キサー・ゴータミー
「キサー・ゴータミー」というのは、お釈迦様の時代に、1歳くらいの子供を亡くした苦しみから、お釈迦様に導かれ、救われた女性です。
やがて質素な衣服で修行に励む姿をお釈迦様から高い徳を備えているとほめられたり、最後は長老と呼ばれるようになっています。
このキサー・ゴータミーがお釈迦様に導かれた話は、有名な仏教の説話として法話で話がされたり、童話などにもなっています。
キサー・ゴータミーは一体どんな人で、私たちに何を教えられているのでしょうか?
キサー・ゴータミーの話の出典
よくキサー・ゴータミーの話の出典を探す人がいますが、それは5世紀にテーラワーダ仏教の僧侶・ブッダゴーサが書いた『ダンマパダ・アッタカター』です。
『ダンマパダ・アッタカター』というのは、『ダンマパダ』、漢訳では『法句経』といわれるお経の、注釈という意味です。
それより古いものでは、1世紀から3世紀の後漢の時代に中国に伝えられた『雑譬喩経』や、4世紀の三蔵法師の鳩摩羅什(くまらじゅう)が翻訳したものを集めたと伝えられる『衆経撰雑譬喩』にも説かれています。
ただ、これらはキサー・ゴータミーという名前はなく、老母の話になっています。
また、お釈迦様が探してくるように言われたのは、芥子の種ではなく、火です。
『雑譬喩経』にはこのように説かれています。
昔、老母あり。
唯一子有りて病を得て命終わる。
墓を作り屍を停めて哀感すること極まりなし。
念じて曰く、まさに一子有りてもって老いに備えるべきに吾を捨てて死す。
吾も亦死して一緒に併せんと、食わず飲まざること四五日なりき。
仏これを憐れみて墓に到り、老母に告げたまわく、
「何の為に墓にあるや」と。
答えて曰く、
「世尊、唯一子あり、吾を捨て死す。
これを愛する情切なくして共に一処にありて死せんと欲す」
仏告げたまわく、
「老母、子をして活かしめんと欲するや否や」
母喜びて、「実にしかり世尊」と。
仏言く、「香を求め来るべし。我まさにその香を焚きて子を更生らしめん」と。
重ねて告げたまわく
「宜しく未だ死人なき家の火を得るべし」と。
是に於いて老母すなわち火をもとめて行く。
人を見れば先ず問う。
「汝が家、前後に死者ありやいなや」と。
答えて曰く、
「先祖以来皆死して過ぎされり」と。
これを問うところの家の辞、みな是の如し。
斯くして数十家を経るも敢て火を得る能わず。
すなわち仏所にかえる。
世尊に白して言さく
「遍く行きて香を求むるも不死の家有ることなし。是を以て空しく帰る」と。
仏老母に告げたまわく、
「天地開闢以来、生ける者の死せざるはなし、何を迷いてか子に随いて死せんとするや」と。
老母すなわち無常の理を解して道に入れり。
(出典:『雑譬喩経』)
このように、もともとはお釈迦様の説かれたお経ですが、「キサー・ゴータミー」の話の出典となると、ブッダゴーサの書いた『ダンマパダ・アッタカター』といえます。
キサー・ゴータミーの過去世
お釈迦様がまだこの世に現れられる前、過去24仏といわれる24の仏がありました。
その10番目の仏が、この世で仏教を説かれていた時のことです。
都にある家に、仏縁深い女の子が生まれました。
やがて女の子が成長すると、仏のもとを訪れて、仏教を聞くようになります。
ある日、仏は粗末な身なりの尼僧を指し示し、粗末な衣で修行に励むことにかけては第一だとほめ讃えました。
彼女はその尼僧に合掌して、いつの日かこの尼僧のようになりたいと強く願います。
それを見た仏は、
「そなたは後の世に、ゴータマ・ブッダの弟子となり、すぐれた尼僧になるであろう」
と予言を授けました。
その女性は喜んで、生涯その仏に仕えたのでした。
キサー・ゴータミーの生い立ち
やがて長い年月が流れ、彼女は、コーサラ(拘薩羅)国の都、舎衛城にある、貧しいお店の娘に生まれ変わったのでした。
ところがやがて大金持ちの長者の家に嫁ぐのですが、その経緯はこのように教えられています。
その頃、舎衛城には40億の財産を持つ長者が住んでいました。
ところがその長者の大邸宅が大火事にあい、全財産が焼けて灰になってしまいました。
今まで築き上げた財産を一度に失い、あまりのショックに立ち上がれなくなってしまいます。
心配した友人が見舞いにくると、その長者は涙ながらに火事の様子を語ります。
今まで生涯をかけてかき集めたものが、ひと晩で灰になってしまった悲しみは、どうすることもできません。
哀れに思った友人は、
「そんなに落ち込むな。いい方法がある」
「何?財産は戻ってくるのか?」
「ああそうだ」
「どうやるんだ?」
「まず通りにむしろを敷いて、木炭を並べて座っているんだ。
通りかかった人は、『他の商人は衣服や油、蜜や砂糖を売っているのに、あなたは木炭を売っているんですか?』と聞くだろう。
それには『自分のものを売らずにどうしろというのかね』と言えばよい。
ところが中には『あなたは黄金を売っているのですね』という人がある。
その人に『黄金はどこにあるのですか?私の手に持たせてください』というのだ。
そうするとその人は木炭をよこすから、それを受け取ると、木炭は手の中で黄金になる」
「本当か?」
「ああ本当だ。
そしてその人を子供と結婚させて全財産を譲り、その人が分け与えてくれるお金で生活するのだ」
財産が元通りになると聞いた長者は、元気を出して起き上がると、さっそく言われた通りにむしろを敷いて木炭を置いて座っていました。
すると言われた通りに、通りかかる人たちから、
「あなたは木炭を売っているんですか」
といわれます。
「本当にこれを黄金だという人が現れるんだろうか?」
と思っていると、貧しそうな娘が通りかかり、
「他の商人は衣服や油を売っているのに、あなたは黄金を売っているんですね」
と言います。
「黄金はいったいどこにあるんですか?」
「これ黄金じゃないですか?」
「それを私に持たせてください」
娘は
「はい、これとこれです」
とやせた手で木炭を長者に手渡してくれました。
すると、その木炭が黄金になったのです。
「友達の言ったことは本当だった!」
と驚いた長者は、娘の名前を尋ねると、
「私はキサー・ゴータミーといいます」
と答えます。
それが、過去世にお釈迦様のもとですぐれた尼僧になると予言されたキサー・ゴータミーその人でした。
長者が家を訪ね、独身であることを確認すると、すぐに息子の嫁に迎えました。
すると炭になった40億の財産が元に戻っていたので、すべてキサー・ゴータミーに与えたのでした。
かわいい子供が死ぬ
キサー・ゴータミーが結婚して10カ月すると、玉のような男子を産みました。
子供はまるまる太ってたえず微笑んでいます。
キサー・ゴータミーは、その子をかわいがってかわいがって命より大切に育てます。
やがて子供が立ち上がり、よちよち歩くようになった頃、突然死んでしまいました。
動かなくなった子供を見て、キサー・ゴータミーは、何事が起きたのか分かりませんでした。
周りの人たちは、悲しんで葬式の準備を始めようとしますが、
「何をするんですか。私の子はもうしばらくしたら元気になりますから、今から薬を探してきます」
と追い払います。
キサー・ゴータミーは、動かなくなった子供を胸に抱きしめると、狂ったように村中を訪ね回ります。
「子供が病気で動かなくなってしまったんです。治す方法はないでしょうか」
見ると子供は死んでいるので、会う人会う人その哀れさに涙を流しましたが、死んだ人を生き返らせる方法など誰も知りません。
「もし何か知っていたらどうか教えてください」
と懇願するキサー・ゴータミーに、中には、
「かわいそうに、その子はもう死んでいるから無理だよ。諦めなさい」
と言う人がありますが、まったく聞く耳を持ちません。
「そんなことはありません。
絶対に薬を知っている人を見つけ出します」
と言って次の家を訪ねます。
やがて心ある人が、今のキサー・ゴータミーには何を言っても無駄だと思い、
「私は薬は分からないけど、治せる人を知っているよ」
と言います。
「えっ?それはどなたですか?」
喜んだキサー・ゴータミーは、食い入るように聞きます。
「祇園精舎におられるお釈迦様だ」
「本当ですか?ご親切ありがとうございます。
今すぐ訪ねてみます」
キサー・ゴータミーは、祇園精舎へ走って行きます。
お釈迦様の導き
お釈迦様のもとへたどり着いたキサー・ゴータミーは、泣きながら子供が動かなくなってしまったことを訴えて、治す薬を求めます。
子供を一目見たお釈迦様は哀れに思われ、優しく言われます。
「そなたの気持ちはよく分かる。
かわいい子供を治す薬を教えよう」
「どうすればいいのですか?」
「これから町へ行って、芥子の種をもらってきなさい」
「そんな簡単なことでいいんですか?」
「そうだ。ただ一つだけ条件がある。
その芥子粒は、今まで死んだ人のなかった家からもらってこなければならない」
「分かりました」
それを聞いたキサー・ゴータミーは、町に向かって一心に走りました。
キサー・ゴータミーが知らされたこと
町へ着くと、キサー・ゴータミーは、また一軒一軒訪ねます。
「つかぬことをお伺いしますが、この家では亡くなられた方はありますでしょうか」
「はい、うちでは昨年、父が死にました」
「うちは夫を先日亡くしました」
「以前、子供を亡くしました」
死人を出した家ばかりです。
それでもキサー・ゴータミーは、死人を出したことのない家を探して駆けずり回ります。
「あなたを何を言われる。うちは代々たくさんの人が死んでいる。
だいたい世の中は生きている人よりも死んだ人のほうが多いではないか」
どれだけ訪ね歩いても、一向に芥子粒が手に入りません。
やがてあたりが薄暗くなって、みんなが夕食を食べ始める頃、もはや歩く力も尽き果てたキサー・ゴータミーは、夕闇の中、すっかり冷たくなった子供を抱きながら、お釈迦様のところへ戻って行きました。
「キサー・ゴータミーよ。芥子の種は得られたか」
「お釈迦様。死人のない家はどこにもありませんでした。
私の子供も死んだことがようやく知らされました」
泣き崩れるキサー・ゴータミーに、ようやく法を聞く心が起きたことを察知されたお釈迦様は、
「そうだよキサー・ゴータミー。人はみな死ぬのだ。
こんな明らかなことがわからない愚か者なのだよ」
「本当に馬鹿でした。こうまでしてくださらないと、分からない私でございました。
こんな愚かな私でも、救われる道を聞かせてください」
こうしてお釈迦様は、死ぬのは子供だけではなく、自分もやがて死んで行かなければならない一大事があることを教えられたのでした。
彼女は深く懺悔し、出家して、仏道を求めるようになったといいます。
キサー・ゴータミーの話で教えられていること
子供が死んだことくらい、
「その子は死んだんだよ」とか
「人は必ず死ぬんだよ」と
一言言えば分かりそうに思います。
それは他人だから言えることで、自分がキサー・ゴータミーの立場になれば、子供がかわいくてかわいくて、とても信じられません。
お釈迦様に何とかして欲しいと思います。
そこでお釈迦様は、
「町を回って死人の出たことのない家から芥子の種を貰ってきたら、薬を作ってあげよう」
と言われたのです。
キサー・ゴータミーは、お釈迦様に教えられた通りにずーっと回りますが、死人の出たことない家は一軒もありませんでした。
お釈迦様の教えを実行することによって、だんだんと知らされてきたのです。
お釈迦様は、
「そなたの子供はもう生き返らない。それが分かるから回ってこい」
とは言われていません。
キサー・ゴータミーの立場に立って、
「芥子の種を貰ってきたら、薬を作ってあげよう」
と言われています。
ちょうどそのように、私たちも迷いが深いので、なかなか真実は分かりません。
例えば、やがて必ず死んで行かなければならないということさえも分からず、
「いつ死んでもいい」とか、「死は怖くない」と言っています。
それにもかかわらず、実際には病気になると、あわてて病院へ行って何とか長生きしようとします。
元気な時は、まさか自分が死ぬとは思っていないだけです。
キサー・ゴータミーと同じように、自分のこととなると自惚れ強い私たちはなかなか分かりません。
そんな迷いの深い私たちを何とか真実まで導くために、お釈迦様は色々な方便を使われているのです。
それが、因果応報の運命の法則であり、煩悩を教えて、悪をやめて善いことをするように勧められていることです。
それを知ったとか分かったという頭だけの理解ではなく、実地にやって進んで行かなければなりません。
方便なくしては絶対に入れない、真実の幸福の世界があるのです。
では、お釈迦様が説かれた真実の幸福とはどんな世界なのか、どうすればその真実の幸福になれるのか、ということについては、以下のメール講座にまとめておきました。
今すぐ見ておいてください。
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この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか一人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。インターネットの技術を導入して日本仏教学院を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。
仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。
著作
- 生きる意味109:5万部のベストセラー
- 不安が消えるたったひとつの方法(KADOKAWA出版)