五比丘といわれる5人ですが、その次が富楼那です。
こうして富楼那はお釈迦さまのお弟子となり、さわやかな弁舌によって説法第一とうたわれ、やがて釈迦十大弟子に数えられるようになったのでした。

舎利弗との対談

やがて智慧第一といわれる舎利弗(しゃりほつ)がお釈迦さまのお弟子になってからのことです。
富楼那から仏教を聞いて仏弟子になった人たちが、祇園精舎
富楼那尊者はすごい方です。小欲知足で、人々に仏教を伝えて喜びとしておられます」 としきりに褒め称えていました。
それを聞いた舎利弗が、
そんなすごい方なら一度お会いしたいものだ
と思っていました。

やがて富楼那が祇園精舎へやってきて、修行を始めます。
喜んだ舎利弗は、富楼那のところへ行って話しかけます。
尊者は、お釈迦さまの教えによって悟りを開かれたのですか?
その通りである
清らかな戒律を守って悟りを開かれたのですか?
いや、そうではない
では心をきよめて悟りを開かれたのですか?
いや、そうではない
では疑いがなくなったことによってですか?
いや、そうではない
こうして舎利弗が順番に7つのお釈迦さまの教えをあげると、
いや、そのどれでもないが、全部そうだともいえる
と言います。舎利弗が
お釈迦さまの教えによって悟りを得たのに、そのどれでもないとはどういうことでしょう
と尋ねると、
「例えば王様が隣の国へ行くときに、7つの車を使うとする。
一番目の中継地まで一番目の車で、
二番目の中継地まで二番目の車で、
三番目の中継地まで三番目の車で行き、
最後に七番目の車で隣の国へ着いたとすれば、一番目の車で隣の国へ行ったのではない。
二番目の車でも三番目の車でもない。
しかし、その全部を使って隣の国へ行ったのである。
ちょうどそのように、戒律だけでも心をきよめただけでも疑いがなくなっただけで悟りが開けるわけではないが、その全体によって悟りを開いたのである
それを聞いた舎利弗は、
尊者は教えを説かれるのに非常にすぐれておられる。
尊者から仏教の教えを聞き、導きを受ける者は、尊者を頭上に乗せてお運びしても、
そのご恩に報いることはできないでしょう。私は舎利弗と申します。

今後ともよろしくお願いいたします」
何、あなたが舎利弗尊者でしたか。
そうと知っていれば、こんなことは言わなかったものを

このように、富楼那と舎利弗は、お互いに尊敬しあっていたといわれます。

説法第一の燃える思い

こうして真実に燃える富楼那尊者は、持ち前の大雄弁で多くの人に仏教を伝えて行きます。
その壮絶さを『雑阿含経』にはこのように説かれています。

ある時、富楼那は、輸盧那(スロナーパランタ)という国に外道の教えがはびこって、人々が凶悪になり、苦しんでいると聞き、お釈迦さまに仏教を伝えたいと申し出ます。
心配なされたお釈迦さまは、こう尋ねられます。
富楼那よ、その国の人々は凶悪で悪口を好むという。
もし人々がお前を罵り、辱しめるようなことがあったら、どうするか

富楼那は即座に答えます。
「覚悟しております。しかし殴ったり石で打つことまではしないと思います」
富楼那よ、もし、殴られたり石で打たれたら、どうするか
「はい、しかし刀杖までは使わないと思います」
もし、刀杖を使ったらどうするか
「たとえ、刀杖を使って暴行されても、命まで奪うことはないと思います」
もし、殺されたらどうする
その時、富楼那はこう答えました。
それは有り難いことです。誰かに殺されなくても、病気や事故で人間一度は死なねばなりません。
私の死によって、一人でも真実の仏法を知り、真実の幸福に救われるならば、本望です

その時お釈迦さまは微笑され、
よいかな、富楼那よ。それでこそ、その国の人々を救うことができるのだ。
今より行って、苦しんでいる人々を存分に救うがよい

と言われたのでした。
それは、このような燃える熱い気持ちと、決死の信念がなければ、真実の仏教は伝え切れないからです。

こうして富楼那は、輸盧那国へ行って、3カ月で500人を仏教に帰依せしめ、やがてその土地で亡くなったといわれます。
生涯を仏教を広めるために挺身し、殉教したということです。
それまでに富楼那は、累計9万9千人を導き、仏弟子の中でも最も多くの人を導いたので、説法第一と言われるようになったのです。

このように、富楼那が命をかけて伝えようとした仏教には、すべての人が変わらない幸せに救われる道が教えられています。
それは、お金や財産、地位、名誉のような欲望を満たす、儚い幸せとはまったく違い、人間に生まれてよかったと大満足できる幸せです。

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