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人間万事塞翁が馬

人間万事塞翁が馬」は、
にんげんばんじさいおうがうま
または「じんかんばんじさいおうがうま」と読みます。
意味は一言で言えば「人生の禍福は予測できない」ということです。

この「人間万事塞翁が馬」は、漢文の授業でよく取り上げられる故事成語ですが、
歌手の尾崎豊や、多くの会社の社長が座右の銘として大切にしている言葉です。
また、IPS細胞でノーベル賞を受賞した山中伸弥教授が
2016年3月の近畿大学の卒業式で、好きな言葉として
塞翁が馬だから、人生は楽しい
と紹介しています。

このように、歌手や社長、ノーベル賞受賞者が重視する、
この諺に秘められた意味やエピソード、
人生の3つの成功の秘訣とは、どんなことなのでしょうか?

人間万事塞翁が馬の意味

塞翁が馬」は、中国の『淮南子えなんじ』という本にある話です。

もう少し長い「人間万事塞翁が馬」は、日本では諺として紹介されることが多いですが、
由来は中国の僧侶の詩にあります。

とりあえず「塞翁が馬」の意味を辞書でみてみると、このようにあります。

塞翁が馬 さいおうがうま
[淮南子(人間訓)]塞翁の馬が逃げたが、北方の駿馬を率いて戻って来た。
喜んでその馬に乗った息子は落馬して足を折ったが、ために戦士とならず命長らえたという故事。
人生は吉凶・禍福が予測できないことのたとえ。
塞翁失馬。
「人間万事―」

この辞書に書いてあることも間違いではありませんが、
塞翁が馬にはさらに、私たちが人生で本当の成功をおさめるための秘訣を教えられているので、
より詳しく意味を解説していきます。

人間万事塞翁が馬の原典

中国「」の時代の禅僧、煕晦機きかいきは、
人間万事塞翁馬、推枕軒中聴雨眠
(人間万事塞翁が馬、推枕軒すいちんけんの中、雨を聴いて眠る)
と詠いました。
ここに「人間万事塞翁馬」とあります。

人間」は「じんかん」と読み、世の中、社会という意味です。

推枕」は、枕をひいて何もすることなくだらだらと寝ている様子で、
煕晦機禅師は、自分のいおりを「推枕軒」と名付けていました。

詩の意味は、
世の中すべて『塞翁が馬』のとおりだ。
私は推枕軒と名付けた庵で、雨の音を聞きながら眠る

ということです。

日本ではここから「塞翁が馬」とか「人間万事塞翁が馬」といわれますが、
もともと本場の中国では、「塞翁失馬」(sàiwēng-shīmǎ)とか、
塞翁失馬、焉知非福」(sàiwēnɡ-shīmǎ, yān zhī fēi fú)といわれます。

中国と日本で多少言い方は違っていても、元になった話は共通です。
それは、中国の古書『淮南子えなんじ』の「人間訓じんかんくん」にある話です。
淮南子』は、中国前漢の淮南わいなん王、劉安りゅうあん
紀元前139年頃に執筆・編集した哲学書です。
劉安りゅうあん は、漢の高祖の劉邦の孫で、たくさんの学者を食客にしていました。
それらの色々な学派の思想をいいとこどりして、体系的な統一理論を打ち立てようとしたのです。
そんな色々の思想がまざっているので、諸子百家の中では、諸家を折衷し、統合しようとした「雑家」に分類されます。
その中におさめられている「人間万事塞翁が馬」とは、どのような話なのでしょうか。

塞翁が馬のエピソード

これはよく学校の漢文でも取り上げられますので、
塞翁が馬の現代語訳をはじめに記載し、
後半に漢文と書き下し文を載せておきます。

塞翁が馬をよく理解するための前提知識として、
当時の中国では、北方の地に要塞を築いて、
漢民族ではない異民族(胡)の侵入を防いでいました。
塞翁が馬の塞は、要塞という意味で、
塞翁は、辺境の要塞の近くに住んでいる老人という意味です。

塞翁が馬の現代語訳

災いと幸せは生まれたり転じたりしますが、
その変化を見通すのは難しいものです。

要塞の近くに、本を見て末がわかるような智慧の深い老翁がいました。
あるとき、飼っていた馬が、中国北方の異民族の土地へ逃げてしまいました。
周囲の人たちは翁に同情しますが、
翁は「これは福になるかもしれない」と言って、悲しみませんでした。

何ヶ月か経つと、逃げ出した馬が、異民族の地にいた駿馬を連れて帰ってきました。
周囲の人たちがこのことを祝福していると、
翁は「これが禍になるかもしれない」と言って、喜びませんでした。

翁の家では、良い馬が多くなっていたので、翁の子が馬乗りに励むようになりましたが、
その子が馬から落ちて足を骨折してしまいました。
周囲の人々は翁に同情していると、
「これが福になるかもしれない」と言って悲しみませんでした。

一年経ったある日、異民族の大群が要塞へ攻めてきました。
要塞付近に住んでいた若者たちは、弓を引いて戦いましたが、
10人中9人が死んでしまうという悲惨な戦いでした。
一方、足を悪くした翁の子は、戦争に出ることなく、親子揃って無事でした。

そのために、福が禍になり、禍が福になる変化を見極めることはできず、
その変化の深さも測ることはできないのです。

このエピソードを簡潔に図にするとこうなります。

塞翁が馬
  • 養馬…喜
  • 失馬……悲
  • 駿馬………喜
  • 落馬…………悲
  • 免除兵役………喜

この現代語訳の漢文や書き下し文、その解説は以下のとおりです。

書き下し文・漢文・文法解説

これについては、参考ですので、塞翁が馬に秘められた成功の秘訣を早く知りたい場合は、読みとばして次へお進み下さい。

まず、漢文の全体はこちら。

夫禍福之転而相生、其変難見也。近塞上之人、有善術者。馬無故亡而入胡。人皆弔之。其父曰、「此何遽不為福乎」。
居数月、其馬将胡駿馬而帰。人皆賀之。其父曰、「此何遽不能為禍乎」。家富良馬。其子好騎、堕而折其髀。人皆弔之。其父曰、「此何遽不為福乎」。
居一年、胡人大入塞。丁壮者、引弦而戦、近塞之人、死者十九。此独以跛之故、父子相保。故福之為禍、禍之為福、化不可極、深不可測也。

次に、書き下し文は以下のとおりです。

それ禍福の転じて相生ずるは、その変見え難きなり。
塞上に近きの人に、術を善くする者あり。
馬故なくして亡げて胡に入る。
人皆これを弔す。
その父いわく、「これなんぞ福とならざらんや」と。

居ること数月、その馬胡の駿馬を将いて帰る。
人皆これを賀す。
その父いわく、「これなんぞ禍となることあたわざらんや」と。
家良馬に富む。
その子騎を好み、堕ちてその髀を折る。
人皆これを弔す。
その父いわく、「これなんぞ福とならざらんや」と。

居ること一年、胡人大いに塞に入る。
丁壮なる者、弦を引きて戦い、塞に近きの人、死する者十に九なり。
これ独り跛の故をもって、父子相保てり。
故に福の禍となり、禍の福となるは、化して極むべからず、深くして測るべからざるなり。

個別にそれぞれ解説します。

それ禍福の転じて相生ずるは、その変見え難きなり。
(漢文:夫禍福之転而相生、其変難見也)

【文法解説】
夫…さて、ここで。文の導入を示す。
禍福之転…災いと幸福の
転…転じる、変化する
而…〜して
相生…生じる
其…指示代名詞で、「その」を意味
変難見也…変化は見るのが難しい。也は文末の断定。

塞上に近きの人に、術を善くする者あり。
(漢文:近塞上之人、有善術者)

【文法解説】
塞… 要塞
上… 付近
術… 本を察して末を知る処世術の意、以小知大。
占いのことと間違われやすいが、淮南子に「本を見て末を知り、指を觀み歸を睹、一を執りて萬に應じ、要を握りて詳を治む、之を術と謂ふ」と解説される。
善 … 上手にする

馬故なくして亡げて胡に入る。
(漢文:馬無故亡而入胡)

【文法解説】
無故 … 理由もなく
亡 … 逃げる
胡 … 北方の異民族の総称。匈奴・鮮卑・羯・氐・羌など。

人皆これを弔す。
その父いわく、「これなんぞ福とならざらんや」と。
(漢文:人皆弔之。其父曰、「此何遽不為福乎」)

【文法解説】
弔 … 慰める
父 … 「ほ」と読み、「老人」の意。(「父親」の意では「ふ」と読む)
此 … このこと
何遽~乎 … なんぞ~ん(や)と読み、「どうして~であろうか、きっと~だろう」と訳し、反語を表す。

居ること数月、その馬胡の駿馬を将いて帰る。
(漢文:居数月、其馬将胡駿馬而帰)

【文法解説】
居数月 … 数か月経つ
駿馬 … 足の速い馬
将 … 連れて

人皆これを賀す。
その父いわく、「これなんぞ禍となることあたわざらんや」と。
(漢文:人皆賀之。其父曰、「此何遽不能為禍乎」)

【文法解説】
賀 … 祝福する
禍 … わざわい

家良馬に富む。
その子騎を好み、堕ちてその髀を折る。
(漢文:家富良馬。其子好騎、堕而折其髀)

【文法解説】
子 … 息子
騎 … 乗馬、騎馬
髀 … 太ももの骨。

人皆これを弔す。
その父いわく、「これなんぞ福とならざらんや」と。
(漢文:人皆弔之。其父曰、「此何遽不為福乎」)

【文法解説】
弔 … 慰める
父 … 老人の意
何遽~乎 … どうして~であろうか、きっと~だろう

居ること一年、胡人大いに塞に入る。
丁壮なる者、弦を引きて戦い、塞に近きの人、死する者十に九なり。
(漢文:居一年、胡人大入塞。丁壮者引弦而戦、近塞之人、死者十九)

【文法解説】
居一年 … 一年経って
胡人 … 北方の異民族
入塞 … 要塞を攻める
丁壮 … 体が丈夫な、働き盛りの男
引弦 … 弓を引き、弓で戦う
十九 … 十人のうち九人

これ独り跛の故をもって、父子相保てり。
(漢文:此独以跛之故、父子相保)

【文法解説】
此 … 息子のこと
跛 … 片足が不自由なこと、または人
以~故 … ~の理由で
相保 … 二人とも無事だった

故に福の禍となり、禍の福となるは、化して極むべからず、深くして測るべからざるなり。
(漢文:故福之為禍、禍之為福、化不可極、深不可測也)

【文法解説】
化 … ものごとの変化
極 … 見極める、知り尽くすこと
深 … 変化の奥深さ、変化が複雑にからみあっていること
測 … 予測する

塞翁が馬のエピソードは、以上になります。

次に、「人間万事塞翁が馬」の言葉から、
成功の秘訣を3つお伝えします。

成功の秘訣1:何が起きても一喜一憂しない

煕晦機きかいきの詠った
人間万事塞翁馬、推枕軒中聴雨眠
(人間万事塞翁が馬、推枕軒すいちんけんの中、雨を聴いて眠る)
の詩は、
すべてを受け入れて平然と寝ているさま
を表現しています。

人生は、山あり谷ありといわれ、良いこともあれば、悪いこともあります。

勝負をして勝つときがあっても、
奢ってはなりませんし、慢心してもいけません。
慢心は足音を立てずにやってきます。
慢心によって、勝者が一転、敗者となる事例は事欠きません。
なぜなら慢心によって、努力をやめ楽を選び、
気づかないうちに成長がとまってしまうからです。
有頂天のときにこそ、注意が必要なのです。

有頂天の正確な意味については、こちらの記事をお読みください。
有頂天の意味と天上界とは?

逆に、勝負をして負けたり、苦しいことが次々やってきたりした時に、
ここで腐っていては状況は変わりません。
努力をした結果は、すぐに出てこず、後からついてくることも多いです。
後から善い結果がついてきた人は、負けたときに腐らずに努力し続けた人だけです。

何が起きても一喜一憂してはならないことを、
昔からこのようにいわれます。

沈んで屈するな 浮かんでおごるな

これが、塞翁が馬に教えられている、1つ目の成功の秘訣です。

成功の秘訣2:智慧を持った行動をする

2つ目に、塞翁が馬のエピソードは、
智慧をもって行動をする」ことの大切さを教えられています。
塞翁が馬の話では、ただ人生が偶然であることをたとえた話ではないのです。

知恵と智慧には違いがあります。
知恵は、素早い判断力や深い洞察力、知識の広さなどを意味しますが、
智慧」の意味は、物事の「道理」「真理」をハッキリと分かっていることです。

智慧について、詳しくは下記をお読みください。
智慧ちえとは?意味と実践方法と慈悲との違いを分かりやすく解説

つまり、塞翁が馬に登場する翁(父)は、道理に精通して行動していたからこそ、
一喜一憂しなかったのであり、私たちも見習うべき姿です。

では、どのような道理に精通していたのでしょうか。

ヒントは、『淮南子』(人間訓)の書き出しにあります。

それわざわいの来るや、人自らこれを生ず。
福の来るや、人自らこれを生ず。

また、このようにも記されています。

禍と福とは門をおなじくす。
利と害とは隣を為す。

どちらも禍福は偶然訪れるのではなく、
禍や幸福が来るのは、皆その人自身が自ら招くものだという意味です。
淮南子』の真意が書かれています。

塞翁が馬は、確かに結果だけ見ていると、
幸せと不幸が交互にやってきて予測がつかないのですが、
実はその結果をもたらす原因は、自分の行いにあったのです。
例えば、飼っていた馬が逃げ出したのは、逃げられるような飼い方をしていたからです。
ですが、馬が帰ってきたのは、それまでに世話の仕方が優しく、馬に好かれていたからです。
馬から落ちて怪我をしたのはもちろん過失によるものですし、
戦争に行かずに済んだのは、戦えないほどの怪我をしたからです。
幸せも不幸も、すべての結果は、自分の行いによって生じているのだと人間訓に教えられているのです。

これはまさに、お釈迦様が教える自業自得の道理です。
お釈迦様は、自分に起きるすべての運命は、自分の行いの結果だと教えられます。
これには例外はありません。

では、どのような行いによって、自分の運命が決まるのでしょうか。

善い行いまたは悪い行いが原因となり、原因に応じて幸不幸が決まるのだと教えられています。

善悪報応し、禍福相承かふくあいうく。
(漢文:善惡報應禍福相承)

自業自得について、詳しくはこちらの記事をご覧ください。
自業自得の意味-良い運命も悪い運命も自分の行い

翁が表面的な結果に一喜一憂しなかったのは、まさに自業自得の智慧があったからです。
このように、塞翁が馬には、自分の行いが結果を生じるという智慧をもって行動するように教えられているのです。

徳川家康のエピソード

このことは、日本の歴史上の重要な人物として、織田信長や豊臣秀吉と肩を並べる徳川家康の人生からも学べます。

1584年、小牧・長久手の戦いで徳川家康は豊臣秀吉と対峙し、勝利をおさめましたが、
最終的には秀吉に臣従することになりました。
この時織田家から、豊臣家に人質を出すように言われてます。
豊臣家に人質がいれば、家康は秀吉と戦争しにくくなるためです。

しかし、家康は一向に人質を差し出さず、
徳川家と豊臣家はいつ大きな戦争となってもおかしくないような状況でした。

そんな中、大事件が起きます。
家康の重臣の一人、石川数正が
1585年に徳川を離れて豊臣家の下に加わったのです。
数正は徳川家の軍事情報など重要な情報を知っており、
機密情報が豊臣家に漏れることは時間の問題でした。
徳川家の家臣の間に、大変なことになったと危機感が募ります。

ところが家康は、石川数正の出奔を、軍制を一新する絶好の機会と見ました。
天正13年(1585年)12月、家臣の浅井あさい道多みちあまに、
武田信玄の用いた軍法を研究するよう命じます。

故武田信玄の国法及び軍法を捜索して献ずべき旨、浅井雁兵衛道多をもて甲斐国江触しめられし

この意味は、亡くなった武田信玄の用いた国法や軍法を捜索して提出するよう、
家臣の浅井道多をもって武田信玄が治めた甲斐国(現在山梨県付近)内へお触れを出したということです。

武田軍は戦国時代で最も強力な軍隊として知られています。
家康はこれを模範とし、徳川軍を強化することに成功し、
持ち出された情報も、間違った情報に変わってしまいました。
石川数正の出奔は、全国の諸将に衝撃を与える事件でしたが、
これに狼狽えることなく、未来を見据え自軍の強化を図った家康の采配が光ります。

このように、結果に一喜一憂せずに、その結果を好転させるような行いをとっていくことが大切なのです。

最後に、「人間万事塞翁が馬」から学べる、一番重要な成功の秘訣を解説します。

成功の秘訣3:人生の最期が一番重要

3つ目に、「人間万事塞翁が馬」の諺から学べる、最も重要なことは、
私たちの幸福というのは、最後が一番重要である、ということです。

人間の幸せについて、思い出や経験といった
「生き方・人生のプロセスを充実させることが最も重要」
と考える人は多くあります。
しかし本当に結果よりプロセスが大切なのでしょうか?

受験生であれば、模試で毎回A判定を連発していた人が、本番の試験で不合格。
どんなに「途中のプロセスがよかったからいいじゃん」と励まされても喜べません。
逆に、模試では全然合格判定を出したことがなく、E判定ばかりだった人が、
本番で合格したら「今まで苦労して勉強してきてよかった」と大満足できます。
プロセスが悪くても、それまでの模試の点数を後悔することはありません。

スポーツでもそうです。
ブロ野球のペナントレースで、しばらく1位が続いても、最終的に6位になると喜べません。
悔しがります。
逆に、6位が続いていたチームが挽回し、最終的に1位になると、
頑張ってきてよかった」と喜べます。

最終的に幸せかどうかは、プロセスよりも、最後どうなるかが重要なのです。
最後が重要ということは、ノーベル賞を受賞した行動経済学者、ダニエル・カーネマンの「ピーク・エンドの法則」からも分かります。

塞翁が馬」のエピソードでも、最後に戦争が起きたことで、息子の骨折を幸せと感じられたハッピーエンドで終わっています。
ですがもし話の最後が骨折で終わるのなら、足が不自由になった悲しいエピソードとして語られていたかもしれません。

人生も同じです。
どんなにお金や地位や名誉、人間関係に恵まれた人生を送ったとしても、
人生の最期が悪いと、
人間に生まれてきてよかった
という人生の勝利者にはなれなれません。

では、人生の最期は、どうなるのでしょうか。
それは、すべての人に共通して、必ず死に直面することになります。
いよいよ死んでいかなければならない時に、どう思うかによって、幸せな人生だったかどうかが決まるのです。

では、お金や財産、地位、名誉を手に入れれば、幸せな人生になるのでしょうか?
それらを最も手に入れた豊臣秀吉に聴いてみましょう。

豊臣秀吉の人生の最期

日本の天下人である豊臣秀吉は、農民の出身でありながら、太閤関白にまでのぼりつめ
日本一出世した男」です。
歴史上、ここまで出世した人はいません。
年収は37万石(555億円)、荘厳な大阪城や絢爛豪華な聚楽第を造り、
金山銀山を保有し、想像できないような財産を持っていました。
ずっと子どもに恵まれませんでしたが、晩年に秀頼が生まれ、跡継ぎもできました。

普通の人が望む以上のものを手に入れた秀吉ですが、
「バンザイ、バンザイ、バンバンザイ」とか
「人間に生まれて本当によかった」と言っているでしょうか?
臨終にはこのような辞世の句を残しています。

露と落ち露と消えにし我が身かな
     難波なにわのことも夢のまた夢

(豊臣秀吉・辞世の句)

意味は、まるで露のように儚い人生だった。
大阪(難波)で手に入れてきたものは、夢のように儚い幸せでしかなかった、ということです。
これでは本当のサクセスストーリーとは言えません。
欲しい物をすべて手に入れたとしても、無限の欲を満たすことはできず、
本当に幸せだったと言えるものにはならないのです。

秀吉ほどのことをしても、臨終に幸せではなかったというのなら、
臨終に大満足できる幸せは、どこにあるのでしょうか。

人間万事塞翁が馬から学ぶ本当の幸福

今回は、「人間万事塞翁が馬」の言葉について解説しました。

人間万事塞翁が馬」は日本では諺として紹介されています。
原典は、中国の僧侶、煕晦機きかいきの詠んだ
人間萬事塞翁馬、推枕軒中聽雨眠
という詩にあります。

塞翁馬」は、中国の古い哲学書である『淮南子』の中にある有名な話で、
塞翁が馬」「塞翁失馬」として知られています。

塞翁が馬の話からは、人生の成功の秘訣を3つ学ぶことができます。

塞翁が馬の3つのポイント
  1. 浮かんでおごるな・沈んで屈するな(結果に一喜一憂しない)
  2. 智慧を持って行動する(結果を生み出す行いを見つめる)
  3. 最後が一番大事

臨終になって本当に幸せだったと言えなければ、
後悔して人生を終えなければなりません。

仏教には、臨終になっても「人間に生まれてよかった」と大満足できる、本当の生きる目的が教えられています。
そしてそれは、平生、元気な時に達成できます。
たった一度きりの夢のように儚い人生で、
どうすれば夢のように消えることのない、臨終に後悔しない本当の幸せになれるのかについては、
仏教の真髄ですので、メール講座と電子書籍に分かりやすくまとめました。
ぜひ一度読んでみてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか1人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。たまたまインターネットの技術を導入して爆発的に伝えられるようになり、日本仏教学院を設立。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと今も奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者4千人、メルマガ読者5万人。X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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