大原問答(大原談義)とその内容
「大原問答」は、大原談義ともいわれ、浄土宗を開いた法然上人が、
天台宗、真言宗、法相宗、華厳宗、禅宗などの学者たち380余人と対決した仏教の大論争です。
各宗の学者たちは、法然上人を12の難問で問い詰めたのですが、
一体どんな内容で、どんな結果になったのでしょうか?
大原問答とは
大原問答とは、どんなことだったのでしょうか?
まず仏教の辞典を確認してみましょう。
大原問答
おおはらもんどう
<大原談義>ともいう。
1186年(文治2)、京都愛宕大原で、法然と南都北嶺の碩学たち(のちの天台座主顕真、天台の証真、三論の明遍、法相の貞慶、東大寺勧進重源ら)との間で行われた浄土宗義上の問答。
ここで法然は、念仏の功徳と阿弥陀仏の本願の主旨を明らかにした。
満座の聴衆は3昼夜、不断念仏を勤行したという。
この問答以後、法然は社会的に注目されるようになり、専修念仏は隆盛となっていった。
この問答は顕真の発議によったという。(引用:『岩波仏教辞典』第三版)
このように、大原問答について非常に簡単に説明されていますので、
ここでは辞典には書かれていないその内容まで、分かりやすく解説していきます。
決戦前夜
承安5年(1175年)、法然上人が43歳のときに他力によって絶対の幸福になられてから
京都吉水の草庵ですべての人が救われる他力の仏教を力強く説き始められました。
以来10年、燎原の火の如く他力の仏教は広まり、多くの人が吉水へ参集するようになります。
その影響力が無視できなくなった自力の他宗派の僧侶たちは、
「このまま好きなようにさせておけぬ」
と法然上人を呼び出して、仏教の論争で打ち破ろうと画策しました。
そこで文治2年(1186年)、
天台宗は比叡山のトップ(第61世座主)になる顕真が、法然上人に
「最近浄土仏教を学んでいるのですが、わからないところがあるので、大原の勝林院にてお尋ねしたい」
と申し入れました。
そして、有名なところでは
真言宗、東大寺の復興を果たした重源、
真言宗、高野山の明遍僧都
法相宗、笠置の解脱貞慶
華厳宗、栂尾の明恵
をはじめとする日本中の学者380余人、
有象無象も入れれば2千人の僧侶が集まって、
大原に迎え撃つ準備を整えたのです。
法然上人は、顕真殿と膝を突きあわせての一対一の話かと思い、聖覚法印と、
それ以外は、身の回りの世話をするお弟子十数名を連れて赴かれました。
ところが勝林院に近づくと、たくさんの人があふれています。
お弟子の一人が
「あれは何ですか?」
と通りすがりの人に尋ねると、
「あれは日本中の学者が集まって、今日、法然上人と問答して打ち破るんだそうですよ」
と言います。
青ざめたお弟子は
「さすがにこれはまずい」
とブルブルガタガタ震え始めます。
さっそく法然上人に報告し、
「お師匠さま、これはワナです。
お帰りになりませんか」
と進言します。
ところが法然上人は、
「心配するでない。
それなら真実開顕のまたとないチャンスではないか。
ああ法然は幸せ者じゃのう」
とニコニコしておられます。
震え上がっているお弟子達の心配をよそに、法然上人一行が勝林院に到着すると、
本堂には高座が2つ設けてあり、片方に天台座主になる顕真が座っていました。
一言一句もらさず書き留めようと書記も待機しています。
こうして日本仏教史上、始まって以来の大法論が開始されたのでした。
その内容については、聖覚法印がメモしたといわれている『大原談義聞書鈔』に出ていますので、それに基づいて、どんな内容の論争があったのか、見てみましょう。
現代でも多くの人が持ちそうな疑問にまつわる、12のQ&Aとなっています。
1.天台座主・顕真の問い「教えの優劣」
法然上人が高座につかれると、
大原問答の第一問は、まず天台座主になる顕真からでした。
いきなり核心を突いてきます。
速やかに輪廻を離れて仏になる道は、
釈迦一代教の中でも最上の、
華厳宗、天台宗、真言宗、禅宗の4つの道といわれています。
それを法然殿は、浄土仏教のほうがすぐれているといわれるのは、どういうわけですか?
法然上人はよどみなく答えます。
「お釈迦さまの教えに優劣はありませんが、
仏教はなんのために説かれたのでしょうか。
衆生の迷いを転じて、仏のさとりを開かせるためでしょう。
衆生を救う点で、浄土門のほうが優れているのです」
衆生を救う、というと何がすぐれているのですか?
「すべての人が救われます。
天台宗や真言宗、禅宗などの自力の仏教は、人を選ぶではありませんか。
それは智慧のある人でなければなりません。
欲や怒りや愚痴の者は助かりません。
たくさんの厳しい戒律もあります。
それではほとんどの人は救われないではありませんか。
しかし、他力の仏教は違います。
欲のやまぬ者も、怒りの起こる者も、
愚者も、智者も、善人も悪人も、男も女も、
すべての人が救われるのです」
これには、顕真も言い返す言葉がなくなってしまいました。
2.天台宗・永弁の問い「救いの速さ」
次に地蔵菩薩の化身といわれた天台宗の永弁が
法然上人に質問しました。
「真実というのは天台宗ばかりが真実ではありません。
お釈迦さまは、大無量寿経に真実を顕示す、と言われています。
また『必ず超絶して去ることを得て、安養国に往生す』
と説かれていますから、速やかに救われる教えです。
たとえ臨終でも、聞く一つで苦悩の根元が断ち切られて浄土へ往けるのです。
天台宗が速やかに真実をさとるというのは、自力の修行が必要ですから、現実には誰もできません。
他力の教えは、どんな人でも速やかに救われる道なのです」
こうして永弁は二の句が継げなくなってしまいました。
3.天台宗・智海の問い「生仏一如」
3番目は、中国にまでその名が轟いている智海の問いでした。
法然上人は答えます。
「阿弥陀如来のお力によって苦悩の根元が断ち切られれば、生きているときに、
仏心凡心一体、煩悩即菩提となります。
しかし天台宗では、修行をしなければ生仏一如のさとりは得られません。
欲や怒りや愚痴の私たちですから、他力によって仏凡一体になるのです」
明快な答えに、智海は言葉を失いました。
4.天台宗・静厳僧都の問い「救いの対象」
それに対して4番目は、天台宗は比叡山の安居院の僧都、静厳の問いでした。
「それは先ほどもお話しした通りです。
すぐれた人は、煩悩も浅く罪も軽いのでしょう。
並の法でも助かります。
しかし浄土門は私のような愚痴の極悪人が相手です。
極悪最下の者のためには極善最上の法でないと助かりません。
肉体の病にたとえれば、病が軽ければ、並の医者でも治せますが、
末期の重病人は最高の名医でなければ治せないようなものです。
すべての人が救われる他力の教えこそが、超世希有の法なのです」
それを聞いた静厳は、法然上人にすっかり心服してしまいました。
しかしながら他にもまだまだたくさんの疑問があったので、
大原問答は次の日に持ち越されることになりました。
5.真言宗・明遍僧都の問い「各宗との優劣」
禅宗よりすぐれている?
あくる日最初に質問したのは、真言宗と禅宗を学んだ明遍僧都でした。
まずは、禅宗に対して浄土門がすぐれているのはどういうわけか質問します。
法然上人は、それに答えてこう言われます。
「禅宗でさとったといっても、それは究極のさとりではありません。
達磨大師は壁に向かって9年間、手足が腐り落ちるほど座禅をしましたが、最後は他力でなければさとりはえられないと知らされて、晩年は念仏三昧に入られているではありませんか」
これには返す言葉もなく、次に真言宗に対して浄土門がすぐれているのはどういうわけか尋ねます。
真言宗よりすぐれている?
真言宗では、釈迦一代の教えを2つに分けます。
顕教ではさとりを開くのに時間がかかりますが、
密教ではこの身このまま即身成仏できるのです。
密教を日本へ伝えた弘法大師空海が嵯峨天皇に講義をしたとき
教えはすばらしいが本当に即身成仏できるのか?と聞かれました。
そのとき弘法大師は印を結び、三密加持によって金色輝く大日如来になられたといわれます。
それにもかかわらず他力の教えが真言宗にすぐれているとは何を言われるか。
「真言密教は、身には印を結び、口には真言をとなえ、心に思念しなければなりません。
これを有相の三密といいます。
ところが無相の三密は、言葉を離れ、心から心をさとり、生死を離れますが、
末代の煩悩にまみれた私たちにはさとれません。
だから弘法大師も一段劣った有相の三密を伝えたのではありませんか。
それができれば即身成仏といいますが、
空海自身、秘密念仏を伝えて
「空海の 心の中に 咲く花は 弥陀よりほかに 知る人ぞなき」
と歌っています。
一旦悟ったといっても究極のさとりではないために、
最後は高野山に入定して、後の世に仏が現れるのを待っているというではありませんか」
これには返す言葉がなく、
さらに明遍僧都は、天台宗よりすぐれているのはなぜか問いただします。
天台宗よりもすぐれている?
釈迦の説かれた一切経には真実と方便があります。
釈迦がはじめに華厳経を説かれたとき、声聞などは鹿野園に逃げてしまいました。
そこでお釈迦さまは阿含経を説かれ、
次に方等経へ進め、般若経を勧めて導かれ、
最後に法華経で声聞も縁覚も菩薩も助けられたのです。
したがって法華経が真実で、それ以前のお経は方便です。
なぜ他力の教えが法華経にすぐれているのですか?
ところが法然上人は、もともと比叡山で仏道を求められていたので、
法華経についてよく知っておられます。
「声聞も縁覚も菩薩も救うのは法華経のすばらしいところです。
ところが法華経は「難信難解」と言われ、
「この法華経は深智の為に説く、浅識はこれを聞いて迷惑して悟らず」
「法華経を信じえない者の為には如来の余の深法を教えよ」
と説かれています。
その法華経にもれた者を救うのが、他力の教えなのです。
天台宗を開いた天台大師さえも、一生涯の法華経の修行で
52段のさとりのうち10段目までも悟れず、
最後は観無量寿経によって他力の救いを求めたではありませんか。
修行によってさとりを開きたいと思っているうちに命の日が暮れます。
他力によって苦悩の根元が断ち切られれば、
いつ死んでも浄土へ往って仏に生まれることは間違いありません」
明遍僧都ももう何も言い返せなくなってしまいました。
6.法相宗・解脱貞慶の問い「救いの速さ」
次に前へ進み出たのが法相宗の解脱貞慶でした。
法然上人は答えます。
「自力の仏教は、現世にさとりを開くといっても、
そこまでの修行ができる人がいないので万が一にもさとりは開けません。
しかし、他力の仏教は、どんな人でも死んで極楽へ往けばさとりをえられますし、
すぐれた人はこの世でさとりをえられます」
それを聞いた天台宗の証真が突っ込みます。
7.天台宗総学頭・証真の問い「現世のさとり」
証真は、やがて僧都となり、天台宗の総学頭になる新鋭の若き学僧です。
法然上人は、少しもあわてません。
「それはその通り。
ただし、『観無量寿経』に出てくる悪女・韋提希夫人は、この世で無生法忍を得たと説かれています。
これはこの世でさとりを得たともいえますが、それはお釈迦さまの在世中だからです。
ちなみに法華経の龍女がさとったというのは、智慧利根だからです。
今のような末代無知の私たちは、他力によって苦悩の根元を断ち切られるしかありません」
こうして、貞慶も、証真も答えられなくなってしまいました。
ちなみに『観無量寿経』に説かれる韋提希夫人が救われたストーリーは「王舎城の悲劇」といわれていますが、それについては以下の記事をご覧ください。
→王舎城の悲劇とは?あらすじと登場人物の正体
8.天台座主・顕真の問い「究極の境地」
ここでまた、大原問答の発端となった顕真が尋ねます。
浄土門では、色も形もない真如法性の理を思い浮かべないはずではありませんか?
法然上人はスラスラと答えます。
「悪しかできない私たちに真如法性を思い浮かべることはできませんが、
南無阿弥陀仏は、想像もできない阿弥陀如来の御心を六字に顕現したものです。
南無阿弥陀仏を頂けば、心も言葉も及ばない絶対の幸福の世界に出るのです」
9.八宗兼学の湛厳の問い「他力仏教の位置づけ」
湛厳は、仏教のあらゆる宗派を学んだ人でした。
ところがここまでくると、他力のすぐれたことが知らされて、
純粋に浄土仏教が知りたくなっていました。
法然上人は、ここで、釈迦一代の教えにおける、他力の仏教の位置づけを解説されます。
「仏教に色々な宗派が分かれているのは、
釈迦の一切経をどのように分類整理するかによって、
色々な宗派に分かれています。
浄土宗では、釈迦一代の教えを、一旦、自力と他力の2つに分けます。
他力とは、諸仏の王と説かれる阿弥陀如来のお力によって救われる道です。
自力の教えも実行できればさとりを得るのですが、
般舟経に「三世の諸仏は弥陀三昧を念じて等正覚を成る」と説かれているように、
結局さとりを得るのは他力によるのです。
法華経は、自力の仏教の中では、法華経以外の教えは法華経へ導く方便ですが、
他力の仏教も含めて考えると、法華経も他力へ導く方便となります。
釈迦一代の教えは、最後は他力へ導くために、相手に応じて説かれた方便なのです」
八宗兼学の湛厳も、仏教を体系的に理解することができ、深くうなずくのでした。
10.真言宗・重源の問い「学問の要不」
重源といえば、源平合戦で焼失した奈良東大寺の再建を成し遂げた大徳です。
すでに法然上人に好意的で、このような質問をしました。
他力によって苦悩の根元を断ち切られるためには、
難しい仏教の学問をしなければならないのでしょうか?
法然上人は、やさしくこう答えます。
「そうではありませんよ。
仏教の学問は、他力によって、苦悩の根元を断ち切られるためにあるのです。
学問がなくても、仏教を聞いて苦悩の根元が断ち切られれば、一切経を読み破ったのと同じです。
苦悩の根元が断ち切られれば、学問があってもなくても、そのまま絶対の幸福になれるのです」
重源はすっかり法然上人に帰依しました。
11.天台座主・顕真の問い「因果の道理」
ここで不屈の顕真が3回目の質問です。
さすがは天台座主、鋭いところをついてきます。
因果の道理は仏教の根幹ですから、これに反したならば、仏教ではなく外道となります。
法然上人は、こう答えます。
「他力の救いは絶対の幸福ですから、
因果の道理に反せず、ふまえた上で、それを超越した救いです。
わかりやすく言うなら、
因果の道理というのは、因と縁がそろって結果が現れますから、
阿弥陀如来の本願の強縁による救い、といえばわかりやすいでしょう。
かの縁覚という人たちは、花が散り、葉が落ちるのを見て、
それを縁にさとりを開くといいます。
花や葉でさえもさとりの縁となるのに、ましてや他力は限りない力を持たれた諸仏の王、阿弥陀如来のお力です。
どうして絶対の幸福になる因縁とならないことがありましょうか。
もちろん他力の教えは因果の道理に立脚した救いです」
顕真が言葉を失うと、最後に永弁が、これまたよくあるもっともな質問をします。
12.天台宗・永弁の問い「悪人正機」
大原問答の最後に、天台宗の永弁が、重要な質問をします。
他力によれば極悪人でも救われるといえば、みんな悪を造ってもいいんだと思って悪を造り、
かえって不幸になるのではありませんか?
これは悪人こそが救われる、悪人正機を誤解して多くの人が間違う重要なところです。
法然上人は、このようにお答えになりました。
「他力の仏教も仏教である以上、因果の道理を根幹としています。
諸悪莫作(もろもろの悪をなすことなかれ)
衆善奉行(もろもろの善を行じ奉れ)
自浄其意(自ら其の意を浄めよ)
是諸仏教(これ諸仏の教えなり)
の七仏通戒偈は、すべての仏が共通して教えるところです。
極悪人が救われるというのは、好んで悪を造ってよいということではありません。
もちろん他力の仏教でも善の勧めがあります。
好んで悪を造る者は悪が知らされませんが、
善に向かえば向かうほど、我が身の悪が知らされてくるのです。
そして、仏教を聞いて、悪しかできない真実の自分の姿がハッキリ知らされたとき、
苦悩の根元が断ち切られ、絶対の幸福に救われる、ということです。
ここは間違い易いところですから、よくよくお聞き下さい」
大原問答の勝敗
こうして法然上人は、一昼夜にわたり、日本中の仏教学者380余人のすべての難問にことごとく答えられ、
たった一人で撃破してしまわれたのです。
その他の380余人の学者たちも全員法然上人のお弟子となったといわれます。
そして、法然上人の深い学問と高いお徳に感動した満堂の聴衆は
声高らかに念仏を称え、その声は三日三晩、大原の山々に響いたといわれます。
こうして日本にも、すべての人が本当の幸せになれる真実の光が差し込み、
現代日本に至るまで自力の仏教よりも他力の仏教の人が多くなったのです。
ではすべての人が救われる道とは?
では肝心の、どんな人でも苦悩の根元を断ち切られ、
本当の幸せになれるという苦悩の根元とは、何なのでしょうか?
それこそ仏教の真髄ですので、
わかりやすく電子書籍とメール講座にまとめておきました。
ぜひ見ておいてください。
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この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか一人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。インターネットの技術を導入して日本仏教学院を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。
仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。
著作
- 生きる意味109:5万部のベストセラー
- 不安が消えるたったひとつの方法(KADOKAWA出版)