仕事のために生きる
一般の人生論で最も多いのは、
「喜びを与える仕事を見つけなさい」というものです。
ところが、多くの場合、そういう仕事は見つからないようです。
『ユダヤ人大富豪の教え』には次のように記されています。
仕事を探すとき、いい仕事は、大学を卒業してすぐじゃないと、見つからないんです。
ですから、友人たちは、自分の適正を考えることをせず、どこが人生に有利かで仕事を選んでいる感じです。
でも、その結果が、退屈な人生の終身刑だなんて、なんか怖くなってきました。(引用:本田健『ユダヤ人大富豪の教え 幸せな金持ちになる17の秘訣』)
また、たとえ才能を発揮して成功している人も
思うままにならない現実にぶつかっているようです。
僕は僕自身が楽になるためにこのようなスケッチを書き、世間に対して公表しているわけではない。
(中略)
少なくとも今のところこのような文章を書くことによって僕の精神が解放されたという兆候はまったく見えない。
(中略)
人は書かずにいられないから書くのだ。
書くこと自体には効用もないし、それに付随する救いもない。(引用:村上春樹『回転木馬のデッド・ヒート』)
もしあなたが、「仕事のために生きる」と思っているのなら、
人に雇われて給料制で働いているのではありませんか?
もし自分で事業を起こしたりしていれば、
こういう人に、このように貢献したいという理念があるはずですし、
音楽家や画家、スポーツ選手なら、「仕事のために生きている」とは言わないでしょう。
給料制で働くということは
自分の命と引き換えに、お金をもらっているということです。
なぜなら、あなたの命は、あなたに与えられた時間だからです。
この限りある時間を何に使うのかが重要になってきます。
仕事を選ぶ時、あなたなら何を基準に決めますか?
やはり「給料」ではないでしょうか。
そこで働くと、一体いくらもらえるのか。
限られた命から、時間を切り取って、
より大きなお金にかえて、欲しいものを手に入れる。
私たちは、命の切り売りをして、欲しいものを手に入れるのだと言えましょう。
かつて「企業戦士」と呼ばれた人たちが、「仕事が命」と燃えられたのは
会社に尽くしていれば、役職や給料が上がったからでしょう。
今頑張れば、いいことがあるだろう、家族から大事にされるだろう、と感じられれば
少々つらくても耐えられます。
苦労する意味があるからです。
ところが、企業の平均寿命は30年を下回り、
企業の寿命より人間の寿命の方が長い時代が到来しました。
終身雇用や年功序列が崩れ、勤勉が報われる保証もありません。
1つの会社に勤めた方が、リスクが高い時代が到来しています。
仕事は「人生の目的を達成する手段」と気づく人が、若者を中心に増えていると
社員研修15年の佐藤英郎氏は言います。
「先生、私には居場所がないのです。どうしたらいいでしょう」と、研修の場で相談を持ちかけられることが多くなっています。
定年になって、会社を辞めてから一ヶ月もすると、家にいても身の置き場がない、誠に哀れな状況になっているというのです。
なかには、定年退職した後も、以前と同じように、毎朝会社に出勤する時間になると身支度を整えて出かけ、公園かどこかで時間を潰し、夕方帰宅するという、笑うに笑えない例もあるのです。
これこそ、仕事が人生そのものと思っていた人が、会社以外に自分という存在を認識できなかった結果を物語っています。(引用:佐藤英郎『気づく人、気づかぬ人』)
では一体、命を何に費やして、何に使おうとしているのか。
つまらないことに命をすり減らすから、つまらない命になるのです。
この貴重な時間、二度とかえらぬこの時をかけて
悔いなき命のかけ場所が、分からずにいるからです。
もし、尊い命のかけ場所が分かったら
私はこのすばらしいことに命を使うんだ、という尊い目的が分かったら
つまらない人生は過ぎ去り、1日1日が黄金の日々となるに違いありません。
仏教に
「天上天下唯我独尊」
という言葉があります。
ただ、私たち人間でなければ、果たすことができない、
たった1つの尊い使命があるのだ、という意味です。
使命とは、命を使う、と書きます。
持てる命のすべてを使って、果たさねばならないたった1つの目的が、
あまりにも尊いことだから、そのために使う命もまた尊いということです。
もしも犬に生まれていたら、もしも猫に生まれていたら、
人間でなかったら、知ることも求めることも果たすこともできない、
たった一つの尊い目的がある。
あまりにも尊い目的を果たせる命だから、命は尊い、命は尊厳なのだ。
だから尊厳な命を、くだらないことに使ってはならない、無駄にしてはならない、
まして自殺など絶対にしてはならない。
尊い命を、尊い目的を果たすことに使いなさい、という意味です。
では、その尊い目的とは何でしょうか。
その答えを知る鍵となる、仏教に説かれる苦悩の根元について、
電子書籍とメール講座にまとめておきました。
ぜひ一度見てみてください。
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この記事を書いた人

長南瑞生(日本仏教学院創設者・学院長)
東京大学教養学部で量子統計力学を学び、1999年に卒業後、学士入学して東大文学部インド哲学仏教学研究室に学ぶ。
25年間にわたる仏教教育実践を通じて現代人に分かりやすい仏教伝道方法を確立。2011年に日本仏教学院を創設し、仏教史上初のインターネット通信講座システムを開発。4,000人以上の受講者を指導。2015年、日本仏教アソシエーション株式会社を設立し、代表取締役に就任。2025年には南伝大蔵経無料公開プロジェクト主導。従来不可能だった技術革新を仏教界に導入したデジタル仏教教育のパイオニア。プロフィールの詳細・お問い合わせ
X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。
著作
- 生きる意味109:5万部のベストセラー
- 不安が消えるたったひとつの方法(KADOKAWA出版)
京都大学名誉教授・高知大学名誉教授の著作で引用、曹洞宗僧侶の著作でも言及。