餓鬼(ガキ)とは?
餓鬼
よく子供のことを「ガキ」とか「ガキンチョ」といわれ、
「ガキ大将」とか「ガキの使いやあらへんで!!」といいますが、
もともと仏教の餓鬼から来ています。
私たちが生まれ変わり死に変わりを果てしなく繰り返す世界を
「六道」といいますが、
その六道の一つを「餓鬼道」とか「餓鬼界」といい、
ある行いをすると、餓鬼道に堕ちて餓鬼に生まれます。
では餓鬼道とは一体どんな世界で、どのような原因によって堕ちるのでしょうか。
また堕ちない方法はあるのでしょうか?
お釈迦さまの『正法念処経』や龍樹菩薩の『大智度論』、
源信僧都の『往生要集』などによってみてみましょう。
餓鬼とは
まず、餓鬼について参考までに辞書の意味をみてみましょう。
が‐き【餓鬼】
(梵pretaの訳語。薜茘多と音訳)
1 「がきどう(餓鬼道)」の略。
2 生前犯した罪の報いによって、餓鬼道に落ちた亡者。飲食しようとする食物はたちまち炎に変わるため飲食することができなくて、常に飢えと渇きとに苦しんでいるなどとされる。
3 後世を弔う者もなく、苦しんでいる無縁の亡者。
4 (比喩的に)2のような状態にある者。
飢えてやせ、または異様な姿をしている人。飲食をむさぼったり、物惜しみしたりする人。転じて、人を卑しめ、ののしる語。
5 (食物をむさぼるところから)子供を卑しめていう俗語。
6 「がきやみ(餓鬼病)」の略。(引用:小学館『スーパー・ニッポニカ 国語大辞典』)
仏教の辞典にはこのようにあります。
餓鬼
がき[s:preta]
サンスクリット語は元来、死せる者、逝きし者を意味し、ヒンドゥー教では死後1年たって祖霊の仲間入りする儀礼が行われるまでの死者霊をさす。
その間、毎月供物を捧げて儀礼が行われるが、もしこうした儀礼がなされないときは、pretaは祖霊になれず、一種の亡霊となる。
仏教でも死者霊としての用法はあって、閻魔の住所である地獄に行ったり、人に憑いたり、生者からの供養をうけて望ましい世界に生まれ変わることを願ったりする。
また中国から日本では、新仏の供養と同時に有縁無縁の三界万霊への供養が合して、施餓鬼会の伝統が発展し、今日に至っている。(引用:『岩波仏教辞典』第三版)
仏教において餓鬼とはなにか、更に詳しく説明します。
餓鬼というのは、飢えた鬼と書きます。
鬼というのは「遠仁」とも書きます。
仁に遠いということです。
仁とは人間の心のことで、他の人を思いやる心です。
その人間の心に遠いのが鬼ですので、
「自分さえよければ他人はどうなっても構わない」
と自分のことばかり考えています。
しかも餓鬼は飢えた鬼なので、よけい
「自分さえよければあとは構わない」と、
とにかく「欲しい欲しい、自分が欲しい」
と自分のことばかり考えています。
子供のことをガキというのも、子供は自分のことしか考えず、特に食べ物を欲しがって、むさぼり食べるところから、ガキと言われるようになったのです。
餓鬼の姿と特徴
そんな餓鬼はどんな姿をしていると説かれているかというと、
骨と皮ばかりにガリガリにやせ細り、
お腹だけをぷっくりと膨らませ、肌は黒く、
鬼のような顔の醜いすがたの生き物です。
種類によって大きさはまちまちで、30cm位の餓鬼もいれば、
人間と同じくらいの餓鬼、山のように大きい餓鬼も存在します。
餓鬼の特徴
餓鬼は、いつもお腹をすかせているので、何か食べたくて仕方がありません。
ほとんど何も食べていないので、
ダイエット中くらいとは比較にならないほどお腹がすいています。
そのため、食べ物を見つけると、猛ダッシュで駆け寄ります。
シャッと手を出して食べ物をつかみ、無我夢中で口にほおばろうとしますが、
食べ物は、ボッと青白い炎になってしまい、食べられません。
火にならない場合も、口が針のように小さいために食べられなかったり、
口から火を噴いているために食べられなかったり、
のどにこぶがあって、それが食道をふさいで食べられなかったり、
飲み込んだものが火になって体を焼いて出てきたり、色々な餓鬼がいます。
とにかく共通しているのは、
いつも、食べたくて食べたくて仕方がないのに
ひもじい毎日を送っているところです。
もちろん喉もカラカラなので、水を見つけると、
駆け寄って一心に飲もうとするのですが、
水も口に近づけると火になってしまい、飲めません。
そのためいつも喉がカラカラで、飲みたくて飲みたくて仕方がありません。
こうして、過去の行いによって、色々な種類の餓鬼がいますが、
とにかく何でもいいから食べたい飲みたいという食欲にかられて、
蛾などの昆虫や、人や動物の排泄物などを食べたり飲んだりして命をつないでいる
あさましく醜い生き物です。
その上、餓鬼に生まれた場合の寿命は、
人間界の1ヶ月を1日として、500年です。
計算すると約1万5000年です。
餓鬼道は、もともと地下深くにありますが、
餓鬼は人間界や天上界にも出てきているときがあります。
餓鬼に取り憑かれると、自分のことしか考えず、欲深くなるので、
よく昔は公家や貴族に取り憑いている絵が描かれていましたが、
私たちも餓鬼に取り憑かれないように気をつけましょう。
餓鬼の種類:無財餓鬼と有財餓鬼
源信僧都の『三界義』によれば、餓鬼を3種類に分類されています。
1つには無財餓鬼
2つには少財餓鬼
3つには多財餓鬼です。
この少財餓鬼と多財餓鬼をまとめて「有財餓鬼」といわれます。
そこで、餓鬼を大きく2つに分けると、
1つには無財餓鬼
2つには有財餓鬼
の2つになります。
「無財餓鬼」というのは、財が無くて苦しむ餓鬼です。
お金がない人が苦しむようなものです。
これは、お金も物もないので、常に飢餓状態にある一般的な餓鬼のイメージ通りです。
お金がないと心も貧しくなるので、自分のことしか考えられなくなり、常に欲しがります。
これが苦しいのは分かりやすいと思います。
では、お金や物があれば心が豊かになるのかというとそんなことはありません。
お金があるのにまだ欲しい、もっと欲しいと欲しがるのが「有財餓鬼」です。
よく「他人を幸せにするにはまず自分が幸せにならなければならない」
といって自分のことばかり考えている人がありますが、その考え方では結局自分のことばかり考えるので危ないです。
「ノミはノミの糞をする、象は象の糞をする」
ということわざがあります。
「糞」というのは欲しいという気持ちです。
年収200万円の時は、あと200万円欲しいと思います。
ところが年収1億円になると、もうそれ以上必要ないのではないかと思いますが、もう1億円欲しいと思うのです。
結局お金があってもなくても苦しみは変わりません。
お金やものは、あってもなくても不安や心配はなくならないので、
お釈迦さまは有無同然と説かれています。
餓鬼の住処
では、餓鬼はどこにいるのでしょうか?
餓鬼の住処は、2つあると『往生要集』にこのように教えられています。
餓鬼道を明かさば、住處に二有り。
一は地の下五百由旬に在り、閻魔王界なり。
二は人天の間に在り。
(漢文:明餓鬼道者住處有二 一者在地下五百由旬閻魔王界 二者在人天之間)(引用:源信僧都『往生要集』)
餓鬼道とは、餓鬼の世界です。
餓鬼の住処は、地下五百由旬(長さの単位)にある閻魔王界、または人間界と天上界の間にあるといいます。
では、餓鬼になるのは、
どんな行いをした人なのでしょうか?
餓鬼道に堕ちる行い
どんな行いをすると、餓鬼に生まれるかについては、
具体的なことが色々と説かれています。
例えば、貪欲にお金を集めたり、動物を食べるために殺すと、
顔や目がなく、手足が短くて胴体が大きく、
大きな胴体の中が火で焼けている餓鬼になります。
家族で自分だけ美味しい物を食べて、
夫や妻や子供に与えないと、山のように大きくて、
食べ物を見つけることができない餓鬼になります。
さらに、家族が見ている前で自分だけ美味しいものを食べると、
匂いだけで食いつなぐ餓鬼になります。
お酒を水増しして売ると、
水辺に走り寄って水を飲もうとすると、
後頭部を金棒で鬼に殴られて飲めず、
橋を渡る人の靴からしたたり落ちた水を
すばやく飲んで命をつなぐ餓鬼になります。
訪問してきた営業の人から商品をだましとると、
植物が生えず、砂しかない海の中州に生まれて、
暑い日差しに照らされながら、食べるものも飲むものもなく、
わずかの朝露で命をつなぐ餓鬼になります。
このように、生前、布施の精神が乏しく、ケチで、
他人のものを盗んだり、お金や食べ物を自分だけ楽しもうとする
欲の心によって、餓鬼に生まれるのです。
餓鬼道に堕ちた母を助ける話が盂蘭盆経にありますので、お読みください。
➾盂蘭盆経の全文・書き下し文と現代語訳
餓鬼道に堕ちない方法
このように、餓鬼に生まれる原因は、
欲の心ですから、欲の反対の布施に心がけることが大切です。
そのことは、例えば『ダンマパダ』にはこのように説かれています。
物惜しみする人々は天の神々の世界におもむかない。
愚かな人々は分かちあうことをたたえない。
しかし心ある人は分かちあうことを喜んで、そのゆえに来世には幸せとなる。(引用:『ダンマパダ』177)
分かちあい、それを喜ぶことによって、来世は幸せになるわけですから、
布施に心がけることによって、欲の心がなくなれば、餓鬼道に堕ちなくても大丈夫です。
布施とは、他人に親切にすることで、
お金や物を人に与えたり、手伝ったり、心をかけたりします。
また、仏法を伝えるのは、法施といって、
相手に本当の幸せを届けることになる、極めて尊い布施です。
布施をやってみて、
もし欲の心がなくならないようであれば、
さらに、六道輪廻の根本原因の心をなくして、
欲の心あるがままで、六道輪廻を離れることもできます。
その場合は、当然餓鬼道にも生まれません。
その迷いの根本原因が仏教にどう教えられているかについては、
分かりやすいように、メール講座と電子書籍にまとめておきました。
ぜひ一度見てみてください。
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この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか1人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。たまたまインターネットの技術を導入して爆発的に伝えられるようになり、日本仏教学院を設立。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと今も奮戦している。
仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者4千人、メルマガ読者5万人。X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。
著作
- 生きる意味109:5万部のベストセラー
- 不安が消えるたったひとつの方法(KADOKAWA出版)