周利槃特(しゅりはんどく)とは?

周利槃特(しゅりはんどく)」は、周利槃陀伽とか、チューラパンタカともいわれ、赤塚不二夫のギャグマンガ『天才バカボン』に出てくる「レレレのおじさん」のモデルになったといわれます。
法華経』や『阿弥陀経』にも出てくるお釈迦さまの高弟ですが、お弟子の中でも最も頭が悪く、仏の教えは一つも覚えられませんでした。
それにもかかわらず、高い悟りを開いたのがシュリハンドクです。
一体どんなことがあったのでしょうか?

シュリハンドクの生い立ち

毘奈耶(びなや)』によれば、こうあります。
シュリハンドクのお父さんは、舎衛城のバラモンでしたが、生まれる子は、いつもすぐに死んでしまいました。
ある時また奧さんが懐妊したので、隣の家のお婆さんが、運試しを教えました。
生まれた子供を召使いに抱かせて、道に立たせ、一日生きていれば早死にすることはないというものです。
お父さんは言われた通りに、生まれた子を大きな道に立たせたところ、無事に家に帰ってきました。
大変喜んだお父さんは、
もうこれで大丈夫
と思って祝宴を開き、子供に「大路」という意味の「摩訶槃陀伽(まかはんだか)」と名づけました。

やがて弟が生まれたので、同じように運試しをすると、また無事に家に帰ってきました。
今度は召使いは小さな道に立ったので「小路」という意味の「周利槃陀伽(しゅりはんだか)」と名づけました。

お兄さんのマカハンダカは非常に頭がよく、運動神経も抜群でした。
バラモン教その他の色々な技術を学び、やがて名声が高まって行くと、500人もの弟子ができました。
それとは対照的に、シュリハンドクは頭が悪く、何を教えられても一つも覚えられません。
周りの人は呆れて、シュリハンドクのことを「小路」ではなく「愚路」と呼んでからかったといいます。

それでもお父さんは、愚かなシュリハンドクを深く憐れみ、臨終を迎えると、兄を呼んで
シュリハンドクを頼む
と弟を託してこの世を去りました。

お兄さんの出家

ある時、マカハンダカが、舎衛城の城外の林で、弟子達に講義をしていると、たくさんの人々が城外に出てきて並んでいるのが見えました。
マカハンダカが、
何だあれは?今日は何の日だ?
と尋ねると、弟子の一人が、
今日は、ブッダの高弟の、舎利弗と目蓮が500人の弟子と共に舎衛城にやってくるそうです。
みんなそのお出迎えで、ああして待っているのでしょう

と答えます。
ああ、あいつらか。知ってる知ってる。
舎利弗と目蓮っていったら、我々と同じ、バラモンという高貴な身分でありながら、下の身分である王族の釈迦の弟子になったというじゃないか。
そんな奴ら出迎える必要あるのか?

「いえいえ、それが先生、すごいらしいんですよ。
あの2人は仏教の教えによって悟りを開いたそうで、人格的にも立派な人だそうです。
先生も仏教を聞いたら、ひょっとしたら学びたくなりますよ

そんなにすごいのか
それを聞いたマカハンダカは、バラモン教だけではなくて、仏教の教えも機会があれば知っておきたいと思うようになります。

そんなある日、マカハンダカが舎衛城の城外の林を一人で歩いていると、お釈迦さまのお弟子の一人に出逢いました。
そこで、近寄ってお釈迦さまの教えについて質問すると、因果応報十二因縁などの因果の道理を聞き、あまりのすごさに目を見張ります。
続けて聞いて行くうちに、ついにこの仏弟子に従って、出家してしまいました。

シュリハンドクの出家

シュリハンドクのほうでは、ある日、お兄さんが急に帰ってこなくなってしまいました。
シュリハンドクは身よりもなく、家事もできないために、生活に困ってしまいます。
やっとやっと生き延びていると、ある日、お兄さんが悟りを開いて家に帰ってきて、
お前も出家しよう
と言います。
シュリハンドクは、お兄さんの言われるままに出家しました。

するとお兄さんから
三業にを造らず、生き物を悩ませず
 正念に空を観ずれば 無益な苦は離れるべし

を覚えるように言われたので、何とか覚えようとします。
シュリハンドクが暗記しようとして毎日この言葉を繰り返しているのを、近くの牧場にいた牛飼いが聞くともなしに聞いて、口ずさむようになりましたが、シュリハンドクは覚えられません。
やがて3カ月が過ぎて祇園精舎で会合があり、一人一人が知らされたことを発表することになりました。
ところがシュリハンドクの番が回ってくると、この言葉を暗唱することもできず、しどろもどろになってしまいます。

その姿を見たお兄さんは、これは少し厳しく言って発憤させないと、とても仏道を求めることはできないだろうと思い、
お前は本当に愚かだな。一句の法門も覚えられないようでは、お前のような奴は仏道修行の器ではない
と叱責しました。

ところが、シュリハンドクは、世界でたった一人の頼りだったお兄さんから突き放されて、すっかり悲しくなってしまい、祇園精舎の門の外に出て、泣き始めてしまいました。
ああもう自分は終わりだ。もう帰る家もないし、ここにもいられない。
これからどうしたらいいんだろう

と途方に暮れて泣いていると、その苦しい心の叫びを察知されたお釈迦さまがやって来られました。

そなたはなぜ、そんなところで泣いているのか
お釈迦さまが親切に尋ねられます。
私は頭が悪いために兄に追い出されてしまいました。
もう家にも帰れませんし、ここにもいられません。
これからどうしたらいいか分からなくて泣いていたのです

その時お釈迦さまは
悲しむ必要はない。おまえは自分の愚かさを知っている。
世の中には、賢いと思っている愚か者が多い。
愚かさを知ることは、最もさとりに近いのだ

と優しく慰められたのでした。

シュリハンドクの掃除三昧

お釈迦さまはやがて、一本のほうきと
ちりを払わん、あかを除かん
という言葉をシュリハンドクに授けられます。

それ以来、シュリハンドクは掃除をしながら、お釈迦さまから与えられた言葉を必死に覚えようとしました。
ところが「ちりを払わん」を覚えると「あかを除かん」を忘れ、
あかを除かん」を覚えると「ちりを払わん」を忘れます。
それでもシュリハンドクは、掃除三昧を毎日続けたのでした。

このように仏教では、掃除をすることは、非常に大事なことです。
自分のいる所をきれいにし、身に付けているものをきれいにします。
それにしたがって、心もきよまります。

こうしてシュリハンドクは、掃除三昧を20年間続けました。
その間、一度だけ、お釈迦さまからほめられたことがありました。
おまえは、何年掃除しても上達しないが、上達しないことにくさらず、よく同じことを続ける。
上達することも大切だが、根気よく同じことを続けることは、もっと大事だ。
これは他の弟子にみられないすばらしいことだ

仏教の教えの通りに、よく長期間の努力精進に耐えた甲斐があり、やがてシュリハンドクは、ちりやほこりは、あると思っているところばかりにあるのではなく、こんなところにあるものか、と思っているところに、意外にあるものだということを知らされます。
それを通して自分の煩悩が知らされ、
自分は愚かだと思っていたけれど、自分の気づかないところに、どれだけ愚かなところがあるか、わかったものではない
と驚いて、ついに掃除一本で阿羅漢のさとりが開けたといいます。

このように、仏教を聞いて行くと、今まで知らなかった自分の姿が知らされて来ます。
私たちも自分でも悪いと思うところがありますが、自分で自覚している悪は、氷山の一角です。
自覚のないところで、どれほど重く、恐ろしい悪を造っているかを、仏教の真実の鏡によって見せて頂かなければならないのです。

すべての人が救われる教え

シュリハンドクがさとりを開いたことは、多くの人に衝撃を与えました。
外道の教えを信じている人は、
何一つ覚えられない愚か者が悟れるような教えなら仏教もたいしたことがない
と言って仏教を謗り、仏教を信じている人でも、
さすがにあのシュリハンドクにさとりが開けるはずがない
と疑う人がたくさんありました。

そこで『法句譬喩経』によれば、お釈迦さまは、シュリハンドクに命じて、比丘尼(びくに)といわれる出家した女性の寺へ行って説法するように命ぜられました。
比丘尼たちは、何も覚えられない人が何か講義できるのだろうかと軽く見ていましたが、シュリハンドクの説く法を聞くと、その尊さすばらしさに息を飲みます。

それ以来シュリハンドクは、お釈迦さまの高弟と重んじられるようになり、『阿弥陀経』に表された「十六羅漢(じゅうろくらかん)」にも、その後に選ばれた十六羅漢にも入るような、お釈迦さまの代表的なお弟子になったのでした。

このように仏教は、いかなる智者も愚者も、男も女も、等しく救われる教えです。
さらに仏教の真髄になると、出家の人も在家の人も一切の差別なく、煩悩あるがままで救われます。
それには、仏教に説き明かされた苦悩の根元を知り、それを断ち切られなければなりません。

ではその苦悩の根元とは何か、どうすればそれを断ち切られて、変わらない幸せになれるのかということは、以下のメール講座にまとめておきました。
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