親孝行の仕方(父母恩重経)

父の日や母の日が近づいてくるとプレゼントを考える人も多いと思います。
一体どんなプレゼントが、親孝行になるのでしょうか?
仏教ではということがよく教えられていますが、ブッダは親孝行の前に、まず親の恩から教えられています。

親孝行を教えられた2つのことわざ

親孝行したいときには親はなし」ということわざがあります。

このことわざは、多くの人が体験する後悔を警告されたものです。
若いときには、親の世話になるのが当たり前と思って、親孝行をしたい気持ちが少しも起きません。
ところが自分が親になって、親の気持ちが分かってくると、親孝行がしたくなってくるのですが、その頃には、親は死んでしまい、親孝行したくてもできずに後悔する、ということです。

もう1つ「親捨てた報いで子にも捨てられる」ということわざがあります。

自分が親の世話をしなかったのに、子供にだけ自分の世話をしてもらおうというのは、虫のいい話です。

親の世話をしない親の背中を見て育った子供は、親の面倒を見る必要はないというメッセージを受け取って育ちますから、子供に捨てられるのは因果応報だ、ということです。

そんな後悔のないように、仏教を説かれたブッダは、親孝行についてどのように教えられているでしょうか。

仏教で人間の価値は?

仏教では、「」を非常に大切にします。
」という字は、「」の下に「」とありますように、因を知る心、ということです。
自分が今のような幸せにあるのは、どなたのおかげなのか、まったく自覚がないだけで、自分の幸せのために、大変な苦労をしてくだされたかもしれません。

その今の私があるのはどなたのおかげなのかを知ることが、恩を知るということです。

ですから、仏教で、人間の価値というものは、「知恩ちおん感恩かんおん報恩ほうおん」で決まると教えられています。

どんな能力があり、どれだけのお金や実績があるかということよりも、どれだけ恩を知り、恩に感じ、恩に報いる気持ちがあるかが人間のあたいである、ということです。
仏教で人間の評価基準は知恩感恩報恩なのです。

パーリ仏典には、こう説かれています。
以下の「比丘びく」というのはブッダのお弟子のことです。

比丘たちよ、善からぬ人の基盤とは何か。
比丘たちよ、善からぬ人は恩を知らず、恩を感じない。
比丘たちよ、恩を知らず、恩を感じないということは、賤しい人々によって賞賛されている。
比丘たちよ、恩を知らないことと恩を感じないことというこれは、専ら善からぬ人の基盤である。
また比丘たちよ、善き人は恩を知り、恩を感じる。
比丘たちよ、恩を知り、恩を感じるということは、気高い人々によって賞賛されている。
比丘たちよ、恩を知ることと恩を感じることというこれは、専ら善き人の基盤である。

大乗仏教を体系化した龍樹菩薩(ナーガールジュナ)も、こう教えられています。

恩を知るは大悲の本なり、業を開く初門なり。
恩を知らざるものは畜生よりも甚だし。

大悲」とは、大慈悲のことで、仏教のことです。
恩を知るは大悲の本なり」とは、仏教を聞くときは、恩を知ることがまず大事な心がけである、ということです。
善業」とは善い行いのことです。
善業を開く初門」ですから、恩を知ることが、善い行いをする第一歩ということです。

恩を知らざるものは畜生よりも甚だし」とは、犬でさえも3日飼ったら恩を忘れないと言われますから、人間なのに恩を知らないということでは、犬畜生よりもお粗末だ、浅ましい、ということです。

ブッダは『スッタニパータ』にこう教えられています。

みずからは豊かに暮しているのに、年老いて衰えた母や父を養わない人がいる、──これは破滅への門である。

2600年前のインドから考えたら、現代の日本人なんて当時の王族をはるかに超えた豊か過ぎる暮らしです。
両親を放っておいたら破滅の入り口です。

恩を知らなければ、恩を感じることもありませんし、恩を感じなければ、恩に報いようという気持ちも出てきません。

仏教では、中でも身近で大きな恩を受けている、親の恩を例に教えられていますが、親に対しても、まず親の恩を知らないことには、孝行しようという心が出てくるはずがありません。

だから恩を知ることが、親孝行の第一歩だということです。

仏教に親孝行は説かれていない?

たまに、親孝行は中国の儒教の文化であって、仏教には親孝行は教えられていないとか、ブッダは親孝行を説かれていないという人があります。
それが本当かどうか、お経を確かめてみましょう。
もし一カ所でも親孝行が説かれていたらその説は間違いです。
まず『中阿含経』にはこうあります。

もし父母に慈孝する者は、必ず増益ありてすなわち衰耗することなし。

親孝行する人は必ず幸せになって衰えることはない、ということです。

未生怨経』にはこう説かれています。

それ善の極まりは孝より大なるはなし。

最もすばらしいといっても、親孝行以上のものはない、ということです。
善というのは幸せを生み出す行いのことです。

四十二章経』にはこう説かれています。

おおよそ人、天地鬼神につかえることは、その親に孝するにしかず。
二親は最神なり。

に仕えることは、親孝行に及ばない。
父母は、最高の神である、
神に仕えるくらいなら親に仕えなさい、ということです。

浄土宗浄土真宗で大切にされている『観無量寿経』にはこう説かれています。

かの国に生まれんと欲わん者は、まさに三福を修すべし。
一つには父母に孝養し、師長に奉事し、慈心ありて殺せず、十善業を修す。

阿弥陀如来極楽浄土に生まれたいと思う人は、三福という3つの善を行いなさい。
その3つの善の1つ目は、親孝行をして、先生や目上の人につかえ、慈悲の心をもって殺生をせず、十善を行いなさい、
ということです。

長阿含経』にはさらに具体的にこう説かれています。

まさに五事をもって父母に敬順すべし。
いかんが五と為す。
一つには供奉して能く乏しからしめず。
二つにはおおよそ為す所は先に父母にもうす。
三つには父母の為す所、恭順にして逆らわず。
四つには父母の正令は敢えて違背せず。
五つには父母のなす所の正業を断ぜず。

子供は、5つのことをして父母を敬いなさい。
1つには、衣食住が不足しないように用意する。
2つには、自分の行動予定は事前に報告する。
3つには、両親のすることは逆らわずに敬って従う。
4つには、両親の命令は決して違えたり背いたりしない。
5つには、両親のしている正しい行いを妨げない、
ということです。

正法念経』にはこう説かれています。

四種の恩あり。甚だ報うを難しと為す。
何等をか四と為す。
一つには母。
二つには父。
三つには如来。
四つには法を説く法師。
もしこの四種の人に供養あらば無量の福を得る。

報いることが非常に難しいほどの大恩を受けた方が4通りある。
一人目は母、
二人目は父、
三人目は仏さま、
四人目は仏教を伝えてくれた人、
もしこの4通りの人に布施をすれば、限りない幸せがやってくる、
ということです。

また、パーリ仏典にも、先ほどの部分に続けて、こう説かれています。

比丘たちよ、ふたりの人に対して報い尽くすということはできない、とわたしは説く。
ふたりの人とは誰か。母と父である。

このように、親孝行が説かれているお経は枚挙にいとまがありません。
他にも何十ものお経に説かれています。

では、親には具体的にどんな恩があるのでしょうか?

親にはどんな恩があるの?

お釈迦さまは親の恩の大きさを、
心地観経』にはこう教えられています。

父に慈恩あり、母に悲恩あり。
母の悲恩はもし我世に住し、一劫の中に説くも尽くすことあたわず。

このことを『仏説父母恩重経』には、こう教えられています。

父母の恩の重きこと、天の極まりなきが如し。

空の奥行きに限りがないように、両親には、限りのない恩があるのだ、ということです。

限りないといわれてもイメージがわきませんので、ブッダは、10に分けて教えられています。
これから説かれる10のことは、半分以上は、自分が小さかったために、記憶にないのではないでしょうか?

父母に十種の恩徳あり。何をか十種となす。
一には懐胎守護かいたいしゅごの恩。
二には臨生受苦りんしょうじゅくの恩。
三には生子忘憂しょうしぼうゆうの恩。
四には乳哺養育にゅうほよういくの恩。
五には廻乾就湿えかんしゅうしつの恩。
六には洗灌不浄せんかんふじょうの恩。
七には嚥苦吐甘えんくとかんの恩。
八には為造悪業いぞうあくごうの恩。
九には遠行憶念おんぎょうおくねんの恩。
十には究竟憐愍くきょうれんみんの恩。

それぞれどういう意味なのでしょうか。

1.生まれる前・懐胎守護かいたいしゅごの恩

懐胎守護の恩とは、お母さんのお腹に宿ったときから、色々と心配してくださったご恩です。
十月十日の間、無事な出産を念じ続けて下されています。

ブッダはこう説かれています。

慈母、子を胎めば、十月の間に血を分け肉を頒ちて、身重病を感ず。
子の身体これに由りて成就す。

妊娠すると、体が病気になったように感じます。
煙草を吸っていた人でも吸わなくなります。
食べたいものでも、添加物などがよくないと聞けば食べなくなります。
酸っぱいものを食べたくなるのは、自分の骨を溶かして、赤ちゃんにカルシウムを与えるためです。
赤ちゃんのために食べたくなる。そうやって赤ちゃんの体を作ります。
常に赤ちゃん中心の生活になります。

行儀をよくするのが辛いのですが、子供の胎教のためには頑張ります。
運動したほうがいいと言われれば運動し、子供の身体に悪いものは食べず、いつも元気な子供が生まれるように心配してくだされたご恩です。

2.生まれた時・臨生受苦りんしょうじゅくの恩

臨生受苦の恩とは、この世に生まれて来るときに、大変な苦しみに耐えてくだされたご恩です。
ブッダはこう説かれています。

月満ち時到れば、業風催促して、偏身疼痛し、骨折解体して、神心悩乱し、忽然として身を滅ぼす。

陣痛の苦しみは、青だけを握らせると割ってしまうほどだといわれます。
陣痛の陣は、陣地の陣で、戦争では命をやりとりする場所です。
ちょうど男性が戦場に向かうような気持ちだから陣という字が使われるともいわれます。
そういう死を覚悟するほどの苦しみを、私たちが生まれるために母親に与えるのです。
実際、ブッダのお母さんは、産後の肥立ちが悪く、産後一週間で亡くなっておられます。

ですから水戸光圀は、誕生日になると、梅干し一つの粗食を食べていたといわれます。

家臣が、なぜ誕生日を鯛で祝わないのか尋ねると、
誕生日は、自分が母に大変な苦労をかけた日だからだ
と答えています。

出産の時、陣痛の苦しみに耐えて下されたご恩です。

3.生まれた直後・生子忘憂しょうしぼうゆうの恩

生子忘憂の恩とは、子供がこの世に生まれてくると、
よかった、よかった
でかした、でかした」と、
それまでの苦しみを忘れて下さるご恩です。
ブッダはこう説かれています。

もしそれ平安になれば、なお蘇生し来るがごとく、子の声を発するを聞けば、おのれも生れ出でたるがごとし。

生まれるときには、大変な苦しみを受けたのに、生まれてくると、その誕生を祝い、まるで自分のことのようにことほいでくださいます。
それは、貧しい人が、宝を拾ったような喜びだと説かれています。
子宝といわれるように子供は宝です。
宝を手にいれた喜びです。

子供が生まれると、それまでの一切の苦しみを忘れ、喜んで下された恩です。

4.乳離れまで・乳哺養育にゅうほよういくの恩

乳哺養育の恩とは、どんなに疲れていても、親の方から心配して、成長するまで母乳を与えて下さったご恩です。

赤ん坊は、
そろそろお腹がすいたので、お手数ですがおっぱいを頂けないでしょうか
とは言いませんので、ただ泣くだけです。
お母さんは、昼夜を問わず、子供が泣く度に心配して、母乳を与えなければなりません。

母乳は母親の血液から造られるものです。
親の命によって、私達の命が育まれたということです。
それによって母親は花がしぼむように憔悴してしまうと説かれています。

その初めて生みし時には、母の顔、花の如くなりしに、子を養うこと数年なれば、容すなわち憔悴す。

現代社会となると、養育するのも大変です。
子供が一人大学を出るまでに何千万円もかかるといわれます。
そのために仕事も頑張らないといけません。
経済的にも大変な苦労です。

このように、昼夜を問わず乳を与え、成長するまで育てて下された恩です。

5.おねしょの時・廻乾就湿えかんしゅうしつの恩

廻乾就湿の恩とは、子供が寝小便をすると、子供を渇いた方へ回して、自分が濡れた所に寝てくだされたご恩です。
ブッダはこう説かれています。

水の如き霜の夜にも、氷の如き雪の暁にも、乾ける処に子を廻し、湿りし処に己臥す。

子供はおねしょをします。
ところがそんな寒い夜でも、おねしょで濡れた所へ自分が移り、暖かい所へ子供をやり、愛情をこめて育ててくだされた恩です。

6.洗濯の時・洗灌不浄せんかんふじょうの恩

洗灌不浄の恩とは、汚れたものを洗って下されたご恩です。
ブッダはこう説かれています。

子、己が懐に屎り、或はその衣に尿するも、手自ら洗い濯ぎて臭穢を厭うこと無し。

どんなに寒中で、手があかぎれになっていても、汚れたおむつは洗濯してくれた時代とは変わってきていますが、今でも汚れたおむつを変えてくれます。

朝目を覚ますと、汚れたおむつが3つ転がっていた。
記憶はないけれど、どんなに疲れていても、子供が泣き出すと、おむつをかえて、また、そのまま床につきます。
娘のときには、目覚ましをいくつかけても起きられなかったのに、子供が泣けば、子供かわいいの一心から、どんなに疲れていても、おむつを変えてくれるのです。

このように汚い物も厭わず洗ったり、変えたりしてくだされたご恩です。

7.成長するまで・嚥苦吐甘えんくとかんの恩

嚥苦吐甘の恩とは、自分の大好きなものでも、子供が喜ぶとなれば、包んで持って帰ってきてくださるご恩です。
ブッダはこう説かれています。

食味を口に含みて、これを子に哺わしむるにあたりては、苦き物は自ら嚥み、甘き物は吐きて与う。

昔、母さんがいつも、子供に健康に育ってほしいと、栄養のある、魚の身は全部子供にやって、自分は骨や頭を食べていました。

その子供が、学校でお母さんの好きなものを聞かれて、
お母さんは、魚の骨が好きなんだ
と答えたと言う話があります。

今は、あまりないかもしれませんが、昔は経済的に厳しくて、一家全員がお頭付きを毎日食べるという訳には行きません。
そうなれば、自分は、骨や頭を食べて、子供に栄養のある、おいしい身を与えるのです。

今なら、子供の教育のために、自分は節約して、子供を塾へやったり、習い事に大金をつぎ込むのも、みな子供の幸せを願ってのことです。

自分はどんなに苦しくても、子供の幸せを優先してくだされたご恩です。

8.困った時・為造悪業いぞうあくごうの恩

為造悪業の恩とは、子供のためなら、自分に悪い報いのかえってくる、悪業すらひるまずしてくだされたご恩です。
ブッダはこう説かれています。

もしそれ子のために止むを得ざる事あらば、自ら悪業を造りて悪趣に堕つることを甘んず。

悪趣」とは苦しみの世界です。
仏教では自業自得ですので、自分が悪い行いをすれば、自分が苦しい世界に堕ちます。
子供のためならば、たとえ地獄に落ちても構わない、ということです。

あるシングルマザーの人が、不幸にして「ててなし子」を産んでしまいました。
無事生まれたら認知する」と言っていたのに、相手の男の心は、変わってしまいました。

もはやこの子の戸籍は、普通ではありません。
一生、ててなし子と呼ばれて苦しまなければならない。
子供かわいさの一心で逆上して、相手の男を刺し殺してしまいます。

そして、牢屋に入れられて、今度は、「あの子の母親は人殺しだ」と言われて、一生苦しまなければなりません。

客観的に考えて、ててなし子といわれるのと、人殺しの子供だと言われるのと、どちらが都合が悪いか、考えればわかります。
それでも、子供かわいさの一心で逆上して、子供のためなら、人殺しと言われようが、泥棒と言われようがいとわない。

子供のためならば、何ものも妨げとならないのです。
悪い報いが自分にふりかかる、悪い行いさえ、邪魔することはできません。
盗み、放火、人殺しもいとわじと、自分に不利になると分かっていても、子供の幸せのためには、あえてしてくだされるご恩です。

9.親元を離れたら・遠行憶念おんぎょうおくねんの恩

遠行憶念の恩とは、子供と遠く離れていても、いつも心配してくだされるご恩です。
ブッダはこう説かれています。

おのれ生ある間は、子の身に代らんことを念い、おのれ死に去りて後には、子の身を護らんことを願う。

親は子供が自立しても、子供のことを思って心配してくれます。
親元を離れると、離れれば離れるほど、心配になります。
元気でいるか、淋しくないか、お金はあるか、友達できたかと、野菜とか何かを送ってくれたりします。

昔は子供が戦争にでも行くと、陰膳といって、今は家にいない子供の分の食事も用意して、子供の安全を願い、心配し続けたほどです。

遠くに子供が行けば行く程、余計に心配し続けて下された恩です。

10.死ぬまで・究竟憐愍くきょうれんみんの恩

究竟憐愍の恩とは、最後まで心配し続けてくだされたご恩です。

子供がいくつになっても子供は、子供です。
親が70歳になれば、子供はもう50歳です。
すっかり出世して立派になり、会社では、部長だ社長だといわれています。

ところが家を出るときには、
忘れものはないか?ハンカチ持ったか?
といくつになっても心配してくださいます。

親が100歳になれば、子供は80歳です。
それでも子供が心配で、子供をおいて先に死ぬことはできないと、子供がどんな高齢になっても思い続けて下されるご恩です。

ブッダのおすすめの親孝行は?

このように
父母の恩の重きこと、天の極まりなきが如し
といわれる親の恩を、詳しくお聞きしたお弟子の阿難は、お釈迦さまに、
この大変な恩にどのように報いたらいいのでしょうか
とお尋ねしています。

そのときお釈迦さまは、親孝行に色々ある中でも、特にこの2つをお答えになっています。

元気な時は?

お釈迦さまは、
そなたたち、よく聞きなさい、こと親孝行については、出家とか在家とかの区別はないのですよ
(汝等大衆よく聴けよ。孝養の一事は、在家出家の別あることなし)
といわれると、まずこのように教えられています。

その季節の旬の、新鮮な果物を手に入れて、帰って両親にプレゼントしなさい。
ご両親は、心から喜んで、もったいなくて食べられず、まず仏様にお供えして、仏縁を深めるでしょう

(出でて時新の甘果を得れば、将ち帰り父母に供養せよ。
父母これを得て歓喜し、自ら食うに忍びず、先ずこれを三宝に廻らし施せば、則ち菩提心を啓発せん)

確かに新鮮な季節の果物は、美味しいですし、健康にもいいですから、親孝行なプレゼントですね。

お釈迦さまは次にこう教えられています。

病気の時は?

もし両親が病気になったら、枕元を離れず、やさしく自分で看病しなさい。他の人に任せてはいけませんよ
(父母病あらば、牀辺を離れず、親しく自ら看護せよ。
一切の事、これを他人に委ぬること勿れ)

時間をみて、よく聞いて、丁寧に身体にいいご飯をすすめなさい。
親は一生懸命食べますから、それを見て親孝行の気持ちを強くするのですよ

(時を計り便を伺いて、懇に粥飯を勧めよ。
親は子の勧むるを見て、強いて粥飯を喫し、子は親の喫するを見て、枉げて己が意を強くす)

もし親が休んだならば、心を落ち着けて寝息を聞きなさい。
目を覚ましたら、お医者さんに聞いた薬を勧めなさい

(親暫く睡眠すれば、気を静めて息を聞き、睡覚むれば医に問いて薬を進めよ)

常に仏法を大切にして、親の病が治ることを願って、親孝行の気持ちを片時も忘れないようにしましょうね
(日夜に三宝に恭敬して、親の病の癒えんことを願い、常に報恩の心を懐きて片時も忘失るることなかれ)
と教えられています。

では、このブッダのすすめに従えば、親孝行はばっちりでしょうか。

これで親孝行はOK?

阿難尊者が、
これだけやれば、親孝行はでOKでしょうか?
とお尋ねすると、お釈迦さまは、こう言われています。

そなたたち、よく聞きなさい。両親のために真心を込めてあらゆる美食、美しい音楽、ブランドの服、高級車、高級マンションなどを用意し、老後の生活の面倒を見たとしても、もし仏法を伝えて、変わらない幸福まで導かなければ、いまだ親孝行とは言えないのだよ
(汝ら大衆よく聴けよ。父母のために心力を尽して、あらゆる佳味・美音・妙衣・車駕・宮室等を供養し、父母をして一生遊楽に飽かしむるとも、もしいまだ三宝を信ぜざらしめばなお以て不孝と為す)

それというのも、美味しい食べ物や、ブランドの服、いい暮らしというのは、その時は喜べますが、今日あって明日ない、はなかい幸福だからです。

そして、死んで行くときには何一つ持って行けず、一人寂しく死ぬまでに自ら作った業力によって、因果の道理にしたがって、次の世界に旅立って行かなければなりません。

やがて必ず死ななければならない確実な未来に対して、一体どうすればいいのでしょうか?

真の親孝行とは?

そのときお釈迦さまはこのように説かれています。

両親に因果の道理を教えて、未来永劫、苦しみに沈む苦悩の根元を知らせて解決し、永遠の幸福に救いなさい
因果の道理を演説して未来の苦患を救うべし)

そこまで仏法を伝えてはじめて、この世から未来永遠の幸福になれるのだから、本当の親孝行といえるのだよ
(ここに於て父母、現には安穏に住し後には善処に生じ、仏を見、法を聞いて長く苦輪を脱せん。
かくの如くにして始めて父母の恩に報ゆるものとなすなり)

この本当の親孝行を実行するには、まず自分が仏教の教えを知らなければなりません。

仏教に教えられている未来永遠苦しませる苦悩の根元と、その解決については、電子書籍とメール講座にまとめてあります。
ぜひこの機会に見ておいてください。

目次(記事一覧)へ

この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

仏教が好きで、東大教養学部で量子統計力学を学んだものの卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とかみなさんに知って頂こうと失敗ばかり10年。やがてインターネットの技術を導入して日本仏教アソシエーション(株)を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

著作