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除夜の鐘の意味

除夜の鐘
除夜の鐘がつかれるお寺の鐘

除夜じょやの鐘は、大晦日の夜、全国各地のお寺で108回突きならされる鐘です。
日本の文化として伝統的に続けられ、冬の季語にもなっています。
ところが最近では、夜中にうるさいという苦情から、除夜の鐘を夕方にしたり、取りやめたりするお寺も出てきています。
除夜の鐘とは一体どんなものなのでしょうか?
なぜ108回つかれるのでしょうか。

除夜の鐘とは

除夜の鐘は、1年の最後、大晦日の夜に、全国各地のお寺で108回つかれる鐘のことです。
除夜」とは除日じょじつの夜ということです。
除日とは旧年を除く日という意味で、12月31日のことです。
その夜ですので、除夜は大晦日のことです。

大晦日に日本各地のお寺で鐘が108回つかれます。
1年を締める年中行事、それが除夜の鐘です。

除夜の鐘が聞ける場所は、日本全国です。
ほとんど日本だけですが、韓国でもソウルにある普信閣など、一部除夜の鐘をつく所があります。
ただ、普信閣の場合、回数は108回ではなく33回です。

つき方としては、たいていは、午前0時の前後につかれます。
旧年中に107回、年を越してから1回つくというお寺もあります。
ですが、年が明けてから108回つく寺もあり、様々です。

年越しの風物詩となっているので、冬の季語になっています。
辞書にはこのように書かれています。

除夜の12時をはさんで、寺々で鐘をつくこと。
また、その音。
108の煩悩(ぼんのう)を除去し新年を迎える意味を込めて108回つく。
百八の鐘。
《季 冬》「妻はまだ何かしてをり—/草城」

これで大体は分かると思いますが、最近の除夜の鐘の事情や、煩悩ぼんのうとの関係、除夜の鐘の起源などさらに詳しく解説していきます。

除夜の鐘はうるさい?

鐘の音はある程度大きいため、最近では「うるさい」というご近所からのクレームで除夜の鐘をとりやめたり、日中につくお寺が出てきています。

東京都小金井市の住宅地の真ん中にある「千手院」では、
近隣の住民が裁判所に民事調停を申し立て、
話し合いで除夜の鐘をつく条件が定められました。
ですが「千手院」では除夜の鐘をやめてしまいました。

また、他にも、近所からの苦情により、除夜の鐘を日中につくようになったお寺もあります。
除夕じょせきの鐘」と呼ぶ所もあります。
(除夕は除夜と同じ意味ですが……)

そこで、日本の人々は、本当に除夜の鐘をうるさいと思っているのか、
独自にアンケート調査を実施してみました。

上記のように、除夜の鐘を迷惑だと思っているのは、212名中1名でした。
特に、
「除夜の鐘どころか、、、
お寺の鐘の音が好きで一時はお寺に囲まれたアパートに住んでましたよ」とか
「近所にある3か所から聞こえてくる
でも迷惑と感じた事は無い
むしろ有難いと感謝したいです」
などといわれる方もあります。

このように、ほとんどの人は、全然うるさいと思っていません。
お寺の僧侶の方は自信をお持ち頂いていいと思います。
中には、感謝しているという方もあります。
そういう方からすれば、なくされてしまうほうが迷惑なことでしょう。
ぜひ日本の伝統行事を護っていってください。

では、このような除夜の鐘はいつ頃からどのように始まったのでしょうか。

除夜の鐘の起源

除夜の鐘は、中国で宋の時代に始まりました。
その時には、朝夕2回、108つの鐘をついていました。

日本では、鎌倉時代くらいから禅宗のお寺で朝夕2回、108つの鐘をつくようになります。
それが室町時代くらいになると、除夜にだけつくようになり、除夜の鐘になります。

江戸時代くらいまでは広まっていましたが、明治時代、大正時代には除夜の鐘はあまりつかれなくなってしまいます。
現代のように日本中に広まったのは、1927(昭和2)年に、ラジオ番組で大晦日に近所の寺から借りてきた鐘をスタジオに持ち込んで108回鳴らして放送されたことによります。
それが1929年には実況中継になり、1932年からはリレー中継になります。

ゆく年くる年」ももともと『除夜の鐘』という番組名でした。
こうして、昭和の時代に日本全国に除夜の鐘が定着していったのです。
これが除夜の鐘の由来です。

冒頭の辞書に出ていた
妻はまだ 何かしてをり 除夜の鐘
と詠んだ日野草城そうじょうも、昭和初期の俳人です。

回数はなぜ108回つくの?

除夜の鐘は、一部のお寺では、大晦日に来られた方にも鐘をついてもらい、108回以上つくところもありますが、基本的には108回です。
除夜の鐘は、なぜ108回つかれるのでしょうか?

現在では、煩悩をなくすためと思っている人がたくさんありますが、諸説あります。

例えば江戸時代の百科事典である『類聚名物考るいじゅめいぶつこう』にはこうあります。

宋洪邁俗考に、「鐘声一百八撞以応十二月二十四気七十二候」。
今案に三井寺の諷に鐘の声に百八煩悩の夢をやぶるという事有り。
拠有る事なり。

宋洪邁俗考』に書かれている漢文は、
鐘声一百八撞は、もって十二月、二十四気、七十二候に応ず」と読みます。
これは、中国の暦の作り方によって1年を分けた、十二か月、二十四節気、七十二候を合計した数であるという説が書かれているということです。
そして、自分で考えてみると、煩悩が108あるから、それを破るという意味ではないか、と言っています。

ですが実際には、もともと禅宗の習慣からのようです。
禅寺での修行のやり方を定めた「清規しんぎ」の一つ、『勅修百丈清規ちょくしゅひゃくじょうしんぎ』に、
慢十八声、緊十八声、三緊三慢共一百八声」とあります。
弱く鐘をつく「」を18回、強く鐘をつく「」を18回、それぞれ3回ずつ行うと108回という意味です。

それがやがて、煩悩が108あるので、それを消すために108回つかれていると理解されるようになりました。
煩悩というのは、怒り愚痴など、私たちを煩わせ、悩ませる心のことです。
煩悩とはどんなものか、108種類というのは具体的にどういうものかについてはこちらに詳しく解説してあります。
煩悩ぼんのうの意味・数や種類、消す方法は?

今年も1年間、煩悩にさんざん苦しめられてきたから、除夜の鐘で1つずつ煩悩を払い、来年は安らかに暮らしたい
という願いを込めて除夜の鐘を108回つくわけです。
これが現在の除夜の鐘をつく意味です。

除夜の鐘で煩悩はなくせる?

現代では、除夜の鐘を108回つくのは、煩悩を消滅させるため、と思っている人がほとんどです。
ですが、もともと煩悩をなくすのは極めて困難です。

もし本当に除夜の鐘をつけば煩悩がなくなるとすれば、除夜の鐘は毎年つかれているので、1歳以上の人は、みんな煩悩はないことになります。
ですが実際には、幾つになっても、欲や怒りやねたみそねみの煩悩は少しもなくなりません。
煩悩は、除夜の鐘をついたくらいでなくなるような代物ではないのです。

もし本当に煩悩をなくそうとするならば、仏教では必ず出家して、厳しい戒律を守り、長期間の修行をしなければならないと教えられています。

ところが仏教には、煩悩をなくすことなく本当の幸せになる道が説かれています。
例えば『維摩経ゆいまきょう』には、こう説かれています。

煩悩を断ぜずして涅槃に入る。

煩悩をなくさずに涅槃ねはんに入れるということは、苦しみ悩みの根本原因は煩悩とは別にあるということです。
その苦悩の根元が断ち切られれば、その瞬間、煩悩即菩提ぼんのうそくぼだいとなります。

煩悩即菩提とは、煩悩あるがままで無上の幸福になれることですが、詳しくは下記で解説してありますのでご覧ください。
➾「煩悩即菩提ぼんのうそくぼだい

では、苦悩の根元とは何か、どうすればなくすことができるのかについては、
仏教の真髄ですので、電子書籍とメール講座にまとめてあります。
以下からぜひ読んでみてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか一人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。インターネットの技術を導入して日本仏教学院を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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