大日如来(だいにちにょらい)とは?

大日如来は、『大日経』や『金剛頂経』などに説かれる仏で、
摩訶毘盧遮那(マカビルシャナ)」とか、単に
毘盧遮那(ビルシャナ)」、
遍照如来」ともいわれます。

真言宗では、大宇宙の数え切れない仏の中の最高の仏とされ、大宇宙そのものとか、森羅万象がおさまっているともいわれます。

仏像では、普通、欲を離れさとりを開かれた仏さまは、質素なすがたですが、大日如来だけは、装身具を身にまとっているのも、最高の仏を表すためといわれます。

では、一体何を根拠として、最高の仏といわれるのでしょうか。

大日如来が最高仏とされる根拠

なぜ大日如来が最高の仏といわれるかというと、大日如来が「法界身」と説かれているからです。

1.『大日経』には、
願わくは凡夫所住の処をして、速に衆苦所集の身を捨てしめ、まさに無垢の処に至ることを得て清淨法界身に安住すべし
と説かれています。

2.『略述金剛頂瑜伽分別聖位修證法門』には、
自性及び受用と変化ならびに等流と、仏徳の三十六は皆自性身に同ず。
法界身をあわせて総じて三十七を成ずるなり

とあります。

これらの「法界身」が大日如来のことで、「法界」とは、大宇宙のことですから、大日如来は、大宇宙そのもので、他の諸仏菩薩の中心と言われたりします。

では2番目の『略述金剛頂瑜伽分別聖位修證法門』に出てきた「自性及び受用と変化ならびに等流」とは何でしょうか。

仏さまの4通り(四種の仏身)

仏さまは、本来色も形もなく、言葉を離れた真実で、人間の認識に乗りません。

しかし、人間の認識に乗らず、人間と関係を持てなければ、人間を救うことはできませんので、私たちの認識に乗る色々の姿を現されます。

これを「四種の仏身(ししゅのぶっしん)」といいます。

ほとんどの仏教では

ほとんどの仏教で、一番多く使われている「四種の仏身」の4通りは、
1.「法身(ほっしん)」
2.「報身(ほうじん)」
3.「応身(おうじん)」
4.「化身(けしん)」
です。

法身(ほっしん)」とは、私たちには認識できない、色も形も臭いもない仏さまです。

報身(ほうじん)」とは、因に報いて現れた仏さまということで、私たちに分かる姿を示された仏さまです。

応身(おうじん)」は、助ける相手に応じて現れた仏ということで、例えば地球上に現れたお釈迦さまは、応身です。

化身(けしん)」とは、「変化身(へんげしん)」とも言われて、人間以外に姿を変えた仏さまです。
経典にはハトやワシ、羅刹等が説かれています。

真言宗では(四種法身)

ところが真言宗では、これを
自性身(じしょうしん)」
受用身(じゅゆうしん)」
変化身(へんげしん)」
等流身(とうるしん)」といい、「四種法身(ししゅほっしん)」といわれます。

自性身(じしょうしん)」とは、三世にわたって常住し、理と智とを具足した仏さまで、色も形もない「法身」と同じです。

受用身(じゅゆうしん)」は、「報身」と同じことですが、「自受用身」と「他受用身」の2つあります。
自受用身」は、自ら開いた仏のさとりを自らが理解する仏さまです。
仏のさとりを開かなければ分かりません。
他受用身」は、他の人にも理解できるように、説法する仏さまです。
ただし、他の人といっても41段以上の菩薩ですので、やはり私たちには分かりません。

変化身(へんげしん)」とは、40段以下の菩薩や、声聞、縁覚、凡夫のために、相手に応じて変化して現れる仏さまです。ここでは「応身」と同じです。

等流身(とうるしん)」とは、動物や色々なすがたを現して導く仏さまで、「化身」のことです。

真言宗ではさらに「五種法身」といわれることもあり、四種法身に法界身を加えたものです。

大日如来は、これらの色々の仏さまの中心に説かれていて、法界身なのだから、最高の仏だということです。

それで最高といえる?

ところが、法界身というのは、大日如来だけではなく、仏様はみな、本来は、色も形もない法界身なのです。

観無量寿経』には、
諸仏如来はこれ法界身なり
とあります。

四種の仏身についても、『十地経論』には
一切の仏に三種の仏あり。一に応身仏、二に報身仏、三に法身仏なり
とありますように、どの仏も本来は法身なのですが、私たちに分かるように、報身や応身となって現れるのです。

大日経』では、大日如来の心と口と身体と、衆生の心と口と身体と一つになって、大日如来に救われようという「三密加持(さんみつかじ)」が教えられていますので、大日如来に向かわないことには、始まりません。
三密加持を教えられた『大日経』で大日如来が中心に説かれるのは当然のことなのです。

仏教で説かれる最高の仏は?

仏教で説かれる最高の仏は阿弥陀如来です。

大無量寿経』には、
無量寿仏の威神光明は最尊第一にして諸仏の光明の及ぶこと能わざる所なり
と説かれています。

無量寿仏」とは阿弥陀如来のことです。
光明」とは仏教で、仏の力を光明と表現されます。
阿弥陀如来のすばらしいお力は、最も尊いこと第一にして他の色々の仏の力の及ぶところではない、ということです。

また、『大阿弥陀経』には、
諸仏の中の王なり、光明の中の極尊なり、光明の中の最明無極なり
と説かれています。

諸仏の王であり、そのお力は極めて尊く、仏様の中でも最も強く、限りがない、と教えられています。

では、大日如来と阿弥陀如来の関係はどんな関係なのでしょうか?

大日如来と阿弥陀如来の関係は?

それでは、阿弥陀如来と大日如来の関係はどんな関係でしょうか。

特に、一切経七千余巻の中で
真言宗の『秘密三部経』の『大日経』や『金剛頂経』などでもなく、
浄土宗の『浄土三部経』の『大無量寿経』などでもない、
他のお経にはどう説かれているでしょうか。

般舟経(はんじゅきょう)』には、
三世の諸仏は、弥陀三昧を念じて等正覚を成ず
と説かれています。

三世の諸仏」とは大日如来も含めたすべての仏のことです。
弥陀三昧を念じて」とは、阿弥陀仏のお力によって、ということです。
等正覚を成ず」とは、仏のさとりを開かれた、ということです。

大日如来が阿弥陀如来のお力によって仏のさとりを開かれた、ということは、大日如来の先生が阿弥陀如来です。

楞伽経(りょうがきょう)』には、
十方のもろもろの刹土に於ける衆生と菩薩の中のあらゆる法報身と化身と及び変化身とはみな無量寿の極楽界中より出ず
と説かれています。

十方のもろもろの刹土に於ける衆生と菩薩の中のあらゆる法報身と化身と及び変化身」とは、4通りに現れた大宇宙のあらゆる仏ということです。

無量寿の極楽界」とは、阿弥陀仏極楽浄土ですから、大日如来も含むあらゆる仏が阿弥陀仏極楽浄土から出て来られた、と教えられていますので、大宇宙の仏方の根本の仏が阿弥陀如来です。

大日如来についてこのように説かれているところはありませんから、阿弥陀如来と大日如来の関係は、阿弥陀如来が先生であり、大日如来が弟子ということです。

なぜ大日経などで大日如来が中心に説かれているの?

ではなぜ『大日経』や『金剛頂経』で、大日如来が中心で、その周りに阿弥陀如来が説かれているのかといいますと、弟子である大日如来が、三密加持のできる人を救おうとしているので、先生である阿弥陀如来は、それを隣でサポートされているのでしょう。
そして大日如来は、実は、三密加持のできない人は、先生である阿弥陀如来の救いへ導こうとしています。

こうして、大日如来には三密加持のできる人しか助ける力はありませんが、先生である阿弥陀如来は、はるかに強く限りのないお力を持っておられるので、すべての人を救うお力があります。

実際、真言宗を開き、弘法大師といわれる空海でさえも、完全な三密加持を行うことはできず、最後は
空海の心のうちに咲く花は 弥陀より外に知る人はなし
と歌っています。
空海以降も、三密加持ができた人は一人もいません。

大日如来の力より、阿弥陀如来のお力のほうがはるかにすぐれていますので、お釈迦さまは、大日如来を含むすべての仏は、阿弥陀如来のお力をほめたたえているとこのように教えられています。
我今その光明を称するのみにあらず、一切の諸仏・声聞・縁覚・諸菩薩衆も、ことごとく嘆誉したまうこと、またまたかくの如し
(大無量寿経)
光明というのは、仏様のお力のことです。
一切の諸仏がほめたたえているのですから、大日如来も、阿弥陀如来のお力を称讃しているのです。

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