アングリマーラ(指鬘外道)とは
「アングリマーラ」は、鴦掘摩羅(オークツマラ)とか、指鬘外道ともいわれ、『増一阿含経』や『鴦掘摩経』に説かれるお釈迦様の時代の殺人鬼です。
日本でも有名で、『指鬘外道』という戯曲になり、「赤とんぼ」で有名な山田耕筰が劇中歌を作曲しているほどです。
また、悪人こそ救われると教えられた『歎異抄』では、このアングリマーラの話を通して、親鸞聖人がお弟子の唯円に重要な教えを残されています。
アングリマーラの意味は、指鬘ということで、指でつくった首飾りです。
人を殺して集めた指で首飾りを作るという猟奇的な事件を起こした連続殺人犯ですが、お釈迦様に導かれてあっという間に悟りを開きます。
一体どんなことがあったのでしょうか?
アングリマーラとは
アングリマーラとはどんな人なのでしょうか?
まず仏教の辞典を確認してみましょう。
央掘摩羅
おうくつまら
サンスクリット語・パーリ語 Aṅgulimālaに相当する音写。
アングリマーラ。
<鴦掘魔>とも音写される。
コーサラ国シュラーヴァスティー(舎衛城)の出身。
仏弟子。
多くの人々を殺す残虐な賊であった。
釈尊に出会ったとき殺そうとしたが、逆に教化され出家した。
人を殺してその指を集めて髪飾り(鬘)を作ったと伝えられることから<指鬘外道>とも呼ばれる。
出家後托鉢の時、町の人々から人殺しであったため非難され傷つけられることも度々であったが、修行をおさめて最高の悟りを得たと伝えられている。
央(鴦)掘摩羅経に説く。(引用:『岩波仏教辞典』第三版)
このように、アングリマーラについてとても簡単に説明されていますので、ここでは辞典には書かれていないところまで、分かりやすく解説していきます。
アングリマーラの生い立ち
アングリマーラはあだ名で、名前をアヒンサカといいます。
コーサラ(拘薩羅)国の国王の教育係のバラモン、ブハールッガワの子供として生まれました。
お母さんの名前は、マンターニといいます。
アヒンサカは、成長すると、コーサラ国の500人の弟子を持つ有名なバラモンの弟子になりました。
頭がよく、力も強く、美青年でした。
バラモン教を学んで深く理解し、行いもよかったので、めきめきと頭角を現し、若いうちに師匠の高弟になりました。
ところが他のお弟子からすれば、面白くありません。
ねたみの心から、あることないことを噂されたり、師匠に嘘の密告をされたりしました。
それは「師匠の奥さまと、アヒンサカが怪しい関係にあります」
というものです。
最初は師匠も「そんなはずはあるまい」
と取り合わなかったのですが、
「確かに、妻はアヒンサカに優しい面があるな」
と思っていました。
ところがある時、大事件が起きてしまったのです。
アングリマーラが殺人鬼になった理由
師匠の妻は、本当に美青年のアヒンサカの魅力にひかれて、好きになっていたのです。
ある日、夫が出かけたすきに、アヒンサカに愛の告白をして、言い寄りました。
ところが、アヒンサカは真面目な青年だったので、
「奥さま、いけません」
と断固として誘惑を拒みます。
それでも師匠の妻は、燃え上がる欲望に目がくらんで、まとわりつきます。
アヒンサカは、不倫をいさめてその場を立ち去りました。
ところが、突き放された師匠の妻はその悔しさに、かわいさ余って憎さ百倍、恐ろしい復讐をたくらみます。
夫が帰宅すると、自分で服を引き裂いて、髪を振り乱して床の上に倒れたまま迎えます。
そして夫が留守の間に、アヒンサカに襲われて、こんな辱めを受けたと泣きながら訴えます。
夫は愕然として、
「さては他の弟子たちの言っていたことは本当だったか。
アヒンサカの奴、あんなにかわいがったのに裏切りおって」
と激しい怒りを覚えます。
そして、平凡で一時的な復讐よりも、自滅に仕向けて、永遠に苦しませてやろうと考えました。
やがて、師匠はアヒンサカを部屋に呼んで驚くべきことを言います。
「お前はもう、私の教えをすべて修得した。
後はただ一つ、朝から街の辻に立って一日で百人を殺し、一人一人より一本の指を切り取って、それをつないで首飾りとするがよい。
そうすれば、お前の悟りの道は完備するであろう」
そして一振りの剣を渡しました。
剣を受け取ったアヒンサカは、余りの残忍な修行に非常にとまどいました。
しかし師匠の命令に背いたら、悟りは得られないと思い、師匠に従うことにしたのでした。
アングリマーラの無差別大量殺戮
憤然と決意したアヒンサカは、舎衛城の中の人通りの激しい往来へ行き、阿修羅のように道行く老若男女を殺しまくりました。
目は血走り、髪の毛は逆立ち、返り血を浴びて鬼のような形相になります。
人々は突然の殺人鬼の出現に悲鳴をあげて逃げ惑い、舎衛城は大騒ぎになりました。
もともと体力があったので一気に何十人も殺し、指を切り取って真っ赤な首飾りを作り始めます。
それを見た人々は、この殺人鬼を「アングリマーラ」と呼び始めました。
指鬘ともいって、指の首飾りということです。
このことは、すぐに舎衛城の波斯匿王に報告が入ります。
驚いた王は、自ら兵を率いて現場へ急行します。
また、アングリマーラの母親、マンターニにも、噂が聞こえます。
町中に白昼堂々殺人鬼が現れ、どうもそれが自分の子供らしいのです。
もし本当に自分の子供なら、早く止めて逃げなければ、警察に取り押さえられて、殺されてしまうかもしれません。
マンターニは、現場に確かめに行くことにしたのでした。
お釈迦様の導き
舎衛城の町には、お釈迦様の弟子たちも托鉢をしていたので、祇園精舎へ逃げ帰った弟子たちはお釈迦様に報告します。
それを聞かれたお釈迦様は、
「哀れな者よ。今より行って救ってやろう」
といわれ、舎衛城に向かわれます。
途中ですれ違う人が、
「そっちは危ないですよ、人殺しがいますよ」
と言うと、お釈迦様は、
「世界中が私の敵になっても少しも少しも恐れることはない。
ましてやたった一人に恐れることがあろうか」
と悠然と歩いて行かれました。
アングリマーラは、殺した人々の指を切り取って首飾りを作ると、ちょうど99人でした。
あと1人で完成すると思って辺りを見回すと、もうあたりには誰もいません。
首飾りを首にかけ、炎のような息を吐きながら、誰か通らないかと見ていると、遠くに人影を見つけます。
それは、自分の母親のマンターニでした。
マンターニも、アングリマーラに気がつき、
「まさか本当に私のアヒンサカが殺人鬼なの?」
と目を疑い、うろたえながら近づいて来ます。
もはや興奮して見境がなくなっていたアングリマーラは、ついに100人目がきたと意を決して母親に斬りかかろうとした時、そこにお釈迦様が従容として現れられたのでした。
それを見つけたアングリマーラはお母さんのほうからくるりと向きを変え、猛然とお釈迦様に襲いかかろうとします。
ところがどうしたことか、少しも近づくことができません。
アングリマーラは焦って思わず叫びます。
「沙門よ、止まれ!」
お釈迦様は、静かに
「私は止まっている。止まっていないのはそなたである」
と応じられます。
この奇妙な答えにアングリマーラは驚いて
「これはどうしたことだ?」
とうめきます。
「そなたは邪教にだまされて、みだりに人命を奪おうと焦っている。
だから少しも身も心も安らかになれないのだ。
私は生死を超えてなんら煩うところがない。
そなたを哀れんで救いにきたのだ。
惑える者よ。早く悪夢より覚めて無上道に入れ」
お釈迦様の尊いお姿と無上の威徳に接して、さしもの悪魔外道も慟哭し、剣を捨ててひれ伏します。
こうしてアングリマーラは、お釈迦様の後について祇園精舎に行き、お弟子になったのでした。
お釈迦様が35才で仏のさとりを開かれてから21年目、56才の時のことでした。
アングリマーラの救い
やがて波斯匿王とその軍勢が現場に到着しましたが、もうお釈迦様が解決された後でした。
殺人犯はお釈迦様についていったという目撃情報を聞き、王はすぐに祇園精舎へ訪ねてきます。
お釈迦様が
「その賊はすでにここに出家している」
と傍らのアングリマーラを紹介されると、波斯匿王も一旦は震え上がりますが、我に返ってアングリマーラの前へ行き、僧侶に対する礼をとり、
「今後は供養するであろう」と言います。
そしてお釈迦様に
「お釈迦様はいつも慈悲をもって迷いを除いてくだされる。
これからも私たちをお導きください」
と礼拝して帰って行きました。
「仏の慈悲は苦しむ者にひとえに重くかかる」
と言われるように、苦しみのどん底にあったアングリマーラは、お釈迦様の教えを聞いて、その日のうちに悟りを得たといわれます。
仏教は、どんな極悪人でも救われる教えなのです。
アングリマーラ、妊婦を救う
翌日からアングリマーラは、舎衛城に行って托鉢をし始めます。
すると、一人の女性がお産に苦しんでいるのに出会いました。
それを見たアングリマーラは、昨日は99人の人を無慈悲に殺したのですが、今日は憐れみを感じます。
しかし、昨日、大量虐殺事件を起こした手前、どうすることもできません。
祇園精舎に帰ってお釈迦様にご相談すると、
「そなたは今からその女性のもとへ行って、私は決して嘘はいわない。
生まれてから今まで、殺生をしたことがない。
私のこの徳によってそなたの悩みはいえるであろう、と言うがよい」
といわれます。驚いたアングリマーラは、
「昨日99人殺していますので、とてもそんなことは言えません」
とお答えすると、
「生まれてから、というのは、悟りを開いてから、ということである」
と言われます。
そういうことかと納得したアングリマーラは、女性のもとへ行くとそのように言い、女性の苦しみを和らげたといわれます。
アングリマーラの心はガラリと変わってしまったのです。
アングリマーラへの迫害
しかしながら周りの人々はそうはいきません。
アングリマーラが舎衛城を托鉢に歩いていると、みんな無差別殺人事件を覚えていて、何のお布施もしないのはもちろん、口々に悪口を言います。
殺人鬼であるという噂が広まり、周りから石を投げられたり、棒で殴られたりもします。
多くの人を殺して血まみれになったアングリマーラは、今度は自分の血で血まみれになりました。
痛みに耐えて祇園精舎に帰ると、お釈迦様にこう言います。
「私は自分の煩悩によって多くの命を奪い、アングリマーラと呼ばれるようになりましたが、幸いにもお釈迦様のお導きで悟りを開きました。
仏さまはよくぞ私のような極悪人を憐れみたまいて、お助けくださいました。
おかげさまで心は明るく、痛みも苦になりません。自殺しようとも思いません。
やがてこの世の縁が尽きれば、涅槃に入ることは明らかです」
それを聞いたお釈迦様は、
「我が弟子の中、法を聞いて早く悟ること、指鬘のように勝れた者はなし」
と言われたといいます。
アングリマーラにまつわる歎異抄の教え
このアングリマーラの話は、仏教では非常に有名な話なので、日本でもこれを通して教えられていることが、鎌倉時代の『歎異抄』という本に記されています。
『歎異抄』というのは、
「善人でさえ助かるのだから悪人はなおさら助かる」
という悪人正機で有名な、日本で最も読まれている仏教書です。
『歎異抄』は、ある時親鸞聖人がこんなことをおっしゃった、とお弟子の唯円房が記したものです。
その『歎異抄』の第13章に、こう記されています。
あるとき「唯円房は我がいうことをば信ずるか」と仰の候いし間、
「さん候」と申し候いしかば、
「さらば我が言わんこと違うまじきか」と重ねて仰の候いし間、
つつしんで領状申して候いしかば、
「たとえば人を千人殺してんや、しからば往生は一定すべし」
と仰せ候いしとき、
「仰にては候えども、一人もこの身の器量にては殺しつべしともおぼえず候」
と申して候いしかば、
「さては親鸞がいうこと違うまじきとは言うぞ」と。
「これにて知るべし、何事も心にまかせたることならば、往生の為に千人殺せといわんに即ち殺すべし。
然れども一人にても殺すべき業縁なきによりて害せざるなり。
我が心の善くて殺さぬにはあらず、また害せじと思うとも百人千人を殺すこともあるべし」(引用:『歎異抄』第13章))
ある時親鸞聖人が、
「唯円房、お前はわしのいうことを信ずるか」
と聞かれました。
唯円房は、「さん候」
「もちろんでございます。
お師匠様のおっしゃることなら、何でもやります」
と唯円房が返事をしました。
すると親鸞聖人は、「さらば我が言わんこと違うまじきか」と
本当だな、二言はないなと念を押されます。
それを聞いて唯円房は、
「つつしんで領状申して候いしかば」ということで、
はい、それはもう二言はございません。
おっしゃること何なりと従いますと言います。
千人殺したら救われると言われた時の答え
親鸞聖人は、じゃあお前に言うぞ。
「たとえば人を千人殺してんや、しからば往生は一定すべし」
たとえば人千人殺してこい。
そうしたら死ねば極楽往ける身になるよ。
これに対して唯円はどう答えたでしょうか?
「仰にては候えども、一人もこの身の器量にては殺しつべしともおぼえず候」
ああそれは、親鸞聖人のおっしゃってることでも、私は力がないので、千人どころか一人も殺すことはできません。
アヒンサカは体力も力もあったんですが、唯円は虚弱体質で、誰かに襲いかかったら返り討ちに遭ってしまうのかもしれません。
すると親鸞聖人は、
「さては親鸞がいうこと違うまじきとは言うぞ」と。
さっきは何でもやると二回も言っていたのに、あれはどうしたんだ。
こう言われて、唯円房は何も言えなくなって、かしこまってしまいました。
アングリマーラとは誰?
これを通して、親鸞聖人はこのように教えられています。
「これにて知るべし、何事も心にまかせたることならば、往生の為に千人殺せといわんに即ち殺すべし」
これでお前分かるだろう。
何事でも自分のこころの通りにできるものではないんだ。
何事も自分の思った通りに自分でできるのなら、極楽参りのために人を千人殺せと師匠に言われたら、素直に殺しに行くだろう。
しかし一人も殺すことできないだろう。
それはなぜか。
その答えを親鸞聖人はこう教えられています。
「然れども一人にても殺すべき業縁なきによりて害せざるなり」
そういう業縁がお前にないからだ、ということです。
親鸞聖人は『歎異抄』第13章の続きに、こう言われています。
さるべき業縁の催せば、如何なる振舞もすべし。
(引用:『歎異抄』第13章)
「業縁」というのは、縁と同じで、機会や環境、条件のことです。
縁さえくれば、どんなことでもやる親鸞だ、ということです。
世の中にはたくさんの悪人がいます。
たくさんの詐欺を働いたとか、何十人も殺したとか、刑務所に入っている人もあります。
ところが、そういう結果を起こす因は親鸞持っている、といわれています。
過去世の行いは、業力となって、親鸞聖人の阿頼耶識の中におさまっています。
だから縁さえくれば、過去世の業力と結びついて、どんなことでもやるだろう、と言われています。
それだけ自分の姿が知らされているのです。
だから、親鸞聖人は、唯円に、一人も殺せないのは縁がないだけだ、といわれて、
「我が心の善くて殺さぬにはあらず、また害せじと思うとも百人千人を殺すこともあるべし」
と言われています。
お前の心が善いから私の言う通りにできないんじゃないんだよ。
もしそういう縁がお前にあれば、そんなことしちゃいけないと言われても、百人千人と殺すんだよ。
だから、アングリマーラというのは他人事ではない。
私たちの心の姿を教えられているのだよ、ということです。
お釈迦様がお経に説かれているのは、煩悩に苦しむ私たちの心の姿なのです。
そして、どんな極悪人でも、すべての人が本当の幸せになれる道を教えられたのが仏教です。
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この記事を書いた人
長南瑞生
日本仏教学院 学院長
東京大学教養学部卒業
大学では量子統計力学を学び、卒業後は仏道へ。仏教を学ぶほど、その底知れない深さと、本当の仏教の教えが一般に知られていないことに驚き、何とか1人でも多くの人に本物を知って頂こうと、失敗ばかり10年。たまたまインターネットの技術を導入して爆発的に伝えられるようになり、日本仏教学院を設立。科学的な知見をふまえ、執筆や講演を通して、伝統的な本物の仏教を分かりやすく伝えようと今も奮戦している。
仏教界では先駆的にインターネットに進出し、通信講座受講者4千人、メルマガ読者5万人。X(ツイッター)(@M_Osanami)、ユーチューブ(長南瑞生公式チャンネル)で情報発信中。メールマガジンはこちらから講読可能。
著作
- 生きる意味109:5万部のベストセラー
- 不安が消えるたったひとつの方法(KADOKAWA出版)