輪廻転生とは?
「輪廻転生」という言葉をよく聞きますが、一体どんな意味なのでしょうか?
簡単にいえば輪廻転生の「輪廻」は、輪が回ると書くように、同じ所をぐるぐる回ることです。
「転生」は、生まれ変わることですから、
輪廻転生とは、車の輪が回るように、同じところをぐるぐる生まれ変わり死に変わりすることです。
その輪廻転生について、この記事では、
1.科学で分かるのか
2.仏教での輪廻転生
3.輪廻の証明
4.輪廻転生する6つの迷いの世界
5.次に転生する世界の決まり方
6.知らないうちに地獄行きが決まる行動
7.次も人間に生まれるための行動
8.輪廻転生の解脱の仕方
という8つの面から詳しく分かりやすく解説します。
1.輪廻転生とは?
輪廻転生を信じている人は、日本人の中でどれ位いるのでしょうか。
アンケートを採ってみたところ、以下のような結果になりました。
いつもありがとうございます。
— おさなみ(長南瑞生)生きる意味&ブッダの教え@仏教ウェブ入門講座 (@M_Osanami) October 28, 2022
以下、仏教に関する意識調査にぜひご協力ください。
仏教では輪廻転生(生まれ変わり)が教えられています。
Q.あなたは輪廻転生を信じますか?
回答は本日中でお願いします。
信じる 74.5%
信じない 25.5%
94票·最終結果
このように、日本人の約4人に3人の人は、輪廻転生を信じています。
驚くべきことではないでしょうか。
日本人は、仏縁の深い人ばかりです。
参考までに、輪廻転生について辞書でどう書かれているか見てみましょう。
輪廻
りんね[s,p:saṃsāra]
原語saṃsāraは「流れる」ことから「さまざまな(生存の)状態をさまよう」ことを意味し、生ある者が生死を繰り返すことを指す。
<輪廻転生><生死><生死流転>などとも訳され、現代インド諸語では「世界」を意味する。
輪廻思想は古代ギリシアや古代エジプトにも知られるが、インドでは業思想と結びついて倫理観が深められ、輪廻の状態を脱することが解脱・涅槃であり、インドの諸宗教に共通する目的となっている。
【インド思想】
ヴェーダの来世観は楽観的で、死後には天上界で神々・祖霊と交わることを願い、悪業によって地獄におちることを恐れていたが、死後他界においても再び死が繰り返されることから、再死を克服し不死を獲得することが説かれるようになった。
死者のたどる道は神々(天)・祖霊・地獄の3種に分かれ、この世に再生する5段階の過程をアグニ(火神)への5種の献供になぞられる五火説と神々と祖霊の二つ道と合わせて<五火・二道説>と呼ばれる体系的な輪廻思想が後期ブラーフマナから初期ウパニシャッドにいたって整備された。
紀元前6世紀以降、都市の勃興とともにバラモン(婆羅門)思想に対抗するさまざまな思想が興ったが、仏典ではジャイナ教を含むこれらの集団を六師外道として伝えている。
それらの思想は多く苦行主義であり、業・輪廻に対する見解を示していると考えられる。
ジャイナ教では世界は霊魂(jīva)と非霊魂(ajīva)からなり、行為によって霊魂に業が流入する。
この業身が天・人・畜生・地獄の世界に輪廻する。
付着している業の汚れを滅することで解脱し、そのための苦行を重んじる。
【仏教思想】
仏教でも輪廻思想を採用し、人・天・畜生・餓鬼・地獄の五つの輪廻の世界(五道・五趣)を説く。
後に大乗仏教では阿修羅が加わり、六道(六趣)輪廻として流布し、日本でも定着している。
原始仏教では解脱者の死後の存在や身体と生命の関係に対する解答を無記として退け、解脱のためには無意義な問題とした。
しかし、無我説において業を担う輪廻の主体を説明することは仏教教理の上で常に問題とされた。
説一切有部では輪廻を十二支縁起(十二因縁)によって説明し(業感縁起)、死有と生有の間に<中有>の存在を認める。
これは最大49日間の死者のさまよえる状態であり、中陰法要はこれにもとづく。
チベットに伝わる『中有(バルドゥ)における聴聞による大解脱』(Bar do thos grol chen mo)は『チベットの死者の書』として西洋に紹介され、C. G.ユングによって評価された。(出典:『岩波仏教辞典』第三版)
これからもわかるように、輪廻転生は他の宗教でも似たようなことを言われており、仏教も他の宗教も同じだと言う人がいます。
しかし、仏教で教えられる輪廻転生は他の宗教とは全く違うのです。
ここでは「仏教で言われる輪廻転生はなにか」を詳しく説明します。
2.輪廻転生はあるのかないのか科学で分かる?
まず、輪廻転生はあるのかないのか、科学で分かるのでしょうか?
2018年のNHKの世論調査では、死後の世界について
決してないと思う人は、8.4%、
たぶんないと思う人は、25.7%で、
死後がない、つまり輪廻転生はないと考える現代日本人は、約34%でした。
(出典:「日本人の宗教的意識や行動はどう変わったか」)
3分の1の人は、輪廻転生はないと考えていることが分かります。
その理由は、心は脳が生みだしているからです。
心は脳神経の電気信号の組み合わせによってできているし、
だから死んだら脳が壊れて無になる、
という考え方です。
ところが、その根拠は科学にはありません。
脳科学では
脳科学の研究からは、
実は心と脳は別のものだということが、
分かってきています。
強迫性障害治療の世界的権威、
ジェフリー・M・シュウォーツ博士はこう言っています。
「脳(の化学的作用)が心に影響を与えている」のではなく、
むしろ、
「心が脳(の化学的作用)に影響を与えている」
(引用:ジェフリー・M・シュウォーツ『心が脳を変える 脳科学と心の力』)
哲学では
また、哲学の世界でも、
1990年代になってようやくチャーマーズという哲学者が、
脳の電気信号の集まりがどれだけ複雑になっても、
意識や物が見えたり聞こえたりする体験は絶対に生まれないことを
「意識のハードプロブレム」と名付けて問題提起し、
現在でもまったく未解決の問題です。
(参考:『意識する心―脳と精神の根本理論を求めて』)
科学者は、脳の電気信号の集まりが、どうやって意識を生み出すのか未だに知りません。
ですから科学に詳しい人は、科学的には心は脳が生みだしているのだから死んだら無になるとは、言えないのです。
進化生物学では
その上、進化生物学から考えても、意識を生み出すことが、進化の上でどんなメリットがあるかも分かりません。
何かの問題を解決するだけなら、人工知能のような意識のないプログラムのほうが、今や人間以上に上手にできるのです。
植物のように、意識がなくても遺伝子を残して行くことはできますし、意識がないほうが遺伝子を残すために適切に判断ができるかもしれません。
科学では心が生まれた原因も説明できず、心の果たす役割も分かっていないのが現状です。
このように、心さえも分かりませんので、ましてやその心がくり返し生まれ変わる輪廻転生については、科学ではまったく分かりません。
3.仏教で説かれる輪廻転生
このように、科学では、輪廻転生があるかないかの答えは出ず、輪廻転生については未だに分かりません。
というよりも、科学の対象は物質なので、そもそも輪廻転生は科学の対象外です。
そこで、心を専門とする仏教ではどうかというと、お釈迦さまは約2600年前から、仏のさとりの智慧によって、このように教えられています。
有情、輪廻して六道に生まるること、なお、車輪の始終なきがごとし。
(出典:『心地観経』)
「有情」とは心ある者ということで、私たちのことです。
私たちは、果てしなく遠い過去から、
永遠の未来に向かって、生まれ変わり死に変わりを繰り返し、
車の輪が回って果てしがないように、同じところをぐるぐる回っているのだ、
ということです。
死んだら終わりなのは、肉体のことであって、仏教では、死んだら終わりではありません。
果てしない遠い過去から続いている永遠の生命があって、肉体が死んだ後も、別の肉体に生まれ変わって、ずっと続いて行くのです。
バラモン教でいわれる輪廻
一方、バラモン教でも輪廻を説くので、仏教はバラモン教の輪廻を取り入れているという人があります。
ですが、バラモン教の輪廻はとても単純です。
ウパニシャッドによれば、人が死ねばアートマン(我)は肉体を捨てます。
そして生前の行いによって、神道と祖道の道に分かれます。
他にも悪人のいく場所もありますが、これを二道説といいます。
そして、神道へおもむけばブラフマンに到達しますが、祖道におもむくと、月へ行って地上に再生します。
どのように再生するかというと、死んだ人は火葬されます。
火葬で煙が立ち上るように、空へ登っていき、
まず1番目に月に至ります。
2番目に雨となって地上に降ります。
3番目に地上で植物になります。
4番目に父親になる人に食べられて子だねとなります。
5番目に母親の胎内に入って再生するといいます。
これを祭火にたとえて説明するので五火説といいます。
このバラモン教の輪廻をいわれた「五火説」と「二道説」を、まとめて「五火二道説」といいますが、かなり素朴で物質的です。
仏教とは大きく異なることが分かります。
ですからお釈迦さまは、輪廻について、パーリ仏典の中部経典にこう説かれています。
私はこの話を他の修行者やバラモンに聞いて語るのではありません。
そうではなく、私が自ら知り、自ら目にし、自ら了解したことを、それを私は語るのです。(引用:『中部経典4』p.347)
お釈迦さまは、仏のさとりを開かれて体得された仏智によって、本当の輪廻転生を教えられているのです。
ですから仏教の輪廻は、バラモン教とはまったく異なります。
この輪廻について、インドの仏教学者たちが、証明を行っています。
4.輪廻の証明
この輪廻転生について、仏教学者たちが、論理的に証明しています。
それは一言でいえば、「すべての結果には必ず原因がある」という因果の道理に基づいて、生まれた時点での心にも必ず原因があり、それは過去世の心しかありえない、というものです。
因果の道理は、仏教の根幹となる教えですので、詳しくは以下の記事をご覧ください。
➾因果応報とは?意味を分かりやすく恋愛の実話を通して解説
ダルマキールティ(法称)の証明
7世紀のダルマキールティ(法称)は、心を生じる原因に着目して、輪廻を証明しています。
生まれた時点での心はどのように生じたのでしょうか。
物質である肉体が、心を生み出すことはできません。
それは、例えば視覚の刺激が意識を生み出すかというと、失明して視覚を失っても、意識は続きます。
そのように、肉体のどの一部を失っても心は続くので、心は肉体が生みだしているのではありません。
これは現代でも、先にふれた「意識のハードプロブレム」があり、未だに心から物質を生み出せるかどうかはまったく分かっていません。
実際に遺伝子がまったく同じ一卵性双生児でも心は違いますし、性格も違います。
クローン人間でもきっと心は異なることでしょう。
物質から心が生み出せないことから、ダルマキールティは心の原因は一瞬前の心しかないと結論づけています。
生まれた時点での心が一瞬前の心によって生じるなら、その一瞬前の心は過去世の心ということです。
それはつまり、過去世から現在世に生まれ変わったということになりますから、輪廻がある、ということです。
シャーンタラクシタ(寂護)の証明
8世紀のシャーンタラクシタ(寂護)は、それを受けて『真理綱要』の22章で、さらに詳細に証明しています。
それというのも、生まれた時点での心の原因の可能性を、5通りに分けます。
1.原因がない
2.常住なもの(神など)
3.心自体が常住な存在
4.物質から生じた
5.他人の心(両親など)
1の場合、心に原因がないすれば、逆にどこにでも何の原因もなく心が発生することになります。
ですが、実際には心がどこにでも発生するわけではないので、間違いです。
2の場合、原因が常住不変なのに、心が変化するというのはおかしなことになります。
なぜかというと仏教で原因とはどんなものかというと、
「Aがある時にBがあり、Aがない時にBがない」
という時、AがBの原因となります。
このことから、Aが常住不変なのにBが変化するのであれば、Aは原因とは言えないのです。
3の場合、心自体が常住不変なのに心が変化するというのは矛盾です。
4の場合、シャーンタラクシタは唯識派なので、心が世界を生み出しています。
そのため、心(阿頼耶識)が物質を生みだしているのであって、物質が心を生み出しているのではありません。
阿頼耶識について詳しくは以下の記事をご覧ください。
➾阿頼耶識とは?簡単に分かりやすく意味を解説
5の場合、例えば親の心が因となるのであれば、親の業力がまったく伝わらないのはおかしいのでありえないと論じています。
カマラシーラ(蓮華戒)の解説
この5番目については、
「業力が伝わらなくても因となることがあるのではないか?」
と思わないでしょうか。
例えばろうそくなら、他のろうそくへ火を移した時のように、最初の火がつくところだけ因となれば、あとは自分のろうで燃えることがあるようなものです。
この疑問については、シャーンタラクシタの弟子のカマラシーラ(蓮華戒)が答えています。
心に含まれている業力は、結果を生じるまで続きますが、ろうそくの火は、ろうが弱くなれば火も弱くなってしまい、長続きしません。
だから、心と灯火はまったく異なる性質のもので、たとえることはできないのです。
親の心はその長続きする業力を因として存続しているのに、子供の心には長続きする業力が因とならないというのはおかしなことです。
従って、業力が伝わらずに因となるというのはありえないということだと、カマラシーラは解説しています。
このように、考えられる可能性を全部挙げた結果、すべておかしいので、生まれた時点での心の因は、一瞬前の自分の心しかありえません。
その生まれた時点よりも前の心というのは、過去世の心になるので、輪廻はある、と証明しています。
そして、過去世があるとすれば、過去世からみれば現在世は生まれ変わった後の世界です。
それと同じように、現在世が終われば、生まれ変わって次の世界に輪廻する、ということです。
では輪廻すると、死んだらどんな世界に生まれ変わるのでしょうか?
5.輪廻転生する6つの迷いの世界
生まれ変わりというと、ほとんどの人は、
死ねば人間から人間に生まれ変わるものと思っていますが、
人間だけではありません。
お釈迦さまが「六道」と言われており、六道について詳しくはこちらの記事をご覧ください。
➾六道の意味と輪廻から抜け出し解脱する方法
六道とは、どんな世界に生まれ変わるかというと、
大きく分けて6つあります。
地獄、餓鬼、畜生、修羅、人間、天上の6つの迷いの世界です。
この6つの迷いの世界を「六道」といいます。
修羅を人間におさめて、「五趣」といわれる時もあります。
それぞれどんな世界かといいますと、
地獄界は、最も苦しみの激しい世界です。
その苦しみは、とても言葉では言い表せないと教えられています。
餓鬼界は、食べ物があっても食べられず、飲み物があっても飲めない世界です。
食べ物や飲み物を口元まで運ぶと青白い炎となって食べられません。
飢えと渇きでガリガリにやせ細り、骨と皮になって苦しみます。
畜生界とは、犬や猫など、動物の世界です。
これは人間界からも見えるので分かりやすいと思います。
弱肉強食で常に不安に怯える世界です。
この3つを「三悪道」といい、特に苦しみの激しい世界です。
修羅界とは、闘争の激しい世界です。
人間界とは、苦しみも楽しみもある私たちの生きている世界です。
天上界とは、六道の中では楽しみの多い世界ですが、
極楽浄土とは違って、やはり迷いの世界です。
悲しみもあり寿命もあります。
これらの6つの苦しみ迷いの世界を、遠い過去から、
生まれ変わり死に変わり、車輪が際限なく同じところを回るように
エンドレスに生死生死を続けて行くとことを
「輪廻転生」とか「六道輪廻」と教えられています。
「流転輪廻」とも「生死輪転」とも言われます。
6.次に生まれる世界はどうやって決まるの?
では、次は、どんな世界に生まれるかというと、
仏教では、因果の道理にもとづいて、
死ぬまでに造った行いによって次に生まれる世界が決まる
と教えられています。
次に生まれる世界を決めるのが、「引業」です。
「業」とは、行いのことで、「引」とは報いの全体を牽引するということです。
つまり「引業」は、死後、六道のどの世界に生まれるかを決定する行い、ということで、それまでに造った業の中の最も重い業をいいます。
よく、死ぬと地獄の閻魔大王が、浄玻璃鏡で、
死んだ人のそれまでの行いを映し出し、死後に行く世界を決めるというのは、
引業をたとえたものです。
引業以外のすべての業を「満業」といいます。
「満」とは円満のことで、報いの全体を円満させる行いが満業です。
引業により次に生まれる世界が決まったら、その世界での男女や、どんな家柄に生まれるか、そこはお金持ちの家か、貧しい家か、頭がいいか悪いか、美しいか醜いかなど、生まれた時点での状況のすべてを決定します。
この引業と満業の関係を、天親菩薩は『倶舎論』に、このようなたとえで教えられています。
たとえば画師まず一色をもってその形状を図し、後に衆彩を填ずるがごとし。
(漢文:譬如画師 先以一色図其形状 後填衆彩)(出典:天親菩薩『倶舎論』)
例えば、絵描きはまず一色で輪郭を描いて、その後に色を塗っていきます。
その輪郭が引業で、一旦決まれば、それをはみ出たりすることはできません。
すでに引かれた輪郭を踏まえて、いろいろな色づけをしていきます。
それが満業です。
こうして因果の道理にしたがって、引業によって六道のどこに生まれるか決まり、満業によってどんな状況になるか決まるのです。
死後、どのように生まれ変わるかは、因果応報なのです。
- 引業…死ぬまでの最も重い業。死後生まれる世界(六道)を決定。
- 満業…引業以外の一切の業。死後の男女、貴賎、貧富、美醜等一切を決定。
7.知らないうちに地獄行きになる行いとは?
仏教では、生き物を殺す殺生罪を造ると、次は地獄に生まれると教えられています。
それは人殺しだけではなく、動物や魚なども殺せば殺生罪です。
なぜなら、仏様のまなこからご覧になると、生まれ変わりを繰り返している私たちすべての生命は平等で、命の重さに上下はないからです。
どんな生き物でも死にたくないのは同じで、殺されれば苦しんで死んで行きますから、生き物を殺せばその結果、苦しみの世界である地獄へ生まれ変わることになるのです。
しかしながら、地獄といっても色々な種類があります。
詳しくは以下の記事に分かりやすく解説してありますのでご覧ください。
➾地獄とは?種類と階層(八大地獄)と苦しみについて
その色々な地獄の中で、もし殺生罪だけなら、等活地獄に堕ちると教えられています。
それに加えて、他人の物を盗む偸盗罪を造ると、
黒縄地獄に堕ちると説かれています。
それに加えて、邪淫の罪を犯すと(殺生、偸盗、邪淫)、衆合地獄、
さらにお酒を飲むと(殺生、偸盗、邪淫、飲酒)、叫喚地獄
さらに、ウソをつくと(殺生、偸盗、邪淫、飲酒、妄語)、
大叫喚地獄です。
では、どうすれば人間に生まれられるのでしょうか。
それは、これらの5つをしないことです。
8.人間に生まれるには?
つまり人間に生まれるには、
五戒という基本的な戒律を守り続けなければなりません。
「五戒」とは、次の5つです。
これだと魚や肉を食べたり、お酒を飲んだり、嘘をついたりしてもダメですから、ほとんどの人はもう手遅れではないでしょうか?
ですからお釈迦さまは、『涅槃経』にこう説かれていると『往生要集』に教えられています。
人趣に生まるるものは、爪の上の土のごとし。
三途に堕つるものは、十方の土のごとし。(出典:『涅槃経』)
「人趣」というのは、五趣の中で人間界のことです。
「三途」とは、地獄、餓鬼、畜生の三つの苦しみの世界ですが、一番多いのは地獄です。
ですので、人間に生れる人は爪の上の土のように少なく、
地獄に堕ちる人は大宇宙の土のように多い、
ということです。
こうして、苦しみ迷いの旅を果てしなく続けていくのです。
9.どうすれば輪廻転生を離れられるの?
では、どうすれば、この果てしない輪廻転生を
離れることができるのでしょうか。
輪廻転生から離れることを「解脱」といいます。
解脱するにはどうすればいいのかというと、
仏教の根幹である因果の道理から、
すべての結果には必ず原因がありますので、
輪廻転生にも原因があります。
その根本原因をなくせば、輪廻転生から離れ、
永遠に変わらない幸福になれるのです。
その迷いの根本原因が、仏教に教えられているのですが、
仏教は、人間に生まれたときしか聞けませんので、お釈迦さまはこのように説かれています。
人身受け難し今已に受く
仏法聞き難し今已に聞く
この身今生に向かって度せずんば、
さらにいずれの生に向かってかこの身を度せん。(お釈迦さま)
生まれがたい人間に生まれ、
聞きがたい仏法にめぐりあえた今生に、
迷いの解決をしなければ、いつするというのであろうか、
永遠のチャンスは今しかない、ということです。
迷いの根本原因については、分かりやすいように
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一度見てみてください。
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この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか1人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。たまたまインターネットの技術を導入して爆発的に伝えられるようになり、日本仏教学院を設立。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと今も奮戦している。
仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者4千人、メルマガ読者5万人。X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。
著作
- 生きる意味109:5万部のベストセラー
- 不安が消えるたったひとつの方法(KADOKAWA出版)