鬼とは?

鬼
鬼(地獄の獄卒)

」は現代でも色々なところに出没します。
例えば「鬼教官」とか「鬼検事」というと、無慈悲で怖い教官や検事です。
鬼嫁」は、わがままで怖い嫁のことです。
仕事の鬼」なら、仕事一つに打ち込んでいる人です。
鬼のような」攻撃といえば、強烈で容赦のない攻撃です。
昆虫でも、「オニヤンマ」という日本最大のトンボがいます。
このように、日常の様々な場面に入り込んでいる、「」とは一体何なのでしょうか?

昔話に出てくる鬼

」といえば、3才の子供でも知っていますが、それは昔話によく出てくるからです。
日本人なら、小さいときから、こんな昔話に親しんできたはずです。

桃太郎

桃太郎」に出てくる鬼は、鬼ヶ島に住んでいて、あちこちで乱暴を働き、略奪を繰り返しています。
そのため、桃太郎に退治されてしまい、今まで蓄えていた宝を持ち帰られてしまいます。

一寸法師

一寸法師」に出てくる鬼は、身長3センチの一寸法師を飲み込んでしまい、腹の中で針を刺されて降参し、落としてしまった「打ち出の小槌」で一寸法師は大きくなることができます。

こぶとりじいさん

こぶとりじいさん」では、鬼たちが夜中に宴会をしていると、大きなこぶをつけた正直じいさんが木のほらに隠れているのを見つけます。

踊りを踊らせると、大変上手だったので、こぶをとってあげます。

次の夜、宴会をしていると、こぶとりじいさんをうらやましく思ったずるいじいさんが隠れています。

踊りを踊らせると下手だったので、昨日とったこぶもつけてやるという話です。

鬼婆

他にも旅人を騙して宿泊させ、殺して食べてしまう鬼婆の「やまんば」など、色々な鬼が昔話にでてきます。

節分で追い払われる鬼

他の有名な鬼は、節分で「鬼は外」と追い払われる鬼です。

これはもともと平安時代から宮中の年中行事になっている
追儺(ついな)」とか「鬼やらい」といわれるものがもとになっているといわれます。

この鬼は、人間の心にひそむ怨みや憎しみです。
例えば『源氏物語』に出てくるある女性は、ふだんは教養もあり知的で冷静ですが、光源氏の浮気に激しい嫉妬心を燃やして、ついに鬼となります。
そして、光源氏の正妻の葵上(あおいのうえ)にとりついて命を奪います。
さらに、光源氏から愛された夕顔も殺します。
この女の嫉妬心、怨み呪いの執念が鬼となったのです。

このことから「鬼ごっこ」というのも、
鬼さんこちら、手のなるほうへ
と言われて、鬼が追いかけてきます。
そして鬼につかまった人も鬼になってしまうのです。

このような、節分や鬼ごっこの鬼は、どこまでも追いかける人間の怨念や執念を表したものとなっています。

現在の鬼はどこから来たのか

ところが、これらの日本の鬼は、もとは形がありませんでした。
目に見えない「隠形(おんぎょう)」の隠(おん)が、オニに変化したという説もあるほどです。

中国の鬼は、死んだ人ののことで、これも形がありません。

ところが現在の鬼のイメージは、赤鬼や青鬼、頭に角が生えていて、耳までさけた口から牙が生えています。
虎の皮のふんどしをはいて、金棒を持っているイメージが浮かびます。

この現在イメージされる鬼は、日本古来のものでも中国のものでもなく、仏教が元になっています。

仏教の鬼

仏教では、六道の中の餓鬼道の衆生も鬼といわれますが、現在のイメージの鬼は、地獄の獄卒です。

地獄の獄卒というのは、六道の中でも最も苦しみの激しい世界である地獄を牢獄にたとえて、罪を犯した囚人を管理する係です。

往生要集』では、牛頭(ごず)・馬頭(めず)という、牛の頭をした鬼、馬の頭をした鬼や、羅刹という鬼が地獄の獄卒として描かれています。

生きているときに殺生罪を造り、等活地獄に堕ちた囚人を金棒で打ちのめしたり、刀で魚をさばくように切り裂きます。

さらに、偸盗罪も造って黒縄地獄に落ちた罪人に対して、獄卒の鬼は熱い鉄の縄で罪人の身体に線をつけ、それにしたがって、斧やのこぎりで切り刻みます。

それに加えて不倫などの邪淫の罪を造って衆合地獄に落ちた囚人に対しては、両側から迫ってきて押しつぶす苦しい場所へ追い立てたり、火をふく刀で罪人を切り刻みます。

そして、「これは他人の造ったの報いではなく、まさしく自業自得であるぞ」と叱りつけ、責め立てます。

さらにお酒を飲んで、叫喚地獄に落ちた罪人に対して獄卒の鬼は、火の中に入れたり出したりします。

さらにをついて、大叫喚地獄に落ちた罪人に獄卒の鬼は、
周りの火はお前の言っただ。は火のように人を焼く
と言って舌を抜きます。

このように、地獄で罪人を苦しめるのが仏教に説かれる鬼です。
このような地獄の鬼たちは、一体何を表しているのでしょうか?

地獄の獄卒の鬼の意味

鬼は、地下何万メートルに地獄があって、そこに住んでいる生き物ということではありません。

地獄に堕ちるというのは、空間的に落ちるのではなく、苦しい状態におちいる、ということです。

受験地獄や借金地獄といえば、自分が生みだした苦しい状態です。

赤鬼や青鬼、黒鬼というのは、たとえです。
何をたとえられているかというと、青鬼というのは、どこまでも浸していく水の色で限りない欲の心を表しています。

赤鬼は、燃え盛る火の色で、カーッと燃え上がる怒りの心を表しています。

黒鬼は、腹黒いといわれるように、怨みやねたみの醜い愚痴の心を表しています。

地獄という境涯は、私の怒り愚痴の心が作り出したもので、それらの心をたとえた鬼たちが、自らを責め立てる、苦しみの世界ということです。

鬼はどこに住んでいるの?

仏教は法鏡といわれるように、真実の自己を照らし出す鏡のようなものです。
仏教を聞くと、今まで知らなかった自分の姿が知らされてきます。

まだ仏教を聞いていないときは、自分の心の中に何か美しいものがあるように思っています。

ところが仏教を聞いていきますと、今まで知らなかった、怒り愚痴の心が知らされて来ます。

そして、私たちの心の奥底はどうなっているかというと、こういう歌があります。

みな人の 心の底の奥の院
  探してみれば 本尊は鬼

奥の院」とは、普段人には見せない所です。
私たちの心の奥底を、建物の奥の院にたとえられています。
奥の院」といえば、お寺でいえば本堂ですから、安置されているのは本尊です。
尊いものが安置されているものと思います。

ところが仏教を聞いて、私たちの心の奥底が知らされてみると、私たちの心の奥底に住んでいるのは、鬼だった、ということです。

おに」というのは、「遠仁」とも書きます。
遠い」ということです。

」とは、人のことで、人としてあるべき慈悲の心です。
ところが、その慈悲の心から遠い、無慈悲なものが「遠仁」です。

自分さえよければ他人はどうなってもかまわない我利我利亡者です。

仏教を聞いて行くと知らされてくるのは、自分の心の中に住んでいる鬼なのです。

ところが仏教には、その「鬼が仏になる方法」が教えられています。

鬼が仏になるにはどうすればいいかということは、仏教の真髄ですので、小冊子とメール講座にまとめておきました。
一度目を通しておいてください。

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