鬼とは?
鬼(地獄の獄卒)
「鬼」は現代でも色々なところに出没します。
例えば「鬼教官」とか「鬼検事」というと、無慈悲で怖い教官や検事です。
「鬼嫁」は、わがままで怖い嫁のことです。
「仕事の鬼」なら、仕事一つに打ち込んでいる人です。
「鬼のような」攻撃といえば、強烈で容赦のない攻撃です。
昆虫でも、「オニヤンマ」という日本最大のトンボがいます。
このように、日常の様々な場面に入り込んでいる、「鬼」とは一体何なのでしょうか?
特に仏教における鬼の正体を解明します。
鬼とは?
まず、鬼について参考までに辞書を見てみましょう。
鬼
おに
死者の霊を一般に<鬼>という。
中国では古来、心思を司る<魂>は昇天して<神>となり、肉体を主宰する<魄>は地上にとどまって<鬼>となるとするが、<鬼>字は人屍の風化した姿から成立し、「鬼は先祖を祭るなり」〔広雅釈天〕とあるように亡霊をいう。
人の認識を超えて、人に働きかけてくる超人間的作用のうちの忌避すべき観念につらなる。
漢字部首の<鬼>は死霊およびその作用を総括する。
インドの死者の霊preta、peta(逝きし者)を訳して、<鬼><餓鬼>というが、仏教流入によって輪廻転生する鬼、供養をうける亡霊の観念が生じた。
餓鬼は死霊が飢えて供養を待つと考えたからであり、鬼界は霊魂輪廻の一界すなわち六道の一つに数えられる。
六朝志怪小説中には鬼の廻向成仏譚や鬼王の娘が八関斎(八斎戒)をうけるなどの例がみられる。
唐代以降では十王思想の展開と共に太山府君を中心とする冥界の陰府が成立し、大都市の城隍神、地方の土地神が鬼を治めるとされた。
生前に鬼界で優位を占めるための逆修などが行われるに至り、あの世は現世の反転した世界であり、鬼はあの世の人間と考えられた。
また、夜叉・羅刹など人に危害を加える凶暴な精霊や、牛頭・馬頭、青鬼・赤鬼などの地獄の獄卒もすべて悪鬼の一種である。(引用:『岩波仏教辞典』第三版)
鬼は日本の昔話にも多くでてきており、馴染み深いと思います。
一般的に有名な鬼を紹介し、鬼の正体にせまりつつ、
仏教で言われる鬼についてわかりやすく解説します。
昔話に出てくる鬼
「鬼」といえば、3才の子供でも知っていますが、それは昔話によく出てくるからです。
妖怪としての鬼、悪霊としての鬼などが物語の中で登場しています。
日本人なら、小さいときから、こんな昔話に親しんできたはずです。
桃太郎
「桃太郎」に出てくる鬼は、鬼ヶ島に住んでいて、あちこちで乱暴を働き、略奪を繰り返しています。
そのため、桃太郎に退治されてしまい、今まで蓄えていた宝を持ち帰られてしまいます。
一寸法師
「一寸法師」に出てくる鬼は、身長3センチの一寸法師を飲み込んでしまい、腹の中で針を刺されて降参し、落としてしまった「打ち出の小槌」で一寸法師は大きくなることができます。
こぶとりじいさん
「こぶとりじいさん」では、鬼たちが夜中に宴会をしていると、大きなこぶをつけた正直じいさんが木のほらに隠れているのを見つけます。
踊りを踊らせると、大変上手だったので、こぶをとってあげます。
次の夜、宴会をしていると、こぶとりじいさんをうらやましく思ったずるいじいさんが隠れています。
踊りを踊らせると下手だったので、昨日とったこぶもつけてやるという話です。
鬼婆
他にも旅人を騙して宿泊させ、殺して食べてしまう鬼婆の「やまんば」など、色々な鬼が昔話にでてきます。
節分で追い払われる鬼
他の有名な鬼は、節分で「鬼は外」と追い払われる鬼です。
これはもともと平安時代から宮中の年中行事になっている
「追儺」とか「鬼やらい」といわれるものがもとになっているといわれます。
この鬼は、人間の心にひそむ怨みや憎しみです。
例えば『源氏物語』に出てくるある女性は、ふだんは教養もあり知的で冷静ですが、光源氏の浮気に激しい嫉妬心を燃やして、ついに鬼となります。
そして、光源氏の正妻の葵上にとりついて命を奪います。
さらに、光源氏から愛された夕顔も殺します。
この女の嫉妬心、怨み呪いの執念が鬼となったのです。
このことから「鬼ごっこ」というのも、
「鬼さんこちら、手のなるほうへ」
と言われて、鬼が追いかけてきます。
そして鬼につかまった人も鬼になってしまうのです。
このような、節分や鬼ごっこの鬼は、どこまでも追いかける人間の怨念や執念を表したものとなっています。
他にも、平安時代の京都付近に現れたとされる「酒呑童子」、こちらも京都で暴れまわり、酒天童子の家来とされる茨木童子、鬼一口といわれる逸話の伊勢物語に登場する鬼、西日本の海岸沿い、浜辺で悪さをする牛鬼など、いろいろな鬼の伝説が存在します。
現在の鬼はどこから来たのか
ところが、これらの日本の鬼は、もとは形がありませんでした。
目に見えない「隠形」の隠が、オニに変化したという説もあるほどです。
中国の鬼は、死んだ人の魂のことで、これも形がありません。
ところが現在の鬼のイメージは、赤鬼や青鬼、頭に角が生えていて、耳までさけた口から牙が生えています。
虎の皮のふんどしをはいて、金棒を持っているイメージが浮かびます。
この現在イメージされる鬼は、日本古来のものでも中国のものでもなく、仏教が元になっています。
仏教の鬼
仏教では、六道の中の餓鬼道の衆生も鬼といわれますが、現在のイメージの鬼は、地獄の獄卒です。
地獄については、こちらの記事をご覧ください。
➾地獄とは?種類と階層(八大地獄)と苦しみについて
地獄の獄卒というのは、六道の中でも最も苦しみの激しい世界である地獄を牢獄にたとえて、罪を犯した囚人を管理する係です。
『往生要集』では、牛頭・馬頭という、牛の頭をした鬼、馬の頭をした鬼や、羅刹という鬼が地獄の獄卒として描かれています。
生きているときに殺生罪を造り、等活地獄に堕ちた囚人を金棒で打ちのめしたり、刀で魚をさばくように切り裂きます。
さらに、泥棒などの偸盗罪も造って黒縄地獄に落ちた罪人に対して、獄卒の鬼は熱い鉄の縄で罪人の身体に線をつけ、それにしたがって、斧やのこぎりで切り刻みます。
それに加えて不倫などの邪淫の罪を造って衆合地獄に落ちた囚人に対しては、両側から迫ってきて押しつぶす苦しい場所へ追い立てたり、火をふく刀で罪人を切り刻みます。
そして、「これは他人の造った悪の報いではなく、まさしく自業自得であるぞ」と叱りつけ、責め立てます。
さらにお酒を飲んで、叫喚地獄に落ちた罪人に対して獄卒の鬼は、火の中に入れたり出したりします。
さらに嘘をついて、大叫喚地獄に落ちた罪人に獄卒の鬼は、
「周りの火はお前の言った嘘だ。嘘は火のように人を焼く」
と言って舌を抜きます。
このように、地獄で罪人を苦しめるのが仏教に説かれる鬼です。
このような地獄の鬼たちは、一体何を表しているのでしょうか?
地獄の獄卒の鬼の意味
鬼は、地下何万メートルに地獄があって、そこに住んでいる生き物ということではありません。
地獄に堕ちるというのは、空間的に落ちるのではなく、苦しい状態におちいる、ということです。
受験地獄や借金地獄といえば、自分が生みだした苦しい状態です。
赤鬼や青鬼、黒鬼というのは、たとえです。
何をたとえられているかというと、青鬼というのは、どこまでも浸していく水の色で限りない欲の心を表しています。
赤鬼は、燃え盛る火の色で、カーッと燃え上がる怒りの心を表しています。
黒鬼は、腹黒いといわれるように、怨みやねたみの醜い愚痴の心を表しています。
地獄という境涯は、私の欲や怒りや愚痴の心が作り出したもので、それらの心をたとえた鬼たちが、自らを責め立てる、苦しみの世界ということです。
鬼はどこに住んでいるの?
お釈迦さまは、お亡くなりになる時、
「仏教は法鏡である」
と『長阿含経』遊行経に説かれています。
法鏡とは真実の鏡ということで、真実の自己を照らし出す鏡のようなものが仏教だ、ということです。
仏教を聞くと、今まで知らなかった自分の姿が知らされてきます。
まだ仏教を聞いていないときは、自分の心の中に何か美しいものがあるように思っています。
ところが仏教を聞いていきますと、今まで知らなかった、欲や怒りや愚痴の心が知らされて来ます。
そして、私たちの心の奥底はどうなっているかというと、こういう歌があります。
みな人の 心の底の奥の院
探してみれば 本尊は鬼
「奥の院」とは、普段人には見せない所です。
私たちの心の奥底を、建物の奥の院にたとえられています。
「奥の院」といえば、お寺でいえば本堂ですから、安置されているのは本尊です。
尊いものが安置されているものと思います。
ところが仏教を聞いて、私たちの心の奥底が知らされてみると、私たちの心の奥底に住んでいるのは、鬼だった、ということです。
「おに」というのは、「遠仁」とも書きます。
「仁に遠い」ということです。
「仁」とは、人のことで、人としてあるべき慈悲の心です。
ところが、その慈悲の心から遠い、無慈悲なものが「遠仁」です。
自分さえよければ他人はどうなってもかまわない我利我利亡者です。
仏教を聞いて行くと知らされてくるのは、自分の心の中に住んでいる鬼なのです。
鬼が仏になる方法
今回の記事では、昔話や節分の鬼について紹介しながら、鬼の正体・鬼の由来について解説しました。
中国や日本にも昔からたくさんの鬼がいますが、もともとは姿かたちがないもので、死んだ魂をオニと言っていました。
それが現在のイメージになったのは、仏教の地獄の獄卒に由来します。
地獄の獄卒を理解するには、地獄について理解する必要があります。
地獄とはこの世界のどこかにあるのではなく、私たち心の心が生み出した苦しみの世界です。
そして地獄の獄卒は、私たちの欲や怒りや愚痴などの煩悩によって作って苦しみを責め立てるたとえであり、鬼は私たちの心に住んでいるのです。
ところが仏教には、その「鬼が仏になる方法」が教えられています。
鬼が仏になるにはどうすればいいかということは、仏教の真髄ですので、電子書籍とメール講座にまとめておきました。
一度目を通しておいてください。
関連記事
この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか1人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。たまたまインターネットの技術を導入して爆発的に伝えられるようになり、日本仏教学院を設立。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと今も奮戦している。
仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者4千人、メルマガ読者5万人。X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。
著作
- 生きる意味109:5万部のベストセラー
- 不安が消えるたったひとつの方法(KADOKAWA出版)