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お墓の意味

墓
お墓

お葬式戒名以上に大変なのが、お墓です。
何しろ値段が高いです。
墓石は、たいてい100万円から200万円します。
墓地の永代使用料もピンキリですが、東京都内では、
一坪1000万円を超えることがあります。
そして、毎年管理費が必要ですからお墓の費用は大変なものです。

お墓はいらない、建てないという人や、
継承者がいなくてどうするか、撤去・移設費用も高いので、
お墓で困っている人も多いと思います。

一体お墓には、どんな意味があるのでしょうか?

お墓とは

墓とは一体何なのでしょうか。
まず、参考までに仏教の辞典をみてみましょう。


はか
一般的には死者の遺体を埋葬するための施設をいう。
死は人間の生命観や世界観が集約的に表出される機会であるから、その社会の葬法や宗教教理、階層などで、墓の理念も設備・規模・儀礼などもさまざまである。
例えば古代社会の支配者や上流階級にとって、墓はしばしば死後の家と考えられ、古墳やピラミッドのようにそれにふさわしい形態をもったが、一般民衆の墓はかなり遅い時代までほとんど埋め捨てに近い状態であったと思われる。
インドのヒンドゥー教徒のあいだでは、聖者のための墓はつくるが、一般世俗人の墓はつくらない。
遺骨はガンジス河など神聖な河川に撒く。
ガーンディーやネルーの墓といわれるものは実は記念碑であって、骨は河に流された。
他方日本では、遺体の一部のみを納めるだけの墓や、それさえも必要としない墓も存在する。
高野山は前者の代表的な例で、全国各地の人々が高野聖こうやひじりの手を経てここに遺骨の一部や毛髪・歯などを納め、本来の墓の他にもう一つの墓を持った。
この風習はまた高野山を弥勒菩薩みろくぼさつの浄土とする他界観をも反映しており、より一般的にいえば一種の山岳信仰に基づくものだが、似たような習俗は各地にあった。
後者の例には両墓制りょうぼせいをあげることができる。
これは遺体を埋葬する墓と、礼拝や年忌供養のための墓を別に設ける風習で、比較的広く分布している。
仏教において墓の歴史はの歴史と不可分であり、民間の寺院には墓地に付随した堂庵から発達してきたとされるものも少なくない。
特に近世には寺檀制度の下に、寺域に墓地を設ける場合が多くなり、葬式仏教の定着とともに、墓と仏教の関係が強められた。

このようにお墓とはなくなった方を埋葬する場所ですす。
お墓は世界中にあり、仏教とは関係なく存在しているもので、あまり仏教とは関係がありません。
ですが現代の多くの人は、お墓にまつわることは、仏教と関係があるように思われています。
色々な誤解がありますので、それらにも触れつつ、お墓の本当の意味を分かりやすく明らかにしていきます。

お墓に対する最大の誤解

お墓に対する最大の誤解は、
死んだらお墓に入る」というものです。

よく、墓地の売り出しで、
日当たり良好」とか「海が見える
というものがあります。
死んだ後は、日なたでゆっくり海でも眺めて暮らしたいという思いです。

また、お嫁さんが、「姑さんと同じ墓には入りたくない」とか
夫と同じ墓に入りたくない」ということで、
実家のお墓に入りたい」と「別居希望」の人もあります。

ですから、新しく石材屋さんからお墓を買うと、
魂入れ」とか「性根入れ」という儀式を行う人があります。
開眼法要かいげんほうよう」とか「建碑式けんぴしき」と言われたりもします。

そして、ご先祖様の霊が墓石に宿ったり、
集まって来たりすると思っている人もあります。

このように、死んだ後は墓に入ったり、宿ったり、
周辺にいると思っている人が増えていますが、
仏教ではどう教えられているのでしょうか?

仏教では死んでも墓にはいられない

江戸末期、四国で仏教の教えに救われたと大変喜んでいた
妙好人みょうこうにんの庄松という人が、
最後、病気になって寝たきりになった時、
友人が「お前が死んだら立派な墓を造ってやるから安心しろ
と言うと、
おれはそんな石の下にはおらんぞ
と言って死んでいます。

なぜなら仏教では、
人間は死後、死ぬまでの業(行為)によって、
善因善果、悪因悪果、自因自果」の因果の道理にしたがって、
地獄界へ生まれて苦しみを受けるもの、
餓鬼道へ堕ちて苦しむもの、
畜生界修羅界・人間界・天上界
六つの迷いの世界生まれ変わるのだと教えられています。

ですから仏教では、死後、墓に入ったり、
墓の周辺にとどまることはできないのです。

親鸞聖人、法然上人のお墓についての教え

お墓について、日本の仏教の最大宗派である浄土真宗を開かれた親鸞聖人は、このように言われています。

親鸞閉眼せば賀茂河へ捨てて魚に与うべし。

「賀茂河」というのは、親鸞聖人が晩年を過ごされた京都を流れる川です。
親鸞聖人は常々、
私が死んだら賀茂河へ捨てて、魚に食べさせてくれよ
と言われていたのです。
遺骨は魚に食べられてしまいますので、墓は必要ない、ということです。

浄土真宗を開かれた親鸞聖人がどんな方だったのかについては以下をご覧ください。
親鸞聖人の生涯・結婚しても救われる教えとは

また、親鸞聖人の先生であり、浄土宗を開かれた法然上人は、このように言われています。

法然聖人の仰に「我は菩提所をば造まじきなり。我跡は称名あるところがすなわちわが跡なり」と仰られけり。
また、「跡をとぶらう中といいて、位牌、卒都婆をたつるは輪廻りんねするもののすることなり」とぞ仰られけると、先師また御物語なり。

「菩提所」とはお墓のことです。
法然上人は
私は墓は造らなくよい。私の墓は、念仏のある所が墓だ
とおっしゃっています。
次の「卒都婆」とは、インドの土を盛り上げたお墓のことです。
位牌を置いたり、墓を建てるのは、迷った者のすることだ、とおっしゃっているのです。
やはりお墓は必要ないといわれています。

浄土宗を開かれた法然上人がどんな方だったのかについては、以下をご覧ください。
法然上人の生涯と浄土宗の教え・親鸞聖人との違い

では先祖代々の墓とは?

ではなぜ墓石には「先祖代々の墓」などという
誤解を与える刻印が多いのでしょうか?
そんなことを書かれたら、
先祖代々そこに入っているのかと思ってしまっても仕方ありません。

先祖代々の墓の起源をたずねると、
もともと墓石自体は、奈良時代に、墓の上に仏塔が建てられるようになりました。
平安時代になると色々な種類の仏塔が建てられ、
鎌倉時代頃に五輪塔も建てられるようになりました。
室町時代には、名号や仏像が刻まれ、江戸時代までは、
墓の上にあるのは仏塔でした。

火葬も30%以下で、埋葬の仕方も共同墓地や、
色々な形態がありました。

ところが明治時代に都市部で土葬が禁止され、
火葬が普及しました。
さらに明治政府が神道によって国をまとめるため、
国民を掌握する単位を「」としました。
そして、天皇を総家長とする家制度を作り、
明治民法で墓を家督相続の特権に定めました。
こうして、火葬した遺骨を埋葬する現在のような家の墓が普及していき、
墓石に刻まれる文字も「先祖代々の墓」「何々家の墓」が広まってきたのです。

ですから、「先祖代々の墓」は仏教の教えとは関係なく、
明治政府の政策よるものです。

では仏教では、お墓はなくてもいいのでしょうか。

お墓はなくてもいいの?

仏教では、墓石がなければならないということはありません。
ですから、納骨堂や宗派の本山などに納骨している人もたくさんありますし、
墓石に合掌礼拝できるように「先祖代々の墓」ではなく
名号などが刻まれているところもたくさんあります。

仏教は、死んだ人を供養する教えではなく、
生きている人が、生きている時に、迷いの解決をして、
六道輪廻を離れて絶対の幸福になることが目的ですから、
亡くなった方をご縁に、「自分もやがては死んでいかなければならないのか
自分の人生は一体何なのだろう」と、自らの無常を見つめ、
仏教を聞くご縁
とするのが重要です。

そのような心がけがあれば、
たまには忙しい毎日から離れてお墓の前で手を合わせ、
自分を振り返ることもいいご縁になりますが、
では、どうすれば仏教の教えによって迷いの解決ができるのか
ということについては、電子書籍とメール講座にまとめてあります。
今すぐ見ておいてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか一人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。インターネットの技術を導入して日本仏教学院を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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