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生きる意味を、知ろう。

病苦とは?

病苦」とは、病の苦しみです。
いつの時代、どこの国でも、人として生きる限り、病気は避けられません。
今日のように医学が発達しても不可能です。
お釈迦様は、人生で避けることのできない四苦八苦の1つとして教えられています。
一体なぜ仏教では病苦を教えられているのでしょうか?

病苦の意味

病苦とは、病の苦しみです。
病苦」について辞典を見てみると、このような意味が出てきます。

1 仏語。四苦、あるいは八苦の一つ。衆生の病気の苦しみ。
2 病気で苦しむこと。病気の苦痛。

これを見ると、仏教で教えられる意味も、世間で使われる意味も、大体同じです。
仏教では、人として生まれたからには避けることのできない苦しみを
四苦八苦で教えられています。
四苦とは、生苦老苦、病苦、死苦の4つの苦しみです。
八苦とは、四苦に愛別離苦怨憎会苦求不得苦五陰盛苦の4つを加えて、
合わせて八苦といいます。
その3番目に教えられているのが病苦です。

肉体は病の器」といわれるように、100%健康という人はほとんどないのではないでしょうか。
何かしら持病があったり、悪いところがあります。
昔はすべての病気を「四百四病」といわれましたが、これは仏教から来た言葉です。
昔は、人間の体は地水火風の四大しだいでできているとされていて、
それぞれに百一の病があるので、4×101で四百四病ある、
と『五王経』に説かれています。
ですが、今では何万もの病があります。

その中で、どの病気が苦しいのかというと、
虫歯になった人は虫歯が一番つらい、
インフルエンザにかかった人は、インフルエンザが一番つらい、
腰痛になった人は腰痛が一番苦しいと
甲乙つけがたいので、「」という字はやまいだれに「」と書くといわれます。
誰しも自分のかかった病気が一番苦しいと思うのです。

いつの時代、どこの国の人も避けられない

そんな病気には誰しもなりたくありませんが、
いつ病気になるか分からないのが、すべての人間です。
人間に生まれたからには、いつの時代、どこの国でも病は避けられません。
どんなにお金があっても、財産があっても、天下をとっても避けられません。
藤原道長も、豊臣秀吉も、スティーブ・ジョブズも、みんな病気になっています。
むしろ男性なら有能な人、女性は美しい人ほど、
若くして病気になりやすいといわれます。

たとえ今、病気ではないからといって、ずっと病気にならない保証はありません。
長い間医者にかかったことがない人ほど、大病を患うといわれます。
すでに病にかかっているのに、気づいていないだけというのは尚更危険です。
発見が遅れると手遅れになる病もたくさんあります。

そして、健康な時は病苦を忘れがちです。

健康な時は忘れがち(須く常に病苦の時を思うべし)

あるうちは 当たり前と 思っているが
  別れてみて泣く 時がある

という歌があります。

親でも健康でも、あるうちはその幸せに気づきません。
病気になって初めて、健康の有り難みがよく分かります。
ですが病気になっも、治ればだんだん忘れてしまいます。
そして手に入れたものは、あるのが当然になって
喜ばなくなってしまうのです。

江戸時代の薬学者、貝原益軒かいばらえきけんは、
病癒ゆれば、多く慎みを忘る。すべからく常に病苦の時を思うべし」(慎思録しんしろく
と言っています。
病気になれば、誰しも厳重に健康管理をしますが、
病気が治ると、その苦しさを忘れて、すぐに不摂生になってしまうから、
できるだけいつも病苦の時を思いなさい、ということです。

ですが、どんなに健康管理をしていても、諸行無常です。
まだ健康なうちに、病苦の時を思って、
健康に感謝することが大切です。

病苦とは

病苦」とは病の苦しみです。
阿含経』の教えをまとめられている『大毘婆沙論だいびばしゃろん』にはこう説かれています。

病はよく可愛・安適を損壊そんえす。
故に病苦と名づく。

(漢文:病能損壊可愛安適故名病苦)

可愛」とは望ましい、心にかなうことです。
安適」は安らかで快適なことです。
病は、望ましいことや快適なことを壊してなくしてしまう。だから病苦という
と教えられています。

病気が何を壊してしまうのかというと、
大きく分けると、身体と心と人間関係の3つになります。

身体の苦しみ

病は身体を蝕みます。
肉体面の病苦としては、まず熱が出て色々なところが痛みます。
腹痛でも頭痛でも節々の痛みでも、身体のどこかに痛みがあると、食欲もなくなってきます。
食欲は生命維持に関わるかなり強い欲望ですが、それを凌ぐ苦しみです。

気持ち悪くなって、めまいがすると歩くのも大変ですし、吐き気なども辛いものです。
鼻水が出て、声も鼻声になります。
咳が止まらず、筋肉を使い過ぎて筋肉痛になることもあります。

何とか病院へ行って薬を処方されても飲むのが面倒です。
副作用で余計辛くなることもあります。
身体がだるかったり重い感じがしたりすると、仕事も勉強も手につきません。
すべてがストップして、身体を治すのが最優先になります。

そして、病気が重くて手術になったら、また大変です。
外科手術は麻酔をしても痛かったり、麻酔が切れた後痛くなったりします。
さらに昔は、蓄膿症は麻酔なしで手術したそうです。
蓄膿症の手術のリアルな体験談は以下の記事をご覧ください。
なぜ死ぬのが怖いのか、本当の理由と対処法

そして手術後も、1日中横になって、ただただ身体の痛みと闘うことになります。

このように、病は身体の健康を壊して色々な苦しみを引き起こします。
ですが、これはまだ病苦のごく一部です。
身体が辛いと、心にも色々の不調を引き起こすことになります。

心の苦しみ

病は心も蝕みます。
そもそも自分が病気だと思っただけで、気分が落ち込みます。
しかも、その病気が深刻であればあるほど、心理的ダメージも大きくなります。

また、病気の診断のための検査で嫌な思いをすることもあります。
風邪のように簡単に診断がつくような病気であれば、検査も必要ないかもしれませんが、
インフルエンザとかでも、鼻の中に棒状のものを入れられて、
少し痛みもあったりして、嫌な感じがします。
CTやMRIなどの画像検査であれば、放射線を被曝することに加え、
MRIは狭い筒状の機械の中に20分から30分ほど、じっとしていなければならず、
大きな音や振動にも耐えなければなりません。

そして検査が終わった後、その結果を聞くまでの間は、気になって仕方がなく
生きた心地がしないという人もあります。
サラリーマン川柳には、こう読まれています。
検診の 結果が気になり 胃潰瘍
検査結果を聞く不安がストレスになって、それがまた病を引き起こすのです。

いよいよ診断を聞いた時も、自分が病気だと言われて気分のいい人はありません。
サラリーマン川柳には、こういう人もいます。
結果見て 体調くずす 人間ドック
人間のメンタルは強いようで案外弱いので、
深刻な病気を宣告されると、大きなショックを受けるのです。

また、病気になると食事制限を受けたり、行動の制限を受けることもあります。
自分の好きなものが食べられないとか、やりたいことができないというのは
相当なストレスです。
サラリーマン川柳では、こう詠われています。
ドクターが ダメというもの 全部好き
高血圧なら、塩分は1日6g以下、アルコールは20ml以下、もちろん禁煙です。
糖尿病ならカロリー制限と、脂質が控えめです。
美味しそうなものばかりが食べられなくなり、大変なストレスです。

それだけではなく、通院や薬、先進医療などによって、
多額のお金も必要になってきます。
しかも、それがいつまで続くのか分からないということが
さらに不安をかき立て、病気の苦しみを大きくしていくのです。

人間関係の苦しみ

病気は人間関係も破壊します。
サラリーマン川柳では、こういう歌が優勝したことがあります。
会社へは 来るなと上司 行けと妻
感染症が広まらないように、一斉にリモートワークになった頃の歌なので、
この人は病気ではなかったかもしれませんが、
実際感染症になっても、これと同じようにたらい回しにあいます。
会社では「うつるからあまり近づくな」と嫌がられ、
家族からも「うつさないで」と嫌がられます。
うつる病気になると、みんなから嫌われて孤独になります。

通院することになると、
場合によっては職場の人にも話さなければならなくなります。
時には、自分の仕事を代わってもらったりして、
肩身が狭い感じがすることもあるかもしれません。

その上、病気のことで気を遣われ過ぎても、それはそれで大変ですし、
全く気にも留められないと、何だか寂しい感じもします。
周りに迷惑をかけないようにと先回りをして思いを巡らせ、
普通は気にしなくてもいいようなことまで考えたりして気苦労が絶えず、
人間関係が難しくなります。

さらに入院が必要になれば、
病院で決められたスケジュールで生活することになります。
食事も決まった時間に運ばれてきた量を頂くことになるので、
さほどお腹が空いていなくても食事が運ばれてきますし、
それとは逆に量が足りないこともあるかもしれません。
個室ではない限り、トイレや洗面所なども共用ですし、
ベッド周辺はカーテンで仕切られているだけなので、
プライバシーもあるのかないのか分かりません。
お風呂も好きな時間に入れなかったり、入浴時間も制限されます。
面会時間は限られているものの、
家族が見舞いに来てくれれば少しは心が和みますが、
家族に負担をかけるのが心の重荷になりますし、
誰も来てくれないとなると、孤独を感じます。
病気によって人間関係も壊されて、孤独な苦しみを受けるのです。
これも病苦の一つです。

挙げればキリがありませんが、一口に病苦と言っても、
このような様々な苦しみがあります。
そのため、病気になった時に気をつけなければならないことがあります。

病気の時は新興宗教に注意

病苦にあった時、気をつけなければならないことがあります。
それは、健康な時には絶対にしないような行動をしてしまうことです。

中国の高僧、曇鸞大師どんらんだいしがそうでした。
曇鸞大師は、当時の梁の皇帝が「菩薩」と礼拝していたほど学徳兼備の高僧です。
また、日本で最大宗派の浄土真宗の祖師、親鸞聖人が
」の一字をもらうほど尊敬されています。
その曇鸞大師は、はじめは四論宗の学問に打ち込みました。
四論宗は龍樹菩薩の『中論』、『十二門論』、『大智度論』と、
龍樹菩薩の弟子の『百論』に基づく宗派です。
縁起によってくうを明らかにされている非常に高度な内容です。

その研究に打ち込んでおられた時、病気になってしまいました。
病気になると人間は気が弱くなります。
もう死ぬのではなかろうか
という死の恐怖に苛まれ、
死んでしまったら、どんなに学問をやっても無駄ではないか
と絶望的な気持ちになりました。

人間は病気になった時、心が不安定になって迷いやすくなります。
世間に色々な新興宗教がありますが、大体病気が治るといいます。
何かを信じたら病気が治るとか、
高額の壺を買えば病気が治るといいます。
普段は笑い飛ばして病院へ行く人でも、
現代医学でどうにもならないとなると、
もしかしたら治るのではないか」と新興宗教にすがるのです。
シロウトが聞いても馬鹿馬鹿しいことに、博士でも科学者でも迷います。
理屈ではありません。
溺れる者は藁をもつかむ」という心境です。
頭の良さは関係ありません。
案の定、すがったまま沈みます。

曇鸞大師ほどの方でもそうでした。
命あっての物種と、まずは仏教よりも病気を治すことだと、
陶弘景とうこうけいに弟子入りして、不老不死の仙人の法を学び始めます。
曇鸞は非常に頭が良く、優れた人なので、陶弘景のもとでもすぐに頭角を現し、
わずか3年間で免許皆伝を受けました。
そして陶弘景の書いた『衆醮儀しゅしょうぎ』10巻をもらって、
これは最高の教えだ。みんなに教えてあげないといけない
と意気揚々と引き上げてきます。

ところがその途中、洛陽の都に、三蔵法師菩提ぼだい流支るしが来て
次々と新しいお経を翻訳していることを知りました。
そこで曇鸞は菩提流支に会いに行き、得意そうに言います。
私は四論宗の研究をしていたんだが、病気になってしまい、
まず長生きしなければならないことに気づいて、仙人の術を体得したところだ

すると菩提流支は、大地にぱーっとツバを吐いて、
何という情けない奴だ。全然仏教が分かっていないな
と吐き捨てるように言います。
驚いた曇鸞が、
では菩提流支よ、仏教に長生きできる教えがあるのか?
と尋ねると、
本当に何も分かっていないんだな
と菩提流支が差し出したのが『観無量寿経』でした。
曇鸞が受け取ると、無量寿をる経と書いてあります。
不老不死の法といっても、死ななくなるわけではなかろう。
せいぜい10年か20年長生きするだけだ。
しかし仏教は、10年や20年長生きさせる位のけちな教えではない。
永遠の命を与える教えが仏教だ。
そんなことも知らずに仏教を学んでいたのか

菩提流支がこんこんと仏教の話をすると、曇鸞は
そういう教えが仏教だったのかー、私は間違っていたー
懺悔して、今もらってきたばかりの『衆醮儀』を全部焼き捨てたといいます。
そして真実の仏教を求め、永遠の幸せの身になって、
後世にも仏教史上燦然と輝く功績を残したのでした。

病気になった時、気をつけなければならないのは新興宗教です。
これを信じれば病気が治るといわれても、
たいていはインチキで何の効果もありません。
百歩譲って、たとえ病気が治ったとしても、
死ななくなるわけではありません。
やがてまた何かの病気になります。
いくら病気を治しても、解決にはならないのです。

病苦の本質

病苦がなぜ苦しいのかというと、前に挙げた身体的な苦痛や心のストレス、孤独感だけではありません。
一番の苦しみは、実は病気によって死ぬことです。
死の恐怖に比べれば、肉体の苦痛や、人間関係など、ほんの些細な問題です。
もしあなたが、風邪か、ガンのどちらか1つにかからなければならないとしたら、
どちらを選ぶでしょうか?

ここで注意しなければならないのは、ガンよりも風邪のほうが苦しいことです。
ガンはかかっても自覚がありませんが、風邪は熱が出てぐったりし、鼻水や咳が出て、食欲も気力もなくなります。
仕事ができないのはもちろん、人にうつるのでみんなから嫌われます。
ガンは症状は出ないので、痛くもかゆくもなく、仕事もできますし、
うつらないので人間関係も壊れません。
さあ、どちらがいいですか?

たいていは、風邪だと思います。
なぜかというと、風邪ならしばらくすれば治りそうですが、
ガンは放っておくと死ぬからです。
絶対かかりたくないのは、死ぬ確率の高い病気です。
ガンとか、心筋梗塞のような心臓の病気、
くも膜下出血や脳梗塞というような脳の病気が怖いのです。

それ以外の病気でも「病は死のたより」といわれるように、
体力を消耗して老け込んだり、死が近づいてきます。
そして、日本人の死因の3分の2は病気です。
自殺する人も、その多くは病苦によるものです。

病の後に死が来ることを、お釈迦様は、
兵士が来た後に王が来るようなものだ
と『涅槃経』にたとえられています。
病は死王の先兵なのです。

お釈迦様がなぜ病苦を説かれているかというと、
人は病にかかり、やがて死んでいかなければならないという
死の大問題に気づかせるためなのです。

スピリチュアルペイン

病気になり、もう治る見込みのない末期の状態になると、
ある大きな疑問が起きてくることが知られています。
それは、「自分は何のために生まれてきたのだろう
という生きる意味の疑問です。
これを「スピリチュアルペイン」といわれます。
これは、心の苦しみですが、医学ではなくすことができません。

いよいよ人生が終わるという時にさしかかって、
自分の人生を振り返り、
自分の人生は何だったのか
人は一体なんのために生きるのか
という問いに直面するのです。
そして、答えは見い出せません。

もし仮にこの病苦と闘い、生きながらえたとしても、
延びた命で何をするのか。
やがて必ず死ぬのになぜ生きるのか。
そういう生きる意味が問われ続けます。
この答えが分からないのは、
死んだらどうなるか分からない、死の大問題を抱えているからです。

病苦を抱えても生きる意味

私たちは、苦しむために生まれてきたわけではありません。
苦しむために生きているのでもありません。
お釈迦様は、病苦を教え、死の大問題を知らせ、
それを解決した本当の幸せへ導こうとされているのです。
その本当の幸せになることが、人間に生まれた目的であり、
本当の生きる目的なのです。
そしてお釈迦様は「人生は苦しいものだが、
人界受生にんがいじゅしょうの目的を果たすまで、あきらめてはならない。
命のある間に必ず本当の幸せになりなさい

と教えられています。

仏教で説かれる幸せは、すぐに色あせる一時的な幸せではなく、
決して崩れることのない、変わらない幸せです。
その幸せは、老いや病や死、どんなことがあっても壊れない、想像を超えた幸せです。

では、そんな変わらない幸せになるには、どうすればいいのでしょうか。
それには苦しみの根本原因を知り、断ち切る必要があります。

その苦しみの根元とは何か、どうすれば断ち切ることができるのか、
ということについては、仏教の真髄ですので、
以下のメール講座と電子書籍にまとめました。
ぜひ一度読んでみてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか1人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。たまたまインターネットの技術を導入して爆発的に伝えられるようになり、日本仏教学院を設立。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと今も奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者4千人、メルマガ読者5万人。X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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