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大乗仏教の起源3つの説

大乗仏教」というと、紀元前後に興隆した新しい仏教といわれます。
そしてその教団があったとして100年以上にわたって起源が追及されてきました。
ですが、その定説はどんどん移り変わり、最近はガンダーラ写本が発見され、
研究が進めば進むむほど分からなくなってきています。
一体これはどうしたことでしょうか?
まずは3つの有名な説を確認した後、その真相を解明します。

大乗経典と大乗仏教の教団

大乗仏教」というのはどんな仏教でしょうか?
そもそもそれ自体が仏教の学会では明確になっていません。
21世紀に入って新しくガンダーラ語のお経がたくさん発見され、
これまでの定説も覆されています。
何をもって大乗仏教というのか自体が、新しく変わり続けている状況です。

もともと最も早く成立した大乗経典といわれる般若経典が紀元前後で、
当然、そのお経を成立せしめた大乗教団が存在して、
その頃に成立していたと思われていました。

ところが、碑文や像塔などの考古学的研究で
大乗教団の痕跡が見つかるのが5世紀頃からだといいます。
すると、それまで『般若経』を成立させた人はどこにいたのか、
疑問になります。
そして小乗仏教を信奉する人も大乗仏教を信奉する人も、
一緒に住んでいたと推測されるようになっています。

大乗仏教の起源説も、どんどん新しいものが提出され、謎は深まるばかりです。

1.大衆部を起源とする説(明治時代)

大乗仏教は「大衆部だいしゅぶ」を起源とすると思っている人がたまにいますが、
これは明治時代の説です。

この説は、前田慧雲という人が、説一切有部せついっさいうぶという部派の世友せゆうの書いた『異部執輪論いぶしゅうりんろん』(玄奘げんじょう訳)を根拠に提唱しました。
異部執輪論いぶしゅうりんろん』には、色々な部派の教義が記されていますが、
その中の大衆部の教えと、大乗仏教の仏身や菩薩についての教えが似ている、というものです。
そして吉蔵きちぞうの『三論玄義』や真諦しんだいの『部執異論疏ぶしゅういろんしょ』に、大衆部は『法華経』や『涅槃経』などの大乗経典を持っていたとあるので、大乗仏教は大衆部を起源とするのだろうと推測したものですが、いつの間にか日本の仏教学会の定説になってしまいました。

ところが、やがて大衆部だけでなく、上座部系の法蔵部もたくさん大乗経典を持っていたことが分かりました。
1990年代に、アフガニスタンの紛争で戦闘機が攻撃して穴が空いたところから瓶が出てきて、白樺の樹皮に記された大量の大乗経典が発見されたのです。
その瓶には「法蔵部」と書いてあったので、法蔵部も大乗経典をたくさん持っていたことが分かりました。
ちなみにその写本は競売にかけられ、ノルウェーのコレクター、マーティン・スコイエンが落札し、スコイエン・コレクションとなっています。

この大乗仏教が大衆部を起源とするという説は、他の部派でも大乗仏教と類似した教えは説かれているなど、色々と批判を受け、根拠薄弱となっています。

2.仏塔を信仰する在家の人起源説(昭和時代)

次に昭和時代の後半に、平川彰という人が、律蔵文献の緻密な研究により、
仏塔の近くに住んでいた在家の人を起源とする新説を唱えました。

理由は、大乗仏教の菩薩は、色々なものを布施することが説かれているのですが、
当時のインドで僧侶になるには、出家して家族も財産も捨てなければならないので、
出家した僧侶の集団である大衆部を起源とすることはありえないというものです。

それで、仏教の教えの面だけでなく、社会的な面も考慮して、
仏塔の近くに住んでいた在家の菩薩の集まりが、大乗仏教の起源となった
と推測したのです。
大変独創的で、精密な研究に基づいており、日本では定説のようになりました。

よく本に書いてあるので、多くの人がこれを定説だと思っていると思います。
ですが、海外ではそれほど注目されませんでした。
それはすでにアンドレ・バローの研究によって、部派仏教でも仏塔に関わっていたことが分かっていたからです。

なぜ平川彰が出家の人が仏塔に関わらないと思ったかというと、
1つには『遊行経ゆぎょうきょう』の中で、阿難がお釈迦様の葬式について質問した時のお答えからでした。
お釈迦様はシャリーラの供養は在家の人がするだろうから、
出家の人は修行に専念しなさいと言われました。
そのシャリーラには、遺体という意味も遺骨という意味もあるので、平川彰は遺骨と読み、仏塔には遺骨がおさめられているため、出家者は仏塔に関わらないと思ったわけです。

また2つ目に、部派仏教の出家者が遺骨の供養に関わったという記述が一切ないことも1つの大きな根拠でした。
ですが、実際はまったく正反対で、あまりに日常的に遺骨の供養に関わっていたために、当たり前過ぎてわざわざ書かれていなかっただけでした。

3.周辺地域の教団を起源とする説(平成時代)

やがて平成時代の後半、1990年代になると、グレゴリー・ショペンという人が、考古学的な方法を使って新たな説を提唱します。
インド仏教の僧侶たちは、実は出家しても財産を捨てずに、私有財産を持ち続けていたらしいことを明らかにします。
寄進者名のある碑文を調査したところ、バールフットという村では、仏塔への寄進者の4割が出家者であることが分かっています。
これによって、仏塔を信仰する在家の人を起源とする平川彰の説は根拠がなくなり、否定されてしまいます。

こうして、大乗仏教はインドの仏教の教団内から現れたという説に戻りましたが、
さらにショペンは、インドから出土した碑文によって、大乗仏教は、辺境の地域の仏教に起源があったという新説を打ち立て、2010年以降の仏教界では定説となっています。
ですがショペンの研究は、漢訳文献をまったく無視しており、
さらにその後に発見されたガンダーラ語の写本も見ていないので、
今では古い説です。

その後も色々な新説が提出されています。
例えば袴谷憲昭によれば、裕福な在家者のために出家者が行った「悪業払拭の儀式」が大乗仏教の起源だと提唱しました。
悪業払拭の儀式は、霊魂の存在を前提としているそうですが、そういうものは仏教とは言えません。

また、佐々木閑は、大乗仏教は、発生場所もその創始者も特定できない、複数の源泉から同時並行的に発生してきたと考えています。
つまり大乗仏教の起源は分からないということです。

このように、大乗仏教の起源は、明治時代以降、ここに挙げたよりももっと多くの様々な説が提唱されていますが、仏教界の定説の移り変わりとしては、こんなところです。
新しい写本が発見されて、大乗仏教の研究が活性化しているので、
やがてこれまでの説を否定する、令和時代以降の新説が現れることでしょう。

新発見のガンダーラ写本

ちなみに近年では、アフガニスタンなどからガンダーラ語の仏教写本がたくさん発見されています。
ガンダーラ語というのは、サンスクリットの俗語の一つです。
これは紀元前1世紀くらいまで遡るといわれます。

その中には大乗経典も含まれ、漢訳されなかったテキストも出てきています。
そのため、最初の時代の仏教を初期仏教といい、その後、部派仏教となり、
それから大乗仏教が興ったという仏教史の従来の単純な説が崩壊してきています。

東大の下田教授はこのように述べています。

大乗仏教の起源に関する最新の論集の導入部分で、Harrison(2018, 8–9)は古代インド仏教史における一つの強固な想念、すなわち「インド仏教史は、展開のある時期に上座部仏教と大乗仏教という二つの基本的な流れに分かれた」という「単純で時代錯誤的な理解」に危惧を表明している。

「大乗仏教」は存在しない

この大乗仏教とか小乗仏教という考え方の枠組みは、江戸時代まではありませんでした。
一体いつどのように生まれたのでしょうか?

大乗仏教の語源

そもそも「大乗仏教」という言葉は、慶應大学を出て初めてパーリ語を学んだ釈宗演という日本人が作った言葉です。
インドから漢訳されて北のほうに広まった仏教を北方仏教(Northern Buddhism)、
パーリ語に翻訳されて南のほうに広まった仏教を南方仏教(Southern Buddhism)といいますが、
釈宗演は、
「Northern Buddhism(北方仏教)」を「大乗仏教」と翻訳し、
「Southern Buddhism(南方仏教)」を「小乗仏教」と翻訳しています。
北方仏教には、小乗経典も大乗経典も伝わっているので、これ自体間違いです。
しかも「大乗仏教」も「小乗仏教」も、一切経七千余巻にも一回も出てこない造語です。
ですが、その門下の鈴木大拙が広めました。
大乗仏教」は「マハーヤーナブッディズム」と英訳されて、世界中に広まっていきます。
これが20世紀初頭のことです。

その後数年で、南伝仏教であるパーリ仏教を小乗仏教と呼ぶのはよくないということで、「テーラワーダ仏教」と言い換えました。
これは「大乗仏教」以外の仏教を指す言葉です。
ですが大乗仏教以外には、テーラワーダ(上座部)の他に大衆部など他の部派もあるため、
1960年代には「部派仏教」という言葉も作られました。

これらの「小乗仏教」も「テーラワーダ仏教」も「部派仏教」も、
大乗仏教」に対する言葉として作られた造語です。

北方仏教と南方仏教

よく「小乗仏教」は「大乗仏教」が言い出した貶称だといっていますが、そうではありません。
近代の仏教学者が言い出した貶称です。

「大乗仏教」の教団

ところで「大乗仏教」というと、そのような教団が存在することを連想して、
大乗仏教教団の起源を突き止めようとし始めたのです。
特に前田慧雲や平川彰などの東大の仏教学者たちが取り組みました。

ですが頭のいい学者たちが100年研究しても、答えは出ません。
それもそのはず、仏典には大乗や小乗という言葉はありますが、
大乗仏教」というものは存在しません。
大乗仏教の教団も存在しないので、起源も存在しないのです。

もともと「大乗仏教」というものは存在せず、教団も見つからないわけですから、
そんなものの起源を考えていても答えが出るはずがありません。
問い自体が間違っています。

仏教でいえば、自分の人生の救いに関係のない「戯論けろん」です。
仏教の歴史の研究が進んだことにより、現在では、大乗と小乗は、
今まで考えられていたよりもはるかに、複雑な関係で共存していたことが明らかになってきているのです。

お釈迦様の説は?

仏教については近代の学者の説よりも、お釈迦様に聞くのが一番です。
お釈迦様はどのように説かれているのでしょうか?

大乗経典で大乗について説かれていることは、
我田引水になって信憑性が低いかもしれませんので、
小乗経典とされる『増一阿含経ぞういつあごんきょう』によると、次のように説かれています。

「世尊の所説おのおの異る。
菩薩は意を発して大乗に趣き、如来この種々の別を説く。
人尊く六度無極を説く、布施持戒忍辱精進智慧力」
(漢文:世尊所説各各異 菩薩發意趣大乘 如來説此種種別 人尊説六度無極 布施持戒忍精進 禪智慧力)

このように、『阿含経』にさえも大乗の教えが伝えられているのです。
大乗」とは、すべての人が救われる教えのことです。
こうして、お釈迦様がお亡くなりになった後、阿難尊者が中心となって、
小乗の教えと大乗の教えがどちらも結集されたことが分かります。

このような、お釈迦様の説かれたお経を認めない人は、仏法者とは言えません。
外道です。

大乗は、紛れもなくお釈迦様の説かれた教えなのです。

仏教の教団の実態は?

仏教研究の最先端では、同じ僧団の中に、小乗と大乗が混在していたと考えられています。
あたかも同じ大学の中に、ご飯を食べる人、パンを食べる人、両方食べる人がいるようなものです。
さらに、新しくコーンフレークを主食にする人が現れたりします。
それは好みの問題であって、所属する組織の問題ではありません。
その実態を知らない人が、ご飯を食べる人の大学があるとか、パンを食べる人の大学があると思ってしまったようなものです。

実際、現代のチベット仏教の人たちは、自分たちは説一切有部の僧団に所属していると思っています。
使っている戒律も、根本説一切有部律です。
説一切有部で、小乗も大乗も密教も学んでいるという自覚です。
おそらくインドの仏教も、一つの僧団で小乗も大乗も学ばれていたのだろうと考えられています。

天親菩薩や鳩摩羅什くまらじゅうなど、最初は小乗で出家して、途中で大乗に転向したといわれます。
それも、小乗仏教の教団をやめて大乗仏教の教団に入ったのではなく、
所属している僧団は変わらずに、学ぶ教えを変えたということでしょう。

大乗の教えは、インドでお釈迦様に次いで有名な龍樹菩薩や天親菩薩が、
間違いなくお釈迦様の説かれたものと受け止めて実践され、
救いにあわれています。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生(日本仏教学院創設者・学院長)

東京大学教養学部で量子統計力学を学び、1999年に卒業後、学士入学して東大文学部インド哲学仏教学研究室に学ぶ。
25年間にわたる仏教教育実践を通じて現代人に分かりやすい仏教伝道方法を確立。2011年に日本仏教学院を創設し、仏教史上初のインターネット通信講座システムを開発。4,000人以上の受講者を指導。2015年、日本仏教アソシエーション株式会社を設立し、代表取締役に就任。2025年には南伝大蔵経無料公開プロジェクト主導。従来不可能だった技術革新を仏教界に導入したデジタル仏教教育のパイオニア。プロフィールの詳細お問い合わせ

X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

著作

京都大学名誉教授・高知大学名誉教授の著作に引用、曹洞宗僧侶の著作でも言及。