東条英機の最後と仏教

東條英機
東條 英機

東条英機(1884-1948)は、正式には「東條英機」ですが、旧字体なので最近は東条英機と書かれています。
1941年、日本が太平洋戦争を始めたときの首相です。それによって東条英機は、日本人だけでも200万人以上、海外も含めるとどれだけの人を死に追いやったかわかりません。それにもかかわらず、敗戦後、戦争犯罪人として巣鴨の刑務所に入れられたとき、仏教を聞いて、絶対の幸福に救われたのです。どんなことがあったのでしょうか?

東条英機の生い立ち

東条英機は、明治17年(1884年)に東条英教中将の三男として東京に生まれました。
20歳で陸軍士官学校を卒業し、歩兵少尉になりました。

24歳で結婚します。

25歳で陸軍大学校を受験して落第、27歳で入学を果たします。
30歳で陸軍大学を卒業し、歩兵太尉に昇進します。
36歳のときに歩兵少佐に昇進し、ドイツ大使館づけ武官としてドイツに渡ります。
37歳で陸軍大学校の教官になり、
38歳で参謀本部に入ります。

39歳で歩兵中佐、
43歳で歩兵大佐、
48歳で陸軍少将になります。

50歳で中国大陸に渡り、関東軍に入ります。
52歳で関東軍参謀長に就任します。

53歳で陸軍次官になり、
55歳で陸軍大臣になります。
そして1941年10月、56歳で首相に就任し、11月に東条内閣を組閣します。陸軍大臣、内務大臣も兼ねて全国民に号令します。そして同年12月8日、アメリカに対して開戦したのでした。

太平洋戦争の戦況

1941年12月8日の真珠湾攻撃からの半年間は優勢でしたが、
1942年の6月、ミッドウェー海戦で大敗し、制海権も制空権も失い、日本は劣勢になります。

東條英機はさらに外務大臣、商工大臣、文部大臣、軍需大臣、参謀総長まで兼任していきます。
1944年7月、絶対国防圏としていたサイパン陥落の後に総辞職するまでの2年10カ月、日本国民を率いて戦ったのでした。

退陣後の1945年には、沖縄戦では、島民の3分の1が亡くなり、日本の主要都市すべてが民間人ごと無差別爆撃を受けて数十万人が亡くなり、広島、長崎には原爆を落とされて30万人が犠牲になりました。
こうして、1945年8月15日、太平洋戦争に敗れたのです。

東條英機の自殺

大日本帝国憲法で、国家元首は天皇でした。
統治権も天皇にありましたので、戦争の責任を問うなら天皇です。
ところが政治的な配慮から天皇は責任を問われず、最も戦争責任を問われたのが臣下である東條英機でした。

1945年9月11日午後4時、世田谷の自宅にいた東條英機のもとに、マッカーサーの指令によってMP(憲兵)がやってきます。

東條英機は陸軍大臣のとき「戦陣訓」というものを日本の兵士に配布して持たせていました。
それには「生きて虜囚の辱めを受けず」と書かれています。
これは、捕虜になるくらいなら自決せよ、という意味です。
これによりアッツ津島やサイパン島でも降伏せずに全滅玉砕し、沖縄でも民間人の集団自決が行われたといわれます。
他人に捕虜になるより自殺せよと言っておきながら、自分が捕虜になり、生き恥をさらすわけには行きません。
東條英機は玄関にやってきたMPに対して、
それでは準備がありますのでしばらくお待ち下さい
と待たせて、自分の部屋に戻りました。
そして、机の引き出しからピストルを取り出すと、銃口を心臓に向けます。
かねてから、医者に自分の心臓の位置を確かめてそこに印を付けてありました。
そして撃鉄をあげます。
あとは引き金を引けば間違いなく死ねます。
ところが、あれだけ他人を死に追いやってきたのに、いざ自分が死ぬとなると、引き金が引けません。
死んだらどうなるのだろうと思うと怖いのです。
戦場では感情が高ぶっているので、死んでもよいと突撃しますが、それは一時的な興奮状態です。
冷静な状態でいざ自分が死ぬとなると、怖くて死ねないのです。

10分経っても15分経っても東條英機が出てこないので、
玄関で待っていたMPは、
どうした東条、早く出てこい
と戸を叩きます。

すると、中でバーンと銃声が響き渡りました。

しまった」とMPがドアを破って突入すると、東條英機は自室で血を流しながら倒れていました。
マッカーサーから必ず東條英機を生きて連れてこいと言われています。
アメリカにすればドイツのヒットラーが自殺し、後継者のゲッペルスも後を追って自殺しています。
その悔しさから、日本の戦犯は必ず裁判で裁いて処刑したいと考えていました。
幸い、東條英機の弾丸は心臓を外れ、すぐ近くの左胸を貫通していました。軍医が応急処置をすると、横浜の野戦病院に運び込み、当時の最善を尽くした手術を行います。奇跡的に意識が戻り、九死に一生を得ました。
術後の経過も順調で、1カ月後、すっかりよくなって退院します。

巣鴨プリズン(刑務所)にて聞法

東條英機は地位も名誉も剥奪され、現在のサンシャインシティの場所にあった巣鴨プリズンに収容されました。
そして1946年5月から東京裁判が始まります。
巣鴨プリズンでは、東大文学部教授の花山信勝という浄土真宗僧侶が教誨師としてつき、法話をしたり、『正信偈』の本などを差し入れたりしてくれました。
そこで東條英機は、真実の仏教である阿弥陀仏の本願を初めて聞いたのです。
阿弥陀仏の本願」とは、どんな人でも、苦しみの根元を一瞬で晴らして絶対の幸福に救うという約束です。

花山信勝は東條英機の聞法についてこう記しています。
東条元大将は、終わりまで緊張して、身動き一つせず、もっとも熱心に聴いて下さった
法話の行われる仏間に正装で参詣しようと思っても、冬の軍服しか持ち合わせがありません。
真夏の暑い日でも、冷暖房のない仏間で、つめ襟の軍服姿でだらだら汗を流して瞬きもせずに仏法を聞いたといいます。
やがて苦悩の根元が断ち切られ、絶対の幸福になったといわれます。

そして、1948年11月に死刑の判決を受けてからは、教誨師の個人面談を受けます。
そのときには
有り難いですなあ。私のような人間は愚物も愚物、罪人も罪人、ひどい罪人だ。
私の如きは最も極重悪人ですよ

懺悔しています。また敵国として戦い、今自分を死刑にしようとしているアメリカにまで、
いま、アメリカは仏法がないと思うが、これが因縁となって、この人の国にも仏法が伝わってゆくかと思うと、これもまたありがたいことと思うようになった
と仏縁を念じています。そして
仏教の信仰というのは、人生の根本問題に触れることであって、人生の根本問題が決定してから後、社会のいろいろの上っ面なことが解決されてくるのです
とも言っています。
やがて死刑前日の12月22日には、東條英機は次の3つの歌を詠み、教誨師に見せています。

東條英機の3首の辞世

それがこの3首です。

1.「さらばなり 有為の奥山 今日越えて 
 弥陀のみもとに 行くぞ嬉しき

2.「明日よりは 誰にはばかる ところなく
 弥陀のみもとで のびのびと寝ん

3.「日も月も 蛍の光 さながらに
 ゆく手に弥陀の 光輝く

それぞれどんな意味でしょうか?

さらばなり 有為の奥山 今日越えて

有為の奥山 今日越えて」というのは、いろは歌からの引用です。
苦しみ悩みの人生を今日越える、ということです。
さらばなり」とは、娑婆の皆さんさようなら。
皆さんには大変ご迷惑をおかけしましたが、いよいよ東条は、
今日この有為の奥山、苦しみ悩みの人生を越えさせていただきます、
ということです。
弥陀」とは阿弥陀如来のことです。
阿弥陀如来のみもと」は、極楽浄土です。
弥陀のみもとに 行くぞ嬉しき」とは、
この東条の行く先は弥陀のみもとであります。
それがハッキリしているというのは、何と嬉しいことであろうか、
ということです。

明日よりは 誰にはばかる ところなく

明日よりは 誰にはばかる ところなく
弥陀のみもとで のびのびと寝ん
」というのは、
東條英機は、一度自殺未遂をしているので、マッカーサーから
20分以上寝させるな
と厳命されていました。
当時の医学では、舌を噛んで死のうとしても、20分以内なら命を取り留められたのです。
だから20分ごとに看守が見回りにくると、確認のため鼻をつまんで起こしていました。
だから3年ほどは眠たくて眠たくて仕方がない。
だから明日からは誰にはばかるところなく、極楽浄土でのびのびと休ませてもらいましょう、
ということです。
そして、国に報いることが足りなかったので、極楽へ往って仏になってかえってくる、とも言っています。

日も月も 蛍の光 さながらに

日も月も」の日は、太陽です。
太陽といえば、核融合反応によって、強烈な光を放ち、肉眼で見ていることができません。
その太陽の光が蛍の光のようだと言っています。
蛍といえば、田んぼにちらついている薄ぼんやりした小さな光です。
行く手に弥陀の光輝く」というのは、阿弥陀仏の極楽浄土を「無量光明土」ともいわれます。
無量光明土とは、限りの無い光明の世界ということです。
行く手に無限の光が輝く今の明るい心に比べれば、太陽の光も蛍の光のようなぼんやりしたものだ、それほど明るい心になれるんだ、ということです。
死んだらどうなるという微塵の不安もありません。
大安心大満足の明るく楽しい心です。

そして12月23日、死の13階段を上るときアメリカの憲兵一人一人に
有り難う、ぜひあなたも弥陀の本願を聞いて下さい
と感謝の言葉を述べて、午前零時1分、13階段を上ったといいます。

このように、戦争指導者として多くの人を死に追いやった東條英機も、最後、巣鴨プリズンの中で真実の仏教に出会い、真剣に聞法して苦悩の根元を断ち切られ、絶対の幸福に救われていったのでした。

ではその苦悩の根元とは何か、どうすれば苦悩の根元を断ち切られ、絶対の幸福になれるのかは仏教の真髄ですので、わかりやすく小冊子とメール講座にまとめておきました。
ぜひ見ておいてください。

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