一期一会の本当の意味とは?
一期一会は、
「出会いは一期一会だから大切にしよう」
「嫌いな人であっても一期一会と思えば優しく対応できる」
などの使い方をします。
ここでの一期一会の意味は、「一生に一度の出会い」という意味で使われています。
一期一会は茶道から発生した言葉ですが、
仏教の影響を受けた言葉で、禅語とも言われます。
今回は、この一期一会に込められた深い、本当の意味を解説します。
一期一会とは
一期一会について辞書の意味を見てみましょう。
一期一会
いちごいちえ
一生に一度会うこと。
また、一生に一度限りであること。(引用:小学館『スーパーニッポニカ 国語辞典』)
これは確かにその通りなのですが、一般的な意味を簡単に書かれているだけですので、
一期一会の持つ深い精神性や、この言葉が生まれた由来など、一期一会の本当の意味を、詳しく、分かりやすく解説します。
一期一会の語源
一期一会は、最初は茶道で用いられた言葉です。
茶道の大切な精神を表しています。
一期一会は当時茶道で用いられた言葉でしたが、
今日、仏教用語だと言われる所以は、仏教の教えを表しているからです。
一期一会の言葉そのものは、仏教のお経の中にはありませんが、
「一期」は仏教でよく使われる言葉ですので、
まずはこの意味を見てみましょう。
一期の意味
一期は、一形とも言われ、人間の一生のこと。
一形の形は、形骸(肉体)のこと。
一個の形骸の存続する期間、つまり人間の一生涯のことです。
たとえば以下のように使われます。
それ、人間の浮生なる相をつらつら観ずるに、凡そはかなきものは、この世の始中終、幻の如くなる一期なり。
(引用:蓮如上人御文『白骨の章』)
この意味は、
根無し草の浮草のように、生きる意味もなくふらふらしている人間のすがたを見てみると、
生まれてから生きて死ぬまで、幻のように儚い一生涯である、
ということ。
一期が儚い一生だということが分かれば、
一期一会の意味を深く理解できるようになります。
では「一期一会」を、最初に言ったのは誰だったのでしょうか。
一期一会の語句はどのようにして生まれたのか
一期一会の言葉は、有名な井伊直弼が初めて用いた言葉と言われます。
一方で、井伊直弼が一期一会を用いるまでに、一期一会に似た言葉が複数存在しました。
例えばこのような4つの例があります。
1.能で使われた「一座建立」
一期一会に至る源流として、能の世界で古くから使われていた言葉が「一座建立」です。
一座建立のもともとの意味は、一期一会とはまったく異なる
「能楽の一座を経営したりまたは新たに興すこと」。
その意味がだんだんと変わっていき、
「人々が能などの芸事の講演で、一同に介する中に生まれる一体感のこと」や、
「その芸がより満足を高めるよう昇華すること」
を意味するようになりました。
これは能の言葉として生まれましたが、茶道でも使われるようになります。
16世紀、安土桃山時代の茶人で、千利休の弟子である山上宗二が著した『山上宗二記』に
「客人フリの事、在一座の建立」(客人振りこと、一座の建立にあり)
と、「一座建立」の言葉が用いられています。
「客人振りこと」は、客人の態度のこと、という意味です。
「一座の建立」は、「茶室という狭い空間で、
客人と亭主が茶会を盛り上げるために互いに敬愛し、
心を通い合わせるために素晴らしい茶会にすること」
を意味します。
そして今日の茶道では「茶会の亭主と招かれた客が心を通わせ、気持ちのよい一体感が生まれる状態」として
一座建立が使われています。
このような一座建立のニュアンスは、一期一会の言葉に受け継がれていきました。
茶道で一期一会の精神が生まれた歴史
では、そもそもなぜ茶道で「一期一会」という言葉が生まれたのでしょうか。
まずお茶は、8世紀から9世紀には日本に伝わりましたが、一度廃れたようです。
それから12世紀に禅宗の栄西が中国からお茶を持ち帰り、再興しました。
その後、禅宗寺院での喫茶儀礼から、茶礼が14世紀頃にできてきます。
つまり仏教の禅宗から茶道ができていくのです。
茶の湯では、「振舞」が強調されます。
それは、いかに人をもてなすかという人間関係です。
茶会で一番大事なのは、心配りです。
亭主としての振舞、客人としての振舞がいかにあるべきか考えられて
「一期一会」に到達したわけです。
相手が普段からよく会う人であったとしても、
「一生に一度しか会えない相手かもしれない」
と思うことによって、誠意ある心づくしができる、というのが
茶の湯における「一期一会」の精神です。
茶道の人間関係の中に現れた、一つの到達点なのです。
ですが「一期一会」という言葉が生まれるまでには、幾つかの段階があります。
それを順に見てみましょう。
2.千利休の弟子による「一期に一度の会」
まず能の「一座建立」よりも一層、「一期一会」の意味に近い言葉として、先述の16世紀の千利休の弟子、山上宗二が「一期に一度の会」と書き残しています。
常の茶の湯なりとも路地へ入るより出るまで、一期に一度の会のやうに,亭主を敬畏すべし。
世間雑用無用なり。(引用:堺市史 第4巻 資料編第1『茶湯者覚悟十体』)
これは、いつもと同じお茶会でも、一生に一度の会なのだから、世間ごとの話題は控えて、茶会の主催者に敬意を表するべきだという意味です。
このような意訳も出ています。
(いつもの茶会であっても)路地へ入るときから茶の湯が終わって帰るときまで、一生に一度しかない機会と心得て、亭主の心遣いに関心を寄せ、その心遣いに敬服するべきである。
訴訟や市井の様々な話は、一切話題にしてはならない。(引用:『山上宗二記(現代語でさらりと読む 茶の古典)』)
山上宗二の師である千利休の茶会では、一会一会において亭主と客人との交流の充実を目指しました。
その中で一会の茶の湯に対して、生涯に一度の座であることを自覚し、尊重することを求められるようになり、
「一座建立」の言葉だけでは表現できない「生涯に一度」を表現する言葉が、茶道で求められるようになります。
この「生涯に一度」を表現した「一期一会」に最も近い言葉として
「一期に一度の会」と書き表しているのです。
気を抜いたらいつもの茶会だと慣れてしまいますが、
それでは茶会で学ぶべきこと、受け取るべき経験が浅くなってしまいます。
気を抜かずに一回一回の茶会に集中して臨むことが大切なことなのです。
3.千利休の秘伝書『南方録』の「一座一会」
17世紀に入り、江戸時代に書かれたと言われる千利休の秘伝の書『南方録』では「一期一会」のことを「一座一会」ともいわれています。
一座一會ノ心、只コノ火相・湯相ノミナリ
(引用:『茶道古典全集 第4巻 南方録』)
これは、「一座一会の心とは、ただこの火のおこりぐあい、湯加減にのみ、心をかけることである」という意味です。
『南方録』は江戸時代に作られた偽書と言われていますが、
江戸時代の茶道の精神として、一期一会の精神が大事にされていることが、この書からも分かります。
4.大口憔翁『渓鼠余談』の「一期に一度」「一期に一会」
さらに18世紀になり茶道家の大口憔翁が、著書『渓鼠余談』の中で「一期一会」に類する言葉を用い始めます。
1つには「一期に一度」、2つには「一期に一会」です。
まず1つ目は「一期に一度」については、このようにあります。
休師の伝に云一期に一度の参会と思て交会すべし
(引用:『渓鼠余談』(数奇二行心得之事))
これは、「千利休師の伝記には『生涯に一度の茶会と思って臨みなさい』といわれている」ということです。
これなどは、一生に一度ということなので、一期一会と全く同じ意味です。
2つ目の「一期に一会」についてはこうあります。
亭主も一期に一会の会と思ひ退出せられても心中に見送り
(引用:『渓鼠余談』(余情残心之事))
これは「亭主も生涯に一度の機会と思って、客が退室しても心の中で見送りなさい」という意味です。
どちらも千利休の思想を、茶の湯を開催・参加する際の心得として、取り入れようとしています。
このように、「一生涯に一度という気持ちで臨む」というニュアンスの言葉は、
茶道の世界では使われるようになりましたが、
あまり多くのところで知られておらず、
茶道・茶の湯の思想の中で用いられていた言葉に過ぎませんでした。
それがなぜ一般に有名な言葉になったのでしょうか?
「一期一会」が有名になった理由
「一期一会」が多くの人に知られるようになったのは、
『山上宗二記‐茶湯者覚悟十体』や『南方録』、『渓鼠余談』に通じていた大老、井伊直弼が、
著作の中で「一期一会」と表現したことに端を発します。
井伊直弼の影響によって、「一生涯に一度という気持ちで臨む」精神や
「一期一会」の言葉が多くの人々の間に広がり、
一般的にも用いられるようになりました。
「一期一会」の言葉は、茶道の歴史の中で千利休の思想が脈々と伝えられる中で、
その思想の表現を井伊直弼が色々と試みた上で生まれたものです。
では、井伊直弼は一期一会のことをどのように説明したのでしょうか。
井伊直弼の「一期一会」の説明
井伊直弼とは、幕末の政治家で、安政5年大老となり、
勅許(天皇の許可)なしで日米修好通商条約の調印を断行し、
反対派の水戸・薩摩の浪士らに江戸城桜田門外で暗殺されたのは有名です。
まだ大政奉還前なので、政治をするのに天皇の許可は必要ないはずですが、
幕府の力がかなり弱っていた激動の時代の政治家です。
一方で、井伊直弼は彦根藩主時代に、巷では「茶歌ポン」と呼ばれるほど、
茶道、和歌、謡曲に造詣が深かったといいます。
「ポン」とは鼓の音で、「茶歌ポン」で茶、歌、歌謡を表しています。
中でも特に茶道においては、その精神的背景に禅の修行があります。
禅を教える仏教の禅宗については、こちらの記事もご覧ください。
➾禅宗とは?総本山・開祖と教えの特徴を簡単に分かりやすく解説
茶道の心得を書いた『茶湯一会集』の冒頭で、
一期一会について井伊直弼は以下の説明をしています。
此書は、茶湯一会之始終、主客の心得を委敷あらはす也、故に題号を一会集といふ、猶、一会ニ深き主意あり、抑、茶湯の交会は、一期一会といひて、たとへハ幾度おなじ主客交会するとも、今日の会にふたゝひかへらさる事を思へハ、実に我一世一度の会也、去るニより、主人ハ万事ニ心を配り、聊も麁末 のなきよう深切実意を尽くし、客ニも此会ニまた逢ひかたき事を弁へ、亭主の趣向、何壱つもおろかならぬを感心し、実意を以て交るへき也、是を一期一会といふ。
(引用:『茶湯一会集』)
これはどういう意味かというと、
「この書は、茶会の始まりから終わりまでの、亭主と客人の心得を詳しく解説したものである。
そのため書籍の題名を「一会集」といいます。
なお「一会」には深い意味があります。
そもそも茶会での交わりは、一期一会といい、
たとえば幾度も同じ亭主と客人で茶会を開催するとも、
今日の茶会は再び返らないことを思えば、実に自分の生涯に一度の会となります。
客人が帰る際には、亭主は万事において心を配り、
少しも粗相がないように誠心誠意尽くして、
客人ともこの茶会で再び逢うことは難しいことを理解し、
亭主の凝らした趣向は、どれをとっても思慮浅からぬ配慮に感心し、誠意を持って交流すべきです。
これを一期一会というのです」という意味です。
つまり、再び繰り返すことのない、生涯ただ一度の会なのだから、
茶道の真髄を極めるために、亭主客人ともに全身全霊をもって茶道に臨まなければならない、
という意味が、一期一会に込められています。
この井伊直弼の説明によって、一期一会が一般にも知られるようになりました。
さらに一期一会の言葉は、茶道の世界で生まれた言葉でしたが、
一期一会の精神は禅の影響を多大に受けていることから、
今日では禅語としても広まっているのです。
では井伊直弼はどれくらい仏教に精通していたのでしょうか。
井伊直弼と仏教
井伊直弼の父は熱心な仏教徒であり、
井伊直弼も13歳の頃から、曹洞宗の清涼寺に通い、座禅修行に励みました。
27歳の説きには師事していた仙英禅師から
大悟徹底したとして印可証明を授けられるほど、
真面目に修行に取り組み、深く仏道に帰依していました。
また井伊家は、代々浄土真宗寺院と深い関係があり、
井伊直弼も浄土真宗について深い教養がありました。
浄土真宗についてはこちらの記事をご覧ください。
➾浄土真宗の教えとお経・悪人を瞬時に救う究極の救済力の秘密
井伊直弼は『真宗法要口伝鈔』を書写していたり、
自身で『浄土宗・浄土真宗教義筆記』を著しています。
このようなことからも、一期一会の言葉が、仏教の影響を強く受けていることが分かります。
では、どのような仏教の教えの影響を受けているのでしょうか。
一期一会の持つもっと深い本当の意味
一期一会の言葉の根っこには、仏教で教えられる「諸行無常」の教えがあります。
「諸行無常」とは、「諸行」とはすべてのもの、「無常」とは続かないということです。
物も人も、人も私も常に絶えず変化して、止まることはありません。
人であれば、出会いと別れを繰り返します。
人間が生まれて初めて出会うのは、親だと思います。
ところが、その親も別れる時がやってきます。
また人生の旅路では、近所に住んでいた小学校の友達、中学校の友達とも出会います。
ですが、学校を卒業すればお別れして、ほとんど会わなくなります。
やがて出会った人と結婚する人もあります。
そして子供が産まれれば、子供との出会いです。
このように新たな家族と出会いますが、やがて必ず別れの日がやってきます。
諸行無常ですから、すべてのことは続きません。
すべてはあっという間に過ぎて行きます。
そのすべてが続かない中で、実は自分の命も無常なので、もし明日命が終われば、今日が最後です。
このような仏教の諸行無常の教えを表した、何事も一生、ただ一度であることを示した言葉が一期一会です。
ですから一般的にいわれるような、人の出会いや、タイミングなどだけが一期一会ではありません。
仏教の無常観からすれば、今の一瞬一瞬のあらゆるものが無常であり、すべての瞬間が一期一会なのです。
この一期一会という言葉の持つ本当の意味が分かれば、今の一瞬一瞬を大切にせずにはおれないでしょう。
一期一会の言葉は一瞬一瞬を大切にさせる
そのことから、一期一会にはこのような用例もあります。
例えば俳人の種田山頭火は、一期一会を用いて『旅日記』にこう書き残しています。
「人生はまた一期一会だ」
「一期一会、いつも、いつも一期の会。」(引用:種田山頭火著『旅日記』)
種田山頭火は、一回一回の出会いを最後と覚悟し、大切にしていたのでしょう。
斎藤孝氏は、千利休の「一期に一度の参会の様に、亭主をしつして威づべきとなり」という言葉を「一期一会」という意味だとして、その「一期一会」の持つ言葉のパワーを、このように表現しています。
人間はどうしても慣れてしまうもの。
慣れてしまって、当たり前だと思ってしまう。
「一期に一度の参会の様に、亭主をしつして威づべきとなり」は新鮮さを取り戻すのに役立つ言葉です。
常に新鮮な気持ちで、相手を敬い、この瞬間を大切にすることができれば、どれほどの豊かな時間を過ごせるでしょうか。
人間関係と人生を積極的に豊かにしていくパワーのある言葉として、心に刻んでおきましょう。(引用:『100年後まで残したい 日本人のすごい名言』)
私たちは今に慣れてしまうと、今の一瞬一瞬を大切にできません。
すべてのものは変わり続けていることを常に意識し、今の一瞬一瞬を大切に生きていければ、
これまでよりももっと充実した人生を過ごすことができるでしょう。
しかし、今の一瞬一瞬が、無常であることを見つめたとき、
どんな幸せを手に入れてもそれもまた無常であることに気づいてしまいます。
私たちは、そんなすべてが移り変わっていく無常の人生で、本当になすべきことは何なのでしょうか。
一度きりの人生、一体何のために生きているのでしょうか?
人生の一期一会を本当に充実させる方法
今回は、一期一会の意味について、解説しました。
一期一会が最初に登場した文献は、
井伊直弼が茶道について書いた本『茶湯一会集』です。
茶道の大切な精神を表した言葉が一期一会ですが、
仏教の影響を多大に受けた言葉であり、今日では禅語としても知られています。
「人との出会いは一期一会だから一回一回の出会いを大切にしよう」と使われますが、
出会いでなく、私たちの今の一瞬一瞬のすべてが戻らない時間であり、常に変わり続けており、一期一会なのです。
一期一会は、人生の諸行無常を表現した言葉であり、
人生が諸行無常だというのは、出会いの喜びも、手に入れた幸福感も、
いつまでも手元になく変わってしまうということ。
それなら私たちは、たった一度きりの人生、
崩れない、変わらない、本当の幸せになるにはどうしたらいいのでしょうか。
そのヒントもまた「今」にあるのです。
人生で本当になすべきことは何か、その答えは仏教の真髄ですので、
メール講座と電子書籍にまとめてあります。
ぜひ一度見ておいてください。
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この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか1人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。たまたまインターネットの技術を導入して爆発的に伝えられるようになり、日本仏教学院を設立。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと今も奮戦している。
仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者4千人、メルマガ読者5万人。X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。
著作
- 生きる意味109:5万部のベストセラー
- 不安が消えるたったひとつの方法(KADOKAWA出版)