普賢菩薩とは?

普賢菩薩ふげんぼさつは、文殊菩薩もんじゅぼさつと共にお釈迦さまの脇侍で、慈悲を表す菩薩です。
廃炉になった原子力発電所にも「ふげん」と名前がついていました。
普賢菩薩はどんな菩薩なのか、分かりやすく解説します。

普賢菩薩とは

普賢菩薩とはどんな菩薩なのでしょうか?
まずは簡単に仏教の辞典を確認してみましょう。

普賢菩薩
ふげんぼさつ[s:Samantabhadra]
原語は、その姿や功徳をすべての場所にあまねく示す者の意。
<遍吉菩薩>と漢訳することもある。
文殊菩薩もんじゅぼさつとともに釈迦如来しゃかにょらい一生補処いっしょうふしょの菩薩として脇侍きょうじに配される。
また法華経では同経を深く信奉するもののために白象に乗った普賢菩薩が現れ守護すると説き、華厳経はこの菩薩を讃嘆し、善財童子が50余人の善知識を訪れたのちに普賢菩薩を訪れて求道を全うしたことを説く。
これらの経文に従って造形されたものに、普賢菩薩来儀像(平安後期、東京国立博物館蔵)や『善財童子歴参図』(通称『華厳五十五所絵巻』、平安後期、東大寺蔵)の一齣などがある。
また密教では、胎蔵現図曼荼羅たいぞうげんずまんだら中台八葉院ちゅうだいはちよういんの東南隅に配されるほか、普賢菩薩の密教像としては金剛薩こんごうさったがあり、さらにこれを延命法の本尊としたものに普賢延命菩薩がある。

このように仏教辞典には、普賢菩薩について簡単に説明されています。
お釈迦さまの脇侍で、釈迦三尊像でよく象に乗って登場します。
その普賢菩薩がどんな人なのか、分かりやすく解説します。

まず、普賢菩薩というのはどんな意味なのでしょうか?

普賢菩薩の意味

普賢菩薩の「菩薩」というのは、「菩提薩埵ぼだいさった」のことです。
菩提」というのは仏のさとり、「薩埵」は人なので、仏のさとりを求める人を菩薩といいます。
ですから、まだ仏のさとりを開いていないので、仏さまではありませんが、仏のさとりを目指して努力している人です。
中でも普賢菩薩は菩薩の中でも上位で、指導者的な立場にあります。

では普賢というのはどういう意味かというと、中国の吉蔵きちぞうの書いた『法華義疏ほっけぎしょ』には、こう教えられています。

普賢とは外国に三曼多跋陀羅と名く。
三曼多とは此に普というなり。
跋陀羅は此に賢というなり。
この土にまた遍吉と名く。
遍はなおこれ普、吉はまたこれ賢なり。

(漢文:普賢者外國名三曼多跋陀羅 三曼多者此云普也 跋陀羅此云賢也 此土亦名遍吉 遍猶是普 吉亦是賢也)

これはどんな意味かというと、普賢は、外国(インド)ではサンマタバダラといわれる。
サンマタ」は普くという意味である。
バダラ」は賢いという意味である。
この国(中国)では遍吉ともいう。
遍は、あまねくということで、普と同じ、
吉は賢と同じ意味である、ということです。

このように、普賢菩薩は、サンスクリットで「サンマタバダラ」といわれるのを、意味をとって中国語に翻訳したために、「普賢」といわれることもあれば、「遍吉」といわれることもあるのです。

普賢菩薩の説かれるお経

普賢菩薩はどんなお経に説かれているのでしょうか?
華厳経けごんきょう』や『法華経』『大無量寿経』などの有名なお経をはじめとして、たくさんのお経に説かれています。

例えば、
悲華経ひけきょう
大般若経だいはんにゃきょう
度世品経
普賢菩薩行願讃ふげんぼさつぎょうがんさん
羅摩伽経
地蔵菩薩本願経じぞうぼさつほんがんきょう
観仏三昧経かんぶつざんまいきょう
等目菩薩所問三昧経
如来興顕経
その他、さまざまな経典に普賢菩薩が説かれています。

普賢菩薩像のあるお寺・博物館

普賢菩薩像の見分け方は、象に乗っていれば、大体普賢菩薩です。
特にすごい、国宝級の普賢菩薩像があるお寺や博物館はこちらです。

壁画

奈良県の法隆寺金堂の壁画

木像

木像は、
京都府の醍醐寺だいごじ
京都府の岩船寺がんせんじ普賢菩薩騎象像
大阪府の孝恩寺こうおんじ
奈良県の圓證寺えんしょうじ
奈良県の法隆寺
三重県の普賢寺ふげんじ普賢菩薩坐像

絹本著色図

絹本著色図けんぽんちゃくしょくずでは
京都府の安楽寿院あんらくじゅいん
京都府の真正極楽寺しんしょうごくらくじ
鳥取県の豊乗寺ぶじょうじ

普賢十羅刹女図

普賢十羅刹女図ふげんじゅうらせつにょずでは
兵庫県の須磨寺すまでら
滋賀県の宝厳寺ほうごんじ
静岡県の大福寺だいふくじ

東京の博物館

博物館では、
東京の大倉集古館おおくらしゅうこかんには木像普賢菩薩騎象像、
東京国立博物館には絹本著色図普賢菩薩像
があります。

ちなみに仏像一般については、以下の記事をご覧ください。
本当は怖い仏像の種類と見方・祀り方の間違い・起源と意味

普賢菩薩のご利益は延命

普賢菩薩の有名なご利益は、延命です。
密教では、息災延命を祈願する、普賢延命法を行います。
その本尊を普賢延命菩薩といいます。

これは、『金剛寿命陀羅尼念誦法』に基づいて行われる修法です。
天台宗でも真言宗でも行われました。
比叡山には、普賢延命菩薩を本尊とする延命院まであります。
天皇即位の時には、繁栄と長寿を願って普賢延命法が行われました。
また、徳川家康が危篤の時にも行われたといわれます。

ですが、延命するのは何のためでしょうか?
ただ命を延ばせばいいというものではありません。
どんなに命を延ばしても、やがては必ず死んでいくのは変わりません。
延命はどうしても一時的です。

そんな一時的なことであるにもかかわらず、延命するのは何のためかというと、幸せになるためです。
あの時死なずに生きてて良かった
という生命の歓喜を得てこそ、延命が意味を持ちます。

延命も大切ですし、それに意味を持たせる「延ばした命で何をするのか」という、生きる目的生きる意味が重要です。

象に乗って仏法者を守護する普賢菩薩

法華経』の28章のうち、最終章は、「普賢菩薩勧発品ふげんぼさつかんぽつぼん」です。
そこには、お釈迦さまが、『法華経』の行者が備えるべき法を普賢菩薩に説かれています。
その備えるべき法については、以下の記事をご覧ください。
法華経全文を貫く内容・要約と意味を分かりやすく解説

それを聞いた普賢菩薩は、
私はこの後500年の濁悪じょくあくの世で『法華経』の行者を守ります
と誓います。
法華経』にはこのように説かれています。

その時普賢菩薩仏に白して言さく、
「世尊、後五百歳、濁悪の世の中においてそのこの経典を受持する者ありて、我まさに守護し、衰患を除きて安穏を得さしむべし」と。
(中略)
この人もしは行き、もしは立ちてこの経を読誦せんに、我その時、六牙の白象王に乗じて大菩薩衆とともにその所に詣り、しかも自ら身を現じて供養守護し、その身を安慰せん。

(漢文:爾時普賢菩薩白佛言 世尊 於後五百歳濁惡世中 其有受持是經典者 我當守護除其衰患令得安隱。
(中略)
是人若行若立讀誦此經 我爾時乘六牙白象王 與大菩薩衆倶詣其所 而自現身 供養守護安慰其心)

この時、普賢菩薩は牙が6本ある象に乗ってやって来て、行者を守護するといわれています。
原子力発電所に「ふげん」と名前がついていたのも、普賢菩薩が象に乗っていることから、巨大なパワーを制御するという願いを込めてつけられたものです。

このように、普賢菩薩は象に乗っていると説かれることから、象を乗り物とする普賢菩薩像がたくさんあります。
また、『法華経』には女人成仏にょにんじょうぶつが説かれていたり、十羅刹女が守護すると説かれていますので、「普賢十羅刹女図」など、普賢菩薩が女性と一緒に描かれていることもあります。

普賢菩薩の十願

では、普賢菩薩はどんな人なのでしょうか?
それは『華厳経』に説かれています。

華厳経』は、お釈迦さまが仏のさとりを開かれて、知らされたままの自内証じないしょうをぶちまけられたお経といわれます。
そこに集まった人たちは、あまりのすごさ尊さに、「如聾如唖にょろうにょあ」になったといわれます。
如聾如唖」というのは、ろうの如し、の如し、ということで、耳が聞こえない人のように、言葉がしゃべれない人のようになった、ということです。
言葉の意味は分かるけど、あまりに深すぎて何のことやら分からない。
声も上げられない、ということです。

その中でも、文殊と普賢だけは、時折うなづいて聞いているようであった、といわれます。

華厳経』の「普賢行願品」では、普賢菩薩のこのような10の誓願が説かれています。

まさに十種の広大の行願を修すべし。
なんらをか十となす。
一には、諸仏を礼敬す。
二には、如来を称讃す。
三には、広く供養を修す。
四には、業障を懺悔す。
五には、功徳に随喜す。
六には、転法輪を請す。
七には、仏住世を請う。
八には、常に仏の学に随う。
九には、衆生に恒に順ず。
十には、普くみな廻向す。

(漢文:應修十種廣大行願 何等爲十 一者禮敬諸佛 二者稱讃如來 三者廣修供養 四者懺悔業障 五者隨喜功徳 六者請轉法輪 七者請佛住世 八者常隨佛學 九者恒順衆生 十者普皆迴向)

これはどんな意味かというと、
1.諸仏を敬う
2.仏のお徳を称讃する
3.諸仏を広く供養する
4.悪い行いを懺悔する
5.仏の功徳をともに喜ぶ
6.仏が教えを説かれるようお願いする
7.仏が涅槃ねはんに入られずにこの世にとどまってくださるようお願いする
8.常に仏にしたがって学ぶ
9.常に相手に応じて導く
10.功徳をすぺての人に施す
ということです。これを普賢菩薩の十願とか行願といいます。

また、『華厳経』の最後の「入法界品にゅうほっかいぼん」では、善財童子ぜんざいどうじが菩薩道について文殊菩薩に尋ね、その指南によって旅に出ます。
そして最後に普賢菩薩に教えを聞きます。

その時普賢菩薩は、過去に行った限りない修行と、その功徳によって、すべての人を導くと言っています。
このように説かれています。

応化すべき者にしたがって覩見せざることなく、一切の刹に遊びて至らざる処なく、自在力を現じ、見る者厭うことなし。
(漢文:隨應化者莫不覩見 遊一切刹無處不至 現自在力見者無厭)

これは、導く者の前に現れないことはなく、すべての国で活躍して至らない所はなく、自由自在に思う存分、人々を本当の幸せへ導く、ということです。

また、『華厳経』の「盧舎那仏品」では、普賢菩薩について、このように説かれています。

普賢はことごとく一切の仏刹にあり、宝蓮華獅子座上に坐す、かくのごとき示現は一切の界に遍す。
普く無量無辺の諸行に入り、ことごとくよく無量種の身を示現し、変化して十方世界に充満し、妙音和雅にして説法無碍なり。

(漢文:普賢悉在 一切佛刹 坐寶蓮華 師子座上 如是示現 遍一切界 普入無量 無邊諸行 悉能示現 無量種身 變化充滿 十方世界 妙音和雅 説法無礙)

これは、普賢は一切の仏の国の宝の蓮華獅子座に座っている。
このような姿は、一切の世界に現れる。
広く数限りもない修行をおこなって、無限の種類の姿を現し、大宇宙にどこにでも現れて、すばらしく和やかな声で、何ものも妨げることのできない説法をする、ということです。

このように、普賢菩薩は、大宇宙のどこへでも、縁の深い人の前へ行って教えを説くことにより、すべての人を救いに導く菩薩なのです。

お経に説かれる意味

では、普賢菩薩は私たちとどんな関係にあるのでしょうか。
仏教には、私たちは果てしのない遠い過去から、生まれ変わり死に変わり、苦しみ迷いの旅を続けていると説かれています。
その迷いが続く限り、どんなに科学が進歩しても、生活が豊かになっても、心からの安心も満足もないのです。

そこで、仏教では、その苦しみ迷いの根元と、それを断ち切る道を教えられています。

ではその苦悩の根元が断ち切られたらどうなるかというと、この世から「人間に生まれてよかった
この身になるための人生だったのか」という生命の大歓喜を得て、未来永遠に変わらない幸せになれます。
その苦悩の根元が断ち切られた人が死ねばどうなるかというと、悟りの世界へ行って仏のさとりが得られます。

その悟りの世界では、美しい服を着て、おいしい料理を食べて、
は〜極楽、極楽」と自分だけ楽しんでいるのかというと、そうではありません。
仏になるということは、慈悲の塊になるということですから、
まだ苦しんでいる人があるのに、自分だけ幸せになって、じっとしていることはできません。
悟りの世界へ生まれた人は、「普賢の徳を実践する」と説かれています。

普賢の徳を修習せん。
(漢文:修習普賢之徳)

普賢の徳を修習するということは、『華厳経』に説かれているように、大宇宙のどこへでも、すぐに飛んで行って、すべての人を救う大活躍をするようになる、ということです。
このことを教えるために、普賢菩薩のことがお経に説かれているのです。
昔話なんかでも、幸せになったら「めでたしめでたし」で終わってしまうのが常ですが、仏教ではそこで終わりません。
本当の幸せになって、悟りの世界に生まれた人は、仏の智慧と慈悲を体得して、思う存分、苦しみ悩む人を本当の幸せへ導き、救うことができるようになります。

そのためには、生きている時に、苦悩の根元を断ち切られなければなりません。
その苦悩の根元というのはどんな心なのか、については
仏教の真髄なので、電子書籍とメール講座にまとめてあります。
ぜひ一度見てみてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

仏教が好きで、東大教養学部で量子統計力学を学んだものの卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とかみなさんに知って頂こうと失敗ばかり10年。やがてインターネットの技術を導入して日本仏教アソシエーション(株)を設立。著書2冊。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者3千人、メルマガ読者5万人。ツイッター(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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