ジャネーの法則・光陰矢の如し
ジャネーの法則とは、「光陰矢の如し」のようなものです。
分かりやすく言うと
「年をとるほど時間が経つのが早く感じられる」
という現象を数式化したものです。
19世紀の心理学者、ポール・ジャネー(1823 - 1899)の考えた仮説で、
甥のピエール・ジャネーが紹介した法則(出典:Pierre Janet, L’évolution de la mémoire et de la notion du temps, A. Chahine, 1928)ですが、
みんな感じていることなので、けっこう受け入れられています。
あなたの人生はどのくらい早く終わるのでしょうか?
ジャネーの法則とは
ジャネーの法則とは、
「記憶される年月の長さは、生活年齢に反比例して、
年少者にはより長く、年長者では短く感じる」
ことを言います。
簡単に言えば、若ければ若いほど時間の経過は遅く感じ、
年を取れば取るほど時間の経過が早いということです。
このジャネーの法則は、私たちの人生に大きな影響を与えています。
光陰矢の如し
ことわざでは単に「光陰矢の如し」といわれ、
月日の経つ早さを、矢の飛んでいく速さにたとえられています。
これは日本のことわざであるばかりでなく、
中国の宋の時代の
蘇軾の詩・『行香子・秋與』に
「光陰如箭」
と歌っています。
「箭」とは矢のことなので、まさしく光陰矢の如しです。
もう少し遡れば、唐の時代の李益が、
「君、白日の馳せるを看よ、何ぞ弦上の箭に異ならん」
(漢文:君看白日馳 何異弦上箭)
とも言っています。
昔から、色々なところで感じられていることです。
また、イギリスの哲学者、フランシス・ベーコン(1561 - 1626)は、
「若い時は、一日は短く一年は長い。
年をとると、一年は短く一日は長い」
と言っています。
ジャネーの法則が人生に与える影響
このような似たような言葉は他にもありますが、
ジャネーの法則によると、時間の過ぎる速さは、
年齢に比例して加速します。
たとえば1歳のときの1年間を基準とすると、
2歳のときの1年間は、2倍早く感じます。
5歳になると5倍早く感じ、
10歳になると10倍です。
そう言われて見れば、小学校の頃は時間が経つのがゆっくりで、
学校が終わって昼過ぎに家に帰ってきても、
思い切り外で遊んで、まだ夕方でした。
そのあとテレビをたくさん見たりしても、
夜9時には寝られました。
それがだんだん時間が経つのが早くなり、
大人になると1日はあっという間です。
まったく時間が足りません
30歳、40歳と時間の経つ早さはどんどん速まって行き、
あっという間に80歳になって人生終わります。
「光陰矢の如し」の矢は、
実はロケットエンジン付きのミサイルのようなもので、
飛んでいるうちにどんどん加速していくのです。
ジャネーの法則の数式で人生の半分を計算
ジャネーの法則の、年齢に比例して感じる時間が短くなるというのは、
1才のときを1とすると、
2才のときは1/2
3才のときは1/3
5才のときは1/5となりますから、
数式にすると、
Y(体感時間)=1/n(年齢)
となります。
これを積分していくと、人生の半分がいつか分かります。
1/nを積分するとlog nになります。
log nに0を入れるとマイナス無限大になってしまって
計算できないのですが、仏教では大丈夫です。
仏教では、お腹に宿ったときが生まれたときですから、
出産の時点では1才と考えることができます。
分かりやすくいえば、生まれた時点が1才の、
「数え年」で計算すればいいのです。
その計算で行くと、人生80年の半分は、
40才ではなく、約10歳です。
分かりやすいように図に表すとこうなります。
これは光陰矢の如しです。
10歳を過ぎたらあっという間に人生が終わるのです。
ジャネーの法則への反論
ジャネーの法則には批判や反論もあります。
アメリカの哲学者ウィリアム・ジェイムズは、
ジャネー法則はあくまで主観の話で、客観的な法則ではないとしています。
また心理学者の一川誠氏は、
感じられる時間の長さには個人差があるとも述べています。
(出典:『大人の時間はなぜ短いのか』)
とはいえ私たちは長く生きれば生きるほど、
時間が早く過ぎていることを実感しているはずであり、
ジャネーの法則は全くの嘘というわけではありません。
ジャネーの法則の科学的な裏づけ
科学的には、体が大きくなるほど時間の流れが遅くなるといわれています。
一定時間に目と脳がやりとりする情報量が減っていくからです。
例えば臨界融合頻度というものがあります。
これは「The flicker fusion threshold」とは「critical flicker frequency」ともいわれます。
この臨界融合頻度とはどういうものかというと、
光を点滅させた時、非常に早くなると、点滅ではなく、光がつながってしまい、光り続けているように見えます。
それが人間の場合は、1秒間に60回点滅すると、光っているだけに見えます。
それが犬の場合は、80回です。
ハエになると、250回になります。
人間よりもハエのほうが4倍反応が早いということは、
ハエからみると、人間の動きは4倍鈍く見えるのです。
だからハエはあんなに機敏なのです。
これは体が小さくなると、目と脳の間の神経が短くなり、信号の伝達が速くなるからだといわれています。
ですから、子供は大人より時間の流れを繊細に感じて、
じっくり味わっているのですが、
大人になり、体が大きくなるとどんどん鈍くなり、
時間が早く流れるように感じるのです。
ですが、これは体の大きさの問題なので、
年齢の逆数であるジャネーの法則ほどのインパクトはありません。
ですが、少しは科学的にもいえるということです。
いずれにせよ、ジャネーの法則から学ぶべきことは、
人生はもの凄い速さで過ぎていくという現実なのです。
ブッダの教えられた人生の短さ
しかしながらブッダは、
それでもまだ私たちは悠長だと
考えられています。
例えば『四十二章経』にはこう説かれています。
ある時、ブッダは、修行者たちに命の長さについて尋ねられました。
1人目が「命の長さは数日間でございます」
と言うと、
「そなたはまだ分かっていない」
と言われました。
2人目が「私は命の長さは食事の間くらいのものと感じます」
と言うと、
「そなたもまだ分かっていない」
と言われました。
3人目が「命の長さは一息つく間もありません」
と答えると、
ブッダは大いにほめられて
「そなたのいう通りだ」
と言われています。
(出典:『四十二章経』)
無常は迅速、私たちの命は、呼吸の間に終わるのです。
命はいつ終わる?
自分の命が終わる時というと、みんな遠い先のことのように思っていますが、そうとは限りません。
人はいつ死ぬか分からないからです。
例えば『仏説処処経』にもこう説かれています。
出る息還らざればすなわち後世に属す。
人の命、呼吸の間にあるのみ。
(漢文:出息不還則屬後世 人命在呼吸之間耳)(引用:『仏説処処経』)
吐いた息が吸えなければ、その時から来世になります。
命が終わるのはそんな遠い先のことではありません。
吸った息がはき出せなければ、
吐いた息が吸えなければ、
その時が命の終わりです。
このことを、源信僧都の『往生要集』にはこのように説かれています。
経にいわく、出る息は入る息を待たず、入る息は出る息を待たず。
(漢文:經言 出息不待入息 入息不待出息)(引用:『往生要集』)
ブッダはお経に、出る息は入る息を待たないし、入る息は出る息を待たないと教えられている、ということです。
源信僧都と『往生要集』については、以下の記事をご覧ください。
➾源信(恵信)僧都の生涯と往生要集の教えを分かりやすく解説
また、日本で最も読まれている仏教書の『歎異抄』には、このように教えられています。
人の命は、出ずる息、入る息を待たずして終わる。
(引用:『歎異抄』第16章)
「出る息は、入る息を待たず、命終わる」
と教えられています。
吸う息吐く息にふれあっているのが、私たちの命です。
それだけ儚く終わって行く無常の命を持っているのが、
私たちなのです。
人生が終わるのは、そんな遠い先の問題ではなく、今にふれあう、今の問題なのです。
では、無常について繰り返し教えられている
ブッダご自身は、
命の消えゆく早さを
どのように教えられているのでしょうか?
命の消えゆく早さ
『雑阿含経』にはこのように説かれています。
ある時、ブッダがお弟子から
「命の長さはどのくらいなのでしょうか」
と聞かれました。
その時ブッダは、
「それはとてもそなたに納得できるような速さではない」
と言われています。
「たとえでなりと教えて頂けないでしょうか」
と聞かれて、ブッダは、このようにたとえられています。
「たとえばここに、弓を射る名人が四人いる。
1人は東に、1人は南に、1人は西に、1人は北に向かって、
同時に矢を放つ。
その矢が落ちる前に、目にもとまらぬ早さで
4本とも矢をとらえてしまう男がいたら、
この男は足が速いだろう」
「はい、それは速いです」
「その何倍も何倍も早いのが、人間の命だ。
命は実に足が速い」
(出典:『雑阿含経』)
これは、「光陰矢の如し」どころか、
それをはるかに上回る驚くべきスピードです。
このように、人生はあっという間に、かけ足で去って行くのです。
このような、人生の短さを知らされることに、
本当の幸せになる鍵があります。
本当の幸せへ向かう鍵
今回の記事では、ジャネーの法則について分かりやすく解説しました。
ジャネーの法則では、時間の過ぎる速さは、年齢に比例して加速します。
ジャネーの法則の計算式などについて反論はありますが、
私たちは実感していることであり、全くの嘘とは言えません。
長く生きれば生きるほど、もの凄く速く人生は過ぎていきます。
ブッダの目から見たら、人間の命は呼吸の間でしかありません。
このように人生が高速で過ぎていくことを知るのは、嫌になりますが、
実は本当の幸せへ向かう鍵となります。
なぜかというと、仏教では
「無常を観ずるは菩提心の一なり」
と教えられています。
「無常」とは、常が無い、続かないということですが、
続かない中でも私たちにとって最も重大な「死」のことです。
命がはかなく、続かないことが知らされると、
「菩提心」が起きてきます。
「菩提心」とは「菩提」とは、本当の幸せのことですから、
本当の幸せになりたい心を菩提心といいます。
この心が起きなければ、本当の幸せにはなれません。
「はじめなり」とは、「はじめ」に「一」という漢字が使われています。
「はじめ」には他にも、「始」「初」などありますが、
これらは「始業式」「初場所」などのように、
何回もあるはじめに使われます。
ところが「一」は、
一がなければ二がない、
二がなければ三がない
というように、一回しかない始まりに使われます。
ですから、無常を知らされることが、
本当の幸せへの第一歩であり、
その扉をひらく鍵であるということです。
まずはジャネーの法則程度にでも、
命が儚く短いことが知らされれば知らされるほど、
本当の幸せを求める気持ちが強くなってくるのです。
では、どうすればこの短すぎるほど短い無常の人生で
変わらない幸せになれるのか、
これは仏教の真髄ですので、
メール講座と電子書籍にまとめてあります。
「光陰矢の如し」ですから、今すぐお聞きください。
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この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか1人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。たまたまインターネットの技術を導入して爆発的に伝えられるようになり、日本仏教学院を設立。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと今も奮戦している。
仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者4千人、メルマガ読者5万人。X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。
著作
- 生きる意味109:5万部のベストセラー
- 不安が消えるたったひとつの方法(KADOKAWA出版)