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帝釈天とは?

帝釈天」は、仏教の経典に登場する神の一人です。
男は辛いよ』の舞台になった東京の柴又には、柴又帝釈天といわれるお寺があることを初めとして、帝釈天は全国で信仰され、多くの人に拝まれています。
ですが、帝釈天とはどういう神なのかは、あまり理解されていません。
帝釈天とは何の神であり、どのような功徳(力)を持つといわれるのでしょうか?

帝釈天の姿

まず、帝釈天はどんな姿をしているかというと、その特徴として、ある武器を持っています。
それがどんな武器かというと、お経にはこのように説かれています。

釋提桓因は金剛杵を持し
(漢文:釋提桓因 持金剛杵)

釋提桓因」とは帝釈天のことですので、帝釈天は「金剛杵」という武器を持っている、ということです。
実際、木像などをみると、例えばこのようになっています。

木造伝帝釈天立像、木造伝梵天立像

木造伝帝釈天立像、木造伝梵天立像
(出典:文化遺産オンライン


こちらの左側が帝釈天です。(右側は梵天
このように木像などでも、右手に金剛杵を持っている姿が多く描かれています。

帝釈天の持つ「金剛杵」というのはどんな武器かというと、 きねの一種です。
帝釈天の金剛杵は、中央の持ち手の両サイドに、雷をかたどった鋭い刃があります。
特殊能力として雷を操ることができます。
もちろん武器のクラスは神レベル、属性は雷の、極めて強力かつ普通の人には入手困難な武器です。
さらにこの金剛杵には、阿修羅を倒す力まで付加されています。
(阿修羅との戦いについては、後ほど解説します)

大宝積経』には、さらに続けて、帝釈天の姿をこのように説かれています。

その力、勇健にして九千の象に敵す。
垂臂纖好にして天象の鼻の如く、體は淨金の如く、筋肉堅密にして骨脈露われず。
臆は師子の如く、肚は凸垂せず、其の腰は束細なり。
金線瓔を貫きて以て頭飾と爲し、珠璫晃耀し天服修委なり。
天の聲明久しく已に通達して、書論を撰造す。
甘露を飮食し、往來には常に伊跋羅象に乘り、復次に大仙、彼の天帝は、然も其の色身は諸骨肉に非ずして純花の所成なり。
喉聲清美に身香殊特なり。
仮に狂象をして、その香氣を聞かしむるも、皆自ら調善なり。
形貌端嚴にして、猶佛身の如く、その輝艶する所諸の金聚に映ぜば、その精光を奪いて、皆黒闇ならしむ。

(漢文:其力勇健敵九千象 垂臂纖好如天象鼻 體如淨金 筋肉堅密骨脈不露 臆如師子 肚不凸垂 其腰束細 金線貫瓔以爲頭飾 珠璫晃耀天服修委 天之聲明久已通達 撰造書論 飮食甘露 往來常乘伊跋羅象 復次大仙 彼之天帝然其色身非諸骨肉 純花所成 喉聲清美 身香殊特 假令狂象聞其香氣 皆自調善 形貌端嚴猶如佛身 其所輝艶映諸金聚 奪其精光皆令黒闇)

これはどういう意味かというと、
帝釈天は九千の象に匹敵するほど勇健な力がある。
腕はとても頑丈で体は浄金の如く輝き、筋骨隆々で骨は見えていない。
胸は獅子のようで、腹はたるんでおらず、腰は引き締まっている。
黄金の糸でできた頭飾りつけ、真珠の輝く天服を着ている。
天の聲明久しくすでに通達して、書論を撰造する。
甘露を食し、移動には常に伊跋羅という象に乗る。
身体は人間のような骨肉はなく、純花でできており、声は美声で、身体中が優れた香りを漂わせている。
仮に暴れる象がいて帝釈天の香気に触れると、自然と落ち着いてしまう。
容姿端麗にして、仏のようであり、その姿を金塊に映せば、金の輝きを奪い暗黒とするほど鮮やかな輝きを纏っている。

帝釈天が乗っている白象について、さらに詳しく説かれています。

時に天帝釋は伊羅婆那白象の上に在り。
其の象は端嚴にして寶山に勝れ、行歩進趣すれば、玉山を動かすが如し。
其の象、鮮白なること雪山に踰え、春末の時、日光の雪山の峯を照曜するが如し。

(漢文:時天帝釋 在於伊羅婆那白象之上 其象端嚴 勝於寶山 行歩進趣 如動玉山 其象鮮白 踰於雪山 如春末時 日光照曜雪山之峯)

これはどういう意味かというと、
帝釈天は、伊羅婆那という白象に跨っています。
その象はとても端正な姿で威厳があり、宝山よりも勝れ、歩み進めばまるで玉山が動いているようです。
その象は、雪山に喩えられるほど鮮やかに白く、春末に雪山の峯を日光が照らしているように綺麗な姿をしています。

この白象については、帝釈天は、以下のように教えています。

伊羅婆那六頭白象は、一切大龍の功徳を具足せり。
我此の象に乘りて阿修羅を摧かん。

(漢文:伊羅婆那六頭白象 具足一切大龍功徳 我乘此象 摧阿修羅)

これはどういう意味かというと、
この伊羅婆那六頭白象は、大龍の功徳を具足しており、私はこの象に乗って阿修羅を破ろう、ということです。

このような乗り物や武器を使って、帝釈天は阿修羅と戦ったこともありましたが、
その戦いに入る前に、そもそも帝釈天とは、どんな神なのでしょうか?

帝釈天とは

帝釈天」は、仏教を代表する守護神です。
よく梵天と並んで「釈梵」とも「梵釈」とも紹介されます。
例えばお経にはこのように説かれています。

釈・梵、奉侍ぶじし、天人、帰仰きごうす。
(漢文:釋梵奉侍 天人帰仰)

これはお釈迦さまがお生まれになった時のことです。
帝釈天と梵天が降りてきて、生まれたばかりのお釈迦さまに、はべり奉って仕え、神々が敬い帰順した、ということです。

仏教で「」というのは神のことです。

ちなみに梵天については、こちらの記事をご覧ください。
梵天(ブラフマン)とは?名前の意味と有名な梵天勧請について

ここで帝釈天について、参考までに仏教辞典の解説を見てみます。

帝釈天
たいしゃくてん[s:Indra, Śakra]
インドラ神のこと。
<帝釈>のフルネームはśakro devānām indraḥ(神々の力強い帝王、の意)で、<帝>はindraの訳、<釈>はśakraの音写。
インド最古の聖典『リグ‐ヴェーダ』における最高神で、雷霆神らいていしんの性格をもち、理想化されたアーリヤ戦士の姿をとる英雄神である。
後に仏教に取り入れられて、梵天ぼんてんとともに護法ごほうの善神となる。
欲界の第二天である忉利天とうりてんの主で須弥山しゅみせん山頂の喜見城きけんじょうに住み、阿修羅あしゅらと戦ってこれを降し、天下に使臣をつかわして、万民の善行を喜び、悪行をこらしめる威徳ある神である。
十二天の一つで、須弥山などの一切の山に住む天神や鬼類のぬしとして東方を守護する。
遺例に、奈良時代の東大寺法華堂像や唐招提寺像、平安前期の教王護国寺像がある。
なお柴又帝釈天(題経寺、東京都葛飾区)は庶民信仰の寺として名高い。

辞書では、帝釈天の概要のみ書かれているので、以下では詳しく説明します。

帝釈天の意味

まず「帝釈天」という名前には、どんな意味があるのでしょうか?

帝釈天のサンスクリット(梵語)名は「śakro devānām indraḥ」(シャクロー・デーヴァーナーム・インドラハ)といます。
」は男性名詞インドラハ(indraḥ)の単数主格を意味し、
」は力強いという意味の形容詞シャクラハ(śakraḥ)の男性単数主格の音写、
」は「」を意味する男性名詞デーヴァの複数所有格デーヴァーナーム(devānām)を意味し、
これらを合わせて帝釈天と呼ばれています。

このサンスクリット(梵語)名をそのまま漢字に音写すると
釈迦提婆因陀羅しゃかだいばいんどらとなります。

他にも釈提桓因しゃくだいかんいんとか、釈迦提婆しゃかだいば釈迦因陀羅しゃかいんどらといわれて、帝釈天の別名となっています。
例えば『阿弥陀経』や『法華経』では「釈提桓因」という名前で参詣して、お釈迦さまのご説法を聴聞しています。

名前には「有力」「勇決」という意味があり、
天帝とか、天主、天帝釈などとも呼ばれる諸天(諸神)です。

釈提桓因・釈迦因陀羅の由来

お釈迦様は、「釈提桓因」という名前の由来について、
お経の中で、ある時、このように教えておられます。

世尊、何の因、何の縁ありて釈提桓因を釈提桓因と名づくるや。
仏比丘に告ぐ、釈提桓因は本と人たりし時、頓施を行じ、沙門婆羅門の貧窮困苦し、生を求めて行路に乞うものには、施すに飲食·銭財·穀帛·華香·厳具·床臥·燈明を以ってし、堪能なるを以っての故に釈提桓因と名づく。

(漢文:世尊 何因何縁釋提桓因 名釋提桓因 佛告比丘 釋提桓因本爲人時 行於頓施 沙門婆羅門 貧窮困苦 求生行路乞 施以飮食錢財穀帛 華香嚴具 床臥燈明 以堪能故名釋提桓因)

ある時、お弟子の一人が、お釈迦さまにこのようにお尋ねしました。
「世尊、どのような因縁があって、『釈提桓因』と名付けられたのでしょうか」
お釈迦様は教えられました。
「釈提桓因は、人間であった時、即座に布施を行い、
修行者が非常に困窮して乞食行を行うものに、
飲食・銭財・穀帛・華香・厳具・床臥・燈明といったものを
施すことに優れていたために、『釈提桓因』と名付けられたのだ」

帝釈天の名前は、帝釈天が人間だった時の布施行がすぐれていたことが由来していると分かります。
このことから、帝釈天はもともと人間で、すばらしい行いをして神に生まれ変わった存在だと分かります。

ちなみに仏教で布施とはどんなことなのかについては、こちらの記事をご覧ください。
布施とは?お布施の金額の相場や仏教の意味を分かりやすく解説

また仏教用語を解説した『慧苑音義』によると、
釈迦因陀羅」の由来がこのように説明されています。

釈は百なり。
迦は施なり。
因陁羅は主なり。
昔百度設大施會を設け、今此の天主と作ることを得たるが故に、百施主と言う。

(漢文:釋百也迦施也因陁羅主也言昔百度設大施會今得作此天主故百施主)

これを意訳するとこうなります。
(釈迦因陀羅の)「」の意味は、百である。
」は施すの意味である。
因陁羅」は主という意味である。
昔、百度の施しを行ったため、今、天主となりて、百施主と言われるのである。

この解説からも、「釈迦因陀羅」という名前の由来は、布施行によって神に生まれたことからきていることがますます明らかです。

帝釈天は争いのとして紹介されることが多いのですが、
人々に施しを与え、幸福になってもらおうという自利利他じりりたの心が強い神なのです。

帝釈天の異名

他にも帝釈天は、その特徴に応じて、
橋尸迦、婆蹉婆、富蘭陀羅、摩佉婆、因陀羅、千眼、舎支夫、金剛、宝頂、宝幢といった
複数の名前を持っています。
涅槃経』にはこう説かれています。

また帝釋と名づく、また憍尸迦と名づく、また婆蹉婆と名づく、また富蘭陀羅と名づく、また摩佉婆と名づく、また因陀羅と名づく、また千眼と名づく、また舎支夫と名づく、また金剛と名づく、また宝頂と名づく、また宝幢と名づく
(漢文:亦名帝釋 亦名憍尸迦 亦名婆蹉婆 亦名富蘭陀羅 亦名摩佉婆 亦名因陀羅 亦名千眼 亦名舍支夫 亦名金剛 亦名寶頂 亦名寶幢)

このうち「橋尸迦きょうしか」は、帝釈天が神になる前の人間だった頃の名前です。
帝釈天は人間だった時どのような人で、どのようにして帝釈天となったのでしょうか。

人間だった頃の帝釈天(憍尸迦)

人間だった頃の帝釈天について、龍樹菩薩がこのように教えられています。

昔、摩伽陀国中に婆羅門あり。
摩伽と名づく、姓は橋尸迦。
福徳大智慧あり。
その知友三十二人と共に福徳を修め、命終って皆須弥山頂の第二天上に生まれ、摩伽婆羅門は天主となり、三十二人は輔臣となる。
この三十三人を以ての故に、名づけて三十三天と為す。

(漢文:昔摩伽陀國中有婆羅門名摩伽 姓憍尸迦 有福徳大智慧 知友三十三人 共修福徳命終 皆生須彌山頂第二天上 摩伽婆羅門爲天主 三十二人爲輔臣 以此三十三故 名爲三十三天)

これは一体どういう意味かというと、昔、インドのマガダ国にバラモンがおり、名は摩伽、姓は憍尸迦と言いました。
彼は大変功徳を積み、智慧に優れた人でした。
その友人三十二人と功徳を積んだので、
死後は皆、その功徳によって須弥山頂の第二天に生まれ、神になりました。
その中でも、摩伽は主となり、32人は、主を助ける臣下となりました。
このように、摩伽憍尸迦とその家来32人で合計33人いたので、「三十三天」と名づけられたのです。

やはり帝釈天は、人間だった頃、憍尸迦摩伽という名前で、大変な功徳を積んでいたのです。
死後どのような世界に生まれるのかは、自分のやった功徳の結果、因果応報の道理に従って決まります。

ちなみに因果応報についてはこちらの記事をご覧ください。
因果応報とは?意味を分かりやすく恋愛の実話を通して解説

三十三天という世界はどんな世界かというと、
6つの迷いの世界である六道の中で一番苦しみの少ない、天上界です。
どうしたらその苦しみの少ない三十三天に生まれられるかというと、
帝釈天は人間界で以下のような善い行為を保ったために、
死後、三十三天に生まれた、とお釈迦さまは教えられています。

父母及び家の尊長に供養し、柔和恭遜に辞し、粗言・両舌を離れ、慳悋の心を調伏し、常に眞實語を修す。
(漢文:供養於父母 及家之尊長 柔和恭遜辭 離麁言兩舌 調伏慳悋心 常修眞實語)

帝釈天は人間だった時、両親には親孝行をして、一族の目上の人に布施を行い、いつも柔和で謙虚なやさしい言葉遣いをし、悪口や二枚舌は決して口にせず、ケチな心を抑えて布施に心がけ、常に真実の言葉を語っていました。
このような善を行いつつ、大変多くの功徳を積み、
その功徳によって、死後に天上界(三十三天)に生まれ、帝釈天となりました。

お釈迦さまがこれを説かれた意味としては、このようないい行いをすれば、天上界で神に生まれることができるから、いいことをしなさい、という廃悪修善のススメです。

では帝釈天の住む天上界とは、どのような場所なのでしょうか。

帝釈天の住処

帝釈天の住んでいる三十三天は、忉利天とうりてんともいわれ、
欲界における六欲天の第2の天で、須弥山の頂上にあります。

忉利天はサンスクリットの音に漢字を当てはめた(音写)言葉ですが、
意訳すると三十三天のことで、
帝釈天を含めると33の天があることからこのように呼ばれます。

忉利天は、人間が住む閻浮提の上、80,000由旬の場所にあるといわれ、
その中央に七宝で彩られた善見城があり、この城に帝釈天が居住しています。
この忉利天には、善見城の四方に、各8つずつ天があり、それぞれに神がおり、
合計三十二の仏法を守護する神を統率しているのが帝釈天なのです。

忉利天にいるのは、以下の三十三の諸天(諸神)です。

三十三天
  1. 善法堂天(帝釈天)
  2. 山峯天
  3. 山頂天
  4. 善見城天
  5. 鉢私地天
  6. 倶吒天
  7. 雑殿天
  8. 歓喜園天
  9. 光明天
  10. 波利耶多天
  11. 離険岸天
  12. 谷崖岸天
  13. 摩尼蔵天
  14. 旋行天
  15. 金殿天
  16. 鬘影天
  17. 柔軟天
  18. 雑荘厳天
  19. 如意天
  20. 微細行天
  21. 歌音喜楽天
  22. 威徳輪天
  23. 月行天
  24. 閻摩那娑羅天
  25. 速行天
  26. 影照天
  27. 智慧行天
  28. 衆分天
  29. 曼陀羅天
  30. 上行天
  31. 威徳顔天
  32. 威徳燄輪光天
  33. 清浄天

帝釈天は天上界に住んでいますが、有名なお経の1つである『法華経』には、
天上界から眷属を引き連れてお釈迦様のもとに行き、教えを聞いたと説かれています。

その時に釈提桓因、その眷属二万の天子と倶なり。
(漢文:爾時釋提桓因 與其眷屬二萬天子倶)

これは『法華経』がいよいよ説かれるにあたり、どんな人々が参詣していたかを紹介されている場面でのことです。
その時、帝釈天(釈提桓因)は従者の2万の神々を引き連れてきた、と説かれています。

この帝釈天は、阿修羅と戦ったということで名高いですが、
仏法者らしい平和的な戦いを阿修羅に挑んだことで、
お釈迦様から褒められています。

帝釈天と阿修羅との戦い

帝釈天は、毘摩質多羅びましったらという名の阿修羅王と対面し、
議論によって勝負の決着をつけようと提案をしました。

釋提桓因の毘摩質多羅びましったら阿修羅王に語らく、各々共に相殺害を得ることなく、ただまさに論議し、理に屈する者、伏すべし。
毘摩質多羅びましったら阿修羅王の言わく、たとい共に論議せんに、誰ぞまさに理の通塞を証知すべし。
天帝釋の言わく、諸天衆中に自ら智慧明らかに記識する者あり、阿修羅衆にまたまた自ら明らかに記識する者あり。
毘摩質多羅びましったら阿修羅の言わく「しかるべし」と。

(漢文:釋提桓因語毘摩質多羅阿修羅王 莫得各各共相殺害 但當論議理屈者伏 毘摩質多羅阿修羅王言 設共論議 誰當證知理之通塞 天帝釋言 諸天衆中自有智慧明記識者 阿修羅衆亦復自有明記識者 毘摩質多羅阿修羅言 可爾)

どんな議論があったのか、そのいきさつはこうでした。

帝釈天
「阿修羅王よ、互いに殺し合うことを止め、十分に議論をつくし、
 議論で負けた方が降伏することにしようじゃないか」
阿修羅
「それなら論議の勝敗は、誰が決めるのか」
帝釈天
「両軍からそれぞれ智慧明らかで良識のある者がいるはずなので、
 その者たちにさせよう」
阿修羅
「それでよかろう」
帝釈天
「阿修羅王から先に論題を出し、我は後から答えるとしよう」
阿修羅
「それなら『忍耐』について問う。
 忍耐すれば私には損害がある。
 愚者たちは私が怯えているから忍耐していると言ってくるだろう」
帝釈天
「愚者がそのように言っても言わなくても、何も道理が傷つくことはない。
 ただ大切なことは自分の主張と他人の主張をよく観察することである。
 両者ともに平安を獲られるのであれば、忍耐こそ最上の手段ではないか」
阿修羅
「愚者は力で制圧しなければ、却って人を傷つける。
 ちょうど獰猛な牛を放任すれば人を傷つけるようなものだ。
 だから杖で強制し、先ず恐怖で悪を制圧すべきだ」
帝釈天
「私ならまずその愚者をよく観察する。
 愚者に対してただ強制すれば、愚者はますます怒るであろう。
 しかし静かに智慧をもって諭せば、怒りもなく害もない。
 その愚者はもはや賢者といえるのである。
 罪悪は怒りを超えて石山のごとく堅くなる。
 もし激しく怒る者がいても、それは狂いたった馬車のようなものだ。
 この馬車に必要なのは、手綱を持って上手く乗りこなし、
 静かに制することのできる腕の良い御者である。
 決して鞭を打つ杖ではないはずだ」

この二人の議論を聞き、帝釈天と阿修羅王の両軍の識者は考え、
「阿修羅王の説くところは、長きに渡り闘争を招き、
 帝釈天の説くところは、長期の闘争を止めさせるものである」
という結論に達し、
阿修羅王もこのことを理解し、兵をおさめてかえったという。

お釈迦様は、この話を弟子たちに教え、帝釈天のように善い論議をすることを勧められました。

この時、武力を用いて争いをしなかったのは、帝釈天が仏教に帰依していたからこそできたことでしょう。
帝釈天は仏教を守る守護神であり、仏教に深く帰依しているのですが、
最初から帰依していたわけではありません。
帝釈天はインド古来の宗教であるバラモン教・ヒンドゥー教の中でも、
インドラ」として登場し、雷神・軍神とされています。
当時は戦いの中に喜びを見出していた諸天(諸神)でした。

どのような経緯があって、帝釈天は仏教に帰依したのでしょうか。

帝釈天のお釈迦様への帰依

お釈迦様が王舎城に滞在されていた時、帝釈天が従者を引き連れてお釈迦様のもとを訪れました。

その時、帝釋もうして言わく
「世尊、我は昔かつて聞けり。仏如来正に等正覚あり。
世に於て出現し大方便を以て隨類して引導す。

(漢文:爾時帝釋白言 世尊 我昔曾聞 有佛如來正等正覺 出現於世作大利益 以大方便隨類引導)

その時、帝釈天はお釈迦様に申し上げました。
「お釈迦様、私はかつて、仏覚という最高無上の覚りを開かれた仏陀が、この世に現れて、
 大方便をもって、衆生の気質や能力に合わせて様々に善行方便し、導いておられることを聞いておりました」

帝釈天は、今まで疑問に思っていた煩悩ぼんのうについて、質問をしました。
するとお釈迦様は、三毒、欲、無明、三業(身口意)、六根などについてお答えになられました。

そのお釈迦さまのご説法を聴聞した帝釈天は、最後にこのように誓いました。

世尊、我、解脱を得、解脱を得。
今日に於て從り其の寿命を盡くして仏法僧に帰す。

(漢文:世尊 我得解脱我得解脱 從於今日盡其壽命 歸佛法僧)

お釈迦様、私は解脱げだつを得ることができました。
今日よりこの命はすべて仏・法・僧に帰依します。

こうしてお釈迦様のご説法を聴聞し、疑問を晴らしていただいた帝釈天は、
生涯をかけて仏法僧の守護神となったのです。

このような帝釈天を信奉する人は多いですが、
どのようなご利益があるのでしょうか。

帝釈天のご利益

帝釈天は、仏教の教えによって本当の幸せになった人を夜昼離れず護ってくれるとお経に説かれています。
帝釈天のような強い神に護ってもらえるので、大安心です。
それが帝釈天の最大のご利益です。

では、帝釈天のご利益を頂けるのは、すでに幸せになった人だけかというと、そうではありません。
まだ仏教の教えを求めている途中の人にも、色々なメンタルテストを与えて、求道心を試し、導いてくれます。
それは、お釈迦さまが過去世、まだ仏のさとりを求めて修行中の時も同じでした。

袖触れ合うも多生の縁」と言われますが、
袖が触れ合っただけでも、過去から生まれ変わり死に変わりしながら
深い因縁があると言われます。
帝釈天とお釈迦様は、過去世から深い因縁があり、
お釈迦様がお経の中でそのことを明らかにされました。
ここでは、二つの事例をあげたいと思います。

雪山童子

お釈迦様が過去世、「雪山童子せっせんどうじ」と言われていた時、
深い雪に覆われたヒマラヤ山で、さとりを求めて修行しておられました。

この修行中、恐ろしい鬼の顔をした羅刹となって
帝釈天がお釈迦様の求道心を試したお話が、『涅槃経』に説かれています。
詳しくはこちらの記事にあるので、お読みください。
いろは歌の意味と本当は怖い謎を簡単に分かりやすく仏教的に解説

求法太子物語

撰集百縁経』や『賢愚経』には、
帝釈天が、仏法に説かれる本当の幸せを求める人を導く姿が説かれています 。

お釈迦様の過去世のことです。
バラナ国のボンマダッタ王という王様に一人の太子が生まれました。
太子は将来、強く真実の法を探し求めるだろうといわれ、心が強かったので、
求法」と名づけられました。
求法太子です。

やがて求法太子が成長すると、四方八方、真実の法を探し回ります。
ところがどんなに真実の法を求めても、どこにも見つかりません。
求法太子は、いつも苦しみ、泣いていました。

その心の震えがあまりに大きく、天上界の帝釈天の宮殿まで届きました。
「どうしてこんなに宮殿が振動するのだろう」
と思って観察すると、求法太子が真実の法が見つからずに震えているのを発見しました。
ところが帝釈天は、「彼は本気で真実の法を探し求めているのだろうか?
本当かどうか、試してやろう」と一計を案じます。
ある日、一人の修行者に化けて、求法太子の城の前を通りかかり、
「私は真実の法を知っている。誰か真実の法を聞きたい者はいるか」
と大声を張り上げました。

その声を聞いた求法大子は、喜び溢れる気持ちを抑えられず、
城外に飛び出していき、礼儀作法にのっとって丁寧に言いました。
願わくば、私のために妙法をお説きください

さらに修行者は尋ねます。
「真実の妙法を聞くことは、とても困難なことである。
本来なら、師匠に長年随ってようやく知ることができることである。
今、どのような覚悟で、今直接聞こうとするのか」
その時太子は、
もし、真実の妙法を聞かせていただけるのであれば、
妻子も、象や馬などの家畜や金銀財宝にいたるまで、
地位も名誉も、貴方の望まれるものは何なりと捧げましょう。
何卒、お聞かせください

と言われました。

すると修行者が迫ります。
「私は修行者であるから、そなたの言う妻子や家畜、金銀財宝には全く用がない。
ただ知りたいのは、私の指示に順えるか、あなたの決心一つだ」
その時太子は、即答します。
どんな仰せにも順います

そこで修行者は、次のように命令します。
「一つ大きな穴を掘り、深さ十丈にしなさい。
その穴の中を火で充満させなさい」
すると太子は命令通り、火坑を用意しました。
炎が火坑一面に燃え狂い、地獄のようです。

その時、修行者は、太子に命じます。
「その身を、火坑に投げ込みなさい。
さすれば妙法を教えよう」
それを聞いた太子の心には喜びが沸き起こり、
火坑に飛び込もうとすると、
それまで求法太子と修行者の会話を聞いていた太子の両親や妻子や群臣は驚き、
太子と修行者のもとに急いで駆け寄り、やめるよう諫めました。
「修行者よ、私たちを哀れんで、親のために、妻子のために、国民のために、
太子を火坑に飛び込ませないでください。
欲しい物があれば妻子も金銀財宝でも何でも差し上げます」
修行者は答えます。
「これは私がさせているのではない。
太子の意志にしたがっているだけだ」
すると太子は、
「果てしない過去から今まで、こんな機会は一度もなかった。ぜひ火坑に飛び込んで真実の法を聞かせて頂きたい」
それを聞いた王も大臣たちも急いで駆け寄り哀願しました。
「私たちのために、どうか身を投げることをお止めください」

その時、太子は両親や妻子、諸大臣に向かって、答えられたのです。
私はこれまで、数えきれないほど無数の輪廻転生りんねてんしょうを繰り返す中で、
ある時は地獄界に、ある時は畜生界に、ある時は餓鬼界に堕ち、
お互いに殺し合い、火に焼け焦がされ、釜茹でにされ、飢餓に苦しむこと、数えきれなかった。
その傷み、苦しみは言い表せないほどだ。
身命を無駄に捨てても、真実のために命を捨てたことはない。
お前たちは、どうして真実の法のために命を捨てる機会を得た私を、諫めるのか。
今度こそ、不浄の人身をもって本当の幸福を求め、誓ってすべての人を救えるよう、
輪廻転生を繰り返す迷いの世界から出離させてくれ

と、哀願するように、諭されました。

時に王の太子、諸臣に答えて言わく、
「我れ無数生死の中に於て、或は地獄、畜生、餓鬼に在り、更に相殺害し火燒、湯煮、飢餓、困苦、一日の中、称計すべからず、痛み言ふべからず。
身命を唐捐し未だかつて法の為に益あらず。
汝ら今はいかんぞ我を諫む。
この臭身を以て無上菩提道を求めんとなすが故に、この身命を捨て誓いて衆生を度し、生死の海を出でん」と。

(漢文:時王太子 答諸臣言 我於無數生死之中 或在地獄畜生餓鬼 更相殺害 火燒湯煮 飢餓困苦 一日之中 不可稱計 痛不可言 唐捐身命 未曾有益爲於法也 汝等今者 云何諫我 以此臭身 爲求無上菩提道故 捨此身命 誓度衆生 出生死海)

そして太子が「火の中へ飛び込めば死んでしまいます。
その前に真実の法をお聞かせください」
と懇願すると、修行者は一句の法門を説きました。
それを聞いた太子は、脱兎のごとく火坑に飛び込むと、
大火坑は穏やかな池となり、水面の蓮華の上に太子は座っていたのでした。
大地は大いに振動し、天からは花びらが降り積もります。
修行者は元の帝釈天の姿に戻ると、太子をほめたたえ、
「太子よ、今、一句の法門を聞くために、火の中に飛び込み、命を惜しまなかったのは、何のためだったのか?」
と尋ねました。
「それは、本当の幸せを求め、すべての人を救い、輪廻を離れるためです」
それを聞いた帝釈天は、満足して天上界の宮殿に戻っていきました。
こうして間もなく太子は、無上覚を悟られたのでした。
帝釈天は、命をかけて本当の幸福を求められる求法太子を、真実へと導かれたのです。

これらの話から分かるように、
帝釈天のご利益というのは、
仏教の教えによって本当の幸せになった人とを護るだけでなく、
真実の仏法を求める人たちを守ることにもあるのです。
つまり、仏法者を守護する神です。

では、仏法者が命をかけて求める本当の幸せとは一体どのようなものでしょうか。

帝釈天が導こうとされる本当の幸福とは

今回は、帝釈天について解説しました。

帝釈天は、忉利天(三十三天)に住んでおり、
32の諸天(諸神)をまとめています。
人間だった頃の名前は橋尸迦で、大変尊い善行を行い、
その功徳によって、死後天上界に生まれました。

帝釈天は戦いの神として知られていますが、
阿修羅王との争いも論議をもって、平和的に戦い勝利しています。

このような帝釈天は、お釈迦様と深い縁があり、
過去世から修行していたお釈迦様のもとに現れては、真実へ導くための手助けをしました。

では、お釈迦様が修行をしてでも求められ、
帝釈天が導こうとしていた本当の幸福・真実とはどのようなものなのでしょうか。

それは仏教に詳しく教えられていますが、
仏教の真髄ですので、電子書籍とメール講座にまとめておきました。
一度目を通してみてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか一人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。インターネットの技術を導入して日本仏教学院を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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