祈祷(きとう)とは

祈祷というと、僧侶や神官が火を焚いて、汗だくになりながら何かを熱心に祈っているイメージがあります。
あれは何をしているのかというと、仏教の場合は、一応祈祷というのは、仏や菩薩の加護を受け、明王や神の力を得て、修行者は仏と一体になって、願いを成就しようとするものです。
しかしお釈迦さまは祈祷をお経に説かれているのでしょうか?

この記事では、
・祈祷の種類
・祈祷の歴史
・祈祷の効果
・祈祷についての科学的な調査結果
・祈祷についての仏教の教え
について分かりやすく解説します。
まずはどんな祈祷があるのか見てみましょう。

祈祷の種類

祈祷には、国家で行われるものと、個人的なものと2種類あります。
国家で行われるものは、「修正会」「修二会」「節分会」など、定例行事として、定期的に行われるものがあります。

目的は「五穀成就」「除災与楽」「風雨順時」「天下太平」などがあります。
元寇や第二次世界大戦のような戦時中には、戦勝祈祷も多く行われました。

2つ目の個人的なものは、おなじみ
家内安全」「交通安全」「商売繁盛」「病気平癒」「学問成就
など、お金儲けや病気治し、入試の合格などがメインです。

ところが仏教を説かれたお釈迦さまは、このような祈祷は一切説かれていません。
それなのになぜ仏教で祈祷が行われるのでしょうか?

祈祷の歴史

もともと仏教は、蘇我氏が宗教的権威を身につけたいと思って後押ししたものでした。
その後、奈良時代にも、国を護ることを期待されました。
聖武天皇が華厳宗の本山の東大寺を建立したのは、鎮護国家の祈祷所とするためです。
藤原鎌足の病気治しの祈祷も行われました。法相宗の本山の興福寺でも、祈祷のために法華会という行事が行われ、その他、維摩会(ゆいまえ)、御斎会(ごさいえ)など、色々な祈祷の行事が行われるようになりました。他にも仏教に説かれていない雨乞いや、色々な現世利益を願う祈祷を行うようになります。

平安時代になると、積極的に加持祈祷を行う真言宗が現れます。
真言宗は、密教ですので、呪術や祈祷を行います。
貴族は、祟りを免れ、一族の繁栄を願うために、毎月のように祈祷を行います
。特に平安京に遷都した桓武天皇は、「護持僧(ごじそう)」を設けます。
護持僧とは、天皇の健康を祈って祈祷し続ける僧侶です。
桓武天皇が起用した最澄の天台宗や、空海の真言宗の僧侶が護持僧となりました。
(ちなみに桓武天皇は、お彼岸法事を始めた人でもあります)

このような貴族の需要に正面から応えた真言宗が繁栄したために、後れを取った天台宗でも密教を取り入れて、積極的に祈祷を行うようになります。
こうして、貴族の望みによって祈祷は盛んになります。

鎌倉時代や室町時代のような武士の世の中になると、「祈祷奉行」が設けられます。
禅宗でも、修正会(しゅしょうえ)という祈祷の行事があり、禅宗のルールである『百丈清規(ひゃくじょうしんぎ)』の説に基づいて、敵を打ち負かす祈祷をしたことがあります。

日蓮宗は祈祷をしないと思われている場合がありますが、実際には護符を出したり、諸病治癒の加持をしたり、現世利益を祈る祈祷を盛んに行っています。

さらには浄土宗でも、南北朝の南朝最初の天皇であるの後醍醐天皇の時、疫病が流行し、勅命で祈祷を行って以来、雨乞いの祈祷までするようになりました。

江戸時代になると、庶民にも祈祷が広まり、祈祷寺院まで現れるようになります。

このように、人々の切実な願望により、祈祷が盛んになってきたのですが、浄土真宗だけは例外です。

浄土真宗では、江戸時代の16代目の法主が重い病気になったとき、その妻が勝手に病気治しの祈祷をしてしまいます。
それを聞いた「能化(のうけ)」という浄土真宗の教学の責任者であった法霖(ほうりん)が、教えに反するとして、法主に責任をとって自害するよう勧めます。
そして法主が自害すると、法霖も責任をとって割腹自殺をしました。
こうして仏教の宗派の中で、お釈迦さまの教えの通り、死んでも祈祷を行わないのは、浄土真宗だけでした。

明治時代になると、科学や医学が西洋から入ってきます。
病気平癒の祈祷をするよりも、医学を使ったほうが病が治るので、明治政府も医学の輸入を推進し、祈祷は廃れていきます。
極めつけは明治45年(1912)夏、明治天皇の病気が重くなり、二重橋前などで国を挙げて熱狂的に病気平癒の祈祷が行われました。
ところが祈祷の努力むなしくその夏の7月30日に明治天皇は亡くなり、明治時代は終わりを告げます。
すっかり落胆した当時の人々は祈祷に失望し、すっかり冷めてしまったのでした。

祈祷の効果

近現代になり、科学や医学が発達すると、祈祷によって現世利益があると思う人はかなり減りましたが、それでも病気や借金などの大きな苦しみを受けると、
溺れる者は藁をもつかむ」心境で、祈祷にすがる人も絶えません。

しかし、冷静に考えれば誰でも分かるように、祈祷にはまったく商売を繁盛させたり、病気を治す効果はありません。
商売繁盛のためには経営コンサルティングを受けるとか、もっと働くなどの努力をしたほうがいいでしょうし、病気を治すためには病院に行くほうが妥当でしょう。
それにもかかわらず祈祷をしてもらうと、お金と時間がかかり、お金と時間を浪費する分、よけい苦しみが大きくなります。

祈祷の効果を伝えた江戸時代の逸話

江戸時代の逸話を集めた『耳袋(みみぶくろ)』には、祈祷をした僧侶について、こんな話が記されています。

お金持ちの山本家の主人が、中年を過ぎて重い病気になりました。
家族は、東京の四谷あたりに、霊験あらたかな祈祷をする僧侶があると聞いて、当時は医学もあまり進歩していなかった為、その祈祷僧を招きました。
病人を診たその僧侶は、
これ位なら間違いなく治ります。
私が17日間祈祷すれば、最終日には起き上がるでしょう

と請け合います。

喜んだ家族は、高額の祈祷料を払い、毎日お供えを持って僧侶のもとを訪れます。
すると祈祷師は、
日々、病気は快方に向かっている
と言います。
ところが7日目に、容態が急変し、あれよあれよという間に病人は亡くなってしまいました。
そこへ祈祷をしている僧侶がやってきて、
快方に向かっているだろう
と尋ねます。主を失った家族が、腹立ち紛れに
祈祷の甲斐なく亡くなりました
とぶっきらぼうに答えると、僧侶は
そんなことはなかろう
と首をかしげながら病床へやってきて、主人をじっと見つめます。
今までこんなことはなかった
と言ってお経を読むと、悲しんでいる妻子に
しばらくそっとしておいて下さい。必ず生き返るでしょう。
もし本当に病死したとしても、来世の極楽往生は間違いありません

と言ったといいます。

江戸時代の頃から、いい加減な祈祷師はたくさんいたのです。
そして、祈祷などを信じていると、仏教に説かれる本当の幸せへの道も閉ざされることになりますからハイコスト・ノーリターンです。

祈祷の効果の科学的な調査結果

祈祷について初めて科学的に調査したのは、ダーウィンの従兄弟のフランシス・ゴルトンでした。
1872年のことですので、日本では、上記の明治天皇が祈祷の効果なく亡くなる40年前、明治5年のことでした。
ゴルトンの場合の祈祷は、キリスト教の祈りですが、当時イギリスでは、毎週日曜日にすべての教会で、王家の健康を祈っていました。
そこでゴルトンは、
王家の人々は普通の人より健康でなければならない
と考えて調べたところ、統計的な違いはありませんでした。

また、祈られる対象だけでなく、祈っている人はどうかも調査しました。
ゴルトンは
聖職者は祈る時間が長いし、熱心に祈るはずなので、他の職業の人よりもずっと長生きするはず
と考えました。
ところが、調査の結果、聖職者が長生きというわけではなく、むしろ弁護士や医師よりも短命であることが分かりました。

もっと新しい研究では2006年にもあります。
これもキリスト教の祈りですが、1802人の心臓バイパス手術を受けた患者に対して、祈祷の効果を調べたものです。
患者は3つのグループに分けられました。
1.祈ってもらってそのことを知らなかったグループ
2.祈ってもらわずそのことを知らなかったグループ
3.祈ってもらってそのことを知らされたグループ
その結果、グループ1と2で何の違いもありませんでした。
そして意外なことに、祈ってもらってそれを知らされた人は、病気の回復が遅くなりました。
それは、祈られないといけないほどの重体なのだろうかという心配がストレスになったといわれます。
他にも神に祈ってもらっているから大丈夫と医師の言うことをあまり聞かなくなったのではないかとも思います。

いずれにせよ、科学的にも祈祷の効果はまったくないか、逆効果であることが分かっています。

祈祷について仏教では

では仏教では、祈祷についてどのように説かれているのでしょうか?

積極的に祈祷を行う真言宗でさえも、経典に大日如来と一体となり、大日如来の力によって仏のさとりを目指す、「加持」は説かれているのですが、「祈祷」は説かれていません。

しかも、加持の目的は、さとりであって、「商売繁盛」「病気平癒」などの現世利益ではありません。

また『阿育王伝』にはこう教えられています。
善見という修行僧が、神通力を得て、悟りを開いたと増上慢という慢心を起こしました。
私はもうさとったから、雨乞いの祈祷でいつでも雨が降らせられる
と公言していました。

ある年、ひでりが続いて雨が降らないので、その国の人が外道占ってもらうと、
この先12年間は雨は降らないだろう
と言います。
そこで人々は、善見に雨乞いを頼みました。
快く引き受けた善見が雨乞いをすると、やがて大雨が降り、洪水で困るほどでした。
善見は意気揚々と引き上げようとすると、そこへ当時有名な高僧が現れました。
善見は思わず内心、
どうですか、私のすごさは。もうあなたも超えたのではないですか?
と思います。
ところが、たちまち我に返って自分の心に驚きます。
なんと!?悟りを開いている者にこんな自惚れ心が出るはずがない。
私は悟りを開いていなかったのか……

善見は愕然として懺悔したのでした。

そこで、目の前に現れた高僧に、
どうか私に仏の教えをお説き下さい
とお願いすると
そなたは仏の説かれた教えをまったく守っていない。
お釈迦さまがいつ雨乞いの祈祷など説かれたか。
一度も説かれていないではないか。
それどころか僧侶は雨乞いのような現世利益を願う祈祷などしてはならないと厳禁されている

と言われたと伝えられています。
このように、仏教では、祈祷は教えられていないばかりか、禁じられているのです。

ですから仏教のお寺で祈祷をするというのは、まったくお釈迦さまの教えに反したことなのです。

祈祷の歴史で見たように、現在でもどの宗派も、大なり小なり祈祷を行いますが、浄土真宗だけは現在もお釈迦さまの教えに忠実に、祈祷は一切行いません。

では仏教の教えは、祈祷とどう違うのでしょうか?

仏教と祈祷の違い

祈祷と仏教の教えの異なる点は、大きく分けて、2つあります。

1.運命の原因

1つは、祈祷では、仏や菩薩や神に私たちの運命を左右する力があるとしていますが、仏教では、私たちの運命を決めるのは、自分の行いだと教えられていることです。

仏教の根幹は因果の道理ですので、幸せという運命も、不幸や災難という運命も、すべて自業自得であり、因果応報、自分の生みだしたものです。

仏や菩薩や神でも、因果応報を曲げることはできません。
受験勉強が不十分なのに、祈祷すれば、仏や菩薩や神が合格させてくれるとか、ろくに働いてもいないのに、祈祷すれば、商売が繁盛して、お金を儲けさせてくれるということはありません。
自分が悪いことをしたら、自分が悪い結果を受けなければならないのです。

もし祈祷に効果があったと感じたら、それはあなたが過去にいい行いをしていたからで、祈祷の効果は皆無です。

このように、仏教では自分の運命は自分の行いが生みだしたものだと
教えられていますので、運命の原因が、祈祷と異なる1つ目です。

2.目的

2つ目は、目的が違います。

祈祷の目的は、お金儲けや、病気治し、大学合格などの現世利益ですが、仏教の目的はそうではありません。

仏教では、商売が繁盛してお金に困らなくなったり、病気が治って健康になったり、入試に合格して大学生になっても、それで心からの安心や満足は得られないと教えられています。
また何かしら次の心配や問題が起きてきます。

実際あなたも、健康なときや、大学生だったとき、何の苦しみもなかったでしょうか?
そのとき、そのときで、何らかの心配や問題があったはずです。

そこで仏教では、因果の道理にもとづいて、そんな心配や問題が次から次へと起きてくる根本原因を解明し、それを取り除いて、心からの安心と満足を得ることを目的としています。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

仏教が好きで、東大教養学部で量子統計力学を学んだものの卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とかみなさんに知って頂こうと失敗ばかり10年。やがてインターネットの技術を導入して日本仏教アソシエーション(株)を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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