死んだらどうなる?
死は誰しも避けられない、100%確実な未来です。
人間である限り、死を免れることはできません。
では死んだらどうなるのでしょうか?
この記事を読んでいくと、自分が死んだらどうなるか自分で診断できます。
死んだらどうなるかは、死んでからだけでなく、
実は生きている間にも非常に重要なことです。
死んだらどうなるのか?
あなたは死んだらどうなるのでしょうか?
いろいろな答えがあると思いますが、本当のところはどうか、自信をもって答えられますか。
実際に自分の考えを本にして出版している人もいますので、内容を見てみましょう。
亡くなって49日までの期間は「喪中」です。
それも自分の喪、実際に死んだという喪なので、死後世界(黄泉の国)にいる喪です。
(中略)
49日を終えて成仏したらどうなのかと言いますと、成仏すると別の世界(成仏界)に入ります。
(中略)
こから先は個人の希望によって世界が分かれています。
進路は、大きく分けて4つあります。
1. 輪廻転生コース
2. 高級霊界で仕事をするコース
3. 神様修行コース
4. 仏様修行コース
(引用:桜井 識子『死んだらどうなるの?選べる行き先は4つ!奇跡の魂ツアーに出発しよう』)
この著者も本の中で書かれていますが、間違いなくこれは個人的見解です。
この本では「仏様」とか「成仏」とか仏教の言葉が沢山出てきますが、ブッダの教えとは違うものばかりですので、仏教とは全く関係のないことは明白です。
このように「死んだらどうなるか」を考えたとき、宗教の世界観を自分なりに解釈する人ばかりです。
それは、「死んだらどうなるか」について答えているのが宗教だけだからでしょう。
「死んだらどうなるか」を考えるにあたって、このような個人的見解を信じる前に、まずオススメなのが、現在と死後との関係を整理してみることです。
なぜなら「死んだらどうなるか」という問題の本質がみえてくるからです。
以下で説明いたします。
死後の現在への影響
未来は現在に影響を与えます。
未来が明るければ、現在も明るいですし、
未来が暗ければ、現在も暗くなります。
例えば1週間で1番明るいのは金曜日です。
花金とまで言う人があります。
翌日から土日で自由に好きなことができるからです。
だから飲みに行ったりしてパーッとやります。
反対に1番暗いのは、日曜日の夜です。
明日からまた月曜日で学校や仕事に行かないといけないと思うと暗くなります。
日曜の夜に飲みに行く人はあまりありません。
早めに休んで翌日からの戦いに備えます。
また、人間ドックで悪い所が発見され、精密検査をしたらすぐに手術が必要と言われます。
そして3日後に大手術を受けるとなると、今から心配になります。
病室に横たわって天井を見ながら、3日後の手術は成功するのだろうかと心が暗くなります。
「失敗したら失敗した時。今しかできないことを楽しもう」
とは思えません。
飛行機に乗った時もそうです。
機長から「もう操縦不能です」とアナウンスがあって、ぐらぐらしながら飛んでいる。
そんな必ず墜落すると分かっている飛行機に乗っていれば、
機内食はおいしく食べられませんし、
機内映画を楽しく見てはいられません。
未来が暗いと何も楽しめなくなってしまいます。
それと同じように、100%確実な未来である死んだらどうなるかが分からなければ、現在の心が暗くなります。
それで、どんなに便利な世の中になっても、苦しみ悩み不安がなくならないのです。
そのことをフランスの哲学者パスカルは、こう言っています。
この世においては来世を望むこと以外に幸福はなく、人はそれに近づくにしたがってのみ幸福であり、そしてその永遠について完全な確信を持っている人々にとってはもはや何の不幸も存在しないのと同じに、それについて何の光も持っていない人々にとっては何の幸福も存在しない。
(引用:パスカル『パンセ』)
「この世においては来世を望むこと以外に幸福はない」
というのは、飛行機でいえば、操縦不能になって未来が暗い状況では、
どんなにおいしい機内食も、どんなに楽しい機内映画も楽しめないように、
必ず行く先である死んだらどうなるかが暗ければ、
何をやっても、何を手に入れても、心からの安心も満足もないということです。
そして、死んだらどうなるかに確信がなければ、人間は幸せにはなれない、と洞察しています。
死は確実な未来ですから、死んだらどうなるかは、現在の心に大きな影響を与えるのです。
死んだらどうなるか、
ないならない、あるならあると、ハッキリすればいいのですが、
そこがハッキリしません。
死んだあとは自分で決められる?
死後をハッキリさせるには、自分で自由意思できめられるという人もいるでしょう。
死んだらどうなるのか、死んでみるまでわからない。
それはまあ、確かです。
でも人間は、死ぬ前に、死んだらどうなるのかと自分なりに考え、納得し、それを織り込んで生きてきました。
死んだらどうなるのか。
それは生き方の一部、人生の一部です。
死んだらどうなるのか、死んでみるまでわからない。
それなら、死んだらどうなるのかは、自分が自由に決めてよいのです。
(引用:『死の講義』)
確かに自分の自由意志で、死後どうなるか決めることができればいいのですが、
生きているときでさえ、自分の意思だけで将来を思い通りにするのは難しいのに、
死後になると急に自分の意思で決められるというのは、おかしな話です。
自分の意思でどうすることもできないが、「死後は無になる」と強く信じている人も多いでしょう。
死んだら無になると確信できる?
共産主義の人は唯物論なので、たいてい死んだら無になると考えています。
毛沢東と一緒に中国を共産化した周恩来という人は、死ぬ時、
「死んだら毛沢東に会えるから楽しみだ」
と言っていました。
一緒に苦労してきた毛沢東は先に死んでいるから、想い出話ができるということですが、
全然死んだら無になると思っていません。
みんな元気な時は
「死んだら無になる」
と言いながら、家族が亡くなると、墓を作る人もあります。
大切な人が死んで、無になったとはとても思えないのです。
もちろん、死ねば肉体は焼いて灰になります。
ですが、心は肉体からできているのでしょうか?
今のところ現代科学では、物質から心を作ることはできないので、肉体が死ねば心もなくなるとは言えません。
死ねば何もなくなるというのは根拠はないのです。
ところが仏教では、死んだらどうなるかが明らかにされています。
死んで帰ってきたわけでもないのに、なぜ死んだ後が分かるのかというと、1つの重要な手がかりがあります。
死んだらどうなるかを知る手がかり
死んだらどうなるかを知ることのできる手がかりとは何かというと、
「すべての結果には必ず原因がある」
という因果の道理です。
まったく原因がなく生じた現象というものはありません。
もちろん、原因が分からないことはありますが、それは原因がないのとは違います。
いつの時代、どこの国で起きた、どんなことにも必ず原因はあります。
仏教では、この因果の道理に立脚して教えが説かれていますので、
因果の道理は仏教の根幹といわれます。
因果の道理は、因果応報とも言われ、以下の記事で詳しく書いていますのでご覧ください。
➾因果応報とは?意味を分かりやすく恋愛の実話を通して解説
このすべてのことには必ず原因がある、ということを認めると、必ず生まれる前や死んだ後が出てきます。
なぜかというと、生まれた時点での結果にも必ず原因があることになりますが、それは結果よりも前にあります。
それは、DNAなどの物資的な原因による結果ではないかと多くの人は考えますが、現代の科学では、脳神経とそこを伝わる電気信号で、心は生み出せません。
例えば、パソコンをどんなに複雑にしていっても、心は生まれないようなものです。
心に物質的な原因がないとすれば、物質的ではない原因があります。
仏教では、それは人間に生まれる前から続いている過去の心だと教えられています。
人間に生まれる前の過去に心があったとすれば、過去から見れば、今人間として生きているのは、来世になります。
ですから肉体は生まれる時にできて、死ぬ時に滅びますが、心は生まれる前から、死んだ後へ向かって続いているのです。
このように「すべての結果には必ず原因がある」という当たり前のことを認めると、
私たちには、人間に生まれる前から、死んだ後へ続いていく永遠の生命があることになるのです。
死んだ後も続いていく永遠の生命
仏教では、死んだ後を「未来世」といいます。
それに対して、生まれる前を「過去世」といいます。
今生きている、生まれてから死ぬまでが「現在世」です。
この「過去世」「現在世」「未来世」を「三世」
といいます。一人一人に三世があります。
それを貫いているのが、「私」です。
肉体は死ぬと滅びますから、「私」というのは、肉体ではありません。
三世を貫いて流れている永遠の生命があります。
これを「阿頼耶識」といいます。
阿頼耶識についてはこちらの記事もお読みください。
➾阿頼耶識とは?簡単に分かりやすく意味を解説
阿頼耶識は不滅です。
肉体が滅びても消えずに、過去世、現在世、未来世と続いていきます。
この阿頼耶識が死んだ後も続いていく「私」の永遠の生命なのです。
ちょうど、とうとうと大きな河が流れているようなものです。
肉体は、その河の水面に、ぽっとできた泡のようなものです。
その泡は、しばらく流れてぽっと消えていきます。
泡ができようができまいが水の量は変わりません。
そしてまたぽっと泡ができてしばらく流れて消えていきます。
その大河が阿頼耶識だとすれば、肉体はあぶくのようものです。
そうやって、生まれては死に、生まれては死に、
輪廻転生を繰り返しているのが
私たちだと仏教では教えられています。
死んだ後、生まれ変わりを繰り返す6つの世界
では、どんな世界を生まれ変わり死に変わりしているのかといいますと、
お釈迦さまは『心地観経』にこのように説かれています。
有情、輪廻して六道に生まるること、なお、車輪の始終なきがごとし。
(漢文:有情輪迴生六道 猶如車輪無始終)(『心地観経』)
「有情」とは心のあるものということで、すべての生きとし生けるものです。
私たちも有情です。
私たちの永遠の生命は、車の輪が回るように、六道を生まれ変わり死に変わりしていると教えられています。
六道というのは、「道」とは世界のことですから、6つの世界です。
私たちが生まれ変わる世界は色々ありますが、大きく6つにカテゴライズした場合は、六道となります。
それが、地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の
6つの迷いの世界です。
その六道を、車の輪が回るように、
同じところをぐるぐるぐるぐる、
生まれ変わりを果てしなく繰り返しています。
ゴールはありません。
これを「六道輪廻」といわれます。
この6つは、いずれも迷いの世界ですから、
苦しみ迷いの旅を続けているということです。
では、死んだらどこに生まれるかは、
どのように決まるのでしょうか。
死んだらどうなるかが決まる法則
三世を貫いて死んだらどうなるか決まる法則があります。
それも、
「すべての結果には必ず原因がある」
という因果の道理です。
この因果の道理は、三世を貫いて成立しますから
「三世因果の道理」といわれます。
では、どうすれば死んだらどうなるか分かるかというと、お釈迦さまは、
「未来の果を知らんと欲すれば現在の因を見よ」
と教えられています。
「未来の果」とは、死んだらどうなるかです。
「現在の因」とは、「因」は業因ということですから、
今の行いです。
仏教では、今の行いを因として、死んだ後の結果が報います。
死ぬまでの行いによって、死後が決まるということです。
ですから、死んだらどうなるか知りたければ、
今どんな行いをしているか見れば分かる、
ということです。
「死んだらどうなるか」来世の診断表
では、六道はそれぞれどんな世界で、
どんな行いによって生まれるのでしょうか。
天上界
まず天上界は、六道の中では楽しみの多い世界です。
ここに生まれるたねまきは、十善を行ずることです。
「十善」とは、十悪の逆で、次の10の善い行いです。
つまり仏教で天上界というのは神の国ですので、神に生まれるような善い行いが必要です。
あなたは死んだら天上界に生まれられそうですか?
人間界
次に、天上界がダメだった人でも、
来世に再び人間界に生まれるには、「五戒」を保つ必要があります。
「五戒」とは、仏教で在家の人も守らないといけない次の5つのルールです。
ですから、虫を殺したり、牛や豚や鶏を食べたことがあるとアウトです。
いかがでしょうか?
修羅界
人間に生まれられない場合、それ以外の世界です。
修羅界とは、争い続けて苦しむ闘争の世界です。
修羅界に生まれるたねまきは、怒りと、自惚れと、疑いです。
大丈夫でしょうか?
畜生界
畜生界とは、犬や猫、鳥や魚、虫けらの世界です。
弱肉強食で、常に不安に怯えています。
畜生界に生まれるたねまきは、
ねたみや嫉妬、うらみなどの愚痴の心です。
また、恥知らずな者も畜生に生まれます。
餓鬼界
餓鬼界とは、飢えと渇きで苦しむ世界です。
餓鬼界に生まれるたねまきは、欲の心です。
ケチで布施の精神にとぼしく、
自分だけ得しようとすると、死ねば餓鬼界に生まれます。
地獄界
地獄界は最も苦しみの激しい世界です。
地獄へ堕ちるたねまきは、殺生罪です。
仏教では、すべての生命は同根であり、
上下はないと教えられています。
カブトムシやクワガタムシ、トンボや蝉、
蚊やハエなどの虫を殺したり、
魚屋さんや肉屋さんに殺してもらった
魚や牛や豚の肉を食べると、殺生罪です。
死ぬまでに1匹でも生き物を殺したら、
その報いによって、地獄に堕ちます。
さて、あなたはどの世界に生まれそうでしたか?
輪廻転生から離れる方法
今回は「死んだらどうなるか」について解説し、来世の診断チェックシートを紹介しました。
現在と死後の関係性を整理すると、死後は現在生きている私たちの心に大きな影響を与えていることが分かります。
ですから私たちは「死んだらどうなるか」について確信をもつ必要があるのです。
仏教では、因果の道理にもとづき、
人間は死後どうなるかを明らかにされています。
生き物を殺すなど、悪いことをしたら間違いなく因果応報で苦しみの世界へと行くことになるのです。
では、すでに生き物を殺してしまった場合には、
どうすればいいのでしょうか?
その場合は輪廻転生の原因自体を根本から断ち切ればよい
と教えられています。
輪廻転生の原因自体がなくなれば、輪廻転生という結果は起きません。
そして、死んだら浄土に生まれることができます。
それにはどうすればいいかということを教えられたのが、仏教です。
ですから仏教では、死ぬまでにたった1つやらねばならないことは、
仏教を聞いて輪廻転生の根本原因を断ち切ることだと教えられています。
では、その迷いの根本原因はどんなもので、
どうすれば断ち切れるのかということについては、
仏教の真髄ですので、電子書籍と無料メール講座にまとめておきました。
ぜひ一度見てみてください。
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この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか1人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。たまたまインターネットの技術を導入して爆発的に伝えられるようになり、日本仏教学院を設立。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと今も奮戦している。
仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者4千人、メルマガ読者5万人。X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。
著作
- 生きる意味109:5万部のベストセラー
- 不安が消えるたったひとつの方法(KADOKAWA出版)