盛者必衰の意味とは?
「盛者必衰」は、『平家物語』の冒頭にある有名な言葉です。
今、栄耀栄華を手に入れて、絶頂にいたとしても、
必ず、衰え滅びる時が来る、という意味です。
『平家物語』では、文学として美しく表現されますが、
妥協の余地もない諸行無常の冷厳な真理を表した言葉でもあります。
私たち一人一人は、盛者必衰という運命の痛みを
どのように受け止めるべきでしょうか。
「盛者必衰」の詳しい意味と、盛んなる者が必ず滅びる理由について解説し、
盛者必衰の言葉から、本当に学ばなければならないことについて明らかにします。
盛者必衰の意味
「盛者必衰」は、国語辞典にはこのように紹介されています。
【盛者必衰】
<名>[仏教で]勢いのさかんな者もやがては必ずおとろえる、ということ。(引用:『現代新国語辞典』第七版)
いつの時代にも、栄耀栄華を極める人はいますが、
その成功は長く続くわけではありません。
辞書の意味のように、無常と言われ、時代は移り変わり、盛んなるものは必ず滅びるのです。
「盛者必衰」という言葉は、昔から有名で、
様々な文献に使われています。
昔から有名な言葉
まず有名な『平家物語』の冒頭に登場します。
祇園精舎の鐘の聲 諸行無常の響あり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理を顕す
(引用:『平家物語』)
意味は、祇園精舎の鐘の音色は、諸行無常の響きがある。
沙羅双樹という花の色は、盛者必衰という道理を表している、ということです。
「祇園精舎」とは、昔、ブッダの在世中に、インドに実在したお寺です。
ブッダが最も多く滞在し、説法をされたことで有名でした。
祇園精舎には無常堂という建物があり、病気になった僧侶が移されました。
無常堂の四隅には、大きな鐘があり、
僧侶の臨終の際に、鳴らされたといいます。
その時の鐘の音色から、無常を感じずにはいられないということで、
諸行無常の響きがあると言われています。
祇園精舎について詳しくは、以下の記事をお読みください。
➾祇園精舎とは?場所と鐘の意味
次に、「沙羅双樹」は花の名前です。
ブッダが沙羅双樹の木の下で亡くなられたといわれています。
ブッダご入滅の際に、沙羅双樹の花は枯れ、白くなったという言い伝えがあります。
開落のある沙羅双樹の色には、ブッダの入滅の印象が強くあるため、
世の中の移ろいやすい道理がほのめかされる、ということです。
その盛者必衰の具体例が、『平家物語』では、平家の栄耀栄華からの転落です。
武士として初めて政権の座につき、栄華を極めた平家でしたが、一体どのように衰退していったのでしょうか?
平家の繁栄
『平家物語』で「盛者必衰」の「盛者」とは、平家のことであり、特に平清盛のことといっても過言ではありません。
平清盛は驚くべきスピードでの出世し、子供たちも高位の官職に就任し、
娘たちを皇族や貴族に嫁がせたことで、平家は全盛期を迎えました。
「平家にあらずんば人にあらず」という有名な言葉がありますが、
平清盛の義弟にあたる平大納言時忠卿が次のように述べたといいます。
この一門にあらざらむ人は、皆人非人なるべし。
(引用:『平家物語』)
これは、平家一門のものでなければ人ではない、という意味です。
このような傲慢な言葉を言ってなお、余りある栄華だったのです。
特に、平清盛の次女の徳子が高倍天皇の皇后となり、後の安徳天皇を産んだことが
平家の地位を不動のものとしました。
しかし、権力を手にした清盛は次第に傲慢になり、数々の暴挙に走るようになります。
出る杖は打たれるのが世の常ですが、清盛の振る舞いに反発する人々が現れるのも無理はありません。
当初は力で反対勢力を押さえ込んでいた清盛でしたが、
源頼朝の挙兵により、打倒平家の機運が高まっていきます。
ついに病に伏せられた清盛は、かつての権勢を誇る姿からは想像もつかない悲惨な最期を遂げました。
これを境に、栄華を極めた平家は一気に衰退の一途をたどることになります。
源氏が台頭したからです。
源氏の台頭
平清盛が亡くなった後、平家打倒の動きに乗り出したのが
源氏の武将、木曽義仲と源義経でした。
義仲は平家との戦いで次々と勝利を収め、武勲を重ねていきました。
しかし義仲は都での粗暴な振る舞いが災いし、次第に彼の立場は危うくなっていきました。
ついには源頼朝から討伐軍が派遣され、多くの武将を率いる義仲でさえ、最期はほんの数人の家臣と共に死んでいきます。
一方の源平合戦では、源義経が一ノ谷、屋島、そして壇ノ浦と、
天才的な戦術で平家を翻弄し、源氏軍の勝利に大きく貢献しました。
しかし、才能を過信し、勝手に官職に就くなど傲慢な振る舞いから、
頼朝の信頼を失い、最期は頼朝の意を受けた藤原泰衡に襲撃され、命を落とすことになったのです。
『平家物語』は単に平家一門の興亡を描いただけでなく、
平家討伐に参加した源氏の武将たちの栄光と失墜の姿をも物語っています。
一時の権勢に酔い、自惚れてしまった彼らの悲惨な最期は、
まさに盛者必衰の理のとおりでした。
この平家と源氏の運命を見た当時の政治家の九条兼実は、
日記『玉葉』に次のように記しています。
盛衰の理、眼に満ち耳に満つ、悲しきかな。
(漢文:盛衰之理、満眼満耳、悲哉)(引用:藤原兼実『玉葉』巻苐三十八)
この意味は、盛者必衰の理は、目に見えるところにも耳に聞くところにも満ち満ちており、悲しいことだ、ということです。
これはめくるめくような盛者必衰の現場を目撃した生々しい言葉であり、当時誰もが感じたことでしょう。
平家であっても源氏であっても、盛者必衰はとても悲しいことだと人々は受け止めたのです。
これは時代や場所わ問わず、共通することです。
例えば平家以上に反映を極めたローマ帝国でもそうです。
ローマ帝国の盛者必衰
ローマ帝国は、紀元前27年、オクタウィアヌスによって帝政ローマ帝国となりました。
もとは旧ローマ共和国の領土からスタートしましたが、その後大規模な領土拡張を遂げ、
2世紀初頭にトラヤヌス帝の時代には、地中海沿岸全地域から、グレートブリテン島、アフリカ北岸、トルコやメソポタミアにまで領土を拡大し、一大帝国となりました。
ラテン語による、文芸、歴史書、法律(ローマ法)を発展させ、
円形闘技場(コロッセオ)、水道橋、道路網といった先進的な建設技術など
高度な文化をもって栄えていました。
その後、395年に東西に分裂。
東ローマ帝国(ビザンツ帝国)と西ローマ帝国に分かれ、
476年には西ローマ帝国が滅亡、1453年には東ローマ帝国が滅亡しています。
一体なぜ巨大な帝国が衰退するのでしょうか?
ローマ帝国の衰退の原因
ローマ帝国衰退の主な原因は、大きく2つあるといわれています。
1つは外敵の侵入と、2つには内部からの崩壊です。
この2つが重なり合って滅亡に向かいました。
1つ目の外敵の侵入は、ゲルマン民族の侵入により、領土を失っています。
2つ目の内部からの崩壊は、貴族社会の腐敗や皇帝の横暴などがあります。
このうち内部からの崩壊の方がはるかに破壊的であり、
滅亡の最も大きな原因となったといわれます。
ローマ軍に快勝したカルタゴの名将ハンニバルは、次のように述べています。
いかなる強大国といえども、長期にわたって安泰でありつづけることはできない。
国外には敵を持たなくなっても、国内に敵を持つようになる。
外からの敵は寄せ付けない、頑健そのものの肉体でも、身体の内部の疾患に肉体の成長に従いていけなかったがゆえの内臓疾患に苦しまされることがあるのと似ている。(引用:『勝者の混迷─ローマ人の物語Ⅲ』)
このように、どんな強国も衰えます。
ローマ帝国も、モンゴル帝国も、大英帝国も衰えて、今のところ一度衰えたところは二度と覇権に返り咲いていません。
盛者必衰です。
盛者必衰は、国や権力者だけでなく、企業のライフサイクルにもいえることです。
企業の盛者必衰
企業は一般的に、「創成期」、「成長期」、「成熟期」、「衰退期」というライフサイクルをたどります。
ビジネスコンサルタント、ジェームズ・コリンズは企業が衰退するまでの段階を研究し、『ビジョナリー・カンパニー3 衰退の5段階』にまとめています。
必ずこのような段階を通るわけではありませんが、
衰退していく企業の多くに当てはまるといいます。
第1段階:成功から生まれる傲慢
自らの成功は当然の結果と考え、環境要因を無視して、努力だけの賜物と勘違いし、油断と慢心が生まれます。
また、社長は裸の王様になりやすく、社員から辞任に追い込まれることもないので、絶対的な権力者となります。
権力を持った経営者は、権力の害毒に侵されてしまい、
部下から悪い情報を聞かなくなったり、部下からも上司の機嫌を損なうような情報があがらなくなります。
その結果は、正しい情報が入らず、経営判断を誤り、企業が衰退していく要因となります。
第2段階:規律なき拡大路線
欲望には限りがありませんので、常に更なる成長を求めます。
一度企業の成長が上手くいったことで、より大きな成長を期待されるようになり、
期待に応えるように、さらに成長し続けようとします。
過度な拡大路線は、社員や会社の組織に無理が生じ、
企業にほころびが生じ始めます。
第3段階:リスクと問題の否認
良いデータを過度に強調するようになり、
悪いデータを小さく見せたり、無視するようになります。
容易な利益の確保のみに集中してしまい、それに伴うコストについては考えずにコストを度外視して、利益を追求しようとします。
役員など肩書き主義が蔓延するようになり、仕事への責任ではなく、肩書を守るための仕事をするようになります。
第4段階:一発逆転の追求
悪くなった業績を改善するために、
新規事業や、新戦略を打ち出し実行するなど、抜本的改革に走りだしますが、
その反面、基本的な企業の強みを損なってしまいます。
そして運命をかけた大胆な変革を実行することで、
逆に組織を混乱に陥れることになります。
この段階では、まだ復活が可能とされますが、
第5段階に行くと復活は難しくなります。
第5段階:屈服と凡庸な企業への転落か消滅
一発逆転をねらう試みを繰り返し、資金繰りに苦しむようになり、悪循環に陥るようになります。
その失敗が続くことで、社員の士気が下がり、経営者も万策尽きたと諦め、
会社を売って手放すか、会社をたたむことを選択します。
このように企業が衰退していく原因は研究され、対策をとってはいるものの、
盛者必衰の流れを止めることはできません。
急成長を遂げたすぐれた企業も、あっという間に時代は変わり、成熟期、衰退期へと入っていきます。
このように、盛者必衰は企業にもいえることなのです。
「盛者必衰」は、すでに2600年前から言われ続けていることです。
盛者必衰の語源はブッダの言葉
「盛者必衰」の語源を訪ねると、そもそもブッダの説かれたお経に出てくる言葉です。
例えば『賢愚経』には、このように説かれています。
盛んなる者は必ず衰え、実なる者は必ず虚し。
(漢文:盛者必衰 實者必虚)(引用:『賢愚経』)
このお言葉の漢文の部分に「盛者必衰」とありますが、
意味は、盛んな人も必ず衰え、充実している人もやがて虚しくなる、ということです。
今リア充でも、やがて何らかのトラブルが起きてくるのです。
これは『六度集経』や『仁王経』にも説かれています。
このようにブッダは盛者必衰を繰り返し繰り返し説かれているのです。
また『涅槃経』には、このように説かれています。
それ盛んなるものは必ず衰うるあり、合会するものは別離あり。
(漢文:夫盛必有衰 合會有別離)(引用:『大般涅槃経』壽命品)
これは、栄耀栄華を極めても必ず衰えることがある、
また、出会いには必ず別れがある、という意味で、
「盛者必衰」と共に、「会者定離」を教えられています。
このように、「盛者必衰」の語源は仏教のお経にあるのです。
ではなぜ「盛者必衰」になってしまい、
どんなに頑張ってもこれを覆すことはできないのでしょうか?
盛者必衰の原因は「諸行無常」
なぜ「盛者必衰」になってしまうのかというと、「諸行無常」だからです。
仏教の辞典にも、このように書かれています。
ショウジャヒッスイ 盛者必衰
盛んなる者は必ず衰うるの意。
即ち諸行の無常なることを示せるもの。(引用:『望月仏教大辞典』)
「諸行無常」は、平家物語の冒頭にもあった言葉ですが、これも仏教の言葉です。
仏教の言葉であるばかりか、他の宗教にはなく、仏教にしか教えられていない最も特徴的な教えの一つです。
ちなみに仏教にしか教えられていない内容が3つあり、
それを三法印といいます。
「三法印」とは、3つの真実である印、ということで、仏教の3つの旗印です。
その「三法印」の一番最初に挙げられるのが諸行無常印です。
その諸行無常を『涅槃経』には、このように説かれます。
諸行は無常なり。これ生滅の法なり。
(漢文:諸行無常 是生滅法)(引用:『大般涅槃經』)
「諸行」とは、すべてのもの。
「無常」は、常がなく続かない、ということです。
この世のすべてのものは、変わり通しであり、変化しないことはありません。
すべてはうつろい、変わっていきます。
次の「これ」とは諸行のことで、すべてのものです。
「法」はここでは構成要素のことで、すべてのものは、生じたら滅するものだ、ということで、
諸行無常と同じことをいわれています。
ちなみに諸行無常について、詳しくは以下の記事をお読みください。
➾「諸行無常の響きあり」の意味と甚大な影響力
このように、この世のすべては続かない、諸行無常だから盛者必衰なのです。
それで、平家も源氏も、歴史上すべての盛んなるものが衰えてきたのです。
どんなにお金を儲けて、高い地位についても、必ず衰退する時がきます。
どんな幸せも続かないということです。
そして、諸行無常はどんなに科学が進歩しても変わりません。
だから盛者必衰も、これから先、未来永遠に変わらない真理なのです。
ですが栄耀栄華を極めた人だけが盛者必衰ではありません。
盛者必衰の本当の意味
ブッダは、阿闍世王が父を幽閉する王舎城の悲劇のエピソードが説かれている『未生寃経』に、このように説かれています。
盛んなる者は即ち衰え、合会するものは離ることあり、生まるる者は必ず死す。
これによりて憂悲し輪転際なし。
(漢文:盛者即衰 合會有離 生者必死 由之憂悲輪轉無際)(引用:『仏説未生寃経』)
たとえ今は勢いがあるといってもいつかは衰え、出会った人とは別れることがある。
生まれたからには必ず死があり、この故に憂い悲しみは、車の輪が回り続けるように際限がない、という意味です。
このように盛者必衰に続いて、会者定離、生者必死と説かれています。
まず最初に盛者必衰を説かれているのは、結局すべての人は死んでいくということを知らせるためです。
また、ブッダの教えを伝える人を僧侶といいますが、
室町時代に活躍した僧侶、蓮如上人の書かれた『御文』には、
このように書かれています。
たといまた栄華にほこり栄耀にあまるというとも、盛者必衰・会者定離のならいなれば、久しくたもつべきにあらず、ただ五十年・百年の間のことなり。
(引用:『蓮如上人御文』2帖目第7通)
これは、人間界に生を受けることは、非常に有難いことであるけれども、それは一時的なことで、やがてすぐに死んでいかなければならないという文脈でいわれていることです。
人間に生まれて、たとえ仕事を頑張ってお金持ちになり、豪邸に住んで着飾ったり美味しいものを食べたり、家族や子供、多くの仲間たちと栄耀栄華を極めたライフスタイルを送ったとしても、
盛んなるものは必ず衰え、出会いには必ず別れがあるのが世の中の道理だから、長くは続かない、どんなに続いたとしても、わずか50年か100年のことだ、ということです。
人生長くても100年、あっという間に過ぎ去ってしまいます。
国や企業も衰退しますが、私たちにとって一番問題なのは、自分もやがて必ず衰え、死んでいかなければならない、ということです。
このように「盛者必衰」が仏教で教えられているのは、
「私は栄耀栄華を極めてないかいら関係ないわ」という他人事ではありません。
「盛者」とは人間界に生まれたすべての人のことです。
「盛者必衰」には、すべての人が必ず衰えて死んでいかなければならない、という重大な意味があるのです。
栄えていようが、栄えていまいが、すべての人はいつか必ず死ななければなりません。
すべての人が盛者必衰の存在なのです。
死に直面した時、それまで手に入れたすべての幸福が崩れ落ちます。
財産や、地位や名声、家族、友人知人がいても、
すべてこの世に置いていかなければなりません。
何一つ心の支えにはならず、たった一人で死出の山路へ旅立っていくのです。
では、すべての人が盛者必衰であるとすれば、どうすれば死によっても崩れない、本当の幸福になれるのでしょうか。
盛者必衰の世の中で、滅びざる幸福になるには?
今回は、盛者必衰の意味について、詳しく解説しました。
盛者必衰は、もともとブッダがお経に説かれている言葉です。
今、たとえどんなに栄耀栄華を極めたとしても、絶頂に留まり続けることはできず、
いつか必ず滅びる時が来るという意味です。
盛者必衰は、昔から使われる言葉ですが、特に『平家物語』が有名です。
『平家物語』の中では、平家だけでなく、源氏の盛者必衰の歴史も書かれています。
平家や源氏の盛者必衰を知った人たちは皆、悲しんだといいます。
盛者必衰は、現代でも当てはまり、盛者必衰の企業のライフサイクルが研究されています。
ですが、企業が衰退する原因が解明されても、なぜ盛者必衰がなくならないかというと、諸行無常だからです。
その意味では、盛者必衰は、盛んな人だけでなく、すべての人のことです。
すべての人は、必ず衰え、死んでいかなければならない、というのが盛者必衰の本当の意味です。
死んでいく時には、どんなにお金があっても、地位が高くても、何の心の支えにもなりません。
すべて崩れ去ってしまいます。
では、滅びる中に滅びざる幸福になるためには
どうしたらいいのでしょうか?
仏教には、諸行無常の世にあって、
滅びることのない絶対の幸福が教えられています。
絶対の幸福とはどういうものなのか、どうすれば絶対の幸福になれるのか、
それは仏教の真髄ですので、電子書籍とメール講座にまとめました。
ぜひ受け取ってください。
関連記事
この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか1人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。たまたまインターネットの技術を導入して爆発的に伝えられるようになり、日本仏教学院を設立。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと今も奮戦している。
仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者4千人、メルマガ読者5万人。X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。
著作
- 生きる意味109:5万部のベストセラー
- 不安が消えるたったひとつの方法(KADOKAWA出版)