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生きる意味を、知ろう。

仏教で霊魂はどう教えられている?

人間は必ず死んでいきます。
死ねば肉体は滅びますが、何か魂のような残るものはあるのでしょうか?

死んだらどうなるかというのは、
ほとんどの宗教で取り扱う重要な問題です。

すべての人が関係する、死んだらどうなるという問題について、
すべての宗教は大きく2つに分かれます。

死んだら無になる?

まず、今日の無宗教の人たちに多いのは、
死んだら無になるという考え方です。

宗教でいえば、儒教は、現世についての教えで、
死後については知りません。

宗教かどうか分かりませんが、
マルクス主義などの唯物論のイデオロギーでは、
死んだら無になります。

死んだら無になる前提から出てくる結論

この考え方からすると、死ねば終わりなので、
少しでもこの世が楽しいように、
好きなことを好きなだけやろう、
という快楽主義になります。

そして、この世楽しむために、
どんな悪いことをしても、
誰にも見つからなければOKです。

このことを、お釈迦さまは『ダンマパダ(法句経)』に、このように言われています。

彼岸の世界を無視している人は、どんな悪でもなさないものは無い。

これは、後の世を信ぜざる者、
かかる人、罪として犯さざるなし、ということです。
それというのも、死後がないのであれば、どうせ死んだら終わりなので、1人殺した人は10人殺そうが、100人殺そうが同じです。
どんな悪いことをしても、やったもんがちになってしまいます。

また、人生が苦しければ、早く死んだほうがいいことになります。

死ねば自分は無になるのだから、結局のところ、自分にとっての生きる意味もありません。
それが、この死んだら何もなくなるという考え方から出てくる結論です。

仏教では?

ところが仏教では、因果応報の因果の道理によって、
どんなに悪いことをしても、死んだら終わり、
ということにはなりません。

まいたたねは、目には見えませんが
不滅の業力となって蓄えられ
必ず何らかの結果を生じます。

もし死ぬまでに結果が現れなければ、
死んだ後、結果が現れます。

因果の道理は宇宙の真理ですから、
死んだら終わりではないのです。

では、死んだら霊魂が残るのでしょうか?

ほとんどの宗教では死ねば永遠の霊魂が残る

仏教以外のほとんどの宗教は、
肉体が死んでも、滅びることのない
永遠に不変の霊魂が続いて行くと教えています。

日本神道は?

例えば、日本神道なら、
死んだ人を宮を作って祭ると
そこに鎮座して、生きている人に幸せや不幸を与える力を持つ
と信じています。

明治天皇なら、明治神宮に100年以上、
菅原道真なら、平安時代から1000年以上、
天照は、おおひるめむちという指導力のあった女性で、
信憑性のある記録はありませんが、
2000年以上前から変わらないようです。

キリスト教は?

キリスト教でも、霊魂は不変不滅で、永遠の命などと言われ、
死んだらずっと待っていて、この世の終わりに最後の審判があり、
神の国で永遠に楽しむか、
地獄で永遠に苦しむか決まります。

それが本当だとすれば、
2000年前のパウロや
1500年前のアウグスティヌス、
700年前のトマス・アクィナス、その他大勢の人が
多分まだ待っています。

バラモン教は?

お釈迦さまの当時、インドでは、
今のヒンドゥー教の前身である
バラモン教が大勢を占めていました。

これも、固定不変の我を認めます。
そして究極的には、それが大宇宙と一体になる
梵我一如ぼんがいちにょ」を目指します。

私が大宇宙の大いなるものと一体になるというのは、
現代の神秘主義でもよくある思想です。

このように、ほとんどの宗教では、
死んだら変わらない霊魂が続く
と教えられています。

では仏教ではどう教えられているのでしょうか?

仏教では霊魂は?

仏教は諸法無我

このバラモン教の「固定不変の我」に対して、
仏教で教えられているのが「諸法無我」です。

固定不変の我は存在しないというのが、
お釈迦さまのさとりの内容であり、
あらゆる宗教で仏教だけが教えている
仏教の旗印
の1つです。

ではなぜ固定不変の我は存在しないのかというと、
仏教では因果の道理を根幹として、このように教えられています。

一切法は因縁生なり。
(漢文:一切法因縁生)

一切法」とは、すべてのもの、ということです。
すべてのものは因と縁がそろって生じている、
ということです。

ということは、因縁が離れたら、
別のものになってしまいます。

例えば車なら、数万の部品が、そろっていて車であって、
ばらばらになったら、無になるわけではありませんが、
車とは言いません。

そのバラバラの各部品も、
素材がその形になって各部品ですが、
違う形になったら部品になりません。

そうやって固定不変の存在要素を考えて行くと、
何もないのです。

物理学では?

ちなみに現代の物理学でも、
すべては原子でできていると考えていたところから、
原子も原子核と電子でできていることが分かり、
その原子核も陽子と中性子でできていることが分かり、
その陽子と中性子もクォークでできていることが分かっています。

さらにクォークも、ひもの振動でできているのではないか
と言われていますが、まだ分かりません。

結局、現代物理学をもってしても、
固定不変な要素は発見されていない
のです。

仏教では、2600年前から、
仏のさとり智慧によって、
一切は無我であるから、固定不変の霊魂など
存在しない
と教えられています。

仏教の永遠の生命とは

しかし死んだら無になるのでもありません。

私たちの心と口と身体の行いを、
目に見えない業力をおさめている不滅の阿頼耶識あらやしきという心があって、
肉体が滅んでも、阿頼耶識が続いているのです。

これは、固定不変の霊魂でもありません。

阿頼耶識は、
暴流の如し
と言われています。

暴流ぼうる」とは滝のことです。
滝は、遠くから見れば一枚の布のように見えますが、
近づいてみると、小さな水滴がものすごい勢いで
流れています。

ちょうどそのように、
私たちの心と口と身体の業力をおさめて、
阿頼耶識はものすごい勢いで変化しながら
流れて行くのです。

この阿頼耶識が、
生まれる前、果てしない遠い過去から、
死んだ後、永遠の未来に向かって続いて行く
私たちの永遠の生命の本質です。

仏教の目的

このように、仏教では、固定不変な霊魂は否定されていますが、
肉体が死ねば、変わり続けながら流れて行く
阿頼耶識が輪廻転生して次の世界を生み出し、
終わりのない苦しみ迷いの旅を続けて行くのです。

その果てしない輪廻から離れる方法を教えたのが仏教ですが、
その仏教の深い内容については、
電子書籍とメール講座にまとめてあります。
一度見ておいてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか一人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。インターネットの技術を導入して日本仏教学院を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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