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嘘つきの報い

小さい頃よく「嘘つきは泥棒の始まり」とか、
嘘つきは閻魔さまに舌を抜かれる」とか、
嘘ついたら針千本飲ます」といわれますが、
仏教では嘘を「妄語もうご」といわれ、口で造る罪悪です。

嘘つきの特徴は、
プライドが高い、寂しがり屋で、頭の回転が早い、
怒られることを極端に嫌がる、自分の間違いを認められない、
お人好しで誰に対しても良い顔をしてしまう、
など言われることがありますが、
お釈迦様は嘘をつく人間をどのように見られているのでしょうか。

ここでは、
・嘘をついたらどんな結果になるのか
・イソップ童話「嘘をつく子供」
・嘘をついた時の心の変化
・仏教で説かれる嘘の報い
・嘘の8つの具体例
・お釈迦様の説かれた嘘をつく人間の姿
・お釈迦様が人間の姿を説かれた目的
ということについて分かりやすく解説します。

これは本当の幸せになるのにとても重要なことです。

妄語の意味

妄語について、参考までに意味を辞書で確認しておきましょう。

妄語
もうご[s:mṛṣā-vāda]
嘘をつくこと、いつわりをいうこと。
また、嘘いつわりのことば。
十悪の一つ。
仏教では特に、自己が悟ったといつわることを<妄語戒>(不妄語戒)として五戒の一つに数える。

仏教では、妄語は恐ろしい罪だからできるだけやらないようにといわれ、
十悪」や「五戒」として教えられています。

五戒については下記をご覧ください。
五戒とは?仏教でやってはいけないことを分かりやすく解説

嘘をつき、罪を造った人はどうなってしまうのでしょうか。

嘘ばかりつく人の末路

嘘といえば、よく選挙の候補者が、
私が当選したらこういう政策を行います
とマニフェストに公約します。

ところが、当選しても約束通りにやらないと、
公約違反といわれて追及弾劾され、
次回は当選できなくなります。

身近な人でも、困ります。
会社の上司が嘘つきだと、何かその人個人の私利私欲のために
使われているような気がして、やる気がなくなります。

部下が嘘つきでも困ります。
失敗を隠したり、ごまかしたりして、
早く対処すれば小さいうちにおさまるものでも、
甚大な被害をこうむります。

また、恋人が嘘つきだと、
浮気しているのではないかと不安になります。

このように、誰も嘘つきと仲良くなりたいとは思いません。
嘘つきは、信用できないので嫌われるのです。
それを非常に分かりやすく教えられた有名な話があります。

嘘をつく子供

それが、イソップ童話の『嘘をつく子供』です。
羊飼いの少年が、ある日、いたずらしてやろうと思って
狼がきたぞー!」と言って山から走ってきます。

それを聞いたあわてふためく村人たちを見て、
少年は大喜びします。

数日後、少年がまた「狼がきたぞー!」と、
山を駆け下りてくると、村人達があわてふためいて、
またもや少年は大喜び。

ところが、最後に本当に狼が羊に襲いかかってきた時、
村人たちは「どうせまた嘘だろ」と誰も相手にせず、
少年は羊を全部食われてしまったという話です。

このように、嘘をつくと、信用を失います。
信用を築くには、大変な長い年月が必要ですが、
信用を失うのは、少し嘘をつけばあっという間に崩れ去ります。

嘘をつくと不安になる

そして、嘘をつくと、つじつまが合わなくなりますので、
ばれないように、さらに嘘を重ねなければなりません。
そうするともっとつじつまが合わなくなるので、
さらに嘘をつき続けなければなりません。
嘘を貫き通そうとするほど、話を嘘で塗り固めなければならず、
嘘だらけになっていきます。
そして、バレはしないかと心に気になり続け、
いつも不安でびくびくした暗い人生になってしまいます。
余計なところに精神力を使わないといけないので、
本当にやらねばならないことにも集中できなくなります。
やがてばれた時には、時間が経っていれば経っているほど、
大きな不幸が襲ってくるのです。

仏教では嘘をつくと、死後、もっとひどいことになります。

仏教では?

仏教では、1回でも嘘をつくと、
次に生まれ変わる時、人間に生まれることはできなくなります。

人間に生まれるには、「五戒ごかい」という5つのルールを
生涯守り続けなければならないのですが、
嘘をつかない」というのは、その1つだからです。

また、生き物を殺す殺生罪を造り、地獄へ堕ちる場合は
少なくとも大叫喚地獄以上に苦しい地獄へ堕ちます。

それほど、嘘は恐ろしい罪なのです。

ですから、『スッタニパータ』にはこのように説かれています。

嘘を言う人は地獄に堕ちる。
また実際にしておきながら「わたしはしませんでした」と言う人もまた同じ。
両者ともに行為の卑劣な人々であり、死後には同じような来世をたどる。
(地獄に堕ちる)

また、『華厳経けごんきょう』にはこのように教えられています。

妄語の罪はまた衆生をして三悪道に堕せしむ。

三悪道」とは地獄餓鬼畜生の3つです。
嘘をつくと、地獄や餓鬼、畜生などの苦しみの世界に生まれる、ということです。

さらに龍樹菩薩(ナーガールジュナ)は、『大智度論だいちどろん 』に、お経に説かれる嘘の十の罪をまとめられています。

仏が説きたまうが如く妄語に十罪あり。何等をか十と為す。
一には口気臭し。
二には善神これを遠ざかり、非人、便を得。
三には実語ありといえども、人、信受せず。
四には智人謀議して常に參預せず。
五には常に誹謗せられ、醜悪の声周天下に聞こゆ。
六には人の敬せざる所にして、教勅ありといえども、人これを承用せず。
七には常に憂愁多し。
八には誹謗の業因緣を種。
九には身壞れ命終りてまさに地獄に墮すべし。
十にはもし出でて人と為りては、常に誹謗せらる。

(漢文:如佛說妄語有十罪。何等為十。
一口氣臭。
二善神遠之、非人得便。
三雖有實語、人不信受。
四智人謀議常不參預。
五常被誹謗、醜惡之聲周聞天下。
六人所不敬、雖有教敕、人不承用。
七常多憂愁。
八種誹謗業因緣。
九身壞命終、當墮地獄。
十若出為人、常被誹謗)

現代語訳すると以下のとおりです。
1. 口が臭くなる
2. 諸神に守られない
3. 本当のことを言っても信じてもらえない
4. 大事な会合に加われない
5. 常に悪口を言われ、世間に悪評が広まる
6. 尊敬されず、意見を言っても受け入れられない
7. 常に憂いが多い
8. 誹謗の因縁をつくる
9. 肉体が滅び命終われば当然地獄に堕ちる
10. もし人間に生まれても常に人から誹謗される

では、そもそも嘘とは一体どんなものでしょうか?
嘘をついていると大変なことになるので、
嘘とはどんなものかを知る必要があります。

嘘とは?

嘘とは、事実と異なることを言うことです。
心理学では、心理学者のウィルソンが、嘘を5通りに分けています。
1つには保身のための嘘。
2つには自分をよりよく見せるための嘘
3つには誰かを守るための嘘
4つには自分の利益のための嘘
5つにはわざと人を傷つけるための嘘です。

このような嘘について、仏教では、このように教えられています。

不実の説をなし、見ざるを見ると言い、見るを見ずと言い、聞かざるを聞くと言い、聞くを聞かずと言い、知るを知らずと言い、知らざるを知ると言い、自らにより他により、あるいは財利により、知りて妄語してしかも捨離せず。
これを妄語と名づく。

これは、事実でないことを言う。
見てないのに見たと言ったり、見たのに見てないという。
聞いていないのに聞いたと言い、聞いたのに聞いていないと言う。
知っているのに知らないと言い、知らないのに知っていると言う。
自分から、他人に言われて、またお金のために嘘をつく。
これを妄語という、ということです。

また、龍樹菩薩(ナーガールジュナ)は、『大智度論だいちどろん 』に、妄語とはどんなことなのかについて、このようにも教えられています。

妄語とは、不浄心に他を誑かさんと欲し、実を覆隠して異語を出し口業を生ず。
これを妄語と名く。

これは、妄語というものは、汚れた心で他人をだまそうとして、本当のことを隠して、それと異なる言葉を口で言う、これが妄語だ、ということです。

具体例を挙げればこのような感じです。

夫が妻に言う嘘

例えば、酔っ払って帰ってきた旦那が、
奥さんから、「あんた、酔っ払ってるでしょ
と聞かれると、
おらー、酔ってらんからいぞー
と言います。

ろれつが回っていませんから、酔っていることはバレバレですが、
それでも否定したくなって、嘘をつくのです。

オレオレ詐欺

また、事実を言っているにもかかわらず、 誤解させる嘘もあります。
たとえば、オレオレ詐欺で、「オレオレ」というのは、
嘘ではないというのかもしれませんが、
明らかに誤解させようとしており、騙していますからです。

仕事上の嘘

仕事でも、自分に不利なことは言わずに隠蔽し、
自分に有利なことばかりを強調します。
周りの人が、少しでも自分に都合のいい判断をするように、
誘導するのです。

ストレスのかかる嫌なことを避けたい時は、
少し体調が悪くなりまして
と仮病を使って、
ずる休みをすることもあります。
失敗を追及されると、言い訳したり、責任転嫁したり、
ごまかしたり正当化したりするのも、嘘です。

知り合いへの嘘

また、仕事以外でも、
知り合いが赤ん坊を抱いているのを見ると、
まあ、かわいい赤ちゃんねえ
と言いますが、心の中では、
いやーすごい顔だった。どう見てもかわいいとは思えないけど、
どっちに似たのかなあ、かわいそうに

などと思ってはいないでしょうか。

電話での嘘

電話中は
あらそうなんですか。おもしろーい、はははー
と言っていた人が、電話を切ると豹変して
この忙しいのにどんだけしゃべってんの。バカじゃないの?
という人があります。
全然面白くなさそうです。

また、電話中は、
はい、承知致しました。もちろんです
空気中に向かってペコペコお辞儀までしているんですが、
電話を切ると、声が低くなって、
ったく、いつもいつも。たまには自分でやってみろってんだ
全然承知していない人もあります。

嫁と姑の嘘

ウソくらべ 死にたがる婆 とめる嫁
という言葉があります。
姑さんは、嫁が自分を大事にしてくれないので、
わしも歳だし、もう死にたくなったわ
と嫁さんに嫌みを言います。
本心はもちろん死ぬ気などサラサラないのですから、
真っ赤なウソです。

ところが嫁さんは嫁さんで、
あらまあお母さん、何を言われますの?
お母さんはこの家の柱じゃないの。
百までも千までもいついつまでも長生きしてくださいね

と言います。

心の中では「いつまで生きているつもりだ。いい加減に
と思っていますから、
役者よりも上手な演技です。
このように、姑も嫁も心にもないウソをつき、
騙し合いをしています。

ウソをつく人間のすがた

このように嘘ばかりついている私たちのすがたを、
お釈迦様は、このように『大無量寿経だいむりょうじゅきょう』に説かれています。

心口各異しんくかくい 言念無実ごんねんむじつ

これは「心と口は、おのおの異なり、
言っていることと、おもっていることに、まことが無い

と読みます。

お釈迦様は、
すべての人は、心で思っていることと、口で言っていることが異なる。
だから言っていることにも、思っていることにもまことがない。
ウソ偽りばかりだ、と教えられているのです。

正直に申しまして、あなたヒョットコみたいな顔をしてらっしゃいますね
心の通り正直に言うと悪口になります。
心の通りに言わなくても嘘つきになります。
これがお釈迦様の説かれた人間の姿です。

お釈迦様のいわれる通り、私たちは、
あまりに平気でウソばかりついているので、
醜いという感覚が麻痺してしまって、
ウソついているという自覚すらありません。
ちょうど、臭いトイレの中にいても、長くいると鼻がバカになって、
臭いと感じなくなってしまうようなものです。

そんなウソ偽りばかりの者が、
そのまま幸せになるには、
仏教を聞くよりほかにありません。

仏教を聞くとどうなる?

今回は、仏教の「妄語」の意味と嘘ばかりつく人の末路について解説しました。

妄語とは嘘をつくことですが、
世間一般では詐欺罪などにあたらない限り犯罪には問われません。
(道徳倫理には反しますが)
ところが仏教では、妄語は地獄などの三悪道に堕ちる罪だと、厳しく教えられています。

そしてすべての人は、心で思っていることと、口で言っていることが異なると見抜かれ、
妄語の罪ばかり造っていると教えられるのです。

そのような嘘ばかりつく人間が本当の幸せになるには
仏教を聞くよりありません。

お釈迦様は、
仏教は、真実の自分の姿を映し出す鏡のようなものだと
いわれています。

鏡から遠く離れている時は、
あいつは嘘ばかりついて信用できない、自分は正直者だから嘘なんかつかない」とか、
あの人に比べたら、自分のほうがよっぽどましだ」とか、逆に
なーんだ、嘘をついてもいいのかー」と思っていますが、
鏡に近づけば近づくほど、自分の姿がハッキリ見えてきます。
仏教を聞けば聞くほど、知らされてくるのは自分の本当のすがたです。

真実の自分のすがたが知らされなければ、
本当の幸福にはなませんから、
心口各異 言念無実
と、本当の私たちのすかたを
お釈迦様は教えられているのです。

では、どうすれば本当の幸せになれるのかについては、
仏教の真髄ですので、
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一度見てみてください。

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この記事を書いた人

長南瑞生

長南瑞生

日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか1人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。たまたまインターネットの技術を導入して爆発的に伝えられるようになり、日本仏教学院を設立。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと今も奮戦している。

仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者4千人、メルマガ読者5万人。X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能

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