噂や陰口

あなたの周りに他人の噂ばかり言っている人はいませんか?
噂話のほとんどは陰口であり、つまり悪口です。
そんな噂や陰口にどう対応したらいいのでしょうか?

噂や陰口とは

噂というのは、本人のいないところで、
その人のことについて話をすることです。

上司からこんなことを言われた
あの人からこんなことを言われた
日頃の人間関係でストレスを受けますので、その人がいないところで悪く言います。

また、変わったことをしている人がいると、
あの人この間、こんなことをやっていたんだけど、信じられないよね
とお茶のついでに話題にし、笑いものにしてストレスを解消しようとします。

他にも、噂をしている人がいると、
あの人があなたのことをこう言っていたよ
と本人に教えてあげて、反応を見て楽しみます。

ですから噂話のほとんどは悪口です。
これを陰口といいます。

そして、噂話のほとんどは、本当かどうかも分かりません。

ウソであることもよくありますし、最初は事実であったことも、聞いた話に尾ひれをつけて伝えるため、本人に伝わる頃には、相当脚色され、誇張された大げさな話になっていることも、ままあります。

このような噂話について、お経には、このような話が伝えられています。

噂に一喜一憂する親子

農業を営む父と子が一日の仕事を終えて家に帰る途中、通りすがりの人がささやくのが聞こえます。

馬鹿な親子だな、二人で馬を引いて行くより、だれか一人、乗ってゆけば疲れないのに……

それを聞いた息子はなるほどと思い、父親を馬に乗せて手綱を引きます。
すると向こうから来た二人がすれ違いに、
かわいそうに、子供も疲れているだろう
とヒソヒソ話をしています。

それが聞こえた父親は、あわてて馬を下りて、遠慮する息子を馬に乗せて馬を引きます。

すると、今度は数名の人ががやがや話をしながらやってきて
あの息子は年老いた親父に馬を引かせて、自分が気楽に乗っている。何と親不孝な奴だろう
とあきれたように話しています。

それを聞いた2人は相談して、誰からも非難されないように、2人とも仲良く馬にまたがります。
ところが次の旅人から、
ひどい親子もあるものだ。
あんな小さな馬に大の男が二人も乗って、何という無茶な奴らだろう

という声を耳にします。

そして相談の末、最後は2人で馬をかついで歩き、周りの人々から大笑いされた、と伝えられています。

噂にならないためには?

同じことをブッダは『法句経』にこう説かれています。
人は黙して坐するをそしり、多く語るをそしり、また少し語るをそしる。
およそこの世にそしりを受けざるはなし

(『法句経』227)

黙っていれば「何黙ってるんだ」とののしられ、たくさんしゃべれば「しゃべりすぎだ」とうるさがられ、少ししか話さないと「思ったより無口ですね」と悪く言われます。
結局、何をしてもそしられるということです。

他人の意見に、静かに耳を傾ける心の広さも必要ですが、他人の噂や陰口に一喜一憂していては、何もできないということです。

逆に、噂話や陰口にまったく動じなかった僧侶の逸話も伝えられています。

白隠と酒屋の娘

江戸時代、白隠という禅宗僧侶がいました。
あるとき、門前の酒屋の看板娘と評判の美少女が、未婚なのに子供ができたのです。
封建時代の当時、そんなことをしては大変です。
だんだん目立ってくるにつれて、噂はたちまち世間に広まり、父親は娘を強く責めました。

本当の事を告白すれば大変だと思った娘は、生き仏といわれている白隠さんの子供だと言えば、なんとか事は穏便に収まるだろうと、苦し紛れに、そっと母親に
実は、白隠さんのお種です
と打ち明けたました。

それを聞いた父親は激昂して、
やいやいやい、白隠いるか!
土足のままへ暴れ込み、悪口の限りを尽くします。

それでも怒りは収まらず、慰謝料と子供の養育費を請求しました。

ところが白隠は、
ああ、そうであったか
といいながら、若干のお金を渡したのです。

まさか白隠さんにそんなことはあるまいと、それまで信じていた人たちも、とんでもないニセ坊主であったかと、
白隠が慰謝料を払った
という噂はパッとそこら中に広まります。

ところが白隠は、聞くに耐えない世間の悪い噂にも、
謗る者をして謗らしめよ、言う者をして言わしめよ。
言うことは他のことである。受ける受けざるは我のことである

と、少しも心にとどめません。
この考え方は、後のアドラー心理学に通じるところがあります。

思いもよらぬ展開と世間の反響に苦しくなった酒屋の娘は、ついに本当のことを親に白状せずにいられなくなりました。

真相を知った親は二度びっくり。
白隠さん白隠さん、申し訳ない……
娘を引きずってへ行き、平身低頭、土下座して、重ね重ねの無礼をわびました。

白隠は、その時も
ああ、そうであったか
とうなづいただけだったといいます。

真面目に平和に暮らしていても、時として、根も葉もない噂や悪口に驚き、悩み、苦しみ、腹が立つことがあります。

しかしそんなことに一喜一憂する必要はありません。
お釈迦さまは、このように説かれています。
花の香は風に逆らっては流れない。
しかし、善き人の香は、風に逆らっても世に流れる

(『法句経』54)

事実は、時間はかかっても世の中にだんだん伝わっていきます。
そして、やがて時の流れが洗い出す事実は、名人の打つ太鼓のように遠く世に響くのです。

ところが問題は、自分が誰かの噂話をしていないかということです。

噂や陰口を仏教では両舌という

噂や陰口を、仏教では「両舌(りょうぜつ)」といいます。
人間の色々なを10にまとめられた十悪の一つに数えられます。

両舌」とは、「離間語」ともいわれて、仲のいい2人の間をさいて、仲が悪くなるようなことを言うことです。

雑阿含経』にはこのように教えられています。

これを伝えて彼に向かい、彼を伝えてこれに向かう、遞(たがい)に相破壊し、和合する者を離れしめ、離れば歓喜す。
これを両舌と名づく
」(『雑阿含経』)

AさんとBさんが大変仲良しだと、あれを一つ仲悪くさせてやりたい、間へ水をさして離れさせてやりたいという心が出てきます。

他人が仲良くしているとねたましく嫉妬の心が起きるのです。

あの人たちの仲を悪くさせたいと思ってAさんに、
ちょっとちょっと、Bさんあなたのことね、ここだけの秘密と言って、こんなこと言ってたよ

え?Bさんそんなこと言ってたの?
 人は分からないものだね。私仲良くしていたのに

次の日、Bさんの所へ行って、
びっくりしたよ。あなたAさんと仲良くしてるでしょ、
あなたのことひどいこと言ってたよ

えーAさんそんなこといってたの?
人というのは分からないものだね

こうして二人の仲にひびが入ります。

次の日、AさんとBさんが会ってみると、確かに今までと様子が違います。
こうしてだんたん疎遠になってAとBは仲違いします。
それを高台から眺めて、
しめしめうまくいった
と思います。
これを「両舌」といいます。

仲のいいAさんとBさんに、まるきり違ったことを言って仲を裂きますから「離間語(りかんご)」ともいいます。
二枚舌」ともいいます。

ここで気をつけないといけないのは、たいていの噂話は、悪口なので、両舌が始まっているということです。
その場にいない人の話題を出すときは気をつけなければなりません。

ではどうすればいいのでしょうか?

必ず人から好かれる方法

何かひどいことをされたからといって、
あんなことをされた、こんなことをされた
と言いふらして歩くと、必ず嫌われます。

嫌われたいと思ったら、噂話をすれば、嫌われます。

逆に、できるだけ他人の長所を発見してほめるようにすると好かれます。

本人のいないところでも、その人のいいところを言うと、やはり本人の耳に入って好かれます。

例えば姑さんなら、お隣の姑さんの所へ行きます。
そして、
うちの嫁はいい嫁で、掃除洗濯、何でも私の言うことははいはい言ってくれるんですよ
とお嫁さんのことほめます。

これは、必ずまわりまわってお嫁さんの耳に入ります。
するとお嫁さんは、1回で好きになります。

私は一回もそんなことしてないのに、おかあさんが、私のことほめてほめてほめまくっている。お母さんがほめてくれる半分でもしなかったら申し訳ない
と家庭内の人間関係もひっくり返ります。

これは誰でもわかる簡単なことですが、問題は、実行するかどうかです。

そして、今までのような噂話をしないように、できるだけ他人をほめるように心がけると、自分が普段どれだけ陰で悪口ばかり言っているか、今まで気づかなかった自分の姿が知らされて来ます。

自分が幸せになるには、自分自身を知らなければなりません。
仏教を聞き、本当の自分の姿が知らされたとき、本当の幸せになれるのです。

それでお釈迦さまは、このように悪い行いを戒めて、善い行いを勧められ、導いておられるのです。

ではどうすれば、本当の幸せになれるのかについては、仏教の真髄ですので、メール講座と小冊子にまとめてあります。
一度目を通しておいてください。

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