「現代人の仏教教養講座」

 

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生きる意味を、知ろう。

信心とは?

信心」というと、どんな宗教でも重視されています。
それは神や仏を信じることです。
ところが、すべての人が持っていて、
幸せになるのを邪魔している信心があります。
信心とは一体どんなものなのでしょうか?

信心とは?

信心と聞いて思い出すのは宗教です。
辞書にはこう書いてあります。

しんじん 信心
神仏を信仰して祈念すること。また、その心。信仰心。「―が篤い」

もちろんこれも間違いではありません。
信心」という言葉もありますし、
キリスト教でも「を信じなさい」といわれます。
信心をいわない宗教はないといっても過言ではありません。

宗教といえば信心です。
その場合の信心とは、
自分ではどうにもならない苦しみを助けてもらうために、
神や仏など、その宗教で教えられる自分よりも大いなる存在を信じること

です。

ですから、普段は神も仏もない、無宗教の人でも、
受験のときや、仕事で苦しくなってきたときなど、
困ったときの頼み」で、
急ににお願いを始めます。

神や仏に「助けてください」と祈ったり、
頭を下げたり、供え物をしたりするとき、
前提となるのが信心ですから、
宗教では非常に重視されます。

そして、信心しているのに、
お金が儲からないとか、病気が治らない場合、
その理由は
信心が足りないからだ
といわれます。

これが、宗教でいわれる信心ですが、
現代人は、神や仏を信じないという人のほうが多いはずです。
そういう人は、信心は持っていないのでしょうか?
実は、何も神や仏を信じるばかりが信心ではありません。

実はすべての人がもっている信心があります。
そしてどんな信心を持っているかが、その人の幸せや不幸に重大な影響を及ぼしています。

神や仏を信じない人の信心

イワシの頭も信心から
といわれるように、
何の価値もないものでも、
その人が価値があると思って信じていれば、
それはその人の信心です。

人は何かを信じなければ生きていけません。
それは、何らかの文献が残っている時代ばかりではありません。
250万年前、人類の歴史が始まって以来、
人は何かを信じて生きてきたことが、
世界1200万部突破のべストセラー『サピエンス全史
でも論じられています。

信じるとは?

信じる」とは、言葉を変えれば、
あてにしたり、頼りにしているということです。
他にも、心の支えにしたり、
心の明かりにしたり、
生きがいや、
生きる希望にしているともいえます。

お金や財産

具体的に何を信じているかというと、
現代で一番多いのは、お金や財産です。
病気になったり事故にあったとき、
お金があれば安心です。
事業に失敗しても、あの土地を売れば何とかなる
と思うのは、
お金や財産を心の支えにしているのです。

地位や名誉

他にも、地位や名誉を信じている人もあります。
自分は会社で部長の役職についているとか、
誰にもできない実績を作ったことを心の支えとし、
誇りにしています。

友人や家族

また、親友や家族を信じている人もあります。
夫や妻、心の支えにしたり、
子供の成長を心の明かりとして生きています。

趣味やライフワーク

また、趣味を生きがいにしている人もありますし、
趣味でお金が入ってくると、ライフワークといわれます。
好きなことを仕事にするのがよりよい生き方とされ、
それを生きがいとし、生きる希望として生きています。

信じているときが幸せなとき

このように、お金や財産、地位・名誉、友人や家族、
趣味やライフワークを信じて生きています。
何をどの程度信じるかは、それぞれの価値観によって変わりますが、
たいていの人は、このようなものを信じ、心の支えとして、
生きる希望として生きています。

これらを信じられているときが、幸せなときです。
信心を持っているというのは、幸せなときなのです。

信じたものに裏切られると

ところが、信じていたものに裏切られると、
幸せが壊れますから、苦しんだり、悲しんだりします。

財布を落とすと、
あれ?ない!」と大騒ぎします。
詐欺にあって巨額のお金や財産を奪われたら、
いつまでも悔やみ続けます。

会社で部長だった人が課長に降格されたり、
役職が解任されたりすると、大きなショックを受けます。
失業して無職になると、定年退職でも寂しくなります。
地位や名誉に裏切られたからです。

病気や事故などのトラブルでも、
家族は助けてくれるだろうと思っていたのに、
意外と冷たく突き放されると、
怒ったり、悲しんだりします。
信じていた家族に裏切られたからです。

趣味やライフワークでも、
ケガや老化でできなくなります。
高校時代、バスケで全国レベルで活躍していた選手でも、
ある試合で靱帯が断裂して二度とバスケができなくなると、
一体何のためにここまで頑張ってきたのだろう
虚しい気持ちになります。

印象派の画家、ルノワールは、生涯を絵画に捧げましたが、
晩年はリュウマチで絵が描けなくなり、苦しみました。
ライフワークに裏切られたのです。

このように、私たちが苦しんだり、
悲しんだりするのは、信じていたものに裏切られたからです。

深く信じているほど苦しみが大きくなる

しかも、深く信じていればいるほど、
苦しみが大きくなります。

ただの友達に裏切られてさえも苦しいのに、
恋人に裏切られたり、失恋すると世界が終わったような、
大きなショックを受けます。
失恋によって自殺してしまう人があるほどの
大きな苦しみです。

それは、恋人を信じる心が深すぎたのです。

最近は、裏切られた苦しみの大きさも分かっています。
ノーベル賞を受賞したダニエル・カーネマンの
プロスペクト理論」によれば、
裏切られた苦しみの大きさは、信じたときの喜びの約2倍
だそうです。

1000円もらえると言っても、
あまり喜びませんが、
1000円失うとなると、
すごく拒絶するようなものです。
1000円失う苦しみの大きさは、
2000円もらう喜びと同じくらいなのです。

ですから、何でもかんでも信じればいいというものではありません。
裏切るものを信じていれば、やがて2倍の苦しみを
受けることになってしまいます。
幸せ生き方をするには、
決して裏切らないものを探して信じなければならないのです。

では、そんなものはあるのでしょうか?

裏切らない信心はある?

仏教では、いつでもどこでも変わらない真理として、
諸行無常しょぎょうむじょう」と教えられています。
諸行」とはすべてのもの
無常」とは、「常が無い」と書くように、続かないということです。
この世に続くものは一つもなく、すべて移り変わっていくのです。

諸行無常については、詳しくは以下の記事をご覧ください。
「諸行無常の響きあり」の意味と甚大な影響力

どんなものを信じても、必ず裏切られてしまうのです。

信じては裏切られての繰り返しの人生

ですから、私たちの人生は、
信じては裏切られての繰り返しになります。

私たちは、幸せになろうと思って、
お金や財産を求めたり、
地位や名誉を求めたり、
好きな人を求めたり、
趣味や生きがいを求めたりします。

努力の甲斐あって、
それらを手に入れたときは喜べるのですが、
諸行無常ですから、続きません。
必ず裏切られるときがやってきます。

裏切られたときには、
手に入れたときの喜びの
2倍の苦しみを味わうのです。

裏切られたままでは苦しいので、
次の心の支えを探して求め始めます。
それを生きる希望として、頑張るのです。

その結果、手に入れたときは、喜ぶのですが、
喜びは束の間で、やがて儚く消えていきます。

そしてまた新たなものを求め始めるのです。

このように、信じては裏切られ、
信じては裏切られを繰り返して、
終わって行くのが、私たちの人生です。
これを「流転輪廻るてんりんね」といいます。
流転」とは、流れ転がる、
輪廻」とは、車の輪が回るように
同じところをぐるぐる回るということです。

もし人生がこれだけだとすれば、
私たちは、死ぬまで苦しみ続けなければなりません。

一体どこに原因があったのでしょうか?

信心の構造

それを知るには、信心の構造を知らなければなりません。
信心が成立するためには、信じる対象が必要です。
仏や神、お金や財産、地位、名誉、友人や家族、趣味やライフワークなどです。
それと同時に、信じる対象を信じる心が必要です。
どんなに信じる対象があっても、信じていなければ信心にはなりません。
信じる心と信じる対象があってはじめて信心になります。

信心の構造
  • 信じる心→信じる対象

裏切られないためには、信じる対象も決して変わることのない真実でなければいけません。
それと同時に、自分の心も変わることのない真実でなければならない、ということです。

昔、中国の楚の国に愚かな人がいました。
揚子江で船に乗っている時に、剣を水に落としてしまいます。
驚いた愚人は、すぐに小刀で剣の落ちた船べりに、印をつけます。
そして、急いで船を岸に寄せて、船べりの印の部分から川に潜り、剣を探しますが、
剣は見つかりませんでした。

なぜなら剣が落ちている場所から、印が動いてしまっているからです。

これは秦の宰相、呂不韋りょふいが編集した『呂氏春秋』察今篇に出ている
刻舟求剣こくしゅうきゅうけん」という有名な話です。
高校の漢文で習った人もあるかもしれません。

ですが、この剣を信じる対象、船の印を信じる心にたとえれば、
この愚か者を笑えるでしょうか?

信じる心が変わってしまう

どんなに自分の決意は固いと思っている人も、心はどうしても変わります。
有名なサラリーマン川柳では、
プロポーズ あの日にかえって ことわりたい
というのがあります。

プロポーズの当時は好きだったのに、今では心が変わって嫌いになってしまったということです。

子供の頃は積み木や粘土で楽しんでいたのに、
大人になっても積み木や粘土が趣味という人はあまり見かけません。
趣味も変わってしまうのです。
マイブームになると、どんどん変わっていきます。

なぜ信じては裏切られての繰り返しになってしまうかというと、
信じる対象も無常なら、信じる心も無常です。
信心がこのような構造をしている限り、
このような信心で変わらない幸せになることはできないのです。

捨てるべき信心

それにもかかわらず、
お金が得られたら幸せになれる
愛情が得られたら幸せになれる
ライフワークに取り組んでいけば幸せになれる
やりたいことをやれば幸せになれる
など、
何かをしたり、手に入れれば幸せになれる
という心に変わらない幸せになれない根本的な原因があります。

現実には、好きなことをして、
お金や財産、地位、名誉を手に入れても、
幸せにはなれません。

実際に好きなことをして
お金と名誉を手に入れた人も言っています。

例えば、世界で最も魅力的な男と言われた
ハリウッドの俳優、ブラッド・ピットは、
非常に高額なギャラをとりますが、
こう言っています。

ブラッド・ピットブラッド・
ピット

アメリカの至上命令である
「金持ちになって有名になれ」では幸せにはなれない。

(ブラッド・ピット(出典:"Illuminati Healing and Developing the Mind"))

ビートルズのリーダー、
ジョン・レノンも、このように言っています。

ジョン・レノンジョン・
レノン

ビートルズは成功し、ツアーをやめ、欲しいだけの金や名声を手に入れ、最後に、自分たちは何も手にしていないことに気づいた。
(ジョン・レノン(出典:『ビートルズ オーラル・ヒストリー』))

これは、ビートルズは、欲しいだけの金を儲け、
好きなだけの名声を得て、そして何も無いことを知った、ということです。

未来永遠幸せとは無縁の自分の姿が分からずに、
臨終に夢のように消える無常のものに取り憑かれています。

そして期待しては裏切られ、信じては裏切られを繰り返し、
目の前に人参をぶら下げられた馬のように追いかけ続けます。

自分で何とかしたら何とかなれる
という自惚れ心がある間は、
車の輪が同じ所をぐるぐる回るように、
メリーゴーランドが同じところを回り続けるように
永久に迷い続けなければならないのです。

この「何とかすれば何とかなれる」という心が
私たちが幸せになるのを妨げている根元なのです。
ですから、この心を捨てよと仏教では教えられています。

真実の信心とは

では、真実の信心とはどんな信心なのでしょうか?

それは、心が変わり続けているにもかかわらず、変わらない信心です。
それは自分の心で作り上げることは不可能なので、頂くものです。

それはちょうど、水の上に天の月が映っていることにたとえられます。
天上の月がそのまま水の上に映っていますので、天上の月と水中の月の関係は、
天上の月がそのまま水中の月。
水中の月がそのまま天上の月。
二つであって一つです。

水というのは私たちの心です。
私たちの心は怒り愚痴などの煩悩ぼんのう一杯ですから、
この水は割合静かな時もありますが、
台風が来て暴れることもあります。

ですがどんなに暴れても、天上の月が変わらないから水中の月も変わりません。
水は動き続けているのですが、水中の月は絶対に流れません。
この水に映った月が真実の信心です。

崩れゆく信心は、このたとえなら、動き続ける水で作り上げようとする信心です。
水が流れれば流されますし、波が逆巻くとすぐに壊れます。
同じ信心といっても全く違います。

このような、諸行無常のままで絶対に変わらない真実の信心が仏教に教えられています。
この真実の信心は最初からあるものではなく、苦悩の根元を捨てなければ獲られません。
では、苦悩の根元とはどんな心で、
どうすれば捨てられるのでしょうか?

それについては仏教の真髄なので、
分かりやすく電子書籍とメール講座にまとめておきました。
一度目を通しておいてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか1人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。たまたまインターネットの技術を導入して爆発的に伝えられるようになり、日本仏教学院を設立。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと今も奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者4千人、メルマガ読者5万人。X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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