儚い人生の秘密
「儚い」というのは、日本文化の「わびさび」に通じるところがあります。
「儚い」とはどんなことでしょうか。
そして、儚い中でも代表的なものは、人生です。
儚い人生を悔いなく生きるにはどうすればいいのでしょうか?
儚いものは美しい
儚いとは、長続きせず、消えやすいことです。
儚いものには、かよわいものが多いので、美しいといわれることも多くあります。
「わびさび」とか、滅びの美学です。
「わびさび」というのは日本人の美意識です。
「わび」については、茶の湯の中でつくられていきます。
「わび茶」は、もともと室町時代、僧侶である村田珠光が粗末な道具を使い始め、その弟子から孫弟子の千利休にも影響を与えたものです。
「さび」も室町時代、俳諧の中でつくられていき、江戸時代の松尾芭蕉では一つの大きなテーマとなります。
幽玄な松尾芭蕉の句
高校の教科書にも出てくる松尾芭蕉の『おくのほそ道』の有名な句に、このような句があります。
夏草や つわものどもが 夢の跡
(松尾芭蕉『おくのほそ道』)
昔、奥州藤原氏が、功名を競い、一時は繁栄しましたが、今は滅んでしまい、ただ夏草が生い茂るばかりです。
奥州の覇権をにぎり、産出する砂金でお金も地位も手に入れたのですが、すべてがひとときの夢と消えてしまいました。
その儚さを、松尾芭蕉は、
「夏草や つわものどもが 夢の跡」
と詠んだのです。
奥の細道から帰った芭蕉は、ある有名な句を詠みます。
やがて死ぬ けしきも見えず せみの声
(松尾芭蕉『猿蓑』)
「やがて」とはすぐに、
「けしき」は様子、ということです。
セミの命は1週間。
セミの1日は、人間の10年にあたります。
夏の日に、かまびしすく鳴いているセミですが、まもなく死んでいく気配は感じられません。
今を盛りと鳴くセミは、すぐに死んでいかなければならないことをまったく知らないのです。
儚く消える命と知らず、陽気に鳴き続けるセミは、なんとあわれなものではないか、という句です。
では人間の命は長続きするのでしょうか?
儚い人間の命
松尾芭蕉の
「やがて死ぬ けしきも見えず せみの声」
という句の前には、「無常迅速」と書き込まれています。
「無常」とは、常がない、続かないということですが、特に死のことを「無常」といわれます。
人はあっという間に死んでいくことを、無常迅速というのです。
この松尾芭蕉の句は、蝉にたとえてはありますが、実は人間の命の儚さを歌っているのです。
大宇宙の歴史と比べると
人生80年といっても、長いようで、大宇宙の歴史からすれば、一瞬の儚いものです。
地球の46億年の歴史を1年とすれば、
多細胞生物が生まれたのが9月27日、
魚が現れたのが11月20日、
爬虫類が12月3日、
ほ乳類が12月13日です。
そして人類が生まれた250万年前は、12月31日午後7時15分です。
産業革命が始まった250年前は、12月31日午後11時59分58秒です。
大宇宙の歴史と比べても、人間の命は一瞬の儚いものなのです。
一生の間、どんなにすごいことをやったとしても、
夢のように儚く消えていきます。
中国最強の詩人・李白
松尾芭蕉が影響を受けた、中国最強の詩人の一人、李白は
『春夜桃李の園に宴するの序』に、こう述べています。
高校生の時に習った人も多いと思います。
光陰は百代の過客なり。
而して浮生は夢のごとし、歓を為すこと幾何ぞ。
(漢文:光陰者百代之過客。而浮生若夢、為歓幾何。)
(李白『春夜桃李の園に宴するの序』)
『春夜桃李の園に宴するの序』とは、春の夜に桃李園で行われた宴会の序文です。
当時、宴会では、参加者が一人一人詩を作り、
それを集めて詩集を作る風習がありました。
その時に代表者が、宴会のいわれや状況を書いたのが序です。
そこにどんなことが記されているかというと、
「光陰は百代の過客」というのは、松尾芭蕉が『おくのほそ道』に
「月日は百代の過客」と書いている出典です。
月日は永遠の旅人のようなものだ、ということです。
そして、「浮生」とは、浮いたような生ということで、儚い人生のことです。
「浮生は夢のごとし」とは、儚い人生は夢のようなものだということ、
そんな人生で「歓を為すこと幾何ぞ」とは、
今が楽しいといっても、その楽しみはどれだけ続くだろうか、いや続かない、ということです。
実際に臨終の実感としては、
「あっという間の人生だった」
「夢のような人生だった」
と言う人がたくさんあります。
人生を儚い夢にたとえた辞世の句
足利義政
室町幕府8代将軍、足利義政は、政治は他人に任せて、文化を追及した人でした。
日本を代表する、能、茶道、華道、庭園、建築など色々な文化が花開き、これを東山文化といわれます。
そんな東山文化に功績のあった将軍ですが、臨終にはこのような辞世の句を残しています。
何事も 夢まぼろしと 思い知る
身には憂いも 喜びもなし
(足利義政)
上杉謙信
その後、戦国の世となりますが、戦国最強と言われた上杉謙信は、このような辞世を詠んでいます。
四十九年 一睡の夢 一期の栄華 一杯の酒
(上杉謙信)
明智光秀
戦国最強の勢力だった織田信長を本能寺で討ち取り、三日天下をとった明智光秀はこう言います。
五十五年の夢 覚めきたりて 一元に帰す
(明智光秀)
豊臣秀吉
その明智光秀を倒し、天下統一を成し遂げたのが豊臣秀吉です。
足軽から身を立てて、一代で太閤にまで上り詰めました。
聚楽第という豪邸や大阪城を築き、金の茶室を作って栄耀栄華を極めましたが、臨終の辞世の句は、このような寂しいものでした。
露と落ち 露と消えにし 我が身かな
難波のことも 夢のまた夢
(豊臣秀吉)
このように、歴史に名を残すような人の人生も、本人からすれば夢のように儚く消える人生だったと言っているのです。
幸せはつかの間で、人生は長続きせず、夢のように儚く消えていきます。
このような儚く消える人生、どうすれば悔いのない生き方ができるのでしょうか?
儚い人生悔いなく生きる方法
仏教では、人生はすべて自分の生みだした夢のようなのもだ、と教えられています。
夢で1億円手に入れても、好きな人と一緒になっても、目が覚めれば跡形もなく消えてしまいます。
世間では、あれが欲しい、これが欲しいと求めているものは、人それぞれの価値観によって違いますが、お金や物、地位や名誉、好きな人などは、夢幻のようなもので、実体はないのです。
一時的には心の支えになったり、明かりになったり、生きる希望になったり、生きがいになったりしますが、諸行無常の世の中ですから、最後は頼りになりません。
それまでどんなに信じていても、裏切られてしまいます。
最後死んで行くときには、すべて夢・幻のように儚く消えてしまい、死んで行くときに持って行けるものは何一つありません。ちょうど、お金がもらえると思って働いたら、もらえなかった、ただ働きのようなものです。
最後は「一体何のための人生だったのか」という後悔の中、ひとりぼっちで死んでいかなければならないのです。
そんな夢幻のような儚い人生であることを前提として、迷いの根元をつきとめ、死が来ても消えない、永遠の幸せになる方法を教えられたのが仏教です。
夢のような一瞬の人生で、その身になれば、何一つ後悔はありません。
その決して色あせない幸せになる方法については、仏教の真髄ですので、
メール講座と電子書籍に分かりやすくまとめました。
ぜひ一度読んでみてください。
関連記事
この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか1人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。たまたまインターネットの技術を導入して爆発的に伝えられるようになり、日本仏教学院を設立。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと今も奮戦している。
仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者4千人、メルマガ読者5万人。X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。
著作
- 生きる意味109:5万部のベストセラー
- 不安が消えるたったひとつの方法(KADOKAWA出版)